前回はロシア映画史上最大規模との呼び声が高い映画プロジェクト『ダウ』のセット内の様子、制作背景、資金繰りについて紹介した。この回では、挑発的な監督の人格とプロジェクトの性質、そしてこれに起因するスキャンダルの内容を記す。

 

 

女性への「不適切な」待遇とその隠ぺい体質

 

それにしても、映画製作の常識を一顧だにしないこの監督イリヤ・クルザノフスキーとは何者なのか。世間が描くクルザノフスキーの肩書は「天才監督」から「カルトリーダー」に至るまで幅広い。クルザノフスキーはロシアで敬意を集めるアニメ作家アンドレイ・クルザノフスキー(Andrei Khrzhanovsky)の息子であり、有名画家の孫でもあると、2011年にGQ誌は報じており、映画監督一家のアレクセイ・ゲルマン父子とも親交がある。映画を監督し始める前、十代の彼はナンパ師でありナイトクラブの人気者であったという。 [1][10]

ロシアの文化的エリートの家庭を出自にもつクルザノフスキーだが、彼の際立った人格的特徴は、映画作家としての側面以外にもあると考える人々もいる。『ダウ』の製作について、2011年の時点で取材を許された僅か2誌の一つであるGQは、クルザノフスキーと科学者ランダウとの共通点は、彼らの専門領域における才能よりも、性生活の方に多くを有していると示唆しているように見える。この記事の中で、特に空恐ろしいエピソードは、クルザノフスキーの助監督として、若い女性を探していた際のものだ。その面接でクルザノフスキーは、ユリアと名乗る候補の女性に対し、芸術に関する質問と性に関する質問とを巧みに織り交ぜつつ、こう尋ねたという。「処女を喪失したのはいつ?」「ナイトクラブで会った男と名前も聞かないまま〇〇できる?」彼女はクルザノフスキーがプロとして訊いているのか、下心から訊いているのか、うまく判別できなかったという。クルザノフスキーは実際に女性に手を出すことこそ無かったが、女性に心を開いてもらうことを期待していたのは明らかだったという。この「助監督候補」の女性が面接室を出ると、外に居た人々がすぐさま「女性と寝ることができるかどうか、聞かれたか」と尋ねてきた。それは、まるでこの質問が面談上の重要項目ででもあるかのようだった。そこにクルザノフスキーのアシスタントが来て彼女に言った。「あなたとイリヤ(・クルザノフスキー)は、人生観を異にしています。」

こうして、この女性は選考落ちした。だが、見方を変えればある意味、彼女は難を逃れた女性の一人と言えるかもしれない。クルザノフスキーの旧友とされる匿名の人物は、彼のナイトクラブでの「ナンパ師」ぶりについて証言を行っているが、このエピソードの中で、クルザノフスキーの女性への態度は、ここでは書けないほど厚かましく不躾で強引なものであった。もっとも、相手の反応は悪くなかったらしいが。GQで紹介されているこの手の悪辣なエピソードは枚挙に暇がないが、クルザノフスキーはこうした情報を「少々思わせぶりに過ぎる」と評し、こう反論している。「[これらの]情報提供者には名前が無い。まったくソビエト式の報道だ。」また実際、この記事を書いたGQのライター、ミハイル・イドフ(Michael Idov)自身も「ゴシップ・ブログ風に噂話を書くつもりでいた。『ダウ』のセットでは何でも信じる気になった」と正確さに重きを置いていないことを示唆している。彼の「ソビエト式」記事に登場するエピソードは、まさにフェミニストの言うレイプ・カルチャー、ミソジニー、セクシャル・ハラスメント、人権無視を地で行くものであり、#MeTooを経た現在、イドフは執筆当時もっとこの「被害者たち」に焦点を当てていなかったことを「後悔している」という。[1][11][20][19][21]

イリヤ・クルザノフスキー(左)

 

