仮に昨年公開された映画・テレビシリーズにテーマがあるとしたら、それは「シンプル」だった時代への郷愁かもしれない。この「シンプルだった時代」の上司は、部下が何かしでかすと、ただシンプルに鼻っ柱をぶん殴っていたが、少なくともこの上司は今より「人間らしい」顔をもっていただろう。『ジョーカー』や『DEUCE/ポルノストリート in NY』で描かれた危険な一昔前のニューヨーク、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』や『ルディ・レイ・ムーア』の古くのどかな60~70年代の南カリフォルニア、『アイリッシュマン』におけるラストベルト最盛期における労働組合。こうした映画はどれも20世紀後葉が舞台だ。

 

もちろん当時のアメリカは今より粗っぽく暴力的な世の中だったが、ブルーカラーたちは今より生き生きしていた。労働者たちは鉄パイプでもってスト破りと戦うことにいつも忙しかったが、彼らには仲間がいた。終わらぬ悪夢のような憤りに燃えるジョーカーでさえこう驚いていたに違いない。「ピエロにまで労組があるのか!」と。

ジョシュア&ベニー・サフディ兄弟が彼らの映画『アンカット・ダイヤモンド』で意図したこともまた、現代(映画の舞台となったのは2012年)の世の中に潜む「かつての危険なニューヨーク」を観客に見せることだった。映画の中心的テーマとは言えないまでも、その物語は「危険なニューヨークは今もそこにあって、いつ殺されるかわからない」というトーンによって貫かれている。

 

映画の主人公はジュエリーショップのオーナー、ハワード(アダム・サンドラー)。ニューヨークのダイヤモンド・ディストリクト(タイムズスクエア付近、マンハッタン47丁目5~6番街)に店を構えている。物語は、ハワードがヤクザの借金取りたちに追われつつ返済のためにスポーツ賭博を活用するという、様々な意味で危険な生活を描いたもの。失敗が目に見えているあの手この手によって何とか金を工面しようとするハワードは、「儲けのチャンスは常に地平線上に見えている」というビジョンの持ち主で、息つく間もなく常にトラブルへと突進するほど楽天的でなければ、そのバイタリティーはほとんど賞賛に値する。〔1〕インタビューのなかで、映画を監督したサフディ兄弟は、この主人公の狂気に近いバイタリティーを映画の主題であるアンカットのダイヤモンドに例えている。

 

ジョシュア・サフディ[以下JS]:僕にとってハワードは「アンカット・ダイヤモンド」そのもので、「過激なヒューマニズム映画」の申し子なんだ。この手の映画のヒューマニズム描写は、よくあるヒューマニズム映画と比べて少し変わってるけど、僕たちの全作品はそういうラディカルなヒューマニズムを備えてる。僕らはいわゆる「陰のある/傷をもった」人たちに囲まれて育ったんだ。その環境の中で、僕らは彼らがハワードと同じように抱えている問題点を受け流すか、許容してやるしかなかった。そうすることで僕らは彼らの親しみやすさや人間性、または彼らに相応しい人としての「価値」に触れることができた。ダイヤモンド売買でアンカットものを取り扱うことは一種のギャンブルでね、実際に価値あるネタを見つけるには目利きである必要があるんだ。

ベニー・サフディ[以下BS]:つまり、「陰のある」人たちを前にして、彼らを興味深いものにしている魅力を見つけるのは簡単なことじゃないってことだ。けど、もしそれに成功したなら、人間一般についてより多くのことを学ぶことができるんだ。

 

では彼らが「傷を負った」人物たちのイメージを投影する「アンカット・ダイヤモンドのような」人格とはどのような特性をもつのか。抽象的なやり方だが、ジョシュアはこう詩的に説明している。

 

