周知のように、2022年2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始した。ここ数十年、欧州では久しく見ることのなかった大国による大規模な軍事侵攻に世界中が驚き、日本そして欧米諸国はその義憤を声と行動により慨然として表明ている。ロシアから放たれた軍事力の爆音は世界中に波及、平和に安らぐ富裕国の安全・危機意識を次々に目覚めさせてきた。そんななか、隣国の国家主権と尊い人命とを軍事侵攻によって蹂躙するというロシアによるあり得べからざる行動に対し、戦禍のウクライナから国際的舞台に上がり、昂然と反対を表明している映画人が、最近になってようやく日本でもその諸作が公開され始めているセルゲイ・ロズニツァだ。

彼はここ10年のあいだ、今日のウクライナを代表する映画監督として国際的名声を博しており、ロシア-ウクライナ間の衝突を題材にした作品も複数制作している。2013年に端を発したユーロマイダン運動時に、抗議活動家たちであふれかえるウクライナの首都キエフにあるマイダン広場の様子をフィックス・ショットの超長回しにより延々と捉え続けたドキュメンタリー”Maidan”(2014)や、親露分離独立派とウクライナ政府による衝突で、政情不安に陥ったウクライナ東部地方ドンバスにおける人々の状況を再現したドラマ『ドンバス』(2018)を、ウクライナ支持の立場から描き、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞した。ロズニツァは、上記二作をウクライナ支援のためのチャリティー上映に充てているほか、ウクライナ人の国外避難や難民の支援も行っている。[1][2][3]

 

「善と悪との戦い」とアカデミーからの除名

 

「全世界が善と悪、真実と欺瞞といった聖書的な様相を呈する戦いを目の当たりにした。勝利はウクライナと共にある!」といった本人からの声明にあるように、これまで旗幟鮮明にウクライナをサポートしてきたロズニツァが、3月に突如ウクライナ映画アカデミー(Ukrainian Film Academy、以下UFA)から除名処分を受けた。ここ数ヶ月間の彼の活動は、カンヌ映画祭でのドキュメンタリー賞ルイユドールをはじめ、数多の賞を獲得した新作 “Babi Yar. Context”(2021、以下『コンテクスト』)の世界各国での公開に併せ、本作のプロモーション活動などに集中していたところだった。その一環として彼は様々な機会を通して作品についてのインタビューに答えているが、ロズニツァの立場からすれば非常に奇妙な決定であるこのUFAによる除名処分についての質問も、当然数多くのメディアから寄せられている。ロズニツァはこうした疑問に対し、率直な言葉をもって正面から答えている様子だが、この件に関する記事に目を通していると、今回の除名の背景にはウクライナ国民の『コンテクスト』に対する不満が存在することが見えてくる。[3]

 

アカデミー除名に至るまでの経緯

 

事の次第は、ロシアの侵攻開始を受けて2月24日に発布されたヨーロッパ映画アカデミー(European Film Academy、以下EFA)の声明文から始まった。ロシアの侵攻開始と同日に公表されたこの声明は、欧米各国の首脳たちがこの日に発表した対ロシア声明と歩調を併せた感のあるもので、実質的なアクションについては触れずに、「状況を注意深く見守り、ウクライナ人会員たちとの連絡を保つ」といった「様子見」色の強いものであった。このEFAの生ぬるい反応に憤ったロズニツァは、同月28日に公開した声明で当アカデミーをみずら退会し、次のように語った。「あなた方〔EFAの〕お歴々の中には、61人のウクライナ人会員がいるといいますが、さて、今日という日をもってその会員はわずか60人ばかりとなります。私については「注意深く見守り、連絡を保って」貰わなくとも結構です。どういたしまして!あなた方は自分自身の良心との「連絡を保った」方がよろしい」と彼一流の戦闘的姿勢でアカデミーを切って捨てた。3月1日になると、ようやくEFAはロズニツァが期待していたような、断固とした非難をする決心がついたかに見えた。だが、それは勢い余ってロズニツァの期待を飛び越してしまったようだ。EFAは「今年のヨーロッパ映画賞からロシア人を排除」、UFAの〔呼びかけている〕ロシア映画ボイコットに参加」を表明し、ロシアに対し決然と握りこぶしを固めた。しかし、そこでロズニツァはロシア映画のボイコットという、自国の映画アカデミーと足並みを揃えたこのEFAの措置を行き過ぎだと非難したのだった。UFAがロズニツァへの査問を経ずに問答無用で彼を除名処分としたのは、その後3月19日のことである。この時点では、ロズニツァが受けた除名処分の原因は、UFAのポリシーと矛盾する彼の批判的態度という一点のみにあるように思えた。[4][5][6][7][8]

