――『ファーゴ』や『ゾディアック』、『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』といった作品で存在感ある脇役を演じてきた俳優のジョン・キャロル・リンチ初の監督作品は、ことし亡くなったハリー・ディーン・スタントンを主役に据えた等身大の人間ドラマ『ラッキー』。「ハリウッド史上、最も多彩な役柄を演じてきたひとり」と称された俳優のハリー・ディーン・スタントンが最後に演じて見せたのは、ほかの誰でもなく、彼自身でした。スタントン渾身の演技、それを引き出したジョン・キャロル・リンチ監督の手腕、また、彼が敬愛する監督デヴィッド・リンチが俳優として参加するに至った過程とは? 本作で監督デビューを果たしたジョン・キャロル・リンチがすべてを語ります。

■老いて衰えず―ラッキーの魅力はスタントンそのもの

Q:『ラッキー』の撮影が終了した1週間後に90歳を迎えたスタントンは、その14カ月後になくなりました。撮影中の彼の様子はどうだったでしょうか。

A:肉体面でいえば、彼は強靱であると同時にもろい部分がありました。物語の舞台となったカリフォルニア州のピルは砂漠の町です。砂漠は、もろさと強靱さの暗喩でもあり、スタントンが演じるラッキーの生そのものを表しています。スタントンの精神面は完璧でした。ラッキーが出くわす物事や人、エピソードの多くは実際にスタントン自身の人生からヒントを得ています。スタントンは、私が彼にインスピレーションを得て創り出したキャラクターの中の自己である部分とそうでない部分をはっきりと認識しながら演じていました。この物語は、砂漠の町で人生を終えようとしている一人の男に捧げる哀歌であり、その人生を締めくくる花道でもあります。もちろん、私はこれがスタントンの最後の演技だとは考えていませんでした。

Q:ラッキーはヘビースモーカーで、毎朝のヨガとクロスワードパズルを日課とし、テレビのクイズ番組を見るのが好きです。これは実際にスタントン自身のことなのでしょうか。

A:そうです。スタントンはタバコを吸い、ヨガをたしなみ、クイズ番組を見るのが好きです。劇中、ラッキーはクロスワードパズルで解けない単語にぶつかると、時間お構いなしに誰かに電話して聞いていましたよね。あれもまさにスタントンです。スタントンはよくこう言っていました。「今の俺にできるのは、食べてタバコを吸うことだけ」って。

Q:そういえば、独り言のようなあの電話は一体誰にかけていたんでしょうか。

A:実は、あれは映画の中で唯一明らかにされていない謎なんです。設定はちゃんとあるんですよ。でも、明かしてしまうと、映画はつまらなくなってしまうので答えは控えます。

■「何かを信じない」ということもひとつの信仰

Q:あなた自身はカソリック信者ですが、ラッキーは、スタントンと同様、無神論者です。そのあなたから見て、神なき世界で人は何に悩み、何に救いを求めるのだとお考えですか。

A:私は、「神を信じないこと」もひとつの宗教だと考えています。確信を持って何かを信じることは、すなわち信仰なのです。私はそのことを表現しようと思いました。危険は十分承知の上で、それでもあえて何かを選択するという信念のようなものを、です。私の高校の演劇クラスの指導教官、彼はまた司祭でもありましたが(ジョン・キャロル・リンチはイエズス会系の高校出身)、糖尿病を患っていました。彼の病状は足を切断しなければならないほど深刻なものでしたが、彼は人工透析をやめる選択をしました。重度の糖尿病患者にとって、透析は命綱です。実際、彼は透析をやめて5日後に亡くなりましたが、「自分はイエス・キリストの御かいなに抱かれている」と信じていたので、満ち足りた気持ちでフライドチキンを味わい、フランジェリコ(ヘーゼルナッツのリキュール)を堪能したのでした。ラッキーのような無神論者がこのような選択をするのには、テーブルの上に載せる掛け金は相当な額になるでしょうね。

Q:ラッキーは、自分が死に遠くない老人であることを受け入れ、それ相応の生活で満足することを覚えれば、危険な賭けをしなくても済むのではないですか?