GQにおける個々の具体的エピソードの真偽はさておき、『ダウ』に性描写を盛り込むことは、確かにクルザノフスキーの意図であり、その結果セットで暮らす人々の性生活を撮影した場面は、後に悪名をとどろかす極めて直接的な性描写として作品に取り込まれた。だが制作におけるこのクルザノフスキーの判断は、GQにおけるエピソードと同じく、ここ数年の世界的トレンドに真っ向から対立するものだった。この性描写のうち群を抜いて知名度の高いものに、『DAU. Natasha』におけるコニャック・ボトルを用いた拷問レイプシーンがあり、これは他の全ての性的場面と同様、シミュレーションではなく実際の拷問行為を撮影したものである。このシーンで、KGB(実際に元KGB職員が演じている)による拷問を受ける主人公ナターシャのヴォイスオーバーを依頼されたフランス人女優は、この要請を拒否し、こう語っている。「私にはできませんでした。あの女性[ナターシャの演者]は苦しんでいました。彼女は女優ですらありませんでした。」なお、このシーンの前にはナターシャと彼女の恋するフランス人科学者との「胸を打つ」ベッドシーンがあるが、これも数分間に渡る長い本番行為による場面となっており、一部の人々からの批判を招きかねない。[1][13]

こうした性描写のあまりの過激さに触発され、或いは気分を害し、ベルリン国際映画祭での上映以降、『ダウ』の背後に様々な倫理的不正や邪(よこしま)な悪の存在を察知する者たちが続出した。こうした人々の激しい批判は、様々な角度からの『ダウ』への否定的解説、疑問、異義の提示という形で現れた。ハリウッドリポーターは、『ダウ』を説明するにあたり、「クレムリン関係者であるオリガルヒ」と「ロシア政府による後援を受けたサディズムのポートレート」という、米国民の政治的敵意を惹起するレビューを掲載した。既に述べた事だが、『ダウ』は「ロシア文化省を評価しないオリガルヒ」の援助のもと制作され、「ロシア政府の圧力により同国内での上映が頓挫した映画プロジェクト」であり、上記レビューとは正反対のプロフィールをもつ。また、ベルリンで上記拷問シーンを目撃したフィルムコメント誌のコントリビューティング・エディター、ジョナサン・ロムニー(Jonathan Romney)は、「感情的になりすぎているかもしれないが」と断った上で、プロジェクトを経済的浪費だとして問責している。「クルザノフスキーは、シリアスな映画を作ったと信じているようだが、映画では人々が部屋の中でただ喋っているに過ぎない。一人一人が責任を意識すべき[今日の世界]経済の状況にあって、このプロジェクトに注がれた巨額の資金の成れの果てがこんな映画だとは、まったく信じられないことだ。」

ジョナサン・ロムニー

だが、彼の倫理観に最も抵触する問題は、むろん性的な場面に因むものだった。「僕にとって本当にゾッとするのは、キャストの全員が素人であるにも関わらず、精神的/心理的な懸念のある非常に生々しい場面に身を晒すよう、クルザノフスキーがどうにかして出演者たちを説得したことだ。…[ナターシャ役の演者は]プロではなく、衣料品店で働いていると聞いたが、自分の露わなセックスシーンや、長い長い拷問シーンにおける心を取り乱された様子を、国際映画祭で世界中の人々に見られるのはどんな気分だろうか。」ここでロムニーは、衣料品店従業員が、ボトルレイプのシーンに出演するよう「どうにかして」まるめ込まれたと考えているようだが、実際のところ、くだんの場面のショットは『ダウ』に採用されたセックスワーカーによる代役へと差し替えらえており、彼女はSM専門の売春宿で働いていたと、クルザノフスキーは述べている。ロムニーはさらに続ける。「もしこれがケン・ローチ映画なら、このような場面では、出演者に対し、撮影中・撮影後に渡り非常に徹底した倫理査定やケアが施される。この映画は、その予算の大きさを謳っているが、役者へのアフターケアに対し、どれほどの額が割かれただろうか。」 [18][25][15][11]