 

ウクライナ人の不興を買う『コンテクスト』

 

『コンテクスト』は”Babi Yar. Context”という英題からも分かるとおり、キエフにあるバビ・ヤール峡谷でのホロコースト(ナチスとその協力者によるユダヤ人虐殺)を扱った作品だ。この虐殺は第二次大戦における独ソ戦初期に起きている。本編が切り取る大戦中の期間としては、ウクライナを占領していたソヴィエト軍が退去してナチス・ドイツによる占領へと変わり、今度は敗色を強めたドイツが撤退し、ウクライナが再びソヴィエトの手中に戻るところまでを描く。バビ・ヤールでの虐殺は、ドイツ占領期間中になされたが、ウクライナ人もまた大戦期間中は、ソ連とドイツの双方からの過酷で暴力的な圧政に晒されている。映画はロズニツァによる他のドキュメンタリーと同じく、アーカイバル・フッテージ(映像資料)を駆使して編集されたもので、ソ連を嫌うウクライナの民族主義者たちが、ソ連に替わる新たなウクライナの占領者としてナチスを歓迎し、率先してユダヤ人を迫害する様子を記録したフッテージをふんだんに使用している。そのため、バビ・ヤールの虐殺について、単に「ウクライナで起きたナチによるユダヤ人虐殺」程度の認識しか持ち合わせていない鑑賞者は、ナチスのみならずウクライナ人がユダヤ人に対するおぞましい行為に加担している映像を見て事情を飲み込めなくなる。

昨今のウクライナ映画の状況を解説する3月15日付の米フィルムコメントの対談では、ウクライナ映画に詳しい研究者たちが、こうした『コンテクスト』をめぐるウクライナ国内の状況を語っている。ウクライナ国籍保持者でコロラド大学ボルダー校で助教授を務めるアナスタシア・オシポワ(Anastasiya Osipova)は、『コンテクスト』が多くのウクライナ人に憤りを持って迎えられたとして次のように語る。「ロズニツァの映画は歴史に対する知識のない観客が鑑賞するのに困難です」「例えば『コンテクスト』のなかで、ナチス占領初期におけるキエフの街角での爆発を見たとします。その際、ソヴィエト軍がキエフをナチに明け渡すにあたり、建物に爆弾を仕掛けて行ったという歴史的事実を知っていないと、この爆発が誰によって誰を狙ってなされたものなのか理解できないでしょう」「〔本作の〕エッセンスはウクライナの歴史の複雑さをよく表していますが、観客がすでに歴史に対する知識をもっていない限り、この映画を解釈することはできません」「そのため、ロズニツァを芸術家として評価するウクライナのアートコミュニティーのなかでは、ロズニツァの映画が誤解を受けるのではないかという恐れが広がっていました」「〔ウクライナ人は〕本当にナチを歓迎したのでしょうか?答えは明白に「イエス」です。しかし、それがプーチンの言うように今日のウクライナ人をナチと呼び排斥する理由になるのかと問われれば、その答えは絶対に「ノー」です」この点で戸惑うことに、ウクライナを熱烈に支持しているはずのロズニツァ本人が後に記すコメントの中で、この「絶対に「ノー」」とは微妙に一致しない意見を披露しているのである。[9]