JS:君は他人をすぐに批判しないタイプ?じゃあ、君のダイヤはアンカットだ。切羽詰まってる?じゃあ、君のダイヤはアンカットだ。君は深みのある人間かい?じゃあ、君のダイヤはアンカットだ。もしダイヤがアンカットなら、君は常に丸裸、隠すものなんてない。それに潜在的に危険な存在だ。アンカットであることは凄い危険なことだが、カットされたダイヤは、ある意味より一層危険だ。[批判好きで]角が立つからね。もしダイヤがアンカットなら、君の価値は秘められた場所にある。だから君には深い深い価値があるんだ。ちょっとばかり「傷もの」かもしれないが、君にはそれ相応の価値がある。それがアンカット・ダイヤモンドなんだ。

アンカットのダイヤを熱烈に愛するジョシュアだが、彼は上記でも触れているように、カットされた「普通」のダイヤを好まない。「僕はダイヤが嫌いなんだ。ダイヤは液体が結晶したみたいで綺麗だけど、それは宝飾業界のPRみたいな「綺麗さ」さ。ダイヤなんて珍しいものじゃない、結局は退屈な存在なんだ。」ダイヤのカット/アンカットをある種の人格的魅力の有/無になぞらえる兄弟のこうした人間観をもし理解することができなかったなら、それはあなただけではない。劇中でアンカット・ダイヤモンドに惚れ込むバスケットボール選手の大役を、サフディ兄弟は元NBAプレイヤーのケビン・ガーネットにあてがったが、ガーネットを採用する以前に兄弟が白羽の矢を立てていたのはコービー・ブライアントだった。しかし、先日惜しくも急逝したこのNBAのヒーローは、兄弟のアイディアを理解しないタイプだったようだ。「コービーは映画の趣旨を理解しなかったよ。彼は西海岸型の人間なんだ。」ガーネットでさえ映画の中で「狂ってる」と表現しているハワードの性格や、彼の生きるダイヤモンド・ディストリクトのアンカットな世界は、ブライアンにとってあまり馴染みの無いものだったのかもしれない。

 

劇中における描写の比重もこうした「アンカットな」世界の再現に置かれているようで、サフディ兄弟はダイヤモンド・ディストリクトで働く人々を、わざわざ距離の離れたロングアイランドにあるジュエリーショップ内部のセットへと招待している。この人々は撮影においてエキストラどころか何の役割ももたない時も多々あったが、兄弟はそれでも彼らを招待した。その理由はクルーにダイヤモンド・ディストリクトの「空気」に触れてもらうためだったという。〔2〕

 

JS:ダイヤモンド・ディストリクトで働くすべての人々は、[アンカット・ダイヤモンドの]エネルギーを呼吸しているように僕らには思えたんだ。彼らを映画に登場させることによって映画に彼らのエネルギーが備わるように思えた。彼らは常にフィルムに納まっているわけじゃなかったけど、僕らは彼らを常にセットに出入りさせた。エネルギーを呼吸するためにね。

 

ジョシュアは宝石商たちをセットに招待するだけでなく、脚本執筆前はみずからダイヤモンド・ディストリクトへと潜入取材を行っている。「僕が本物の映画監督だって証明するためにプレス用のIDをもってく必要があったよ。」さらにその際、以前ドキュメンタリー映画撮影のからみで付き合っていたプロバスケットボール選手レニー・クック(Lenny Cooke)にも協力を求めた。クックはダイヤモンド・ディストリクトのとある店に出入りがあったため、その店の主は兄弟に店内と仕事の様子を取材する機会を与えた。そしてジョシュアは徐々に店から店へと人脈を広げて行った。大手宝飾チェーンで導入されているようなアルゴリズムやシステムをもたず、すべての商談が駆け引きや直談判で行われるダイヤモンド・ディストリクトは、コネや顔がモノを言う世界だった。

JS:レニー(・クック)は、ダイヤモンド・ディストリクトでジュエラーをやってるジェイコブのところに通っていたもんだから、取材のとき一緒に連れて行ったんだ。Rafael and Co.というジュエリーショップも当初は協力的で、商談や業務の様子を僕らに見せてくれた。けど、ジョー・ロデオという別の男がいてね[このロデオについては後述がある]、だが、あー、そこで僕の友達だ、彼はもう死んでるんだけど、やつはなかなかの人物だったよ。ニューヨーク出身でツナ(Tuna)って名前だった。ダイヤモンド・ディストリクトに行くのが好きでね、そこで時計とか目についたものを買うのに派手な商談を繰り広げるんだ。彼らの上客だったこのツナを一緒に連れてったおかげで僕はようやくジュエリー業界の内幕に入り込むことができたんだ。店の事務所に潜り込んだときは、すかさず写真を撮っておいたよ。あんなプライベートな場所は、再び戻って行けるか分からなかったからね。最初に事務所に行ったときも写真を大量に撮ったよ。ワケの分からないあれやこれやの写真を100枚は撮ったんじゃないかな。

