イラク製作の映画が、25年ぶりに劇場公開される。

イラクの映画製作者たちは、地域の観客たちが国内で作られた映画を観るよう促していくつもり。

 

長年にわたる紛争の後、四半世紀ぶりに劇場で上映されるイラク製作の映画をもって、イラクの映画業界が復活しようとしている。『the Journey』(2017)は、一人のイラク人女性が紛争と宗派抗争の暴力の中でもがく様を描いた作品で、今月上旬、首都のバグダッドでプレミア上映が行われた。

この作品は実際にあった出来事を題材にした濃密な心理ドラマである。前大統領のサダム・フセインが絞首刑に処された2006年12月30日に、バグダッドの唯一の駅で自爆を試みたザラという若い女性の姿を映し出した。彼女のためらい、心の中の葛藤を精神的な「旅(the journey)」としてリアルに捉えている。映画は、児童労働や強制結婚などの社会問題にも触れている。また、2011年の撤退以前の、アメリカによるイラクでの蛮行も取り上げられている。2017年9月のトロント国際映画祭において、国際的デビューを果たした。

本作品の監督でありプロデューサーの、モハメド・アルダラジーはアル・ジャジーラ誌に、『the Journey』は、100万人近くの人を殺し、難民や孤児を生みだし、国を蹂躙した戦争に対し冷静な道徳的視点を与えるものだと語った。

「私たちには、各国による不買運動、経済制裁があり、戦争、占領、そして宗派間の抗争があり、結局、ダーイーシュ(ISIL、ISIS、またはイスラム国のアラビア語での呼称)が残りました。」「しかし、私たちはイラク人が再び輝く日をめざして何とかここまでやってきました。それがイラク人として当然の行いであり、今、私たちは限界に挑戦し、前へ前へと進むべき段階に来たと思っています。」

かつてイラクの映画界は中東地域でも一、二を争う繁栄を見せたが、2003年のアメリカによる侵略につづく暴力、混乱、派閥抗争などを受け、映画業界は衰退した。現在まで、バグダッドでは主にハリウッドの大ヒット作やエジプト映画の上映が行われ、人気を集めている。

 

映画評論家のザフィラ・ナジは言う。「長い間、イラク映画界での製作は全くされてこなかったので、誰もがイラクで作られた映画を観ることを夢見ています。」「私たちは映画を観る必要があります。しかしイラクには映画祭がありません。イラク映画を上映する劇場もありません。」

 

この映画には、ダラジー監督の前作『In the Sands of Babylon』(2013)に出演したアミール・ジャバラを除いて、プロの俳優というより新人が多く起用されている。主演女優のザーヒラ・ガンドールにとっても、この『the Journey』がデビュー作である。

 

彼女はAl Monitor誌にこう語った。「この映画を通して伝えたいのは、誰にも他の人の命を奪う権利はないということです。そして、人々の間に見られる様々な違いが、異なる社会や共同体にとって脅威になってはならないということ。それらはむしろ、平和的に共存していくための原動力となるべきなのです。」「私たちはイラク映画を復活させ、国による映画支援の必要性を強調していこうと思っています。映画は、大いに人々の意識に訴えかけることのできる芸術なのです。」

以下、Cineuropa誌が行ったインタビュー                     

ある人を自殺テロの実行に向かわせるような動機に焦点を当てるのは簡単でしたか?それが女性である場合になにか違いはあるのでしょうか?

――思いもよらない行動に出ようとする女性の立場に自分自身を置くこと。これは私と共同脚本家のイザベル・ステッドにとって最も難しい部分でした。なぜ彼女は自爆テロリストになることを選んだのか?それは天罰なのか、あるいは意味のある人生を生きることなのか?イスラームの理想郷を実現するための宗教的な理由なのか?あるいは天国での結婚()のためなのか?それが女性の原動力になるのか?何が女性を家父長制の歩兵にするのか?『the Journey』はこのようなテーマに関する議論を始める機会を作り出したと思います。

 イラク人映画製作者として、私は自分が理解できない問題について十分に探求し、ああいった行動の裏に何があるのか理解する責任を感じました。対話こそが過激な暴力やテロに対する最も効果的な対策だと信じています。

 

この作品は実際の出来事を基につくられているそうですが、そのことについて少し詳しく話していただけますか?