『ダウ』に対する倫理的非難を報じる多くのメディアが取り上げたものに、クルザノフスキーの地元ロシアの4人のジャーナリストたちの連名による公開書簡がある。フェミニスト映画専門のサイトKKBBD.comで公開され、ベルリン国際映画祭の主催者に宛てられたこの書簡にて、4人のジャーナリストたちは、ロムニーと同様、監督が出演者たちを自分の良いように操作していることへの懸念を示したうえ、このような問いを投げかけている。「[『ダウ』のような]映画のメイン・コンペティション出品は、ベルリン国際映画祭がクリエイターに対する不当な扱いを、芸術の名のもとに支持・奨励しているということなのでしょうか?」書簡がメディアに出回ったのち、一部の人々から「お堅く取り澄ましすぎだ」との非難を受けた書簡筆者のタチアナ・ショロコワ(Tatiana Shorokhova)は、「良い人」たちからの支援もあるとし、書簡を公表したことに後悔は無いという。「皆は私が暴力的なシーンやセックスシーンに反対していると言いますが、それは違います。良いセックスシーンは好きです。しかし、その撮影は倫理的に為されるべきです。」ロシア人ジャーナリストたちからの批判の矢面に立たされた同映画祭のクリエイティブ・ディレクター、カルロ・チャトリアン(Carlo Chatrian)は、こう応じている。「映画のプロダクションサイドに問い合わせたところ、ジャーナリストたちの非難には十分な法的根拠が示されていないとの返答があった。映画の女性出演者たちも記者会見でこれを認めている。監督と女性出演者たちは、この非難について言いたいことが山ほどあると、我々は確信している。」

タチアナ・ショロコワ

事実、制作に関係した人々は、『ダウ』に向けられた倫理的非難に対し次々と反論している。拷問を受けた主人公ナターシャを演じたナタリア・べレズナヤ(Natalia Berezhnaya)は、セットで自分が行っていたことをしっかりと理解していたという。「私たちは自分たちが行っている事柄について、非常に自覚的でした。私たちは自分自身で、それを演ずる選択をしたのです。もちろん、怖くなかったと言えば嘘になりますが。」ナターシャの同僚オルガを演じた別の女性はこう語る。「[『ダウ』での体験は]ある種おそろしく、一方でプレッシャーを感じることもありましたが、同時にそれが[当時の]私たちの生活でした。私たちの行動に脚本はなく、そのうえで他者との関係を築き、恐怖し、愛したのです。」実際、セットの役柄で出会った恋人と結婚した出演者も複数おり、合計14人の子供がセットで産まれたと制作側は明かしている。クルザノフスキーも上記の非難に対し、『ダウ』は社会的配慮に基づく自己検閲により漂白された作品では無いという点を強調している。「[『ダウ』は]人々が、精神的に困難な旅路へと自覚的に船出する様を、ありのままに描いた、「誠実な」プロジェクトなのです。ハリウッドのものとは違います。」最後に、撮影を担当したユルゲン・ユルゲスも撮影手続きに問題は無かったとし、次のように語っている。「きわどい場面の撮影では、常に同意書が制作されていた。それにもし誰かが撮影に耐えかねたなら、いつでも中止することができた。」プロジェクトメンバーたちは、一丸となって非難に立ち向かっているようだが、この結束力はクルーの全員によってシェアされていた訳では無い。プロジェクト最初期の段階で3ヶ月間『ダウ』でアシスタントを努めていた男性は、ソビエト時代を再現したセットで携帯電話を操作している所を咎められた際、自分が良いように利用され、侮辱を受けていると感じた旨を、ベルリンでの記者会見時に客席から訴えている。[17][19][14][22][26]

プロジェクトに漂うこうした或る種の「いかがわしさ」から、謎に包まれた『ダウ』の数々の「伝説」に興味をもつ者は少なくない。しかし、そうした人間がフェノーメン・フィルムに電話を入れてみても、「ジャーナリストとの会話は許されていない」と即答され、返す言葉を探す時間もなく即座に電話を切られてしまったという。また映画のパブリシティーを兼ねた取材のため、ランチ・ミーティングに参加していたあるジャーナリストは、ロンドンの一等地にある先述のポストプロダクション用施設の家賃について、きわめて率直な形で尋ねてみたところ、彼の好奇心はその場を凍り付かせる結果となったという。同席したとある弁護士は、「あなたは監査をするために招かれたのではない」という台詞を残し、スープが出される前にランチの席を立った。その場のホステスを務めていた女性は、「ダウの現在の支援者はプライバシーをとても重視する方です。」と語り、映画についての内容に話を移したという。[1][6]

 

KGBもドン引き、全体主義の申し子、ダウ

 

