第89回アカデミー賞の授賞式が、2017年2月26日(現地時間)に開催される。作曲賞にノミネートされたのは、『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』(ミカ・レヴィ)、『ラ・ラ・ランド』(ジャスティン・ハーウィッツ)、『LION/ライオン ~25年目のただいま~』(ダスティン・オハローラン、ハウシュカ)、『ムーンライト』(ニコラス・ブリテル)、『パッセンジャー』(トーマス・ニューマン)の5作品となっている。
アカデミー賞でノミネートされるためには、それぞれの部門の選考規定を通過しなければならない。第89回アカデミー賞の作曲賞部門では、選考資格のある145作品の中から、先に挙げた5作品がノミネートされた。
一方で、選考規定に抵触したとされ、その145作品の中にすら含まれなかった映画音楽も存在する。『メッセージ』(ヨハン・ヨハンソン)、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(レスリー・バーバー)、『沈黙―サイレンス―』(キム・アレン・クルーゲ、キャスリン・クルーゲ)である。

ヨハン・ヨハンソンが作曲をした『メッセージ』において、選考に値するかどうかを決定する際の論点となったのは、ヨハン・ヨハンソンのオリジナルスコアがドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が描くドラマへいかに貢献しているかということである(『メッセージ』の音楽自体については過去の拙文を参照)。この作品では、既存の音楽が引用されていることが原因となり、選考資格がなくなった。アカデミー賞の作曲賞部門は、投票者がヨハンソンのオリジナルスコアの価値を定める際に、引用されている既存の音楽によって左右されてしまうということを危惧し、選考作品から除外したのである。
アカデミー賞の作曲部門の規定(15 II E)には、「既存の音楽の使用によってスコアが希薄されている場合、またはスコアが該当の作曲家によって明確に作曲されていない歌や音楽が優位に働いていることによって弱められている場合、またはスコアがひとり以上の作曲家の音楽から構成されている場合、スコアは選考資格を有さないものとする」と記載されている。この項目に該当しているとされたのである。

『メッセージ』では、ヨハンソンのオリジナル音楽のほかに、マックス・リヒター作曲による“On the Nature of Daylight”が引用されている。同楽曲は、最初と最後という重要なシーンで流れる。また、同楽曲は過去にも、マーティン・スコセッシ監督の『シャッターアイランド』、ヘンリー=アレックス・ルビン監督による『ディス/コネクト』でも使用されている。観客は『メッセージ』を観た際に、ヨハンソンのオリジナル音楽と、引用された音楽の区別が付けられないと判断されてしまったのである。
パラマウント映画のよれば、サウンドトラックの86パーセントは、ヨハンソンによるオリジナルであるとしているが、その審判手続きは踏まなかった。それゆえに、アカデミー賞の作曲賞部門により、選考から除外する判断が下されたのである。
ヨハンソンは、ヴィルヌーヴ監督の意向を尊重した上で、リヒター作曲による“On the Nature of Daylight”を使用した。以下は、ヨハンソンの言葉である。

「始まりと終わりのシーンにおけるトーンは、映画におけるほかの箇所とはかなり異なっています。ドゥニは、映画の大部分(の音楽)と対照的になるようにしたかったのです。オープニングシーンは、とても早期の段階でマックスのトラックが編集されていました。それはテンプトラックとして美しく機能していました。率直に言って、その音楽を取り払おうとはまったく思いませんでした。だから、それは本当に…。私はとても異なった始まりと終わりの音楽を作曲していました。とても異なったアプローチでした。(結局のところ、既存の音楽を使うのか、またはオリジナル音楽を使うのかということに関して、)ドゥニの判断に落ち着きました。選択肢の1つ目は、私のアプローチでした。(メッセージのオリジナル)スコアのアプローチに近いもので、ボーカルのトラックです。2つ目は、マックスのトラックを使用するということです。私は、マックスのトラックを使用するという決定を強く支持しました。そのトラックは美しく働き、ほかのスコアと強い対照をなしていたからです。そこに、そのトラックを残すことは、芸術的に見てとても賢明な判断であったと思います。ドゥニは、自分の音楽も含めて私の助けとなってくれました。」