A:終身雇用の座を狙う教授たちに関するジョークを思い出しましたよ。細く長く生きながらえることを求める者同士の争いほど醜悪なものはありません。

Q:この映画はある意味で宗教的な寓話なのでしょうか。例えば、ラッキーが毎晩訪れるバーの名前は「イブ」ですよね。「エデンの園」を連想させます。そして、ラッキーは「喫煙」という罪で、その「楽園」を追放されてしまう。

A:はっきりした形ではないにしても、そういった要素は常に脚本の中にありました。最初はばらばらの挿絵のようなものだったそのイメージは、ある段階で大きく進化しました。私は、スタントンの長年の友人で個人秘書を務めているローガン・スパークスとドラゴ・スモニャに、これらの散在する要素を並べて、彼の魂の遍歴のような物語にまとめられないかと相談したのです。彼らはまた、2009年に製作したドキュメンタリー“Char·ac·ter”でスタントンを取り上げており、スタントンのことは熟知していましたからね。

■「カメラを意識せず演じることには違和感を覚える」
Q:アメリカ・カトリック大学でドラマ学科の学生に向けて講義をされるそうですが、彼らにはどんなことを伝えますか。

A:自分が俳優としてどのように映画の企画に参加していくかを中心に話すつもりです。理論的なことよりはむしろもっと具体的に、例えば、カメラなどそこには存在していないかのように演じるのは無意味だということを強調したいと思っています。現場にいる撮影クルーやスタッフをいないものと思い込むような集中の仕方は時間の無駄です。『ガラスの動物園』の舞台に立つときに、私は物語の舞台である1930年代のセントルイスにあるアパートメントにいる自分を想像していますが、それでもなお、劇場の後ろのほうの座席のことも考えて演じていますよ。映画の現場では、なぜカメラが存在しないかのようにふるまうのでしょうか。

A:実際、スタントンはこの作品の中であなたのメソッドに合うように演じましたか?

Q:スタントンはカメラには全く注意を払っていませんでした。でも、彼は常にちゃんとカメラの位置を把握しているのです。彼の場合、あまりに長いことそのように演じてきたから、「カメラの存在を無視しているかのように見えてちゃんと認識している」という意識すらないのかもしれません。

■出会いから16年、運命のダイスが転がった

Q:監督として映画をつくろうと決意してから、作品探しの旅が始まったと思いますが、その第1作目がハリー・ディーン・スタントンとの作品になるだなんて想像できましたか。

A:思いもよらないことでした。私は監督をやろうと決めたとき、監督を志す俳優仲間がたどったのと同じように、まずはテレビ映画を通じてプロセスを学ぶといったオーソドックスな方法を考えていました。その後で映画の素材となるようなものを見つけていけばいいだろうと。私は共同執筆者と数本の脚本を書いていました。どれも商業的な成功を意識し過ぎており、表現がやや過剰なものでした。私たちは新しいアイデアを形にすべく知恵を絞っていましたが、そんなときに思いがけずドラゴ・スモニャからこの作品の提案があったのです。彼とは昔、私が出演した『グッド・ガール(2002)』の制作中に、一緒にショートフィルムを作ったことがありました。その縁で、彼から「ちょっと書いたものがあるから読んでくれないか」と頼まれ、私は妻が町に出かけた週末に読み、彼と会いました。でも、それは16年前のことなんですよ。まさかその14年後に、彼から「例のあの作品を監督してほしい」とあらためて依頼されるだなんて、心底驚きました。こういう奇縁を経てこの作品はできあがっているんです。