2021年7月11日、カンヌ国際映画祭のメインプログラムの外で行われた『コンテクスト』のプレミア上映の時点で既に、映画を見たていた幾人かの鑑賞者もまた、本作が一般のウクライナ人に不穏な印象を与える可能性に気づいていた。ウクライナの映像メディア誌 ‘Bird in Flight’ は、本作を見た映画関係者たちのコメントを掲載した。以下にその一部をかい摘んで記す。〔なお、当然ながらこのプレミア上映の時点で2022年のウクライナ侵攻はまだ始まっていなかった〕

 

アレクセイ・タラソフ (Alexey Tarasov)映画批評家、コラムニスト:

「ロズニツァは本作で、1943年から1945年についての鑑賞者の知識を過大評価しているように思う。なぜリヴィウ(ウクライナ西部の都市で開戦当時はポーランド領)がヒトラーの軍を歓迎したのか、またウクライナの民族主義武装組織が、なぜナチスドイツの下での国家樹立を望んだのか、どこにも説明がない」

 

ビクトル・グロニ (Viktor Glon’) モロディスト・キエフ国際映画祭プログラムコーディネーター:

「映画的現実へと鑑賞者をいざなう『コンテクスト』は、まぎれもなく非常に優れた作品である。しかし、映画を上映する一方で、本作を制作したのは自分とスポンサーと協力者たちで、ウクライナからは妨害こそされかったものの、特に協力を得たわけでもなかった、とロズニツァが語るとき、そこに危険なコンテクストが生じてくる。〔ウクライナ人の中には〕ウクライナについての真実を世界に知らせたくない者がいるのでは、という印象をもつ人もいるかもしれない。〔この映画に〕異を唱えるウクライナ人たちは、実のところ、ユダヤ人虐殺に対するウクライナ人の関与を隠したいがために抗議しているのではない。彼らが気に入らないのは、当映画のプロジェクトを真の意味で推進させた人々と、プロジェクトに使われた資金の性質*である」「本作は重層的な歴史を提示する記録映画ではなく、むしろ芸術作品でありアートプロジェクト、そして挑発である」「監督の〔映画製作に対する〕動機は理解できるが、現在ウクライナはロシアが〔2014年以降に〕仕掛けた戦争の中にあることを、ロズニツァは忘れている。人は善意から真実を告げようとするとき、その真実が引き起こす結果や、真実の提示方法についての配慮を忘れるものだ」コメントの中で些末と思われる幾つかの箇所は省略したが、グロンは以上のように注意を添えつつも、本作について「質の高いプロの仕事」と讃え、「視覚的に優美かつ新鮮で力強い物語だ」と評価している。

*この点については本稿の最後尾で解説する

ニキータ・コズロフ (Nikita Kozlov) モロディスト・キエフ国際映画祭国際部門チーフ、プロデューサー:

「〔『コンテクスト』は〕イスラエルの歴史観と政治路線によるバイアスに歪められ、〔内容を〕注意深く選択・制限された構築物である。そしてこの構築物はとても混沌としており、フッテージのもつ断片性ゆえに一貫性が損なわれている。映画にはリヴィウ、キエフ、ハリコフ、ルーツクといった、それぞれ異なる状況に置かれた諸都市が登場するが、それらについての違いも全く描かれていない」「長尺であったり断片的なフッテージが用いられているにも関わらず、テンポの良さや、それなりに優れたテクニックのために見やすい、という点は注目に値する。しかし、どれほど我々が望んだとしても、この映画には政治の枠外の要素が存在しない。それゆえ、特にウクライナ人鑑賞者にとって、映画のもつ純粋にクリエイティブな要素を評価するのは困難だ。全体的な印象を言えば、この映画は真面目な議論や共感を呼ぶことができないという以上に、メディアを通した罵り合いを招く、単なる挑発行為にしかならないだろう」[21]

