[617] 今年のカンヌについて


来月20日より新作『レディ・プレイヤー1』が日本でも公開されるスピルバーグ監督は、ITV NewsのインタビューにおいてNetflix作品に対して苦言を呈していた。彼によると「一度でもテレビというフォーマットに足を踏み入れたら、それはもうテレビ映画」であり、それらにはエミー賞を与えるべきだという。(#1)その発言の是非はともかく、やはり従来の劇場型のフォーマットとNetflixをはじめとするストリーミングサービスは容易に統合することはできず、例えば主な問題としては昨年のカンヌ国際映画祭での論争であろう(この論争に関して詳しくはこちら(#2)を参照してほしい)。そして実際、今年のカンヌではNetflix作品をコンペティションからは外すことになっている(#3)。

また同じく今年のカンヌにおいて話題になっているのがレッドカーペットでのセルフィーの禁止であろう(#4)。スピルバーグによる発言と同様に、これらの措置はともすれば保守的に思えるかもしれない。そこで本記事ではカンヌ国際映画祭代表であり、昨年日本でも公開された『リュミエール!』の監督でもあるティエリー・フレモーが、Netflixやセルフィーの禁止だけでなく、MeToo運動やVRなどについて語っているインタビューを紹介したい(#5)。

あなたは映画祭でtime’s upや#MeTooに関したイベントを開くつもりはありますか?

“#MeTooイベント”をオーガナイズするのはカンヌの役割ではありません、というのも我々はそのようなスキルも正当性も備えていないからです。それよりはカンヌにおいて、そこら中で立ち上がるであろうあらゆる自発性をうまく組織したいと思っています。我々は映画祭の準備のためにたくさんのディスカッションをしていますし、様々な意見を交換しています。そしてまた我々のやり方というものを考えている途中です。例えば、審査員長、あるいは審査員全体にとっての男女平等を保証すること、これは長い間考えられてきたことです。我々は映画祭での、そして審査委員会での女性のスタッフの数を平等にするべく努めていますが、そのようなことが大事なのです。

昨年、審査員であるジェシカ・チャステインは私に、審査の過程において”女性のまなざし”がいかに重要かを理解させてくれました。彼女は正しかったのです。我々はまた賃金の平等に関しても声をあげています。とにかくこのようなトピックはたくさんあります。ワインスタインの件以降、世界もはや以前と同じではありません。何かが立ち上げられたのです。そしてそれは幸運なことです。

あなたはサンダンスや他の映画祭がしてきたように、セクシャルハラスメントに対する対策を含むようルールを修正しようと考えていますか?

カンヌは正義のシステムや警察の代わりになることはできません。たしかにハラスメントやわいせつ行為に対する法はありますし、それらを人々に知らせていこうとは思います。しかし、我々は教育を通して、安全や善行の問題に関して大きな規模で伝達することを考えています。

我々が推進していきたいと思う素晴らしい仕事を行う組織はたくさんあり、例えばフィルムマーケットの期間、スウェーデンのパビリオンはあるパネルをオーガナイズしようとしており、我々はそれをサポートしようと思っています。私はトニー・マーシャルというフランスの監督とたくさん話しましたが、彼女はフェミニストの問題に大変深く関わっています。彼女の話すことは本質的です。またピエール・レスキュールと私は、我々の考えを話すためにフランスの男女共同参画大臣とも会いました。カンヌ国際映画祭はこれらのあらゆるトピックに関して申し分ない態勢であるでしょう。我々はそれに取り組んでいるのです。


コンペティションに参加する映画は劇場公開されなければならないというNetflixルールは、今年の映画祭でも有効なのでしょうか?それともあなたは改訂することも考えているのでしょうか?

