佐川一政を題材としたドキュメンタリー『Caniba』(#01)がヴェネチア国際映画祭Orizzonti部門で上映され、審査員特別賞を受賞した。さらには、トロント国際映画祭Wavelengths部門でも上映されるなど、先鋭的な作品を好む映画ファンの間で賛否両論の議論と話題を拡げつつある。『Caniba』とは、カニバリズム、すなわち人肉食を意味している。これは、パリ留学時代に凄惨な猟奇事件を起こした佐川一政の映画であるのだ。

 佐川の名前は、現在の日本では既に忘れられつつあるかも知れない。1981年6月11日、パリ第3大学大学院博士課程に在籍していた彼は、同大学のオランダ人留学生ルネ・ハルデルベルトが自室を訪れた際、彼女を背後から銃で撃って殺害、屍姦した後にその遺体の一部を生のまま食べた。残りの遺体をスーツケースに詰め、ブーローニュの森の池に沈めようとした彼は、その異様な姿を奇異に感じた周囲の人々に記憶され、すぐさま逮捕される。しかし、精神鑑定の結果、心神喪失状態での犯行と判断され不起訴処分、精神病院への措置入院となった。日本にはそのわずか3年後に帰国している。日本では佐川を逮捕して再び裁判にかける方針だったが、不起訴処分者の資料を引き渡すことを拒否したフランス警察の反対によって不可能になったという。

 佐川の人肉食事件は、当時大きなセンセーションを巻き起こした。佐川に取材した劇作家の唐十郎による小説『佐川君からの手紙』が第88回芥川賞を受賞したほか、当時パリに滞在してこの事件にショックを受けたミック・ジャガーは、「Too Much Blood」という曲を発表した。この曲は、ローリング・ストーンズのアルバム「アンダーカヴァー」に収録されている。イギリスのパンクバンド、ストラングラーズもまた、この事件にインスパイアされた曲「La Folie」を発表し、これは『Caniba』のエンディング曲としても使われている。ポップカルチャーやサブカルチャーにおける言及は枚挙に暇がない。これは、カニバリズムをタブーとして忌避し、道徳的観点から卑下し、その猟奇性に眉をひそめる私たちが、同時にどこかで強くその犯罪に魅了され引きつけられる事実の一つの証拠であるだろう。『Caniba』が主題とするのは、こうした私たちの道徳的アンビバレンスでもあるとのことだ。

 『Caniba』を監督したのは、ハーバード大学で感覚民族誌学研究所のディレクターをつとめ、同時に映画作家でもあるルーシァン・キャステーヌ=テイラーとヴェレナ・パラヴェルの二人である。彼らは、Go Proを駆使した異様な体感型海洋ドキュメンタリー『リヴァイアサン』(#02)で世界的に絶賛され、第65回ロカルノ国際映画祭では国際映画批評家連盟賞も受賞した。この作品はその後日本でも公開され、さらに彼らの過去作のレトロスペクティブ上映も行われるなど大きな評判を呼んだ(#03)。しばしば長回しを駆使した凝視型のスタイルで対象に密着し、作家が説明するのではなく観客自身の自発的思考を促すなど、きわめて実験的な作風で知られている。

 『リヴァイアサン』日本公開に前後して、監督たちは日本に長期滞在した。これは、フランス財団の委託により、東日本大震災のドキュメンタリーを制作するのが目的だった。(因みに、筆者はこの時期に彼らとしばしば会い、この作品の取材にも部分的に協力した。)完成した作品は『Ah humanity!』と題され、2015年のニューヨーク映画祭などで上映されている(#04)。福島を取材した作品ではあるが、『リヴァイアサン』同様かなり実験的な作りとなっている。二人の日本滞在は、さらに多くのプロジェクトを生み出した。日本独自の文化としてピンク映画に興味を持った彼らは、いわゆるピンク四天王の一人である佐藤寿保監督作品『眼球の夢』(#05)をプロデュースする。そして、この作品製作に協力する代償として、ピンク映画の撮影現場を彼らが取材したとのことだ。撮影された映像は200時間を超えるが、現在までのところ作品としてまとめられていない。(10年かけて編集すると二人は述べている。)そして、『眼球の夢』に出演していた佐川一政と、彼らはそこで出会う。そこから『Caniba』の制作が始まった。

