『ハンナだけど、生きていく!』とは?“マンブルコア”とは何か?


『ハンナだけど、生きていく!』とは?
“マンブルコア”とは何か?

山崎まどか×樋口泰人
IndieTokyo3Home Party

今年9月、IndieTokyoは第1回配給作品として、1本のアメリカ映画を公開する。ジョー・スワンバーグ監督『ハンナだけど、生きていく!』。“マンブルコア”と呼ばれる今世紀アメリカ映画界を代表するムーブメントの、その中でも代表作のひとつと目される作品だ。では、『ハンナ』という映画の魅力とは何なのか、そして、“マンブルコア”はアメリカ映画界にどのような影響を与えたのか。「爆音映画祭」を主宰する映画評論家の樋口泰人と、コラムニストの山崎まどかに話を伺った。

また、『ハンナだけど、生きていく!』の監督ジョー・スワンバーグが本作の制作状況や見所について詳細に語ったインタビューがWebDICEに掲載されている。そちらも併せて読んでいただきたい。

 

ハンナ_チラシ表面完成版“マンブルコア”のはじまり

樋口:よろしくお願いします。今日は『ハンナだけど、生きていく!』という映画について話し合います。ときどき勘違いをしてしまうんですけど、この映画をみなさんはご覧になっていないですよね。見ていないことを前提で、話をしなくてはいけないということをたまに忘れてしまうので(笑)。

山崎:私もです(笑)。ですので、ときどきストップをお互いに。ただ、ネタバレになるような映画ではないですよね。

樋口:そうですね。『ハンナ』はストーリーで語られるような映画ではない。ただ根本的な話をすると、映画ってだいたいは同じような展開になるんですね。基本的な形としては、誰かがミッションを追ってそれを乗り越える、乗り越えないまでも、何かを手に入れる。もちろん細部でいろんな違いは出てくるんですけど、大きなくくりで言えば、ほとんどが同じようなカテゴライズになるんです。それで今回の『ハンナ』ですよね。これはマンブルコアと呼ばれる、ゼロ年代のアメリカを代表する新たなジャンルに属する作品なんですが、いわゆる“マンブルコア映画”は、日本ではそんなに公開されていないですよね。

山崎:そんなにではなく、皆無です。たぶん『ハンナ』が初めての公開になりますね。マンブルコアはきちんとした物語がなく、若い男女がいつもの場所でしゃべるといった日常をそのまま描写する作品がほとんどです。『ハンナ』もそうした構図で、これを見て何かがどうなる、というのはまずないですね。

樋口:『ハンナ』は2009年の映画ですよね。マンブルコアがそのように名づけられたのは、いつくらいからなのでしょうか。

3D8A3066山崎:私も発祥から追っているわけではないんですけど、2007、8年だと思います。マンブルコアという言葉を日本で紹介したのは多分私が初めてで、2009年に自身のブログで取り上げたんですね。それまではマンブルコアという言葉も、それに属すると言われる監督たちについても、情報は日本には全然入ってきませんでした。インディー映画の、言ってみれば一時代を代表するひとかたまりがなぜ?と気になる方もいるとは思うんですけど、マンブルコアにはストーリーもなく、出演者にもプロの俳優は全然いない。さらに言えば、出演者はほぼ全員が監督なんですね。『ハンナ』の主人公ハンナをつとめたグレタ・ガーヴィグも含めて、自分で映画を撮っている人たち。グレタは後にプロの女優さんになっていったので、ちょっと例外的な存在と言えるかもしれないんですけど、基本的に俳優として出てくるのは、監督とスタッフとスタッフの家族のみ。プロの俳優を雇うお金がないということも関連してはいるんですけど、そういう形態だから、一般の興行にはきわめて乗りにくいんですね。