ヨハンソンによれば、彼による大部分のオリジナル音楽と対照的な音楽として存在するのが“On the Nature of Daylight”である。つまり、アカデミー賞の作曲賞部門が危惧したヨハンソンの音楽と、引用されたリヒターの音楽が区別できないという判断は本当に正しかったのだろうかという疑問が出てくる。

『メッセージ』において、“On the Nature of Daylight”を使用した理由とは、単に映像と合っていたということだけではない。このリヒターの楽曲に込められた意味が、映画のテーマと合致するのである。
『メッセージ』では、エイリアンが世界の12箇所に宇宙船で飛来してくる。そのエイリアンと言語学者がコンタクトを試みるのである。人類はエイリアンとの世界戦争の危機に立たされるが、言語学者とそのチームは、なぜエイリアンたちがやってきたのかを平和的に探ることに奔走する。“On the Nature of Daylight”は、 The Blue Notebooksと名づけられたアルバムに収められている。イラク戦争が起こり、2003年2月13日に、反戦デモが世界各国で行われた後にレコーディングされたのがこのアルバムなのである。このアルバムが持つ反戦の意味とは、『メッセージ』のテーマと繋がっている。リヒターは、『メッセージ』の音楽が使われるまでの経緯を以下のように説明している。

「2003年に“On the Nature of Daylight”を書いた際に、私はそれをThe Blue Notebooksのオープニングとして考えていました。そのとき、イラク戦争における政治的、人道的状況によって苦悩していました。多くの人のように、無力で何もできないと感じていたのです。The Blue Notebooksは、抗議のレコードです。“On the Nature of Daylight”は、自分の子供時代も反映させています。子供たちが時折入り込む幻想です。もうひとつの安全で静かで正気を保った現実です。この楽曲が、この文脈の外の人生に関わるとはまったく想像していませんでした。この楽曲はとても個人的なものです。しかしながら、人生は奇妙で、思いがけない方向においてこの音楽は使われました。振付師と映画製作者は、特に作品における感情と結び付ついています。だから、その楽曲の2番目の人生が始まったのです。『メッセージ』の製作者から連絡を受け、私は始めは注意深く考えていました。2つの際立って力のある映画においてその楽曲の使用を許可していました。マーティン・スコセッシ監督の『シャッターアイランド』とヘンリー=アレックス・ルビン監督の『ディス/コネクト』です。さらに使用を許諾することには不安がありました。しかし、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、私を呼び、『メッセージ』の構成の中で“On the Nature of Daylight”の映画全体における使われ方を示してくれたのです。その楽曲は映画の始まりと終わりで流れます。彼が映画を示した際に、私は力強い世界に引き込まれていました。だから、その使用を許可したのは、安心した上での決定だったのです。」

“On the Nature of Daylight”の引用からは、ヴィルヌーヴ監督が映画に込めた意味が浮かび上がってくる。中途半端な理由から使用の判断がなされた楽曲ではないということである。

<こちらの動画で“On the Nature of Daylight”をお聴き頂けます。>

一方で、“On the Nature of Daylight”をテンプトラックとしてだけでなく、本編に使用していることに対して、アカデミー賞の作曲賞部門の選考から除外されると報道される以前から疑問を呈していた作曲家もいる。『シングルマン』、『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』、『エスケイプ・フロム・トゥモロー』、『ノクターナル・アニマルズ(原題)』などの音楽を手掛けたアベル・コジェニオウスキは、2016年11月26日における自身のFacebookで以下のような投稿をしている。

「ちょうど、『メッセージ』を観た。どうして最初と最後のシーンにおいてマックス・リヒターの“On the Nature of Daylight”を使っているんだ?ヨハン・ヨハンソンは素晴らしい作曲家だ。感情的であり、強く心に訴えるということ以上の音楽を書くことができる。しかし、彼らはテンプトラックの音楽の使用を決めたのだ。いずれにせよ、映画とヨハン・ヨハンソンのスコアは大好きであるが。」

