ルイ・デリュック賞は、「映画のゴンクール賞le Goncourt du 7e art」とも呼ばれるフランスの映画賞である。本Webサイトで過去に紹介したクレール・ドゥニ『High Life』ジャン=ポール・シヴェラック『Mes provinciales (A Paris Education)』などがノミネートされた第76回ルイ・デリュック賞は、クリストフ・オノレ『Plaire, aimer et courir vite (Sorry Angel)』(2017)が見事受賞した。オノレ監督にとって11年ぶりにカンヌ国際映画祭のコンペティションに選出された本作は、エイズ危機が起こった1993年を背景に、1990年のフランスを舞台として二人のゲイ男性の恋愛を描いた物語である。

 

ルイ・デリュック賞とは

 ルイ・デリュック賞は、1937年の創設当初から毎年12月の第二木曜日に選出される賞であり、一年間で最も優れた作品に授与される、フランスで最も名誉ある映画賞である。この賞は、モーリス・ペシーとマルセル・イズコヴスキによって設立された。この賞は、フランス初めての映画批評家であり映画監督でもあるルイ・デリュックに敬意を表して名付けられた。デリュックは、雑誌『Le Journal du Ciné-club』や『Cinéa』などの編集を務めながら映画協会を設立し、また複数のシネクラブを創設し、7本の映画を監督した人物である。「シネアストcinéaste」という言葉を発明したのも彼であるという。

 デリュック賞の審査員は20人で構成されており、映画批評家や文化人がメンバーとなっている。審査会は、パリのシャンゼリゼ通りにある料理店「ル・フーケッツle Fouquet’s」で行われている。1937年の第1回にはジャン・ルノワールの『どん底』が受賞している。

クリストフ・オノレ監督とは

 1970年、プルターニュに生まれたクリストフ・オノレは、48歳の作家兼映画監督である。レンヌ第二大学で文学、レンヌ映画学校で映画を学ぶ。1995年、パリに移住したオノレは、処女小説『Tout contre Léo』を発表する。児童文学として10歳の少年を主人公としたこの本は、当時タブー視されていたエイズやホモセクシャルに関するテーマを扱っており、のちに彼自身の手でテレビ映画化されることになる。またこの頃から、カイエ・デュ・シネマなどで批評を書くようになる。

 1998年、彼が28歳のときにカイエ・デュ・シネマ上で発表した「Triste moralité du cinéma français」は、ロベール・ゲディギャンの『マルセイユの恋』や、アンヌ・フォンテーヌの 『ドライ・クリーニング』を批判したことで世間の議論を引き起こすこととなった[1]。

  それから2004年にジョルジュ・バタイユ『わが母』を原作とした長編『ジョルジュ・バタイユ ママン』で劇場映画デビュー。そのほかにも舞台の脚本・演出家としても活躍しており、2013年にはオペラ演出家デビューも果たしている。

  

『Plaire, aimer et courir vite』のあらすじと概要

 『Plaire, aimer et courir vite』は、レンヌに住む20歳の大学生アルチュール(ヴァンサン・ラコスト)と、パリに住む35歳の小説家ジャック(ピエール・ドラドンシャン)とのラブストーリーである。ある夏の日、アルチュールは映画館でジャックに出会う。お互いを好きになりse plaire、愛しあうs’aimer二人。しかしジャックはエイズを発症しており、この二人の愛を全速で駆け抜けるcourir vite必要があることを知っているのだった。

撮影は2017年の6月中旬からブルターニュ地方で行われた。初めの2日間はビニクで、6月14日から7月4日まで20日間はレンヌで撮影され、それからパリとアムステルダムで同様に撮影が行われた。先述のように、本作は今年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出された。日本ではまだ公開されていないが、本国フランスではカンヌのコンペティション同日の5月10日に公開された。

クリストフ・オノレ監督インタビュー

 同じくエイズ危機の時代を描いたロバン・カンピヨ『BPM ビート・パー・ミニット』から一年が経った今、オノレ監督が挑戦したことは何だったのか。彼はParis Match[1]のインタビューでこう答えている。

ロバン・カンピヨが行ったように、この時代を一人称で伝える責任があると思いました。コルテスやトリュフォーを夢見ていた、レンヌの若き映画学生の私が1994年にパリにやってきたとき、同性愛者のあいだでさえ、エイズはほとんど取り組まれていない問題であったことに私はすぐに気がつきました。私たちの愛する多くの人は、このあいだに亡くなり、まだそこで生き残っていた人たちはみな罪悪感を抱いていました。ロバンと私が20年以上ものあいだ取り組んでいるのも、この理由によるのです。成熟化させるには時間が必要でした。そして、受け入れるのにも。映画監督はみな、彼らの未熟さを一日で取り上げます。しかし、20年を語るためには、50歳でなければならないと思うのです。

オノレ監督自身がそうであったように、主役のアルチュールはレンヌの学生という設定になっているが、この映画は自伝的なものなのだろうか?

主役のアルチュールは、自分であると同時に他人なのです。たとえば私は、[かつて私がし住んでいた]レンヌのアパートを見つけることができ、そこで数シーンを撮影しました。しかし、ジャックの中にも私がいるのです。私のように、彼は作家であり父であるのです。これは私的な記録ですが、しかし私はこの物語を大多数の人々と共有したかったのです。これはすでに『Les chansons d’amour』の時に行ったことでした。不思議なことに、より個人的な事柄について語るほど、より適切に観客に伝わるのです。

またオノレ監督は、この映画を『Plaire, aimer et courir vite』と名付けた理由をこう語っている。

私は、マニフェストの形式をとる、エネルギッシュなタイトルにしたいと考えていて、『セックスと嘘とヴィデオテープ』や、『動くな、死ね、甦れ!』などの作品について考えていました。それから、いかがわしい場所で相手を引っ掛けるときのゲイの日常を呼び起こすものにしたかったのです。それはまったく陰鬱さのないエピファニーなのです。そこに行って、好かれたりplaire、愛したりaimer、必要に応じて、追い立てられ暴行されるのを恐れて速く走ったりcourir viteするのです。

 

 

[1]https://www.parismatch.com/Culture/Cinema/Christophe-Honore-Vincent-Lacoste-a-une-seduction-differente-hors-des-codes-gay-1512635

参考URL

https://www.ouest-france.fr/bretagne/rennes-35000/rennes-le-film-plaire-tourne-au-centre-ville-partir-de-mercredi-5058125

https://www.liberation.fr/medias/1998/10/17/un-pave-dans-la-mare-du-cinema-francais-les-cahiers-ont-publie-un-texte-hostile-a-des-cineastes-proc_248476

https://www.cineserie.com/movies/1242508/

https://www.lemonde.fr/festival-de-cannes/article/2018/05/10/cannes-2018-plaire-aimer-et-courir-vite-la-sonate-du-desir-et-de-la-mort_5296892_766360.html

https://www.lemonde.fr/cinema/article/2018/12/12/le-film-plaire-aimer-et-courir-vite-de-christophe-honore-remporte-le-prix-louis-delluc-2018_5396473_3476.html

http://www.allocine.fr/article/fichearticle_gen_carticle=18672477.html

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。


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