金銭的な話になりますと、マンブルコア映画のほとんどは「お金がない」というところからスタートしています。火付け役となったのが、『ハンナ』でグレタの同僚として出てくる、アンドリュー・バジャルスキー。彼が2002年に撮った『Funny Ha Ha』という作品が、マンブルコアのはじまりと呼ばれているんですね。それと同時期くらいに、『ハンナ』で最初に振られる彼氏の役を演じたマーク・デュプラス。彼もいまはプロの俳優みたいになっているんですけど、その兄であるジェイ・デュプラスと組んで映画を作りはじめます。『ハンナ』の監督であるジョー・スワンバーグも同じところにいて、基本的には同じようなデジカメでかつ低予算で、誰の力も借りずに映画を作っている。つまりお金がないのでみんなで協力しあって、その横の連帯があって「マンブルコア」が確立してきたと。ですので、志を同じくして集まったという訳ではないんです。それに関して、マーク・デュプラスは面白いことを言っています。インディー映画における中産階級の死」と。中規模のインディー映画はもはや作れなくなってしまったのだと。少し前であればインディー映画はサンダンス映画祭とかでそれなりの俳優を集めて上映をされて、大手の配給会社に注目されて、それで日本にも入ってきたんですけど、そうした流れが途絶えてしまった。そのため、マンブルコアは入ってこなくなった。完全な自主制作・自主配給。正確には、配給ということはほとんどされていません。

 

MCDHATA EC030いい意味での「アマチュアっぽさ」

樋口:アメリカでは、どのようなところで上映されていたのでしょうか。

山崎:ごく限られた劇場での公開と、ネット公開くらいですね。アメリカでさえそのような状態なのだから、日本では全然知られていない。この映画も公開から6年がたって、ようやく日本でも見られるようになったという形です。

樋口:マンブルコアには、地理的なつながりはないですよね。たとえばテキサスの若者たちが一気に連携したとか。ヒップホップなどですと、アメリカの東部はどう、西部はどうといった違いがあるんですけど、そういうのとは少し違う。

山崎:そうですね。みんな出身はばらばらです。『ハンナ』はシカゴで撮っていて、というのもスワンバーグがシカゴの人だからなんですけど、彼は今でもシカゴからは出ていない。バジャルスキーはボストンの人で、おもにボストンで撮っています。デュプラス兄弟は、デトロイトを拠点にしていて。あとアーロン・カッツという、マンブルコアの中でデジタルカメラのテレンス・マリックと呼ばれている人物がいるんですけど、彼はポートランドを活動の中心にしています。ですから映画祭でならみんな会えるんですけど、基本的には地域で一緒になる、というのはまずないですね。

マンブルコアが一般的にあまり普及していない理由としては、先ほどのプロの俳優が出ていないということもそうですけど、映画全体が“アマチュアリズム”であることが大きいと思います。『ハンナ』を見ていただければわかるんですけど、1回見ただけではこれが何を表しているかとか、映画の上でどのような意味があったかなどがよくわからない。さらに言えば、「こんなにつまらなくていいのか」と。何も起こらないじゃないかと。相当な映画ファンであっても、どんな前衛的な作品だろうとわくわくしていたのに、びっくりするくらい拍子抜けした、となるんじゃないかと思うんですよ。マンブルコアとはもともと「ぶつぶつ言う」といった意味なんですけど、それは声が聞き取りにくいというニュアンスのほかに、そもそも言っている内容がつまらないと。『ハンナ』も82分ありますけど、気のきいた台詞はひとつもないんですよ。なんでそうなるのかには一応理由があって、普通の人たちが普通にしゃべっていたら、当然そうなるだろうと。だからリアリズムといえばリアリズムなんですけど、これを映画でやるというのは、やはりすごいですよね。即興演技というのはフランスのヌーヴェル・ヴァーグなどにもおなじみの方法であって、それ自体は珍しいことではないですけど、あれは技術が確立していたからこそやったのだなと。普通の人たちが即興で演技をするとどんな事態になるかは、『ハンナ』を見れば一目瞭然かと思います。そういう意味でも、非常に実験的な作品ではありますね(笑)。

 

樋口:マンブルコアの出現には、デジタルになって映像をいっぱい撮れたり、いっぱい見ることができるようになったということが大きいですよね。フィルムの時代だったら、無駄とも思えるシーンをやたらと撮ったりとか、そのままで編集するということはまずない。

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山崎:そうですね。『ハンナ』はほぼ全部即興なんで、カット割りとかはないわけですよ。だから必然的に長回しになるんですけど、あれほどスリリングでない長回しは非常に珍しい。フィルム時代だったらあれほど長く回していたら、何か目を引くことをやるとか、何か新しいことが起こるとか、いずれにしても何らかのねらいが感じられるシーンになると思うんですけど、『ハンナ』にはそれが一切ない。いわばどこに辿りつくのかを、誰も知らないまま撮っているという感じですね。

