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今年度のアカデミー賞外国語映画部門にフランス代表でノミネートされ、ヨーロッパをはじめとする数々の映画賞を総なめにしている(先日のWorld Newsでも特集された[342] 女性たちの怒りが生んだセザール賞の快挙)インディ映画、『裸足の季節』(原題:Mustang)は十代の女の子たちの揺れる想いと成長を描いた物語。女性である自分たちへの強いメッセージ、少女たちの真っ直ぐな視点をファンタジーのような美しさで彩った作品であり、それは善悪を描くのではなく少女たちがその環境の中でどのように自分と未来と向き合っていくかを描いている。『ヴァージン・スーサイド』の再来と賞賛され、比べられることも多い今作品だが、『裸足の季節』は十代特有の悩みに加えて、複雑に絡み合う慣習、文化や政治などから見られるジェンダー問題を描き出している。(*1)

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5人の姉妹は両親が死んでしまい孤児となり、トルコ北部の黒海近くの小さな村に祖母と叔父と共に暮らしていた。ある日、地元の少年たちと水遊びしていた姿が誤解を招いてしまい、元々厳格であった祖母と叔父は姉妹を厳しい監視下に置く。家から出られず、刺激を与えるような娯楽や服装は一切禁止され、禁欲的な生活を強いられる年頃の十代の少女たち。彼女たちは自分たちなりの形で反抗し、決して屈しない。だがしかし、次から次へと結婚をさせられ、家を出て行く姉たちを見ながら年下の妹はこれからの自分たちの未来を垣間見、どのように生きていけばいいのかと考える。(*1)(*2)

監督はトルコ生まれ、フランス育ちのDeniz Gamze Ergüven。今回の作品が長編デビュー作となっている。5人の姉妹たちは一人以外全員、今作品が映画初出演だが、その自然体な演技が大きく評価されている。彼女たちはそれぞれ1時間ほどのカメラオーディションを受け、選ばれた。ひとりは監督が空港で通りかかり彼女とその家族に声をかけたのがきっかけだという。作品のプロダクションはフランス・ドイツ・トルコの三ヶ国だが、主なファンディングはフランスからである。『裸足の季節』はフランス映画であるがロケーションは全てトルコ内で撮られており、国を跨ぐ大掛かりなプロジェクトだ。

プロデューサーが撮影三日前に全てを取りやめにして、放棄してしまったという波乱を乗り越えたエピソードやこの作品の原点、監督自身の映画との出会い、トルコの背景や文化との関係性などについてインビューに答えている。

この物語はどこからアイディアを得たものですか?どれくらい自分の生い立ちを反映しているのでしょうか?
——自分の中では「女性であること」についてのテーマへの方向性がずっとあって、その視点をトルコという国で女性であることに絞ってみました。私はトルコとフランスの二つの国で育ちましたが、トルコで若い時期から「女性である」と性別的な観点から見られていたことはこの作品を撮るにあたって大きな影響がありました。この映画に登場するシーンの多くは、根本的なところでは現実を描き出したものだと思っています。自分も今作品の冒頭シーンと似たような体験がありますが、私は指摘された当時は主人公たちのように立ち向かったりはせず、足元を見つめ、目線をそらしていました。屈辱でした。(*2, *3)

あなたはどのような経緯でフランスに行くことになったのですか?
——私の父は外交官でした。私が生まれて6ヶ月の時に仕事でパリに引っ越すことになり、9年ほど住みました。そのあと、また転勤でトルコに戻ることになって、そこで少し過ごしたあと、縁があり再びフランスに戻ることになりました。フランスに引っ越した後、夏休みの度にトルコを訪れるようになりました。その時期がちょうど思春期間際の時期と重なり、たくさんの物事が自分の周りで変化していきました。まさにこの映画のように。

いつ映画監督になりたいと思い始めましたか?
——私はよく映画館に足を運んでいました。パリはシネフィルにとっての聖地です。特に映画を撮りたいと思ったことはありませんでした。でもあるとき、自分にとって大きな出来事が起こり、その物語をどうしても伝えなければならないと思ったときに、それが「映画」という形で出てきました。その時、私は文学とアフリカ史を学んでいました。フランスにLa Fémisという入るのがとても難しい映画学校があると聞いて、とても傲慢に聞こえるかもしれないけれど、そこが自分の場所だって直感的に思いました。監督は自分のなるべきものだとそのとき強く思い応募した結果、合格しました。

La Fémisではたくさん短編映画を制作しました。そして、初めての長編に1992年にロサンゼルスで起こった暴動を映画にしようとしました。しかし、こんなトルコ系フランス人の生徒を相手にしてくれるわけもなく、二度ほど挑戦した長編は二作とも制作できませんでした。その時にAlice Winocour(今作品の共同脚本家)と出会いました。彼女も同じような悩みを抱えていて、諦めかけていた私の背中を押してくれました。『Mustang』の構想を話すと、彼女はそれをどうにかして実現するように手引きし、私は一時期1日20時間も机に向かって脚本を書いていました。前の脚本は3年かけて書いたのに、今作品の脚本は数週間で書き終えました。

今作は製作中止になるところだったと聞きましたが?
——多くの資本金がフランスの団体から来ていましたが、プロデユーサーは具体的な予算を出さずに、どんどんコストが積み上がっている状態でした。それでプデューサーは全て放棄しました。夏に撮る予定だったということや私の妊娠が発覚したなど、たくさんのことが重なり本当に最悪なタイミングでした。もう終わりかと思いました。そこで声をかけていたCharles Gillibert(『わたしはロランス』や『EDEN』のプロデューサー)が自分の会社を立ち上げることになって、最終的にそこでプロデュースしてもらえることになりました。

なぜこの作品はファンタジーのような雰囲気で撮ることに決めたのですか?
——現代の映画界における、自然で実話に基づいたというものから少しでも離れようとしました。特に取り扱っているテーマが重く、現実と強く結びついていて、主人公たちの体験はものすごくリアルなものであったからこそ、そこに彼女たちを閉じ込めておきたくないと思いました。それに加えて、彼女たちをヒロインとして描きたかったというのも大きく影響しています。(*4)

この作品は喜びと悲しみの極地を行き来していますが、この描写はトルコという国のどのような部分を捉えようとしたのでしょうか?
——トルコはとても矛盾した国です。1920年代から女性の参政権もありますし、法は女性を守ってきました。しかし同時にとても強い家父長制社会で、特に2002年からの政権はとても保守的で、時代と逆の方向へ走っているのは事実です。女性の行動全てがすぐに性別化されるという視点に疑問を抱いていてそれをこの作品に反映したいと思いました。(*3)

文化や人種を超え、ひとりの女性としてこの作品と対峙し続けた監督はこれからもフェミニズム的な活動の啓蒙に努めていきたいと言う。今回の注目を機に以前制作できなかったロサンゼルス暴動についての作品も完成させる予定だ。女性の圧倒的パワーを見せつける今作品はしばしば女性の少なさを巡って議論がなされる映画業界において新しい一歩となることだろう。

*1 http://www.imdb.com/title/tt3966404/?ref_=ttfc_fc_tt

*2 http://www.vogue.com/13370785/mustang-deniz-gamze-erguven-interview/

*3 http://hereandnow.wbur.org/2016/01/11/french-turkish-film-mustang

*4 http://www.filmcomment.com/blog/cannes-interview-deniz-gamze-ergueven/

mugiho
大学さようなら、南極に近い国で料理を学び始めた二十歳です。日々好奇心を糧に生きている。映画・読むこと書くこと・音楽と共に在り続けること、それは自由のある世界だと思います。


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