この権威主義国家風の秘密主義は、プロジェクトにおけるクルザノフスキーの「自由」な運営体制を世間の目から保護する効果を担っていたように見えるが、レフ・ランダウもまたクルザノフスキー同様、自己主張の強い「自由」で独断的な性格の持ち主だった。 彼はソビエトの核爆弾の生みの親の一人であり、冷戦下の核競争時代にあって社会主義労働英雄の称号をもつ名誉ある立場にあった科学者である。戦後ソ連がドイツから獲得してきたV2ロケットの開発者たちもまた彼の友人だった。さらに冷戦下のソ連で、アインシュタインら西側の著名人との友人づきあいが許されていたことや、ショスタコーヴィチ家族との複雑な関係からも、彼のソビエト社会における地位の程度が窺える。しかし彼は、その歯に衣着せぬ言動から過去に書面にてスターリンを批判。グラーグ[ソビエト版強制収容所]行きになりかけたところ、ランダウの才能を必要としていた当時の研究所上司の嘆願によって救われたのち、核開発の功績を評価され皮肉にもスターリン賞を2度受賞。ダメ押しとばかりにノーベル賞までをも受賞し国内外からの名声を得るが、私生活では27歳の時点で女性との性交渉がなく、結婚後は一転してランダウのためという建前で、彼の愛人への夕食を作るよう妻に強要するほどポリアモリ―の狂信的代弁者となった。そのため結婚期間中は豊富な女性遍歴をもち、性の自由を信奉し、周囲にもこれを呼び掛けていたという。彼の強引さは、ハンガリー動乱とレーニンについてのランダウの意見をまとめたKGBの報告をして「赤いファシスト」と言わしめた。50~60年代にかけて、彼は今日のオリガルヒたちと比較されるほど経済的にとび抜けた成功を収めたものの、精神病院への出入りもあり、1968年の死去に先立つ6年前、ランダウの生徒の妻を兼ねる彼の愛人とドライブ中、自動車事故により障害者となった。その後、彼の考察からは創造性が失われたという。なお、事故のため生殖器官を残して体が麻痺した状態にあっても、彼は看護婦と性的関係を結んでいる。この看護婦はランダウの子を身ごもったが、後に彼のノーベル賞受賞の話が持ち上がった際、体裁を配慮したランダウの周囲の人々によって中絶させられ、彼から引き離された。[6][7][10]

まるでジェットコースターに耐久レースを併せたような人生行路を走破したランダウだが、この突出した個性をもつ人物を映画で表現するという難題にあたりクルザノフスキーが出した回答は、財政面での非合理かつ奔放な采配と秘密主義、そして個々人の生活にも干渉する管理体制に至るまで、ソビエト世界の特徴を再現するということであった。「赤いファシスト」と「赤いソビエト」、その独断性と人々への強制力で知られる2つの全体主義を結び付けた格好だ。科学者ランダウの独善的人格を全体主義によって表現するというこのクルザノフスキーの発想は、「[ソ連において]核の力で世界を変える力をもつとされていた科学者たちは、みずからを神のように考えていた」という彼の見解を良く表している。クルザノフスキーは、先述した映画についての当初の着想の通り、ギリシャ神話の神々や英雄に見受けられる、現代のものとは異なる倫理を映画のランダウに実践させようと試みたと語っている。そしてこの神話の倫理は、GQの記事の中で女性に対して傲慢に振る舞うクルザノフスキーにもその片鱗を垣間見ることができる。(ゼウスとフェミニストが意気投合する機会は極めて限定的だろう。)半神半人のごときランダウの権力は、彼の分身としての『ダウ』の創造者、クルザノフスキーの独断性と相関関係にあると言える。[7][10]

 

クルザノフスキーの独断性と他者への強制力

 

『ダウ』の元キャスティング・アシスタントで、同プロジェクトについてのドキュメンタリー映画を監督したアルビナ・コワリョーワ(Albina Kovalyova)は、当時のクルザノフスキーの専横ぶりに対し極度の困惑を禁じえなかったと、自筆の記事のなかで書いている。「『ダウ』はその全体主義的体質について、断罪される運命にあったのかもしれない。長期に渡った撮影は、クルザノフスキーを専制者へと変質させ、映画のための擬態としての強権も、現実の権利乱用へと変化してしまった。こうして『ダウ』は、ファシズムを組織的かつ正確に実践するに至った。」彼女の言う「ファシズム」の定義の精度についてはあまり立ち入らないとして、確かにセキュリティーカメラや隠しマイク、そして警備担当者を含む、セットの警察力もまた、全体主義体制維持のため、人々を抑圧する暴力装置として機能し得ただろう。「セットにいる人間は、彼らが犯したかどうかも判然としない罪状により逮捕され、手荒い扱いを受けて取り調べられ、精神的圧力を加えられた。聞くところによると、彼はセットで研究所長[これはランダウのポジションである]、ないしは単にボスと呼ばれていたという。」[22]

