その作品内容にとどまらず、私生活も謎が多くミステリアスな存在。それが長らくデヴィッド・リンチのイメージだった。彼が新作を撮るたびに作成されるプレスリリースには、しばしば「モンタナ州ミズーラ出身。イーグル・スカウト(最高位のボーイスカウト)」とのみ彼のプロフィールが記載されていたことでも知られている。そんなリンチが初の自伝「Room to Dream」をRandom Houseから刊行することになった(#01)。2006年に『インランド・エンパイア』をリリースして以来、長編映画の新作は途絶えているものの、昨年の『ツイン・ピークス The Return』やミュージシャンとして新作アルバム(#02)、ギャラリーでの個展、自身が日課にしているという瞑想の教則本(#03)、あるいはTシャツの販売(#04)など、多方面にわたってリンチは活動してきた。しかし、そんな中でもこの自伝本の刊行は極めて意外な展開だと言えるだろう。72歳になったリンチは、ついに自らについて語り始める気分になったのだろうか。

 6月19日にハードカバーと電子書籍、そしてオーディオCDの3つの形で刊行される「Room to Dream」は、およそ600ページに及ぶリンチの自伝であり、これまで彼が監督してきた全ての映画作品や映像作品についての記憶や出来事が語られているという。しかし、その内容はやはり決して一筋縄ではいかない。この書籍は、デヴィッド・リンチとクリスティン・マケナの共著となっているが、交互にそれぞれ一章ずつ執筆し、マケナは様々な事実調査やインタビューなどを通じて明らかになったリンチのバイオグラフィーを詳述していく一方、リンチは同じ時期に関する彼自身の記憶や雑多で気まぐれな印象について書いており、両者はしばしば食い違っているとのことである。因みに、クリスティン・マケナは、LAタイムズなどで知られる映画ジャーナリストであり、1979年以来リンチの親友として数多くのインタビューも行っている。

David Lynch and Laura Dern in a still from Twin Peaks. Photo: Suzanne Tenner/SHOWTIME

 著者たちによってあらかじめ明言されているように、「Room to Dream」は「実際に起きた物事の記録ではあるが、それが何を意味するかという説明ではない」。したがって、そこにはデヴィッド・リンチという唯一無二の個性を持つ希有な映画作家について私たちが抱く好奇心を部分的に満足させる側面と、そしてそれがやはりリンチの創作物であるというミステリアスな手触りと混乱の双方が存在していると言えるのではないだろうか。「The New York Times」の記事(#05)で引用された本文からの幾つかの抜粋は、いわゆるリンチ的な高揚と陶酔を既に十分に私たちに感じさせてくれるものだ。リンチは次のように書く。「ここに峡谷があり、君は向こう側に渡るための橋を建造しなくてはならない。そしてその橋が、これから君が撮影する場面のことだ」。一体、リンチはどのように橋を建造してきたのだろうか。

 例えば、1986年に公開されたリンチの代表作の一本『ブルー・ベルベット』では、狂気と暴力と倒錯の申し子デニス・ホッパーの相棒を演じたディーン・ストックウェルがロイ・オービソンの「イン・ドリームス」を陶然とした様子でリップシンクしながら歌う場面がある(#06)。真っ白なメーキャップを顔面に施し、スモーキング・ジャケットに身を包んだ彼の姿は、その撮影から30年経過して現在においても、いまだ強烈なパワーを私たちに感じさせるものだ。リンチは、このあまりにも強烈な名場面の撮影について、次のように回想している。

「もともと「イン・ドリームス」はデニス(・ホッパー)が歌う予定だったが、ディーン・ストックウェルにそれを置き換えた。そのプロセスはとてもファンタスティックだった。ディーンとデニスは当時親友で、ディーンはデニスが歌の練習をするのを手伝っていた。一緒にリハーサルをしていたんだ。ここにディーンがいて、ここにデニスがいる。そして私たちは音楽をかける。するとディーンは完璧なリップシンクを披露してみせる。デニスは歌の出だしは良いんだが、彼の脳みそはドラッグでこんがり焼き上げられていたので歌詞を覚えておくことができない。だが私が発見したのは、デニスがディーンを見つめる様子があまりにパーフェクトだってことで、だから二人の役割を入れ替えたんだ。この仕事では実に多くの部分が運に左右される。何故あれはあのようになったのか?君はその理由を百万年でも考え続けることができるだろうが、それが実際に目の前で起きるまでは、これで万事上手く行くとは絶対に分からないものなんだよ。」

「そういう訳で、ディーンが歌うべきだと私たちは理解した。デニスが「キャンディ色の道化役者」と言ってカセットを入れると、ディーンは床に落ちていたライトを拾い上げた。美術監督が置いたライトではない。私が置いたライトでもない。誰がそんな場所に置いていたのか全く分からないが、だがディーンはそれが自分のために置かれたものだと考えたんだ。それは作業用のライトだったが、彼が使うマイクロフォンとして、それ以上のものは他に一つとして存在しないだろう。最高だ。私はたちまち恋に落ちた。その場面を撮影していたとき、私たちは死んだ蛇を道路で見つけた。ブラッド・ドゥリフがそれを手に入れた。そしてディーンが「イン・ドリームス」を歌う間、ブラッドは背後のソファーの上に立ってその蛇に夢中になっていた。私には全く結構なことだった。」

 現時点で、残念ながら「STUDIO: DAVID LYNCH」のTシャツは海外発送に対応していないようだが、「Room to Dream」は日本アマゾンからも購入可能である。映画ファンにとって興味の尽きない本書がなるべく早い時期に日本でも翻訳刊行されることを望みたい。

#01

#02
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Big_Dream
#03

#04

David Lynch Launches Clothing Store on Amazon to Sell His Weird and Wonderful T-Shirts


#05

#06

参照:
David Lynch Refuses To Explain ‘Twin Peaks: The Return’: “Ideas Came, And This Is What They Presented”
https://www.washingtonpost.com/entertainment/books/david-lynch-writes-a-memoir–but-reveals-only-more-mysteries/2018/06/13/0f3ccc10-6e61-11e8-bd50-b80389a4e569_story.html?noredirect=on&utm_term=.c6394977c67a

‘Twin Peaks’: David Lynch Explains Where the Idea Behind Part 8’s Iconic Final Shot Came From

大寺眞輔
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。

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