 

新たなビジネスモデルの確立

樋口:金銭的な話になるんですけど、彼らはどうやって生活をしているのでしょうか。劇場公開だけじゃ正直厳しいんじゃないかと思うんですけど。

山崎:確かに劇場だけじゃ厳しいと思うんですけど、いまはインターネットという便利なものがありますよね。マンブルコアのなかでいちばん成功しているのはデュプラス兄弟なんですけど、それには「ネットフリックス」というストリーミングサイトの存在が大きい。現在のアメリカでは、映画もドラマもネットフリックスで配信されているものを中心的に見る人が多いんですけど、そこではデュプラス兄弟の制作した作品がものすごい人気になっているんですね。たとえば、彼らが制作に関与した『彼女はパートタイム・トラベラー』という作品があっったんですけど、これは劇場公開のときには全然反響がなくて、でもネットフリックスで火がついて、大人気になって。そういう感じで兄弟は注目されるようになって、今ではネットフリックスが全面的に彼らのスポンサーを買って出ています。つまり、新しい映画のビジネスパターンが確立したと。劇場公開がむしろおまけみたいなもので、ネットストリーミングを中心にお客さんを得るのだという。デュプラス兄弟のもとには結構若手も集まっているんですけど、あれが今のところ、インディーでいちばん成功しているビジネスパターンじゃないかと思いますね。

また、知っている人もいるとは思うんですけど、ネットフリックスはオリジナルコンテンツとしてドラマシリーズの制作も行っていて、インディーの監督がそれらを制作するという図式がわりと整いつつあります。先ほどのデュプラス兄弟の成功に感化された部分はあるんですけど、そこで俳優として起用されるのは当然名のある人ですから、観客としてもまた異なった層になる。

例外としてバジャルスキーは、メジャー作品を撮らないままだったんですけど、最近ついに彼も、大衆側にかたむきました。彼は1、2年くらい前のインタビューで、生活費が稼げないのでもともとの職業である教師に戻ろうかということを言っていたんですね。これは本来おかしいことで、バジャルスキーは大金持ちにならなくてもいいけど、お金の心配をしないで生きていける程度の生活はさせてあげるべきだと。ファンの中には、バジャルスキーだけは商業主義に染まらないでほしい、という人もいたんですけど、今年になってバジャルスキーが、彼としては信じられないくらいのメジャーなキャストを得て映画を撮ったんですね。ようやくマンブルコアが日本で紹介されたこの年にあれなんですけど、このできごとによって、マンブルコア終了宣言がなされたと言えるかもしれません。

樋口:なるほど。ただそれは鞍替えしたというよりも、ずっと同じものを作っていくことがいいのかといった、作り手としての葛藤もあったのかもしれないですよね。

山崎:そうですね。だから、マンブルコアが大人になる時代がやってきたということなのかもしれません。彼らの中のこだわりとして、映画的と呼ばれる表現であるとか、観客を意識した「作為性」が許せないみたいなところがあったと思うんですけど、そういうのがなんとなく薄れている感じはしています。

3D8A3062-2樋口:マンブルコアは成長過程に過ぎなかった、ということでしょうか。あるいはそれが引き延ばされて行く感じ。音楽でいえばパンクなんかも一時的なものではあるのですが、しかし、そういうのともちょっと違う感じがするんですよね。たとえばマンブルコアの作品を見てまず思うのは、「これ俺にもできる」と。この誰にも出来そうな感じってパンクもそうだったと思います。そして作って、よりつまらないものとなった。傍目にも目立つ篤いムーブメントとして盛り上がるんじゃなくて、もっと個人的で緩い繋がりの中での停滞感というか。でもその「つまらなさ」が、マンブルコアの面白いところになるんですかね。そこがちょっとわからないんですよね。