だが「もし、誰かが或る集団を用いて『ダウ』のようなプロジェクトを実現しようとするなら、この人物には変化を望む、非常に特異で、情緒的に荒々しい気質が必要とされるものだ。」とクルザノフスキーは自己を弁護する。独断性は、未知の境地で多数の人々を牽引し、変革をもたらそうとする指導者にとって、多かれ少なかれ不可欠な資質である。また現代のウクライナにソ連社会を出現させた全く新しい『ダウ』のセットは、クルザノフスキーの独断性と指導力が試される未知のフィールドと言える。パリのプレミアで利用された上映会場でも彼の独断性は発揮された。前回の記事で述べた通り、ソビエト社会を観客に体験してもらう手段として、クルザノフスキーは上映劇場をダウ研究所の「出先機関」に模様替えするというインスタレーションを考案した。この業界の常識を超えた未知の上映形式は、クルザノフスキーの立場からすれば自身のクリエイティブな才能を示すものと言えるが、逆に会場を訪れた観客からすれば、見慣れない上映形式を押し付けてくる彼の独断は、単に受け入れにくいものでしかないと感じた人も多くいたようだ。プレミア後に紙面を飾った批評を見ると、批評家たちはクロスメディアなインスタレーションとしての『ダウ』に戸惑っていたように見える。映画批評家たちは映画の文法を見失い、映像表現の批評家たちは労働者を演じたパフォーマーたちのソ連式悪ふざけを誤解してしまった。従来の表現媒体の枠組みを超えた劇場芸術であるとはいえ、21世紀の作品である『ダウ』に対し、総合芸術(Gesamtkunstwerk)という古く近代的な文脈の色濃い用語が乱用された。歴史と芸術についての知識なしには満足行く鑑賞が困難という点でも押しつけがましさを感じた評論家がいたかもしれない。[14][8]

周囲への配慮を欠いたクルザノフスキーの態度が見て取れる例は他にもある。本来はパリの前に予定されていたベルリンでのインスタレーション・プレミアで、クルザノフスキーは会場の周りに壁を巡らせ、東西冷戦時代を強調するという「荒々しい」着想を得た。(このベルリンでの上映に関連するアーティストとしては、映画監督のトム・ティクヴァ、そしてブライアン・イーノやマッシブアタックといったセルゲイ・アドニエフの支援するミュージシャンたちが名を連ねていた。)現代アーティストの艾未未によるペイントが施された全長2.4キロメートルのこの壁は、「芸術的実験」として会期中の会場を取り巻き、ベルリンの壁崩壊の記念日である上映終了日に取り壊される予定だった。壁の建設がアナウンスされた際は、記憶から決して拭い去ることのできない歴史的事件についての活発な議論が展開された。人々は建設の是非を巡り、この壁によって再度隔てられることになってしまった。「私は全体主義システムを再建することが単なる実験とは思えません。」と、緑の党のザビーヌ・バンゲルトは語る。彼女は多くのベルリン市民と同じく、かつてベルリンの壁が聳えていた僅か数メートル先の地点にコンクリート製の障壁を建設することは、壁によって生活を分断された人々に対する侮辱だと感じたようだ。ダウの上映会場の周囲を囲う壁の建設が行政側から却下された封切り一週間前に、ダウのベルリンでのプレミアはキャンセルされた。[9]

