[613]ソダーバーグ監督新作『Unsane』―映画の中の「精神を病む人々」はどう変わってきたか


■はじまりは「クリスマスの贈り物」
昨年公開された『ローガン・ラッキー』で映画制作に復帰を果たしたソダーバーグ監督の最新作『Unsane』が3月23日に全米で封切りを迎えました。英国人女優クレア・フォイ演じる銀行員ソイヤーが強制的に入所させられた精神保健施設で、院内の雑務係の一人が彼女を長年ストーカーしてきた男であることに気がついてしまうというサイコサスペンスです。

全編がiPhoneで撮影されたということで注目される本作ですが、「映画『タンジェリン』を観た妻が“あなた、この映画iPhoneで撮影されているわよ”と驚いて、クリスマスプレゼントにiPhoneを贈ってくれたのがきっかけ」と明かすソダーバーグ監督は、このスタイルでの撮影にはまだ進化の余地があると考えています。目がくらむような映像や画面の歪み、常識を超えた位置からの撮影は、観客を未知の体験へと誘います。

■「偽名問題」の裏側にあるもの
2013年の「引退宣言」以前から、ソダーバーグ監督は従来の、とりわけハリウッドの映画制作システムからの脱却を試みていたように見えます。例えば、彼がしばしば行う、撮影監督や編集者に偽名をあてる行為。ソダーバーグは『トラフィック』で初めて撮影監督を兼務しますが、その際には「ピーター・アンドリュース」という名を使っています。「一本の映画に自分の名前が出てくるのは一度でいい。“俺の映画だ”と言わんばかりにあちこちに名前を出せば、かえって作品の印象は薄くなってしまう」というのがソダーバーグ監督のポリシーです。

偽名を使用することは一般的には何の支障もありませんが、賞レースの季節には頭痛の種になる可能性があり、問題視する向きもあります。『ローガン・ラッキー』の脚本家「レベッカ・ブラント」も偽名と目されている一人です。彼女について聞かれたソダーバーグ監督が「誰々の脚本というレッテルで映画を評価されたくない」と答えていることから、その正体は監督本人とも監督の妻とも噂されています。実在する人物かどうかも含めて謎の存在です。

実は当初、ソダーバーグ監督は『トラフィック』でのクレジットを”Directed and Photographed by Steven Soderbergh”と表記しようと考えていました。この提案を全米監督組合と撮影監督組合は受け入れましたが、脚本家組合が認めませんでした。「エンドロールのクレジットで脚本家と監督の間にほかの名前を表示してはならない」という組合のルールに反するからです。

この偽名問題は依然としてくすぶっているらしく、『Unsane』制作にあたっても、内容は明らかにしないながら、ソダーバーグ監督は「偽名の人物を雇うことについて全米監督組合と何度か話し合いを持った」と述べています。古い慣習めいたものは打ち壊し、何を決めるにしても常識と思われるようなものとはかけ離れた手法をとりたかったという監督にとって、「繊細さも品位も礼儀もない場所」で映画をつくり続けることは、ある種の苦行であったかもしれません。「私はフォースを使って他人の心を操るジェダイのマインドトリックを自分自身に使わねばならなかった」という一言からその心境がうかがえます。「私の撮る映画は、私が典型的に用いるアプローチを反映した美しさを表すものでなければならない」、「自分のアイデアにもとらわれないような15歳の映画監督になること」がソダーバーグ監督の映画づくりにおける信念です。

■恐怖と忌避の時代を経て、共感と受容の時代へ
『Unsane』は「映画の中の『精神ケア施設の人々』の描かれ方が(徐々にではあるけれども)改善されてきている」という点でも評価を受けています。そうしたキャラクターで思い浮かぶ一人といえば、ミロシュ・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』でジャック・ニコルソンが演じたマクマーフィー。映画は当時の入院患者が受けていた治療(筋弛緩剤を使用せず頭部に電気を流す電気痙攣治療)などを正確に描写し、その非人道的なシステムに闘いを挑むマクマーフィーの姿は人々の共感を呼びました。『カッコーの巣の上で』は商業的にも大きな成功を収めましたが、こういったキャラクターが好意的に受け入れられるのは当時ではまれなことでした。母親の遺体に支配され殺人を繰り返す『サイコ』のノーマン・ベイツしかり、『羊たちの沈黙』に出てくる、人の皮膚をはぎ取って集める連続殺人鬼しかり、両作品は傑作ではありますが、「精神を病んだ人々は本質的に暴力的であり、なんとしても接触は避けるべき」という印象を観る者に与えたことは否めません。その後も「精神を病んだ人々」は時に主役として映画の中に登場し続けていますが、病気や障害に対する理解が足りないために、未知の世界を覗きたいという観客の好奇心を満たすだけの過剰なキャラクターがつくられることも少なくありませんでした。

しかし、女優のキャスリーン・ゼタ・ジョーンズさんが「同じ病で苦しむ人を励ますために」双極性障害で治療を受けていることを告白するなど、病気や障害への世間的な認知度は進みつつあり、それを反映する形で映画も進化してきました。その良い例が『世界で一つのプレイブック』です。心の病を抱えた男女二人が恋に落ちるロマンティック・コメディに血塗られた要素は全く出てきません。そうした人々は脇役としても登場し、もはや「遠ざけるべき存在」ではなく、至極当然に「身近にいる普通の人々」として描かれています。『リトル・ミス・サンシャイン』で自殺を図る主人公の叔父や、『レボリューショナリー・ロード』のマイケル・シャノンには「奇抜」というより「自分の周囲にいるかもしれない一人」を感じるでしょう。それが現実だからです。

■ソイヤーは抑圧される女性の象徴
『Unsane』をフェミニスト映画と呼ぶのは誇張が過ぎるかもしれませんが、「女性は信じてもらえずに黙るしかない」という強いメッセージがそこにはあります。同じテーマを扱った映画の『ガス灯』(1944)は、夫から「狂っている」と思い込まされた女性の恐怖を描き、心理的虐待を表す用語「ガスライティング」を生みました。それでもなお、「妄想にとらわれて狂気に走る女性」はひとつのキャラクターとして映画の中に立ち現れ続けてきたのです。いいかげんそんなステロタイプな描写には飽き飽きだ、『ジェーン・エア』ならばむしろ精神を病み屋根裏部屋に幽閉される妻バーサ・メイソンの内面に迫るようなドラマや映画を観てみたいという人にとって『Unsane』は興味深い作品になるに違いありません。

主人公ソーヤにクレア・フォイを起用した理由について、ソダーバーグ監督は「『ザ・クラウン』は観ていなかったが、主演女優賞を受賞したゴールデングローブでのスピーチに一目惚れした」と述べています。面白いのは、その後、『ザ・クラウン』を観たソダーバーグ監督が「誰が見ても彼女はクールだけど、これ(エリザベス女王)は彼女の役じゃない」と感じたということ。ロンドンで実際にクレアに会ったソダーバーグ監督は、彼女の社交好きで、心が広く、親しみの持てる人柄に触れ、「ソイヤーを演じられるのは彼女しかいない」と確信したといいます。「彼女の演じぶりが完璧過ぎて、クレア・フォイが微塵も感じられない。スクリーンの中にいるのは誰でもなく、ソイヤーという女性だった」と監督が絶賛するクレア・フォイの演技にも注目です。

《参照URL》
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/explainer/2007/01/whats_in_a_name.html

https://www.theguardian.com/film/2018/mar/23/unsane-a-history-of-mental-illness-in-film

http://www.latimes.com/entertainment/movies/la-et-mn-unsane-steven-soderbergh-20180322-story.html

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。


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