BS:それでジョー・ロデオはどうなったんだよ。

JS:実際あいつはジョーっていう名前ですらなかったよ。誰かが彼をジョーって呼んでたもんだから、暫くのあいだジョーになってたんだ。「ヘイ、ジョー」て感じで、なかなか変なもんだった。彼はダイヤモンド・ディストリクトにビルを一棟もってて、彼の息子の嫁はこの地区で幅を利かせてたネクタロフ・ファミリーの出だった。ニューヨークマガジンがこの一家について立派な記事を書いてるよ。ネクタロフが6番街で殺されたんだ。いかれた話さ。

JS:ネクタロフ・ファミリーはレオン・ダイヤモンドの経営者で、このジュエリーショップはダイヤモンド・ディストリクトでかなり成功してた。僕が潜り込むには難度の高い店だったけど、リッチー・ネクタロフが僕を彼らに紹介する手はずを整えてくれたんだ。映画でハワードの義父(ジャド・ハーシュ)が乗り込むロールスロイスは彼のものだよ。

BS:彼の家もリッチーの持ち家だろ。リッチーには過越のディナーのシーンに出演してもらったよ。

JS:ジョーと彼の息子のアーロンに出会ったのは、こうやってあの地区で触手を広げてた最中さ。僕らはジョーにかなり怪しまれてね、「何だコイツら、コイツらウチの商売の足しになんのか?」みたいに言ってたよ。彼らのことを知りたかっただけなのに。ジョーたちは僕らに大きなペントハウスを見せてくれたんだけど、そこでエア・マットレスで寝起きしてる男が一人いてね、彼はこのペントハウスで肉の燻製を作ってたんだ。天井から肉が沢山ぶらさがってる様子を写真に撮っておいたよ。

BS:そこはマンハッタン6番街47丁目[重複するが、ここはタイムズスクエアの隣で地価が非常に高い]にあるんだ。信じられないことだよ。

JS:ペントハウスで製肉業とかありえない!ジョーはそこをちゃんとした内装に改装するつもりでいて、僕がインテリアデザイナーや建築家と知り合いだと伝えると、「もしここをラウンジに改装する手伝をするなら、その見返りとして映画に協力してやるよ」と言われたよ。彼はそこにサウナを設置するための明確なビジョンまでもってたんだ。

 

上記インタビューの半ばでジョシュアが言及しているネクタロフ殺害事件についての記事< https://nymag.com/nymetro/news/people/features/10490/>には、『アンカット・ダイヤモンド』の舞台となったダイヤモンド・ディストリクトを取り仕切るユダヤ人社会がよく描かれており、サフディ兄弟が映画に与えようと腐心した世界の雰囲気を知る手がかりとなる。ジャーナリズムとしても丹念な取材をもとに良く書かれたもので、以下に概要を記したが、興味の無い方は読み飛ばして欲しい。

 

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ジョシュアが話題にしていたのはエドゥアルド・ネクタロフ(Eduard Nektalov、右手写真)。ニューヨークのダイヤモンド・ディストリクトで突出した成功を収めていたネクタロフ・ファミリーの重要メンバーだ。当時のダイヤモンド・ディストリクトは、アメリカで流通していたダイヤモンドの実に約90パーセント以上を取り扱っていると噂されていた。エドゥアルド・ネクタロフは、16歳の時にウズベキスタンから移住してきたブハラ・ユダヤ人(中央アジアに居住するユダヤ人。その歴史は約2000年前にまで遡ることができるという)で、急速に成功をおさめたのち、当時はブハラ・ユダヤ人議会の副議長を務めていた。彼の世評は相当なもので、その名を出すだけで容易に金を借りることができたという。同議会はこのエドゥアルドの助力によって約1億円の設立資金を得ている。