クルザノフスキーはベルリンにおける壁の設置を意図的な社会的挑発と自認しており、これが建設却下の最終的な原因だと考えているようだ。 民主社会に生きる現代人にソ連の全体主義管理社会を体験してもらうという『ダウ』の趣旨自体が一種の挑発的要素を備えたアイディアと言えるが、ともすれば、この挑発性は人間のおぞましい本性や人生の暗い側面から目を背けようとする人々をからかい愉しむという、クルザノフスキーのねじれた嗜好に由来しているのかもしれない。自分は映画を通して単にリアリティーを提示しているに過ぎず、『ダウ』を見て疑問を感じるのは「私の問題ではなく、あなたの問題だ。」と彼は言う。「人生は危険な荒野であり、生活は脆く壊れやすい。生きることは危険なゲームだ。」その日常で起こる様々な事柄に比べれば『ダウ』の世界など「無」も同然。意地の悪い笑みを浮かべつつ、彼はさらに言葉を継ぎ足す。「ほとんど幼稚園みたいなもんだ。」[5] [24]

 

 

 

 

[1]https://www.telegraph.co.uk/films/0/mystery-dau-insane-never-ending-russian-epic-might-stay-hidden/

[2]https://www.tabletmag.com/jewish-arts-and-culture/280545/the-dau-of-stalin-opens-in-paris

[3]https://www.theguardian.com/film/2019/jan/26/inside-the-stalinist-truman-show-dau-i-had-absolute-freedom-until-the-kgb-grabbed-me

[4]https://www.bfi.org.uk/news-opinion/sight-sound-magazine/features/dau-ilya-khrzhanovsky-report-and-first-look

[5]https://www.thejakartapost.com/life/2018/08/29/epic-extreme-film-art-project-to-rebuild-berlin-wall.html

[6]https://www.lrb.co.uk/v37/n19/james-meek/diary

[7]https://en.wikipedia.org/wiki/Lev_Landau

[8]https://vaguevisages.com/2019/04/09/dau-a-vade-mecum/

[9]https://www.straitstimes.com/lifestyle/arts/staging-a-show-without-a-script.

[10]https://www.youtube.com/watch?v=a5_1t83H3v0

[11]https://www.gq.com/story/movie-set-that-ate-itself-dau-ilya-khrzhanovsky

[12]https://en.wikipedia.org/wiki/Serguei_Adoniev

[13]https://www.indiewire.com/2020/02/dau-natasha-review-berlin-ilya-khrzhanovskiy-1202213832/?fbclid=IwAR0PJox9UU17acuHdyR1bQYa6D-K6HHnZ9ZXsnCqO47tCd_Ooegresj2fI4

[14]https://variety.com/2020/biz/news/dau-director-ilya-khrzhanovsky-defends-controversial-film-berlinale-1203516725/

[15]https://www.switchonpaper.com/en/dau-a-project-unhinged/

[16]https://www.theguardian.com/film/2020/feb/26/dau-natasha-review-russia-ilya-khrzhanovsky

[17]https://kkbbd.com/2020/02/29/an-open-letter-to-carlo-chatrian-and-mariette-rissenbeek-from-accredited-russian-members-of-the-berlinale-press/

[18]https://www.filmcomment.com/blog/the-film-comment-podcast-berlinale-2020-3/

[19]https://www.theguardian.com/world/2020/mar/03/russian-film-dau-natasha-violence-soviet

[20]https://variety.com/2020/film/actors/russian-press-open-letter-dau-natasha-berlinale-ilya-khrzhanovsky-1203519822/?fbclid=IwAR1ifmEIuzTC98zM2s3X52ZzDjU_N6wPPLLR7iceDqVYxU9LYGlK5h3RAso

[21]https://www.lignes-de-cretes.org/dau-the-art-of-making-money-with-exploitation-and-human-suffering/

[22]https://www.telegraph.co.uk/films/2019/01/24/lights-cameras-madness-troubling-journey-inside-dau-disturbing/

[23]https://www.screendaily.com/news/dau-natasha-director-defends-abuse-scene-talks-four-more-dau-features-exclusive/5147659.article

[24]https://www.nytimes.com/2020/02/28/movies/dau-berlina.html

[25]https://www.hollywoodreporter.com/amp/review/dau-natasha-review-1281456

[26]https://www.dw.com/en/dau-whats-behind-the-most-ambitious-film-project-of-all-time/a-52555534

 

林 峻

東京都出身。普段は企業で働いています。海外映画作品の基本情報に、自分が面白いと思える+アルファを加えた記事を心がけています。映画関連トピックの効率良い収集方法を思案中。


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