敵の声には耳を貸すな

ウクライナには鑑賞者からの評価を集積し数値化するアメリカのロッテントマト(Rotten Tomatoes)のようなサイトは存在しないようだが、ネットを見ると、自国の映画の巨匠のもつ優れた才能を讃え、カンヌでの受賞を喜ぶニュースが数多く見られると同時に、映画についてのレビューへと目を向けると、本作に不満をもつウクライナ人たちの生の声にも少なからずぶつかる。例えば、映画の開始時点以前と、映画の終了時点以降の歴史が描かれていないと指摘し、映画ではふれられていない数々の歴史的事実を挙げ、ロズニツァの情報選択が反ウクライナ的に恣意的だとする歴史家や、情報操作を目的としてバイアスがかけけられた単なるプロパガンダないしは単なる虚偽だと本作を評す映画関係者等々。因みにあるインタビューで、『コンテクスト』に組み入れたアーカイバル・フッテージの選別基準はどのようなものだったのか問われたロズニツァは、単に「フィーリングだ」として、とても素朴に返答している。ロズニツァを除名したUFAのエグゼクティブ・ディレクター、アンナ・マージュフ(Anna Machukh)もまた上記の批判者たちと同じく、彼の除名処分は「当監督がウクライナを説明する際の語り口と直接関係がある」としている。「〔ロズニツァは〕しばしばウクライナ – ロシア間の関係について思索し、語ります」が、それは「受け入れられない立場であり、UFAの価値観に反します」。こうした姿勢は、先ほど例に挙げた幾人かのウクライナ映画関係者たちの所属するモロディスト・キエフ国際映画祭が、ロシア映画ボイコットを訴えた公開声明にも良く現れている。声明の中で当映画祭は、今回の侵攻に声を上げて反対しているロシアの映画人たちについて、彼らの反対が功を奏さずに失敗したという現状を彼らもおそらく認識している以上、映画祭の唱える全てのロシア映画のボイコットに賛同するだろうとしつつ、以下のように続ける。「ロシア人たちの声に耳を傾けたいときは、ウクライナの映画祭プログラマーや監督たちといった、映画業界人の顔を思い浮かべて欲しい。私たちの友人、家族、あるいは私たち自身でさえ、この戦争を生き延びられないかもしれないことを知っておいて、どうやってあなたは私たちに顔向けできるのか。私たちの声、そして表現の自由が私たちの命と共に奪い去られたときになって、ようやくあなたは共犯や連帯責任が何であるかを学ぶかもしれない。ロシア人が現在何を感じているかを訊ねるのは、少なくともその後にせよ」

[22][23][10][24][31]

ロズニツァの除名が公表されているUFAのFacebook公式ページを見ると、「欧州各国および全世界は、侵略国がウクライナで何を行っているかについて、完璧で明快な見解を」もつことを強く促している。UFAの声明から除名理由と思しき箇所を以下に抽出した。

 

・ ロズニツァはみずからを「コスモポリタン」としているが、ウクライナがその独立(independence)を懸けて総力を挙げて戦っている現在、全ウクライナ人は民族的自意識(National Identity)を念頭に置いて発言を行うべきだ

 

・ ロズニツァはフランスのナントで開催予定だった「ロシア映画祭」に参加予定であり、ロシアとの全面戦争にある現在、これは完全に受け入れられない

 