 

彼の父ロマンはソヴィエトから脱出するため、ソ連官僚との交渉という困難な作業を成し遂げ、「安く買い、高く売る」という非常にシンプルな業務理念のもと宝飾業によってマンハッタンで財を成している。

 

目を見張る成功を収めたエドゥアルドだが、2004年に違法薬物の売上に対する大規模なマネーロンダリングの嫌疑により逮捕された。公判は同年7月に予定されていたものの、エドゥアルドは、その数週間前にマンハッタン6番街の路上で白昼堂々後頭部を真後ろから撃たれて殺害された。犯人は倒れたエドゥアルドの後頭部にさらに2発銃弾を打ち込み、堂々と現場を歩き去ったという。

 

公判直前のこの殺害が何を意味するかは、ネクタロフ一家に対する評価に応じて、ブハラ・ユダヤ人コミュニティーでも意見が分かれている。日常ではヘブライ語の混ざったペルシャ語、またはロシア語を話すブハラ・ユダヤ系の移民たちは、英語に疎く、ソヴィエト期の中央アジア在住時に培った政府への猜疑心から、コミュニティーの間で尊敬を集めるエドゥアルドの有罪を信じない者もいた。あるラビによると「ソ連政府は有ること無いこと罪を着せて、我々を逮捕したんだ。政府によって有罪と看做されることは、そのまま有罪を意味しないよ」とのこと。

エドゥアルドの兄弟、レオン・ネクタロフが経営するレオン・ダイヤモンド

あるコミュニティーメンバーによれば、エドゥアルドと同時に逮捕された彼の父ロマンの評判は悪かったが、エドゥアルドを悪く言う者はいなかったという。ダイヤモンド・ディストリクトは名誉や評判によって商売が取り交わされる世界。宝石商にとって評判はある種の消耗品のようなもので、ときには一度きりの非難が商売にとって致命傷となり得るどころか、「何かがおかしい」という「空気」が漂うだけで宝石商を潰すのに十分だった。

 

ブハラ・ユダヤ人たちの外聞に対する過剰なまでの繊細さは、ソ連で「よそ者」として常に見下されてきたことによる強烈な劣等感に由来すると、彼らをサポートする公益団体のメンバーは語っている。2000年の歴史を誇るブハラ・ユダヤ文化だが、社会主義国においては単に「原始的で立ち遅れている」だけでしかなかった。彼らはアメリカ移住後の現在、様々な文化的背景をもつ他のアメリカ移民たちと同様、悠久の歴史を持つ民族的自意識とアメリカ文化との間の軋轢に苦しんでいる。アメリカ社会への同化を志す一方で、2000年の歴史をも失うまいとする彼らの姿は、ときに滑稽に映ることもあるという。

 

こうしたユダヤ人コミュニティーにおいてネクタロフ・ファミリーの評判は必ずしも手放しで肯定できるものではなかった。2歳の時にサマルカンドから移住してきたという、あるラビは語る。「いつかネクタロフたちに何かが起こることは分かっていたんだ。火で遊ぶ者は火傷するものだ。…我々のコミュニティーにはソヴィエトが支配する世界に長く住みすぎた者たちがいる。[彼らにとって]唯一の生き残る道は政府を出し抜くことだ。彼らはここアメリカでも同じことをやっているんだ。盗品をさばくならネクタロフのもとへ行けば良いという事は、ダイヤモンド・ディストリクトの皆が知っていることだよ。褒められた話じゃない。」このラビは上述のブハラ・ユダヤ人議会の設立者である。