 『Caniba』は、全編にわたって佐川の姿を極端なクロースアップで捉えた、インタビュー形式のドキュメンタリーだ。インタビュー形式とは言え、佐川は明瞭に何かを話すわけではない。勿論、彼の代名詞であるパリの人肉食事件については語られるが、必ずしも論理だって説明される訳ではなく、事件への興味からこの映画を見る場合、失望する者も多いかも知れない。この作品はかつて世間の話題をさらった猟奇的犯罪を映像によって再構成するものでなければ、その犯人を道徳的に告発するためのものでもない。もちろん犯罪者の主張を正当化する作品ではないが、しかし一方で、スクリーンに大きく映し出される佐川一政という人間の断片化された身体は、圧倒的に不透明な存在としてそこにあり続ける。ある評者は、佐川の肉体を捉え続けるこの作品が、ある意味でそれ自体映画の身体性を暴力的に明らかにしていると論じている。実際、この作品の撮影中、監督たちは佐川が話す日本語を理解していなかった。撮影に同行した通訳スタッフはいたが、監督たち自身の希望によって、しばしば意図的に翻訳を中止させたとのことだ。それは、佐川が語る内容ではなく、言葉を発しようとする彼の身体そのものに監督たちが興味を持ち、その直感の上に作品を作り上げたかったからだとのことである。

 事件後に日本へと帰国した佐川は、しばらくの間メディアを大いに賑わせた。バラエティ番組などに登場し、コラムや小説、漫画なども執筆した。また、ポルノ映画にも出演した。これらの映像は『Caniba』の中でも引用されている。しかし、こうしたメディアによる佐川への関心とその事件の表象は、いずれも彼の意向を大きく裏切り、深く失望させてきたとのことだ。佐川には、きわめて思慮深く、教養ある知識人としての側面が存在すると監督たちは述べる。そして同時に、まるで子供のような顔もあるとのことだ。彼自身、自ら犯した事件がきわめてグロテスクなものであると認識していながら、同時にその動機の背後には、ある意味でイノセントな欲望が存在していたと考えている。だが、その欲望とは一体何なのだろう。『Caniba』が私たち観客に突きつける最大の疑問の一つは、私たち自身の内部にも存在するかもしれない、この欲望に関するものだと指摘する論者も多い。

 監督たちはまた、この作品にはコメディの側面も備わっていると述べる。「恐るべきモンスター」である筈の佐川が厳粛な顔で口にする言葉からは、凄惨な犯罪の血の匂いではなく、彼がかつて出演したテレビ番組の浮薄さでもない、不思議なユーモアが感じられるとのことだ。事実、完成前にこの作品の一部を見たフレデリック・ワイズマンは、全編ひたすら大笑いしながら鑑賞していたとのことである。佐川一政は数年前に脳梗塞で倒れ、現在は彼の弟がその介護を引き受けている。佐川の弟は『Caniba』のもう一人の主役でもある。この作品は、年金と生活保護で暮らす二人の奇妙な兄弟の奇妙な関係に迫ったドキュメンタリーでもあるのだ。

#1
https://caniba-film.com/
#2
http://www.leviathan-movie.com/
#3
http://www.hunt-the-world.com/
#4
http://ah-humanity.com/
#5
http://www.gankyu.net/

その他、参照したサイト
https://www.filmcomment.com/blog/venice-interview-verena-paravel-lucien-castaing-taylor/
http://www.hollywoodreporter.com/review/caniba-1034881

TIFF Review: ‘Caniba’ Feels Too Satisfied With Its Instant Revulsion


https://nowtoronto.com/movies/tiff2017/caniba-review/
Film Review: ‘Caniba’

大寺眞輔
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。

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