この「ロシア映画祭」については、UFA除名に応じて発表されたロズニツァによる公開書簡のなかで次のような言及がある。「当映画祭の組織に連絡を取って知ったことなのだが、UFAとウクライナの文化的エスタブリッシュメントたちは、原則として映画祭開催を支持するとしている。しかし、ひとつ要望があり、それは「すべてのロシア映画をウクライナ映画へと取り替える」ことだった。映画祭組織がこれを拒むと、彼らはウクライナの文化人たちに攻撃され中傷された」。映画祭が開催される劇場の前には150人の活動家が抗議を展開し、開催者のロシア人はオンライン上でナチと呼ばれ、映画祭の標語である「リヴィウとウラルの間で」(Entre Lviv et l’Oural)も、リヴィウ市長から「非人道的」だとされたうえで、開催中止を余儀なくされたと仏ル・モンドも報じている。だが、UFAのこうした姿勢については、必ずしもウクライナ社会と政府の見解を反映してはいないとロズニツァは語っている。その上でロズニツァの公開書簡はさらに、「〔除名を公表する〕UFAの声明が、私のコスモポリタニズムを理由に除名を行った」として、以下のように続ける。「「コスモポリタン」とはギリシャ語で「世界市民」を意味する訳語であり、みずからをコスモポリタンとした最初の人物は、古代ギリシャの〔哲学者〕ディオゲネスだった。さらにストア派のゼノン、ドイツ人哲学者のエマニュエル・カント、啓蒙主義哲学のヴォルテール、ディドロー、そしてヒュームにジェファソンといった人々がコスモポリタンを自認している」「〔アカデミー会員たちは〕彼らが希求するヨーロッパ近代の社会文化における土台を拒絶しているのだろうか?」続けてロズニツァはコスモポリタンという言葉が否定的に用いられたのは、スターリニズム的言説の中でのみだったと述べる。歴史的にこの言葉は、スターリニズムのみならずナチズムを含めた両全体主義の時代において、ディアスポラであるユダヤ人を「根無し草」と呼び揶揄する言葉として用いられてきた経緯がある。それに対し、一般的に「18世紀以降コスモポリタンは、あらゆる新しい物事に心を開き、文化、宗教、政治的偏見から自由な人々を意味してきた」とロズニツァは主張する。「「全ウクライナ人は民族的自意識(National Identity)を念頭に置いて発言を行うべき」とアカデミー会員たちは言う。一市民としてでもなく、ロシアの侵略に反対する、健全で自由を愛する全ての人々と手を取り合う希望でもなく、民主主諸国が勝利のために払っている国際的努力でもなく、「民族的自意識」。残念ながら、これではナチズムだ〔ナチズムの英語フルネームは “National Socialism”〕。UFAからのクレムリン製プロパガンダへのプレゼントだ」先にも言及があったように、プーチンのクレムリンがかねてから現在のウクライナの「非ナチ化」を唱えているのは良く知られた事実だ。だが、ここでロズニツァは、ウクライナという国家全体をナチスだと見做しているわけではないことに注意を促しておきたい。[7][25][3][26]

 

受け入れ難いウクライナの過去

 

シカゴ国際映画祭が行った『コンテクスト』についてのQ&Aでも、ロズニツァはこの民族(Nation)という言葉を繰り返し口にしている。「もちろん、ウクライナにはこの映画を嫌う人々が存在する」と、彼はうなずく。ナチス協力の事実は「ソヴィエトの歴史パラダイムの中で語られることはなく、ウクライナについての神話が創りあげられた」。この無知や神話による誤解ゆえに、人々はこの映画に憤るのだと彼はいう。「人々はまず歴史を学び、何がどのような理由で起きたのかを知る必要がある」そして、そうした歴史的事実のひとつとして彼が挙げるのが、ウクライナ民族主義者組織(英語ではOrganization of Ukrainian Nationalists、以下OUN)とドイツ当局との関係だ。「〔戦時中〕OUNは、ドイツがその保護下でウクライナの国家樹立を認めてくれると期待していた」しかし、後に地政学上の利害対立からOUNとドイツ当局との関係がこじれると、「OUNメンバーの一部はドイツ占領地域を離脱し反独戦を開始したが、残りの者は同占領地域にとどまった。彼らは占領地を管理するドイツ人たちから用済みと見做され、その協力が拒まれるまでドイツ側にとどまり続けた」。「だが、こんにちでは全てのOUNの指導者たちは〔ウクライナで〕英雄視されている。これによって、OUNのナチスとの協力をどのように周囲に描いて見せるべきかという問題が生じる」「OUNがユダヤ人に対する処遇の仕方について、ドイツ軍特殊部隊とは異なる意見をもっていたかどうか、それは私にはわからない。彼らはユダヤ人を処刑することこそ無かっただろうが、当然保護することもしなかっただろう」「歴史から学ぶべきことは独立のために人々がどのような代価を払ったのか、そしてどのような人々と共に戦争を戦ったのかということだ」OUNのナチス協力は「間違った決断だったと私は思うが、バンデーラ(OUN指導者の一人、ステパン・バンデーラ)のような人物たちの記念碑がウクライナ西部に数多く存在するような現状で、こんにち誰がこの決断を間違っていたと言えるだろうか。あれは非人道的な決断だった。この歴史的事実を受け入れるのは多くの〔ウクライナの〕人々にとって難しいことである」[27]

