インド国内外で7つの賞を受賞したドキュメンタリー映画、『機械』(Machines)。サンダンス映画祭にノミネートされ、今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映された。

 

インドの巨大紡績工場での児童労働を含む過酷な労働の風景を巧みなカメラワークによって捉えた映像は、皮肉にも美しい。カメラを向けられ、疲れ切った表情で自らの身の上や日々の思いを短く語る労働者たち。路上で、撮影者たちを取り囲むように集まった彼らの一人が問う。「なぜここに来たんですか?私たちはこうしてあなた方に私たちの抱える問題を伝えています。どうにかしてくださいよ。あなた方も話を聞くだけ聞いて、私たちを放っていってしまうんでしょう。役人たちのように。」

ラーフル・ジャイン監督は5歳の頃、インド・グジャラート州のスーラトという街に祖父が所有していた小さな繊維工場を遊び場にしていた。後に彼がカリフォルニア芸術大学を休学中に、初の監督作品となる映画をつくり始めたとき、彼は自分が工場で感じていたあの魅惑的な音と視覚を捉えたいと考えていた。以下は彼がIndieWireの特別企画編集者、スティーブ・グリーンに語ったものである。

ラーフル・ジャイン監督

 

「私の意識の中には大きなセンサリー・スープ(主に欧米で、水の中に様々なものを浮かべて赤ちゃんに触らせる、知育遊びの一種)があり、私はそれを探っていました。工場のような知覚的に豊かで刺激的な環境に置かれると、映画をつくる者としては、その全てを理解し、捉えなければならないような感覚に陥ります。実際、私もそれを試みました・・・完全な失敗に終わりましたが。」「本当に冷静に、その空間を理解しなければなりません。この空間というのは単に物理的な場所を意味しません。それはある場所とそこにいる人々が組み合わさったものです。」「そうですね、たしかにこの映画をみていると、工場が動いているのを見ているにもかかわらず、あたかも絵画が乾いていくのを見ているかのように感じるでしょう。あらゆる作業は、時間と密接に関連していますが、特に工場での作業は非常に反復的です。その時間の感覚を伝えるために、一般的な映画の10倍ほどの速度に編集する必要がありました。(スローモーションの多用により)時間を重さ、あるいは観客の肩にかかる重力として使おうとしたのです。退屈になっていないといいのですが。」

 

この作品で監督が示したかったのは、子どもの頃から彼を悩ませてきたある単純な問いだった。「インドで、とりわけ政治、社会経済的に上流階級のバックグラウンドで育った私は、あることについて常に興味がありました。みんながワインをこともなく飲み下す一方で、私のグラスにワインをついでくれる人がひと月働いてもこのワイン一瓶の半分ほどの金額しか得られないということです。経済学者なら即座に答えてしまうような簡単な問いです。しかし私は経済学者にはならず、芸術学校に進んだのです。」

 

最終的に出来上がった作品では会話はほとんど映されず、スクリーンに映るのは繊維製品を生産する魅惑的な機械の数々と、それらを助ける人間たちの姿である。しかしそれらは全く異なった見方をすることもできるとジャインは言う。「映画の編集室で、60のカットをつくりました。一つ目のカットは、どのように繊維製品がつくられるかを追った非常に連続的なものになりました。そのように設定するのはとても簡単でしたが、それは完全な失敗でした。まるで深夜2時に放映されるインフォマーシャル(短いドキュメンタリーの形式で放映されるテレビコマーシャル)のような感じがしたのです。最初から、この映画は結末の無いままにしたいと感じていました。なぜなら、私はこの映画がつまりは何なのか、どのようにつくられたのかということについて、いかなる答えをも与えたくはなかったからです。私は問いを投げかけたかったのです。永遠に私を悩ませるであろうあの”単純な”問いを。」

 

 

「多くの工場を訪ねるうちに、私は自分の階級を意識するようになった。13億人いるインド人の一人としてのアイデンティティだ。多くの労働者は口を閉ざし、自分について語ってくれなかった。おそらく私が経営者の側の人間だからだろう。しかし、それでも大部分の労働者は、互いの違いを乗り越えて、自分が工場で働くことになったいきさつを話してくれた。私が幼いころに十代で働き始めた人たちは、今はもう中年になっている。彼らの何人かは、私の名前を覚えていた。私は何度も外国を旅したが、その間もこの労働者たちは外の世界から隔絶され、工場から一歩も出ずに働き続けたのだ。

人口が多く、急成長する経済において、労働組合の不在は多くのことが見過ごされるということを意味する。一握りの人間の利益のために、大多数の人々が軽視される。これは一つの工場の問題ではない。文明の構造的な問題だ。こうした事態が起きることを許しているシステムが存在することを、社会全体で認識しなければならない。」(山形国際ドキュメンタリー映画祭2017 公式カタログ 監督のことばより)

 

 映画が始まると、多くの人が「ここは一体どこなんだろう」と思うだろう。実際にこの工場がどこにあるのか、明らかになるのは映画が始まってから45分ほど経ったあたり。誰かの発した何気ない一言から、ここが西インドのグジャラート州であることが分かる。この国の、経済的「奇跡」の地、インドの「輝ける」砦ともいわれるグジャラート州は、この映画で描かれているような劣悪な労働環境の工場の温床である。そのような工場の労働者には国内の他の地域からの移民が多く、悲惨なまでの貧困を抱えた彼らは想像を絶するような状況に絶えざるをえないのだ。

 

『機械』公式トレイラー

https://youtu.be/Vm0gxjao36E

参照

山形国際ドキュメンタリー映画祭 公式カタログ

https://www.yidff.jp/home.html

http://www.indiewire.com/2017/12/machines-documentary-rahul-jain-interview-1201898134/

https://bombmagazine.org/articles/invisible-labors-rahul-jains-machines/

澤島さくら 京都の田舎で生まれ育ち、東京外大でヒンディー語や政治などを学んでいます。なぜヒンディー語にしたのか、日々自分に問い続けています。あらゆる猫と、スパイスの効いたチャイ、旅行、Youtubeなどが好きです。他にもいろいろ好きなものあります。


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