折からの新型コロナウイルス感染症の流行により、全国の映画館が休業している。これに伴い、ツァイ・ミンリャンの映画『あなたの顔』(2018)もまた、日本での公開が待たれる作品のひとつとなってしまっている。そんな中、今年のベルリン国際映画祭に出品され、公開を控えている同監督による2020年の新作『日子 Days』が4月、中国の複数のウェブサイトに流出する事件があった。足掛け6年を費やして制作されたこの新作の流出にあたり、ツァイは中国のSNSサイトに自らの心境を投稿。一週間の間に5回にわたって投稿されたこのメッセージの言葉と内容の選び方、そしてくどく感じられるほど同じことを何度も訴えるその姿勢には、日を追うごとに高まっていく監督の当惑ぶりが滲んでいる。(追記:2020年7月の台北電影節で、ツァイは本件についてその後の進展状況を公表している)

ツァイ監督のメッセージが投稿されたSNSサイト豆瓣(ドウバン)は、映画・音楽・書籍についての話題にスポットを当てたSNSとして中国最大の規模を誇り、中国人監督たちも新作公開時などのタイミングで自らのコメントを投稿することがある。このサイトは、今回サンプルのダウンロードリンクが貼られたプラットフォームのひとつでもあり、ツァイがメッセージを投稿したのは、ファンたちが映画作品別にコメントを投稿するセクションだった。

 

『日子』はツァイによる通算11作目の長編映画となるが、中国ではツァイの全作品がこれまで劇場公開されていない。そのため国際的に評価の高い彼の映画を見るには流出版や海賊版に頼る他なく、「もしも海賊版がなければ、ツァイ・ミンリャン、あなたの名前を知る中国人はいなかっただろう」とコメントする者までいる。豆瓣のコメントセクションでは今回の『日子』流出に際しても、その鑑賞を「仕方ない」と見る向きが多少ながら存在し、その是非が一部で議論の対象になっている。[1][2][8]

 

 

メッセージ全文

 

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日子 [4月7日投稿]

 

今日、私は非常にがっかりし、失望しました。とは言っても、非常に怒っているというわけではありません。こんな事はよく起こる事だからです。ただあまり頻繁に起こると私はそれを訝しく思い、当惑し、人間のもつ性質一般に対し悪寒を禁じえません。

 

ベルリン国際映画祭に出品した映画『日子』に興味を示したメディアや企業のため、先日、私の制作会社は映画のサンプル(スクリーナー)を各方面に送りました。これは先方の著作権意識を信頼して行ったことでしたが、誰かがこのサンプルを流出させてしまいました。私はこれにとてもとても驚いています。こんなことをされて、どうすれば他人を信頼できるでしょうか。何を信じれば良いのでしょうか。この行為は私たちの権利、作品、そして心を傷つけたのです。

 

もしあなたが私の映画ファンなら、どうかこのような手段に頼って『日子』を見るのはやめて下さい。そしてどうかこの流出データの拡散を防ぎ、流出させた者を探すのを手伝って下さい。もしかすると、流出させた者が特定される時は永遠に来ないかもしれませんが、天は人々の行いを見ていると私は深く信じています。

 

ツァイ・ミンリャン

 

 

無常

 

モラルが無く、恥を知らない者のために傷ついたり、私欲を満たすのに夢中で物事の良し悪しを理解しない者のために怒るのは空しい。ここ2日、流出事件について考えたくなかったので、家で絵を描いていました。

 

古びたソファーを静かに見つめ、ゆっくりと、そして一心にこの椅子がもつ最後の輝きを描き取るのは、画家ではない私にとって難しいことでしたが、心を静めるのには役立ちました。

ひと月前、ベルリンに出発する前日の夕方に、私の漢方医が台北郊外にある私の住む山まで訪ねて来てくれました。彼は私が長距離の飛行を恐がるのを知っていたのです。「フライト用の餞別として無常という言葉をあなたに贈ります。人生は無常なもの。あなたの命を仏にお預けなさい。」という彼の言葉に、奇妙なことですが、意外にも私は落ち着くことができたのです。

 