戦時下にあるウクライナの現在は、議論を呼ぶ過去の歴史を反省する状況に無いのかもしれない。戦時に国家的結束が重視されるのは自然な流れでもある。もしかするとUFAによるロズニツァの除名は、緊迫した戦況に触発された愛国的な判断が自然と働いていたのかもしれない。近年、そんなUFAが惜しみない賛辞を与えた作品がある。この映画は先に挙げた米フィルムコメントのウクライナ映画についての対談の中でも、ウクライナ国内で人気を博した作品として取り上げられていた。全制作予算180万USドルのうち、半額をウクライナ政府が拠出し、さらに国防省の大きなサポートによって作られたプロパガンダ映画『ソルジャーズ ヒーロー・ネバー・ダイ』(2017)だ。政府の協力を見返りにその意向にかなった映画を制作することは、愛国主義が喧伝されるロシアでも常日頃から行われているように、珍しい現象ではない。試しにアメリカの例をかい摘んで挙げるだけでも、第二次大戦中にジョン・フォード、フランク・キャプラ、ジョン・ヒューストン、ウィリアム・ワイラーといった監督らが米政府のために撮った戦時プロパガンダや、1968年にリンドン・ジョンソン大統領の支持と国防総省による支援によってベトナム戦争を肯定的に描いた『グリーン・ベレー』、そして『トップガン』シリーズ(1986, 2022)、『アルゴ』(2012)、『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012)など、他にもマーベル・コミックの『ハルク』シリーズを含む数々の作品がCIAや国防総省の協力・指導のもとに制作されており、これらの事実は情報自由法(FOIA)によって明らかにされている。そんなアメリカで暮らすフィルムコメントのエディターたちもウクライナ当局の協力を得た本作には改めて新鮮さを感じていたようだ。ロズニツァの『ドンバス』と同じく、ウクライナ紛争におけるドンバス地方を舞台とする本作は、2017年にウクライナで制作された数々の愛国主義的映画のひとつである。物語は、ドンバスの空港占拠をねらう親露派武装組織に対し、戦いを挑む義勇軍の兵士たちを、ウクライナ政府の見解に則して描き出す。「サイボーグ」という異名をもつその義勇軍部隊に所属する5人の主人公たちは、それぞれに異なる社会階層に所属し、それぞれが背景の異なる価値観や信念を守るため、侵略者を殺し、みずからの命を捧げる覚悟を決める。それまでのウクライナ映画史上で最も興行的に成功した国内資本による映画である本作は、UFAが主催する2018年度ゴールデン・ジガ賞にて、最優秀作品賞、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞、美術賞、メイクアップアーティスト賞を受賞したほか、撮影賞、音響監督賞、衣装デザイナー賞、観客賞にもノミネートされ、ウクライナにおけるその他の映画祭でも複数の受賞を果たし、さらに監督のアーテム・セイタブラエフは、国家への貢献が認められ、メリット勲章三等級が当時のペトロ・ポロシェンコ大統領から授与されている。快挙を遂げた本作には、明らかに『コンテクスト』には欠けていると思しき、現在のウクライナが映画に、ひいては世界に求めている何かがあるのかもしれない。今年のカンヌ映画祭でのゼレンスキー大統領による演説にもあるように、戦時下のウクライナはいま「全ての声が自由の側にあるため」に映画を必要としている。「我々は世界にウクライナのことを考慮する習慣を定着させるため、可能な限りあらゆる事をしなければならないのです」と大統領は訴える。ロズニツァを除名したUFAのセンチメントへの理解を深めるうえで、『ソルジャーズ ヒーロー・ネバー・ダイ』の鑑賞はひとつの手がかりを与えてくれるかもしれない。[9][28][29][30][32][33][34]