山崎:マンブルコアのもっとも大きな功績は、「映画は退屈でいいんだ」と身をもって示したこともそうですが、そこから派生したいろいろな活動の源泉になったことが挙げられると思います。それで映画になるんだ、誰にでもできるんだということで、いろんな人が映画を作るようになった。その表現はさまざまですが、ただマンブルコアが紡ぎ出した基盤みたいなものは確固として存在している。その基盤はインディーに限らず、いろんなところに見受けられるようになったと思うんですよね。

たとえば、マンブルコアの中ではマーク・デュプラスとグレタ・ガーヴィグが、俳優としてそれぞれ売れっ子になりました。あのふたりは、マンブルコアきっての美男美女なんですね。あの程度でと思うかもしれませんけど、映画ではない普通の日常においてはやっぱりかなり高いレベルで。とくにグレタ・ガーヴィグは本当に時代が求める女優さんになったんですけど、そこには、彼女の肉体のもつ力が大きかったと思います。『ハンナ』も含めて、ジョン・スワンバーグの映画はものすごくヌードが多いんですよ。ほとんど意味もないままに脱いでいる。それもきれいな身体じゃなくて、あくまで一般的なクオリティの身体を見せられて。でもそういう感じが、新しい流れのひとつにもなっているんですね。マンブルコアには入らないんですけど、レナ・ダナムという女性がいます。マンブルコアと同じくらいの低予算で映画の監督・プロデューサー・脚本・主演をこなし、いちやく時代の寵児になった。彼女はHBO(アメリカのテレビ局)で、『GIRLS/ガールズ』というドラマを制作しているんですけど、そこでは、ほとんど彼女が毎回のように脱ぎます。彼女はきらびやかな女優という感じではなくて、言ってしまえば普通の太った女の子なんですね。でもいやがらせのように脱ぐので、きれいな裸を見慣れている男性陣から文句が殺到するわけですよ。なぜそんなものを画面に映すんだ、なんの喜びもないじゃないかと(笑)。でも考えてみれば、みんないろいろな体をしているし、むしろこっちの方が当たり前なんだと。いわば映画における新たなリアリティを、彼女は開拓した形なんですね。その根底にあったのはやはりマンブルコアで、これなら自分でもできる、じゃあやってやろうと。実際彼女自身がマンブルコアからの影響を語っているんですけど、このように次の世代にいろいろとつながってくることが、マンブルコアの面白い点ではないかと思います。

 

3D8A3152ハリウッドへの進出

樋口:いわば本流とは離れた動きが、次第に本流にもなっていったと。逆にマンブルコアの動きが、ハリウッドに取り上げられたりということはあったのでしょうか。

山崎:そうですね。たとえば『彼女はパートタイム・トラベラー』の監督であるコリン・トレヴォロウ。彼はなんと、今年公開される『ジュラシック・ワールド』の監督に抜擢されたんですね。文字通りハリウッドの超大作ですから、これは大変なことなんです。みなさん、『ジュラシック・ワールド』を見る前に、『彼女はパートタイム・トラベラー』を見てください。というのも、スティーブン・スピルバーグがこの作品を見て、この男にジュラシック・パークを任せようと思ったと言っているからなんですね。

樋口:それはすごいですね。スピルバーグはどこを見たんでしょうか。

山崎:ラスト・シーンを見て飛び上がったと。『彼女はパートタイム・トラべラー』ってどういう話かと言うと、「私と一緒にタイムトラベルをしてくれる人を探しています」という新聞広告から始まって、こんな広告を出すのはどんな得体の人間なんだと言って、新聞が面白がってその人を偵察しに行くんですね。そうしたら、その男性は明らかに頭がおかしいんだけど、同時に悲しい人でもあって。彼を偵察しにきた記者の女の子は、次第に彼に惹かれていく。あとはDVDで見てほしいんですけど、特にラストに注目してほしい。あのスピルバーグを驚嘆させたという名シーン。それはスピルバーグのすごいところでもあると思います。あんな小さな映画を見て、『ジュラシック・ワールド』のような大きな映画をやれる男だとわかったと。私自身、『ジュラシック・ワールド』をこの間見て、コリン、立派になってとしか言いようがなかったので、大きい映画を撮れる人たちも、こうした小さいところからまずスタートしたほうがいいのかなと思います。