『日子』のサンプル流出も一種の「無常」の現れです。メディアの責任者からの電話に応対していたとき、怒りに満ちていた私は何故かサンプルを流出させた悪党への罵り言葉を口にしていました。「今後の人生で、お前は私から隠れる事ができたとしても、自分自身から隠れる事はできないぞ。」こう口にして電話を切ると、何故か心が落ち着きました。そして私は自分の部屋に戻り、この古い椅子の絵を描き始めたのです。

 

もしかすると、サンプルを流出させたのは、犯罪のプロではなく、人や作品を傷つけることを意図した映画ファンかもしれない。この輩は、どんなに時代が進歩しても、悪行をやめず、人の痛みに無頓着に生き続けるのでしょう。

 

私はと言えば、こうした人々を静かに観察するだけ。人生は結局無常なもの。恐れるものは何もない。

 

ツァイ・ミンリャン 2020年4月10日

(投稿文より転載)

 

ミャオミャオが誰なのかを知りたい

 

4月6日、未公開の『日子』を見たいという豆瓣ユーザーの求めに応じて、ミャオミャオというネームの人物がダウンロードリンクを公開しました。内容は正真正銘、流出した『日子』のサンプルでした。この業務上の機密情報が何故ミャオミャオの手中にあるのでしょうか。そしてどのような権利で彼はこれを拡散させたのでしょうか。私たちは既に当時のスクリーンショットを証拠として保存してあります。ミャオミャオのようなことをする人は少なくありませんが、私たちは発見した全ての事柄をひとつひとつ保存し、法の求めに応じて提出可能にしてあります。

 

投稿時間を見る限り、ミャオミャオはこのサンプルの流出元ではないでしょう。ただ、彼は『日子』を最初に不法アップロードした人物であり、彼が『日子』を流出させた人間の後を引き継ぎ、この映画を殺すための最後のひと突きを加えた人間であることは明らかです。悪人に加担するこうした人々は世界の至る所にいます。彼らは人々の血と汗と生命を餌に、他人の不幸を好む冷酷な群衆をおびき寄せ、狂乱を演じてはそれを楽しむのです。

 

私はミャオミャオが誰なのかが知りたい。男なのか女なのか。見た目は良いのか。身体は五体満足か。高等教育を受けているのか。こうした事柄をすべて知りたいと思います。

 

ミャオミャオ、知っていますか?『日子』のサンプルを流出させるため、あなたが軽い気持ちでマウスをクリックしたそのとき、あなたは法を犯していたのです。それとも、あなたはそれがいけない事だと知っての上で行ったのですか?あなたの世界には法というものがないのですか?物事の善悪は存在しないのですか?

 

私はミャオミャオが誰なのか知りたい。どのような人間なのか。私とどう違う人間なのか。八面六腑の超人のような人間なのか、どうなのか。

 

ミャオミャオ、あなたは今まで何かを無くした事はありますか?物を盗まれたり、不当に奪われたり、他人に蹂躙された気持ちになった事はありますか?もし道でお金を拾ったら、あなたは警察に届けますか?落とした人を気にかけ、その場で持ち主が探しに来るのを待ちますか?あるいは気にせず立ち去りますか?

 

ミャオミャオ、すぐに連絡を下さい。

 

ツァイ・ミンリャン 2020年4月11日

ミャオミャオによるダウンロードリンクの投稿(豆瓣、投稿文より転載)

ダウンロードリンクの投稿(百度、投稿文より転載)

 

ミャオミャオへの再度の質問

 

チャップリンが亡くなって今年で43年目。私は『日子』の中で『ライムライト』の「テリーのテーマ」を流すため、アメリカの著作権管理会社を探し出しました。ある場面でオルゴールから流すだけに過ぎないのですが、この会社は値引きせず、高値を付けて来ました。幸いな事に台湾公共テレビが費用の一部を補ってくれたため、私は購入することができました。私はチャップリンが好きで、この音楽も好きなので、高値でも折れずに版権を取得したのです。

 

『日子』の撮影は、お金と時間ができた時に少しずつ撮影するという状況が4年続きました。制作チームは絶対に5人を越えることが無く、一定量撮り溜めては編集し、面白くなったと感じたら外部に支援を請い、さらに撮影と編集を行いました。制作後期は少し作業ピッチを速めた上で、ひとつの作品として完成させました。