コジェニオウスキは、「#TemptrackDisease(テンプトラックの病)」、「#Contagious(感染性の)」という2つのハッシュタグとともに投稿をしている。これは、『メッセージ』においてテンプトラックをそのまま映画本編の音楽としても使用したことへの批判であろう。テンプトラックは、音楽の専門知識を持たない監督が作曲家へと意図を伝えるのに役立つ一方で、テンプトラックと同じような楽曲が作曲されてしまうことが近年大いに懸念されている。そのことも影響していると考えられる。
しかし、この投稿における批判とは、コジェニオウスキがヨハンソンによるオリジナル音楽を高く評価していることの裏返しである。

レスリー・バーバーが作曲した『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の音楽もまた、オリジナルスコアの映画本編への貢献度の観点から選考規定に抵触したとされた。オリジナル音楽だけでなく、その映画全体を通して多くのクラシック音楽が使われていたからである。バーバーはアカデミー賞における選考資格がないとされたことに対して、以下のように述べている。

「アカデミー賞の作曲賞部門によって、私の『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のスコアは選考資格を有さないと知り、がっかりしました。この映画の製作過程において、監督は、早期の段階で一部にクラシック音楽を挿入することを決めていました。どれが私の音楽であるのかを考える際に、アカデミー賞のメンバーを戸惑わせたことは分かっています。しかし、それは、明らかにどの音楽が映画のために選ばれたのかということに基づいていませんでした。アカデミー賞の作曲賞部門の決定を受け入れますが、私はクラシック音楽を使うという監督の決定を支持しています。また、オリジナルスコアが映画へ意味を与えているという確かな貢献をとても誇りに思います。」

アカデミー賞の作曲賞部門によって、バーバーのオリジナル音楽は映画本編にとって本質をなしていないとされた。キム・アレン・クルーゲとキャスリン・クルーゲが作曲をした『沈黙―サイレンス―』の音楽もまた、その本質が問われ、選考資格を与えられなかった。アカデミー賞の作曲賞部門においては、以下のような規定内容(I A)を満たさなければならない。「オリジナルスコアは、音楽の本質となっている。オリジナルのドラマティックアンダースコアリングであり、該当の作曲家によって明確に映画のために書かれている」と定められているのである。しかしながら、その音楽の本質を定める客観的な基準は存在していない。
今回に限らず、前回は、坂本龍一、アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)、ブライス・デスナーによる『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽が選考規定に抵触したとされた(詳しくは過去の拙文を参照)。3人によって手掛けられた音楽の中から誰がどの部分を作曲したのかを判別することが難しかったためである。多くを坂本龍一が作曲したが、その部分の判断ができなかったために彼のオリジナル音楽は選考対象から除外されたのである。
アカデミー賞の作曲賞部門の規定やそれに伴う選考に客観性や明確さを欠くならば、それらには見直しが必要ではないであろうか。

参考URL:

http://variety.com/2016/film/in-contention/oscars-academy-disqualifies-arrival-manchester-by-the-sea-silence-1201941479/

http://variety.com/2016/film/in-contention/oscars-academy-announces-145-eligible-original-scores-1201941419/

https://www.theguardian.com/commentisfree/2016/jul/08/iraq-war-tony-blair-creativity-chilcot-inquiry

http://www.factmag.com/2016/11/10/max-richter-studiorichter-label-arrival-soundtrack-vinyl/

https://www.roughtrade.com/music/on-the-nature-of-daylight-music-from-the-film-arrival

http://www.oscars.org/sites/oscars/files/89aa_rules.pdf

http://www.slashfilm.com/johann-johannsson-arrival-music/

http://indietokyo.com/?p=5324

http://indietokyo.com/?p=3491

http://www.yourclassical.org/story/2015/12/23/sakamoto-revenant-oscar

https://www.facebook.com/abelkorzeniowski/posts/10154834931709214

宍戸明彦
World News部門担当。IndieKyoto暫定支部長。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程(前期課程)。現在、京都から映画を広げるべく、IndieKyoto暫定支部長として活動中。日々、映画音楽を聴きつつ、作品へ思いを寄せる。


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