ネクタロフ・ファミリー

最終的にロマン・ネクタロフは全5件の大規模なマネーロンダリングに対する嫌疑のうち1件のみで有罪判決を受けた。2004年の時点で検察側からの控訴予定は未定であったが、仮にそれが無かったとしても保護観察処分により投獄を免れただろうとロマンの弁護士は語っている。虚栄心が強く、エゴイスティックで、重要人物であると感じることに執着していた一家の中で最も悪名高いこの人物は、収監を免れた。悪事を働きうるように見えたロマンに対し、弁護士はエドゥアルドを「マイケル・コルレオーネ」のようなタイプと評し、法的に訴追されるミスを犯すタイプではないと語っている。「彼は常に私のくだす2手先を見据えていました。今にして思えば、仮にエドワードが生きていた場合、本件は私が考えていた程、裁判沙汰になる余地が無かったかもしれません。」〔3〕

 

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映画『アンカット・ダイヤモンド』において,海千山千の商売人たちがしのぎを削る「アンカット」で危険なニューヨークを、容姿・性格両面において代表するのが、主人公ハワードを追い回す狂暴な借金取りフィルである。彼を演じるのは、今回が初の映画出演となったキース・ウィリアムス・リチャーズ。刃物を研ぐ音を思わせる声、皺が刻まれた眼窩に鋭く光る青い目をもち、本作によってあっというまに人々に記憶される悪役となった。彼のこれまでの人生が物語の宝庫であったことは、その目を見ればよく判る。古き良き、もとい、古く危険なニューヨークから送り込まれた彼に殺意を抱かせるには、借金を踏み倒す陰でコソコソと自宅のプール塗装に金を払う(映画でハワードが行ったように)だけで十分だ。

以下はキースとのインタビュー。役者として初めてインタビューを受ける彼の繰り出す回答は、プロとしてのブラッシュアップが良い意味でゆるく、ある種、人間的な温もりがあるとも言える粗忽な愛嬌がある。そんなキースとの会話は、まるで失われた20世紀を旅するかのようだった。

 

―やあ、キース、調子はどうだい?

キース・ウィリアムス・リチャーズ[以下K]:悪くないよ。もし俺の声がかすれてたら堪忍してくれ、手術したばかりなんだ。ともかく、できるとこまで会話してみるよ。

―手術だって?ちゃんと回復したの?

K:ああ、前よりずっと良くなったよ。この調子だと全快しそうだ。

―何の手術だったか訊いてもいいかな?

K:悪性腫瘍があったんだ。喉頭癌だよ。手術に次ぐ手術でかなりしんどかったが、もうぜんぶ終わったし、万事解決さ。今はかなり好調だよ。皆が思ってる以上にな。

 

―『アンカット・ダイヤモンド』に出演した経緯は?

K:14丁目1番街のあたりで地下鉄の駅に向かって歩いてると若い女の子が近寄ってきたんだ。実際それまでもずっと彼女に見られてて、気持ち悪かったよ。彼女はキャスティング・ディレクターのために働いてる娘で、俺に今まで役者をやったことがあるか訊いてきたから、無いと答えたんだ。それまでも何度かスカウトされたことがあってね、毎回ノーと答えてたんだが、今回は彼女に上手く丸め込まれたよ。何度も電話で押し問答が続いたあげく、俺の方が折れたんだ。

―何度もスカウトされた人なんて見たこと無いよ。何でそんなにスカウトされたのかな?

K:わからんね、ほんとに。俺の身振りとか見た目のせいだって皆は言うんだが、わからん。俺の声はかすれ気味でね、それが良い感じだったんだって言い張る奴もいるよ。

―住まいはマンハッタン?

K:(唐突に話題を変えて)や、実は職を変えるためにまた学校に通おうとしてたとこなんだ。俺は同時多発テロのときに最初に現場に急行した人間でね、おかげで酷い病気にかかっちまって、その状態がかなり続いたよ。今は持ち直したが、以前やってた仕事ができなくなっちまった。それで丁度ほかに仕事を探してたところ、映画の話が持ち上がったってわけだ、変なもんだろ?

―同時多発テロの現場に急行したときの仕事は何?

K:建設労働者だよ。俺たちはテロ当日に現場に向かったんだ。バケツリレーしながら人を掘り起こしたり、[残骸の]隙間から出せるものは何でも掘じくり出したよ。

―テロ現場の近くで育ったの?