――2008年、前々作である『バビロンの陽光』(2009)を準備していた頃、私は女性の自爆テロリストについての記事を読みました。爆弾が爆発する5分前に、彼女は良心の呵責から、彼女の計画を警官に告白しようと交番に入っていきました。彼らは彼女の服を脱がせ、駅の外の門に彼女を縛り付けました。彼女はたった16歳でした。その画像は私の心をひどくかき乱しました。あんなにも若い少女が何かとても不吉なものに囚われているのです。地球上のあらゆるところで、似たようなことが起きつつありました。2010年3月29日にはモスクワで二人の女性が地下鉄の駅で自爆し、38人の死者と60人を超える負傷者が出ました。私は、このような女性の自爆テロリストたちは地球上の全ての国、特にイラクが直面しうる最も大きな脅威の一つになりうると感じました。

彼女たちは目に見えず、触れることもできません。彼女たちは過激派にとって予期せぬ資源となります。多くがイラクで活動する過激派組織によって略奪され連れて来られ、洗脳されています。誰もが無垢な状態で生まれてきます。では、何が人を変え、あのような過激で大それた行動に向かわせるのでしょうか?

 

イラク出身ということで、あなたも作品に関連するような個人的な経験をされたのでしょうか?

――16歳の時に、より安全な生活のために難民として故郷を離れたのですが、2005年7月7日のロンドン同時爆破事件が起こったときは信じられませんでした。それらの事件の扇動者が私が暮らしていたリーズの近所にいたというのも信じがたいことでした。あの事件は過激主義の脅威にさらされた社会の脆さを明らかにしました。ロンドン同時爆破事件から10年が経ち、今やテロリズムはより大きな問題となっています。イスラム国のような組織がこのイギリスの多文化主義の発展を侵食し続けていて、多くの若い人たちが家や家族を捨て、不吉な道を進んでいます。2015年前半、3人のイギリス人の女生徒が空虚な約束と間違った意思に促され、家を出てイスラム国に加わるためシリアに向かいました。これは2003年のイラク侵攻におけるイギリスの果たした役割の結果なのでしょうか?イラク侵攻の余波を誇張することはできませんが、たしかにそれはイスラム国に彼らの活動を正当化する理由を与え続け、私たちの毎日のニュースは恐ろしい事件やそれに伴う報復であふれているのです。あの侵攻がなかったなら、この作品の主人公、ザラの「旅」はありえただろうかと考えることは間違ってはいないと思います。

ロンドン同時爆破事件(ロンドンどうじばくはじけん、7 July 2005 London bombings)は、2005年7月7日、現地時間午前8時50分頃(サマータイム期間中、UTC+1)イギリスの首都ロンドンにおいて地下鉄の3か所がほぼ同時に、その約1時間後にバスが爆破され、56人が死亡したテロ事件である。(https://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドン同時爆破事件 より)

 

プロデューサーとしては、この作品を完成させるためにどんな課題があったのでしょうか?

――イラクにおける映画製作には根気強く独立した精神が要求されます。物語を築くように、私たちは崩壊してしまった映画産業を新たに建て直していくのです。私たちは何もかもをイラクに輸送しなければなりませんでした。私たちは本物らしさを重視しますので、イラクのアマチュア俳優や親切な一般人、地元のスタッフやロケ地を使うことで、濃密な映画的リアリズムを生みだすことをめざしました。本物らしさを追求するため、実際の自爆犯の女性に対する広範なインタビューを実施しました。私たちはバグダッドの象徴的な中央駅で、創造的かつロジスティックなやり方でロケーションを探しました。私にとっての課題は、この物語をただ一つのロケーションで撮影することであり、それが駅だったのです。

 

 

 

モハメド・アルダラジー監督はTEDにも登壇している。

https://www.youtube.com/watch?v=XHO7srWZ8K4

 

参照

https://www.aljazeera.com/news/2018/03/iraqi-made-film-25-years-cinemas-180324140954253.html

 

https://www.al-monitor.com/pulse/originals/2018/03/iraq-cinemas-movies-journey-daraji.html

 

http://cineuropa.org/it.aspx?t=interview&l=en&did=336170

 

澤島さくら

京都の田舎で生まれ育ち、東京外大でヒンディー語や政治などを学んでいます。なぜヒンディー語にしたのか、日々自分に問い続けています。あらゆる猫と、スパイスの効いたチャイ、旅行、Youtubeなどが好きです。他にもいろいろ好きなものあります。


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