 

私の作る映画は現在に至り、既に商品としての性質をもたず、制作にあたっては市場調査も行われず、上映スケジュールの期間も自由に動かすことができ、版権売上や収益の予測もしていません。ただ、作品が市場に出たのち、自分が想うような形で人々に受け入れられればそれで良しとしています。

 

ミャオミャオ、私があなたの行為を発見したとき、私の心がどれほど痛んだか想像できますか?それはまるで殺された我が子の首が、さらに切り刻まれていくのを見るようでした。ネット上で人々は口を揃えてあなたを弁護します。ミャオミャオはただの普通の人、彼は特定の個人ではなく、熱烈な映画ファンたちの分身なのだ。ツァイ監督、あなたは器が小さすぎる。ミャオミャオのような人々がいなければ、我々観衆も存在せず、あなたの映画も何ら価値の無いものになる。

 

あなたたち「普通の人々」は、良心の呵責を感じること無くこのような違法行為をやってのけた上で、人の道をわきまえない者とは誰かを説き、さらにはツァイ・ミンリャンとは何者なのかまで私に語ろうとする。そんなあなたたちのやる事は、私の知った事ではありません。しかし私のものを盗むのはやめなさい。私は「器が小さい」。なぜなら、物を盗られたのはあなたではないから。もういちど言います。物を盗られたのはあなたではない。殺されたのは、蹂躙されたのはあなたの子供ミャオミャオではない。残された時間は少ない。私のウェイボー(SNS)アカウントか、プロデューサーの王氏へ至急連絡するように。あなたの自重を望みます。

 

ツァイ・ミンリャン 2020年4月12日

 

 

ミャオミャオはひとりではない

 

ミャオミャオは、まるでダチョウのように頭を砂にうずめて、自分の顔を公開していないようです。ある人々は私にこう訴えます。「手間をかけてミャオミャオを探すのはよせ。彼は我々豆瓣ユーザーと同じ、ただの普通の人間だ。彼の犯す過ちも良くある類いのもの。別に大したことでは無い。」さらに「ミャオミャオは我々自身だ。彼を捕まえてみろ。映画の物語と同じように、人々は善玉のミャオミャオを悪玉ツァイ・ミンリャンの魔の手から護るぞ。」とまで言う人もいます。

 

仮に「ワンワン」というユーザーが、私の未公開映画を豆瓣か百度(中国の検索サイト)で拡散し、運悪く捕まった場合、私は彼に顔を公開させ、少なくとも謝罪させようとするでしょう。しかし、また一部の人々は私を取り囲んでこう言うのです。「ワンワンを探すな。彼は我々と同じただの普通の人間に過ぎない。ワンワンは我々自身だ。」

 

また、私にこう警告する人もいます。「ミャオミャオを名指しするな。ワンワンがいたとしても同じだ。リンクの削除要請を出してそれで終わりにすべきだ。さもなくば、お前は多くの人たちの恨みを買い、ファンを失うぞ。」私はこの意見に反対します。たったひとつの違法リンクは多数の派生リンクを生み、削除し切ることは永遠に不可能です。サンプル表記の付いた未公開映画がこのようにネット上で台無しにされてしまった以上、私は流出元と実行犯を探し出し、少なくとも私の損害の大きさを理解させ、犯した罪に対する法的責任を負うべきだと伝えます。

 

解らないのですが、悪人を探すのにどうして誰かの恨みを買うというのでしょう?しかし、ミャオミャオは大勢で、全員が「ミャオミャオ」という名前だということだけは、ようやく理解できました。

 

寝る前にスタッフがある豆瓣ユーザー[※]のコメントをシェアしてくれたのですが、私はこのコメントの理解に苦しみ、2度も注意深く読んで理解した後は、心の底から悲しくなりました。私はこのユーザーに次のように返信します。『日子』がこれまでに被った損失は、私を非常に傷つけ、打ちのめし、ほとんど完全に失望させました。もう二度と映画を撮りたくありません。もしあなたが本当に私の作品を好きなら、きっと私を尊重し流出版を見ないはずです。