‘BABYN YAR. CONTEXT’ 予告

『ソルジャーズ ヒーロー・ネバー・ダイ』予告

追記:歴史のナラティブというものは常に流動的であり、書き手の視野やパースペクティブの限界内にとどまらざるを得ないものではあるが、「リヴィウポグロム」「ウクライナ蜂起軍」といった単語で検索をかければ、『コンテクスト』の背景にあたる最低限の歴史的情報がヒットするはずだ。

 


『コンテクスト』の「プロジェクトを真の意味で推進させた人々と、プロジェクトに使われた資金の性質」について

『コンテクスト』はキエフに建設中の追悼施設バビ・ヤール・ホロコースト・メモリアル・センター(以下BYHMC)の芸術監督を務めるロシア人映画監督イリヤ・フルジャノフスキーの仲介により、BYHMCがロズニツァのプロダクションに制作を委託することで実現した作品だ。だがNGO組織であるこのBYHMC自体、プーチンに近いとされるウクライナ出身のユダヤ系ロシア人オリガルヒたちが出資者となっていることから、この施設をウクライナ国内におけるクレムリンの勢力の表れとして捉える向きがある。BYHMCへの大口出資者たちの中にはミハイル・フリードマンら、著名オリガルヒたちも含まれており、彼らは「ウクライナの領土保全、主権そして独立を不安定化させ、脅かす個々人との関係がある」とした理由から、イギリスおよびEUによって制裁を科せられている。実際はウクライナ、ロシア、イスラエルから成るBYHMCの出資者たちの中でロシア人の存在がスポットを浴びている状態だ。このため、ウクライナのナチス協力者たちのような、今日のウクライナの体面に泥を塗りかねない人々が多数登場する『コンテクスト』もまた、BYHMCを介したクレムリンの対ウクライナ政治工作の一環だと容易に見なされやすい。グロニの言う「プロジェクトの真の推進者たちと、その資金の性質に対する憤り」とはこのクレムリンの匂いが漂う映画の性質を示唆していると思われる。

しかし、他方ではバビ・ヤール虐殺の80周年に際し、歴史的記憶の保全を企図して発令された2020年12月15日付け大統領令の中で、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領自身が、BYHMCへの支持を表明しており、2020年9月29日付けのBYHMCの定款上にも、オレクサンドル・トカチェンコ文化・情報政策大臣の手になる、ゼレンスキー大統領立ち会いのもとでの署名がなされている。今年の3月1日、メモリアル・センターの所在地一帯がロシアからのミサイル攻撃を受けた際は、ゼレンスキー大統領とBYHMCの両者が、それぞれメディア上でこのミサイル攻撃について、ホロコーストを追悼する施設を狙ったロシアからの非人道的攻撃だとして非難を表明している。幸いなことに、後の調べでこの攻撃による同センターへの被害は無かったことが判明した。[10][11][12][13][14][15][16][17][18][19][20]