このルールは昨年確立され、今それははっきりしています。コンペティションに選ばれるあらゆる作品は劇場で公開されねばなりません。昨年、私はNetflixを説得できると思いましたが、しかし彼らは拒否しました。それは彼らのビジネスモデルなのであり、私はそれを尊重します。しかし我々はあくまで映画館を対象にしており、コンペティションで上映される作品はあくまで劇場で公開されることを望んでいます。それは映画好きにとってのモデルであり、Netflixは同様にそれを尊重しなければなりません。

しかしカンヌは同時代的なクリエイティビティのあらゆる源泉が、今日のAmazonやNetflixが、そして将来はおそらくAppleが何か重要なことを表現することを歓迎したいと思います。特に彼らは才能のある映画作家と共に仕事をしているからです。そしてその中の何人かはカンヌのreturning auteurです。映画畑におけるこれらの新たなパートナーは経済的に非常に力強いフットプリントを持っています。我々は最終的には良い合意に至ることでしょう。

映画作品が歴史の一部分になるためには、劇場、興行収入、批評、シネフィルの情熱、賞やキャンペーン、本、ディレクトリ、フィルモグラフィーなどの過程を経る必要があります。そしてカフェや劇場、ラジオ等での集団的な議論です。これら全ては、映画の歴史が基づいてきた伝統の一部分です。 昨年、フランスでノア・バームバックとポン・ジュノの作品が悲しいことに事実上消滅しました。これらの作品はNetflixのアルゴリズムの中で路頭に迷ったのです。それらの作品は映画好きの精神に属しておらず、美しい作品であっただけに残念です。しかし結局は我々は理解することができたのです、映画の歴史とインターネットの歴史は全く別物であると。

それはNetflixはカンヌにおいて、コンペティションやある視点部門の外では歓迎されているということでもあります。我々はパリで最近ミーティングを行いましたが、対話は白熱し、実りは多いであろうと私は確信しました。彼らはカンヌへの復帰に対して非常に熱心であり、我々もそれを歓迎したいと本当に思っています。


セルフィーの禁止ですが、携帯で写真を撮ることに関する施行は難しいのではないかと思います。あなたはどのように施行するつもりですか?写真を撮った人はレッドカーペットから追い出すのでしょうか?

我々はこの新たな措置をどう実行するかについて、実践的なレベルで考え尽くせてはいません。我々は警察ではないので、参加者の、そして彼らの理解を信用するしかありません。ただレッドカーペットでの、断続的で観光客のようなセルフィーは馬鹿げています。

それはステップを登る質やテンポを損なうものです。これに抵抗し、否定的にコメントをする人もいますが、セルフィーは10年前には存在しなかったもので、そんなものは明らかに世界で最も重要なものではないのです。我々はカンヌへ映画を観に行くのであり、セルフィーを見に行くのではありません。

私の、そして私の組織の仕事は世界で最も重要な映画祭の威信を保つことです。我々が階段の頂上に立った時、レッドカーペットの上でセルフィーを撮るという行為の下品でグロテスクな側面を見ることになります。それは非常にだらしのないことです。

ラインナップはVRを含めるのでしょうか?またTVシリーズに関してはどうでしょうか?

我々は選考プロセスの真っ只中におり、私でもどうなるかはわかりません。ただ、我々はテレビやヴァーチャルリアリティに捧げる部門を作ることは望みません。カンヌはあくまで”映画”祭です。TVシリーズは空前の黄金期を迎えており、映画作家はそれらを撮りたがっています。なので我々は臨機応変に、映画以外の分野で自身を表現することを選んだ偉大な映画作家達の新作を展示することもあります。

昨年、我々は”トップ・オブ・ザ・レイク”や”ツイン・ピークス”の新シリーズと同様に、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥによる”肉と砂”という異常なVRインスタレーションを招待し、その上映は映画祭の70周年においてマイルストーンとなりました。それはまた我々に新たな友人を歓迎することになったのです。イニャリトゥ、ジェーン・カンピオン、デヴィッド・リンチ、、、そんなに悪いことじゃありませんね!

#1
https://www.youtube.com/watch?v=_hTTvO50QTs

#2
http://indietokyo.com/?p=6176

#3
http://www.latimes.com/entertainment/la-et-entertainment-news-updates-2018-cannes-shuts-out-netflix-films-from-1522091667-htmlstory.html

#4
http://deadline.com/2018/03/cannes-film-festival-chief-thierry-fremaux-says-no-press-screenings-ahead-of-world-premieres-no-selfies-on-the-red-carpet-this-year-1202352143/

#5
http://variety.com/2018/film/news/cannes-film-festival-thierry-fremaux-red-carpet-selfies-1202735264/

嵐大樹
World News担当。東京大学文学部言語文化学科フランス文学専修3年。好きな映画はロメール、ユスターシュ、最近だと濱口竜介など。


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