 

どうか辛抱強く待って下さい。待ち続けて、ようやくある日どこかの映画館で『日子』を見る。それで初めて本当に見たと言えます。私の映画ファンは卑劣漢ではない。これを覚えておいて下さい。許しを求めてくれて有難う。私はあなたを許します。

 

ツァイ・ミンリャン 2020年4月14日

犯人への非難と協力を求める声明(ツァイと制作会社の連名、投稿文より転載)

[※黒夢騎士というネームこの豆瓣ユーザーは、流出版を見た人々の立場を弁護するコメントを投稿していた。しかし映画を見たことに罪の意識を感じたという彼女は現在、既にファイルを削除したとして、ツァイに謝罪している。]

 

 

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(投稿メッセージは以上)

 

 

海賊版配信サイトを閉鎖に追い込んだ過去

 

中国のネチズンたちに懸命に語りかけるこれらのメッセージからは、公開を予定していた映画の流出という事件に見舞われたツァイ監督の動揺ぶりがストレートに記されている。だが彼が中国で横行する違法ダウンロードに対し強い姿勢で抗議するのは今回が初めてではない。2015年に、中国のネット掲示板で自作映画の海賊版についての情報が拡散されているのに気付いたツァイは、「盗人への読経」として一連の檄文を数日間SNSサイト、ウェイボーへ投稿している。これによりツァイが非難していたサイトは、ネット上の非難に押される形で謝罪、同監督作品の海賊版取り扱いを停止した。そして、そのすぐ1年後には『青春神話』(1992)、『郊遊 ピクニック』(2013)、『西遊』(2014)といった自作を巡って海賊版配信サイト≪藍影網≫と争い、結果サイト側が謝罪文を公表、その後ツァイは当サイトを閉鎖にまで追い込んでいる。

日子

 

流出による被害の重み

 

しかし、多くの中国人映画監督たちは、自国で氾濫する違法ダウンロードに対し、泣き寝入りを余儀なくされているのが現状だ。去年日本でも話題になった中国映画『象は静かに座っている』もネットに海賊版が出回り、中国国内では未だ正式に劇場公開されていない。しかし、他の中華圏の監督たちと異なり、違法ダウンロードに対してこのような徹底抗戦の構えを示すツァイには、自作の収益化をめぐる独自の苦労がある。

 

中国の海賊版ユーザーたちに対し、ほぼ単独で戦いを挑むツァイは、自身の創作面においても独自路線を貫いてきた。人物たちの動きのほとんどない15分弱におよぶ長回しを躊躇なく使用し、物語の構築をも拒否するツァイの映画は、大規模な国際映画祭に出回っている主流アートフィルムに比して、その個性を大きく異にしている。政治性とコマーシャリズムを強める欧州の映画市場を嫌うツァイは、2003年の長編『楽日』以来、自作の映画上映の場を市場の動向に縛られがちな映画館から、自分の作風を柔軟に受け入れてくれる美術館へと徐々に移行させてきた。『郊遊 ピクニック』公開時の「引退宣言」も、「今後の上映はすべて美術館で行う」という意味のツァイの発言をメディアが誤解したものだった。

ベルリン国際映画祭にて(2020年)

だが、市場からの独立の代償は、小さくなかった。現在の上映形式を確立するまでにツァイは、運営資金調達のために独自の試行錯誤を強いられており、その苦労が窺える。その例は数多く全てをここに挙げることは不可能だが、例えば2009年にルーブル美術館からの要請で撮られた『ヴィザージュ』公開時における一連の販売努力がある。まず「若い世代を惹きつけるため」の上映イベントとして、9本のツァイ作品が台湾各地の学校、軍事学校、田舎や離島といった通常の市街上映では手の届かない土地々を巡回。また台湾国内の通常版『ヴィザージュ』DVDを発売せず、かわりにボックスセットの「芸術作品」仕様という形でヒノキ製ケースに入れた10本のDVDを単価100万NTD(約360万円)で発売した。去年5月の『あなたの顔』台湾公開時にも、ツァイは特別チケットを購入した14名のファンたちを自宅に招き、料理好きの監督みずから腕を奮った料理でもてなしている。