K:ああ、生まれは祖母ちゃんの家があったニュージャージー州なんだが、生まれた直後にマンハッタンのローワーイーストに引っ越したんだ。10歳までそこで暮らして、で、サウスブルックリンに移った後は、俺の「身持ち」のおかげで「楽しい事」が沢山あったね。サウスブルックリンはギャングや奴らにまつわるあれやこれやで、かなり有名な地域だったんだ。俺はそこで今の身のこなしや他人への態度を学び、そこから引き起こされる色んな出来事を経験したよ。もしかすると、それが映画関係者にウケたのかもな、わからんけど。

―未成年の頃はギャングたちの中で育ったの?

K:あー…、まあ聞けよ、ブルックリン育ちってのが、なにを意味するか分かるか?この件について俺がコメントできるのはそれだけだな(笑)

―OK

K:まあ、この件についてはそっとしとくのが一番だ。

―それで構わないよ。で、サウスブルックリンで育って、建設労働者になって、それで?

K:そうだな、最初おれは港湾労働者だったんだ。港湾運送業者のとこで働いて、家族のコネで建設労働者の労働組合に入った。

―以前から建設労働者になりたかったのかい?港湾労働をやめた理由は?

K:会社が面倒な状況になってな、潮時だったんだ。もともとあそこに長居するつもりもなかったし、俺はそこで6~7年働いたんだが、すぐに年季が入っちまったよ。港湾労働組合は色々変わっちまってな、39丁目の事務所も閉鎖されて、特にジュリアーニが市長だった頃はあちこち閉鎖されてたよ。その影響がデカかったから、ガキの頃から木材で仕事してた俺は、また建設労働組合に戻って働いたんだ。俺の家族に組合員がいたから、移籍は楽だったよ。

 

―公開後に『アンカット・ダイヤモンド』を見た?

K:見たよ。見るためにカナダに行ったんだ。その後、ここニューヨークのリンカーン・センターでプレミアがあった。

―それで、映画はどうだった?

K:[出来栄えに]すげー驚いたよ。奴らは良い意味でまったく普通じゃないね。撮影中は…どんなもんが出てくるか良く判らなかったんだ。映画については詳しくないから、奴らがどうやってこんな風に映画をまとめ上げたのかを考えたよ。撮影中の奴らのやり方は変テコでな、「まったくどうなることやら」とか思ってて、実際の映画を見るのが怖かったんだ。それに俺の役がここまでデカいとも思ってなかったよ。奴らは本当に凄いね、ブッとんだよ。セットにいるときは――あれは興味深いセットだったが――スクリーン上でこんな風になるとは全く思ってなかった。

 

―撮影プロセスはどんなだった?楽しんだかい?

K:知ってると思うが、まず話の流れが書かれた紙があって、役者はそれぞれのキャラクターを映画の中へと創り上げるんだ。そうやって役者は演技をする。で、ある暴力的なシーンがあるんだが、そこに登場した俺とエリック(・ボゴシアン、主人公ハワードの義兄アルノ役)のことを沢山の人が話題にするんだ。そのシーンの撮影時に、俺は演じる内容について指示されて、エリックに対しても演技の指示が行ったが、エリックは俺がこれからやる事を知らない。こうしてシーンの撮影が始まった。あれは[ハワードの]ジュエリーショップでの場面だったな。ネタをばらすような事はしたくないが、俺はエリックをちょっとばかり突き飛ばすんだ。それに対しエリックは俺の銃を持ってない方の手をひっぱたき、その際、彼の手が俺の顔面をかすった。そのせいで顔から血が出たんだが、そのことに俺は気付かなかった。その瞬間エリックは「ヤバい!殺される」と感じたらしかった。俺の方はそれに気付いてないし、気付いてても気にするわけない。だってあれはアクシデントだろ?だが、エリックはそう思わなかったらしく、慌ててドアの方まで逃げてったんだ。俺は「演技の本気度高ぇなあ」とか思いながらエリックを元いた所まで戻そうとした。だが彼が抵抗するもんだから、無理やり引っ張り戻したら、彼はジュエリーのショーケースを飛び越えて吹っ飛んじまった。これを見てスタッフが周りに集まってきたんだが、このあたりでエリックは、俺がまだ役に入ってることに気が付いて足並みを揃えてきた。で、俺が演技を止めた時点で回りを見ると、もう黒山の人だかりよ。まったく、何だか分からず目が点になっちまったよ。周りの奴らときたら、俺を止めるために飛び掛かるべきか悩んでるみたいだった。マジでブチ切れてると思われたんだ。嘘じゃない、後からエリックに言われたんだが、命の危険を感じたってよ。エリックが「大丈夫?血が出てるよ」と言うから手を見たけど大したことは無かった。振り返るとサフディ―兄弟が二人して走ってきて「キース、素晴らしかったよ」と声を掛けてくれた。その後は、エリックとお互い大丈夫か確認し合ったが、彼はまったく驚いてたね。あの一件以来、彼とはとても親しくなったよ。しょっちゅう一緒に喋ってたね。