樋口:日本でも、こういう映画を見てあっと思う人は多いと思うんですよ。それで自分でも何かやってやろうと。でも、作ることはたぶんできると思うんですけど、どうやって見せるかとなると、その部分があんまり整っていない気がする。やっぱり映画館で上映したいというのはあるでしょうけど、新しい映画の作り方が出てきたのだから、その見せ方も新しくする必要があると。私自身、映画を好きになったのはテレビで見たことがはじまりでしたし、ネットでの放映も含めて、柔軟に考えたほうがいいのではないかと思います。

山崎:そうですよね。デュプラス兄弟も、いまは12ドル出して映画を観たいとはなかなか思わない。でも、ネットフリックスだったら見る人は大勢いるといった発言をしていましたしね。だから、映画を取り巻く状況はアメリカでもすごく厳しくて、お金もなかなか回ってはこないですけど、ある意味風通しが良くなっていると言えると思うんですよね。

デジタルカメラに関しても毛嫌いする人がいたり、フィルムで撮りたいって人が大勢いますけど、ネットフリックスならデジカメでもいいわけですし、デジタルなりの魅力というのも映画館で味わえるのではないかと思います。デュプラス兄弟制作の最新作はiPhoneで撮っているらしいですし、時代は確実に新しい方向に向かっています。

樋口:そうですね。実際、最近のiPhoneで撮った作品を見ても、これはこれで全然OKなんじゃないかとは思います。画質に関しては、フィリップ・ガレルというフランスの映画監督がいまして、彼はフィルムでしか撮らないんですが、上映するときはDCP(世界基準の規格に基づいたデジタル上映用フォーマット)でなく、BD(ブルーレイディスクでの上映)でいいと言っているらしいという話を聞きました。データ量はDCPの方がBDより多く、つまり画質もいいはずなのですが、スクリーンに映されたものに関しては自分にはもう違いがわからないということみたいです。フィリップ・ガレルという監督は、フィルムで撮影することにこだわり、フィルムの感触を愛して止まない人なんですが、一方で柔軟な感覚の持ち主で、新しい出来事や思いもしない出来事をどんどん自分の映画の中に取り入れて行く。そうやって、映画は変わり続けて行くものだと思います。

 

 

さらに前進するマンブルコア

山崎:マンブルコアが出てきたときに、批評家の中にはヌーヴェル・ヴァーグが起こしたような変動はこのムーブメントでは起こせない、低木さえも揺らせないみたいな発言もあったんですね。大きなボイスを持っているムーブメントではなかったですし、それはわからなくもありません。でも、今までなし崩しにいろんな影響を与えてきたというのはやはりあるんですね。求心力がある作品とか集団がぱっと生まれて世間が瞠目するみたいな変わり方はしないけれど、気が付けば世界がちょっとだけ変わっているというような。それは映画作品や関わった人たちにも言えることで、『ハンナ』のヒロインもすごくふらふらしていて、何か具体的な解決がひとつも見えない。でも、最後には一歩だけ踏み出せたかなって感じにもなっていますし、グレタのキャリアに関しても、『ハンナ』のような小さい映画からあそこまで来たっていうのは、なし崩し的に彼女自身も変わっていったところがあったのではないかと思いますね。

樋口:マンブルコアはひとつの地域に固まっていない。ばらばらにあって、でもそれらがいくつもの層を重ねて、重なりあって世界が変わっていく。そういうことですよね。

山崎:本当にその通りだと思います。最後になりますけど、スワンバーグの『ドリンキング・バディーズ』という作品に出演した、アナ・ケンドリックという女優について。スワンバーグは自身の作品に出演した俳優とはすごく親密な関係を築いているんですけど、アナにはスワンバーグからの影響がかなり出ていると思います。『ドリンキング・バディーズ』も『ハンナ』と同じように即興演技で作られているんですけど、彼女の最新出演作である、『ピッチ・パーフェクト2』という作品。これはアメリカで大ヒットしたコメディ映画で、その1、2が今年日本で立て続けに公開されるんですけど、そこでのアナの演技は、半分が即興なんです。それはおそらく、彼女がスワンバーグと一緒にやっていて得たものだと思いますし、ちょっと注目してほしいところ。このようにマンブルコアが与える影響が、さらに出てくるのが楽しみだとも感じています。

 

採録:若林良、協力:宮田克比古