廃墟を利用して建てられたツァイの自宅と14名のファンたち

14名のファンたちのために料理するツァイ

さらに、ツァイは日ごろから街で自分のファンに出会った際に、ポケットに用意した自作の上映チケットを取り出しては購入を促したり、時には事前にチケット1万枚を自主販売して何とか2週間分の上映劇場を確保したりと、自作を売るためのアイディアを捻り出しては、地道な努力を重ねている。ちなみに、チケット販売に苦心していた当時、既に国際的に評価が高かったジャ・ジャンク―も、中国市場においてはツァイと同じような努力を強いられていた。このことを伝え聞いたツァイは、非常に驚いた様子でこう漏らしたという。「彼の映画、既に若干商業映画的な要素を取り入れてるのに[そんなに苦労しているのか]!『四川のうた』をパリで見たけど、お客さん多かったよ!?」[3][2][4][9]

ベルリン国際映画祭にて(2020年)

ともあれ、このようにツァイの活動は自身のファンダムへの依存度が高く、観客一人ひとりからの収入が大きく物を言う。公開予定映画のネット流出はそれだけで一大事だが、近年のツァイ映画は言語/字幕の使用が極端に少ないことから、言葉の壁を越えて世界中で拡散され易い。そのため今回の流出は、一本の映画からの収益全体を土台から揺るがす事件になりかねない。

 

「流出は無常の現れ」とするツァイ

 

ところで、近年ツァイがインタビューの中で多用している言葉に「天地不仁」という熟語がある。これは道教の始祖、老子の代表文献『道徳経』から引かれた言葉で、「世界には仁愛などはない。万物をわらの犬として[情け容赦なく]扱う。」という意味をもつ。天地すなわち「世界」とは、そこで生起した事物が愛惜も無くわらの犬のごとく捨てられ、冷たく流転し続ける空間であるとした道家の思想だ。今回流出した『日子』のインタビューでも、ツァイはこの言葉を用いて自らの作品を紹介している。「『日子』は人の生き方について描いた映画です。…感情、情欲、苦悶、解決できる問題、解決できない問題、様々なことが人生には詰まっています。老子のいう天地不仁の広大な世界にあって、小さな小さな存在に過ぎない私たちはどのように生きるのか、それを描いているのです。」SNSサイト豆瓣への投稿の中で、自らを打ちのめした今回の出来事を「無常の現れ」「よくあること」と評し、「静かに観察する」ように務めるツァイの念頭には、世界は元来ものごとが無慈悲に生まれては消えていく場所であるという認識があったのかもしれない。生成変化を続ける無為自然の空虚な世界にあればこそ、こちらもそれと連動し、心を空に保ち、虚として静かな気持ちを守るべきだ。そう老子は次のように説いている。[5][6]

 

「天地には仁愛などはない。万物をわらの犬として扱う。聖人には仁愛などはない。人民をわらの犬として扱う。天と地とのあいだは、ふいごのようなものであろうか。からっぽだが尽き果てることなく、動けば動くほど、ますます万物が生まれてくる。言葉が多いとしばしば行きづまる。虚心なのが一番よい。」[7]

 

[1]+投稿文https://movie.douban.com/subject/34868361/

[2]https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_1531526

[3]https://zhuanlan.zhihu.com/p/128631463

[4]https://cul.qq.com/a/20130906/014549.htm

[5]https://news.mingpao.com/pns/副刊/article/20200419/s00005/1587234993555/什麼人訪問什麼人-蔡明亮的《日子》-愛在病痛蔓延時

[6]https://ent.qq.com/a/20130908/001899.htm

[7]老子『老子』蜂屋邦夫訳, 岩波書店, 2008年

[8]https://movie.douban.com/subject/34868361/discussion/616629250/ 

[9]https://mycte.turnnewsapp.com/movieanime/327280

林 峻

東京都出身。普段は企業で働いています。海外映画作品の基本情報に、自分が面白いと思える+アルファを加えた記事を心がけています。映画関連トピックの効率良い収集方法を思案中。


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