右から二人目がミハイル・フリードマン

[1] https://ebco-beoc.org/node/528

[2] https://www.screendaily.com/news/russian-filmmakers-speak-out-in-growing-numbers-against-the-war-in-ukraine/5168111.article

[3] https://www.e-flux.com/notes/456681/an-open-letter-from-sergei-loznitsa-on-his-expulsion-from-the-ukrainian-film-academy

[4] https://www.screendaily.com/news/european-film-academy-expresses-solidarity-with-ukraine/5168030.article

[5] https://www.screendaily.com/news/ukraines-sergei-loznitsa-resigns-from-efa-criticises-academys-response-to-invasion/5168145.article

[6] https://europeanfilmawards.eu/en_EN/boycott-of-russian-films

[7] https://www.facebook.com/uafilmacademy/posts/1432084830528003

[8] https://www.vulture.com/2022/04/sergei-loznitsa-on-the-absurd-boycott-of-russian-films.html

[9] https://www.filmcomment.com/blog/the-film-comment-podcast-ukrainian-cinema/

[10]https://www.youtube.com/watch?v=w07JUaylh-s&ab_channel=MiamiJewishFilmFestival

[11] https://www.newyorker.com/magazine/2022/04/18/the-holocaust-memorial-undone-by-another-war

[12] https://babynyar.org/ru/news/394

[13]https://babynyar.org/storage/main/8a/db/8adb97e1e2ae8013267b81df84ee53d9095bbc167a342fd1c32bdf4c342267aa.pdf

[14] https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/1075061/Russia.pdf

[15] https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/PDF/?uri=CELEX:32022R0336

[16] http://www.kby.kiev.ua/komitet/ru/documents/art00184.html

[17] https://www.president.gov.ua/ru/news/prezident-pidpisav-ukaz-pro-zahodi-u-zvyazku-z-80-mi-rokovin-65581

[18] https://khpg.org/en/1608809222

[19] https://www.theartnewspaper.com/2022/03/02/russian-missile-strike-babyn-yar-holocaust-memorial-centre-kyiv

[20] https://www.ynetnews.com/article/sk8byetx9

[21] https://birdinflight.com/ru/vdohnovenie/critika/20210720-babi-yar-context.html

[22] https://www.istpravda.com.ua/articles/2021/10/19/160326/

[23] https://www.ukrinform.ru/rubric-culture/3327801-i-vrode-by-babij-ar-i-pafosnyj-antiukrainskij-fler.html

[24] https://www.screendaily.com/news/ukrainian-film-academy-explains-decision-to-expel-director-sergei-loznitsa/5168813.article

[25] https://theworld.org/stories/2017-08-03/cosmopolitan-dog-whistle-word-once-used-nazi-germany-and-communist-russia

[26] https://www.lemonde.fr/en/culture/article/2022/04/04/cinema-on-the-front-lines-of-russia-ukraine-conflict_5979663_30.html)

[27] https://www.youtube.com/watch?v=fIe4Nllrq8s

[28] https://soundcloud.com/film-comment/ukrainian-cinema-with-anastasiya-osipova-and-lukas-brasiskis

[29] https://www.rferl.org/a/ukraine-film-cyborgs-donetsk-airport-battle-premiere/28903701.html

[30] https://www.president.gov.ua/documents/2512017-22438

[31] https://molodist.com/en/article/open-letter-to-film-industry-calling-for-boycott-of-russian-cinema

[32] https://www.themoscowtimes.com/2019/01/30/patriotic-war-film-draws-8-million-russians-as-ties-with-west-fray-a64342

[33] https://www.youtube.com/watch?v=8mhtXKWsbrk&ab_channel=OdesaFilmStudio

[34] https://www.vox.com/23141487/top-gun-maverick-us-military-hollywood

林 峻

東京都出身。普段は企業で働いています。海外映画作品の基本情報に、自分が面白いと思える+アルファを加えた記事を心がけています。映画関連トピックの効率良い収集方法を思案中。https://twitter.com/llilililillill


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