 

―サウスブルックリンはどんな地域だった?住民はほとんどイタリア系なんだって?

K:ああ、ほとんどイタリア系だよ。アイルランド系はほんの少しだな。俺と、フィネガンのとこと、バッフィ―のとこ、それだけだよ。あとは全部イタリア系。あとそうだ、[同じサウスブルックリンにある]レッド・フック地区は、黒人とプエルトリコ系がほとんどで、アイリッシュが住む一帯もあるが、俺の住む地区からはかなり遠いよ。レッド・フックはいわゆる「捨て置き場」でね、昔はギャングが死体を捨ててたもんさ。海岸線があるからな。それが俺の住む街さ。

 

―今後も役者をやる心づもりは?それとも今回かぎり?

K:心づもりはあるよ。丁度ここ2週間ボイスセラピーに通ってるとこなんだ。声の快復も良い感じだよ。ここでこうして話をしてるだろ?本来なら喋ったらいけなかったんだ。

―無理を押してインタビューに応じてくれて感謝してるよ。

K:いやいや、そういう意味じゃない。セラピストたちも俺の快復ぶりを喜んでくれてて、もっと話をするように勧めてるんだ。是非今後も何かやりたいよ。演技をするのが好きになったんだ。既に幾つか話が来てて、雑誌からも取材が来てるよ。

 

なお、キースに投げ飛ばされた役者エリック・ボゴシアンが、別インタビューにて、くだんのシーンについてコメントしている。「キースをケガさせたのは気まずかったよ。彼は私の尻を蹴飛ばすよう言われていて、私の方はそれにやり返すことになっていた。だが、私がやり返したあと気が付くとキースの顔から血が出ていて、その目は「殺してやる」と語っていた。あんな目を見たことは、子供の頃の遊び場での喧嘩以来つゆとなかった。それでとっさに考えたんだ。「映画のセットで殺せるわけない。そんなの法的にアウトだ。このまま続けよう」。臨場感のあるリアルなシーンを演じることができたよ。途中キースが私を壁に投げ飛ばしてガラスが割れたんだ。それは本物のガラスで、撮影用の安全に割れるガラスじゃない。あのシーンでは壁に投げ飛ばされる予定の人間なんて一人もいなかったが、ともかくガラスは割れていたよ。」

 

※本稿は別途ナンバリングによる明記がない限りサフディ―兄弟のインタビューのある前半を<https://www.vulture.com/2019/12/uncut-gems-interview-the-safdie-brothers-on-kevin-garnett.html >から、キース・ウィリアムス・リチャーズのインタビューがある後半を<https://uproxx.com/movies/uncut-gems-scary-guy-interview-keith-williams-richards/>から訳出している。

 

 

〔1〕https://www.slantmagazine.com/film/review-uncut-gems-is-a-visionary-tale-of-a-man-eating-himself-alive/

〔2〕https://www.filmcomment.com/blog/the-film-comment-podcast-the-safdie-brothers-on-uncut-gems/

〔3〕https://nymag.com/nymetro/news/people/features/10490/

 

林 峻

東京都出身。普段は企業で働いています。海外映画作品の基本情報に、自分が面白いと思える+アルファを加えた記事を心がけています。映画関連トピックの効率良い収集方法を思案中。


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