A:『ラッキー』はあなたが俳優として出演していてもおかしくないような作品ですよね。

Q:私は最初、この作品に俳優として誘われたのです。脚本を務めたローガンとドラゴは、私にバリー・シャバカ・ヘンリーが演じているダイナーの主人「ジョー」を演じてみないかと聞いてきました。私は喜んで引き受け、4日間ほどで撮影を終えました。納得のいく仕事ができたと思います。ところが、数カ月後に、彼らは私に、「実はきみにこの作品を監督してもらいたいと思っている」と連絡してきたのです。私は当時アトランタにおり、彼らはロスにいましたが、この作品をどのような方向にもっていくかの議論を重ね、私たちは共同してこの映画をつくることを決めました。私が監督する上で、彼らの脚本を実際にどう映像として見せるかについては、変えた部分はあります。でも、ごくわずかです。ハリー・ディーン・スタントンは既に演じる準備ができており、ラッキーの主治医を演じたエド・ベグリー・ジュニアも同様でした。こうして撮影は始まりました。

Q:あなたは以前、目指す監督像としてジム・ジャームッシュ、ジョン・フォード、デヴィッド・リンチの名前を挙げていらっしゃいましたね。今回、デヴィッド・リンチは、「ルーズベルト大統領」という名の亀を親友と称する男を演じていますが、あれはいわゆるリンチ的世界を表しているのでしょうか。

A:この映画の中には、確かに、現実とは言いがたい不思議な何かを受け入れなければならない瞬間があります。でも、それはデヴィッド・リンチが見せる悪夢と計算され尽くしたサウンドデザインに満ちた世界ではなく、むしろ『ストレイト・ストーリー』に近いでしょうね。死の気配を感じつつ覚える感傷的なムードというか。

■俳優としてのデヴィッド・リンチ

Q:デヴィッド・リンチが俳優として出演するに至った経緯を教えてください。あなたが敬愛する監督に俳優として参加してもらうのはどんな気持ちでしたか?

A:私たちは、あの役を演じられる役者を探していました。数人の名前が浮かび、何を決め手にどう選ぶかを考えていました。詳細は覚えていないのですが、スタントンがデヴィッド・リンチはどうだろうかと提案をしてきました。ローガンが「彼はこの役を演じたいと思うかな」と聞くと、スタントンからは「まあ、聞いてみたら?」という返事。誰もがそれはいいアイデアだと思ったし、デヴィッド自身もそのアイデアを気に入ってくれました。デヴィッドの出演がかなったのは、彼のアシスタント、マイケルのおかげです。デヴィッドはちょうど『ツイン・ピークス THE RETURN』の編集作業の最中でしたが、マイケルはスケジュールを調整して、2016年7月4日の週末の2日間を撮影用に確保してくれたのです。

Q:新人監督として、デヴィッド・リンチのような人に指示を出して演じさせるというのはやはり怖いものですか。

A:彼の出演パートが撮影の最初ではなく、終わりのほうだったのは幸いでした。あれは大変に強烈な体験でした。デヴィッドは、本当にただの一俳優として撮影に臨んでくれたのです。その姿勢は私にはとてもありがたいものでした。たとえデヴィッドが私のやり方について何か思うところがあったとしても、彼は言わずに胸にとどめていたでしょうね。彼は完全に俳優デヴィッド・リンチとしてやって来ましたから、私も彼のことを特別視せず、ほかの俳優と同様に扱うことができました。

■すべてはスタントンのために

Q:この『ラッキー』のようなタイプの作品にはあまり出演しないような俳優と一緒に仕事をするというのは、刺激的だったのではないですか。

A:スタントンも含めてね。彼がしたくないことは、そうするように説得しなくてもいいのです。私にとって最も魅力的だったのは、スタントンと仕事ができたことでした。ほかのみんなもそうです。彼と一緒に映画をつくり、彼をたたえたいという気持ちでいっぱいでした。脚本は本当にすばらしいできばえでした。これができの悪い脚本だったり、出演者が私を信頼してくれなかったら、それ以上の別の問題が発生していたでしょうね。幸い、誰もそのようには思っていないようでした。それどころか、みんな心の底から喜んで演じてくれていました。

Q:スタントンのような人物を中心に物語を描くというのはどのような体験でしたか。

A:もし、スタントンが「いや、こんな映画には興味がないね」と言ったら、この作品はもうそれでおしまいでした。彼に断られたからといって、誰かほかの役者を探そうとは思わなかったでしょうし。すべては、スタントンから「よし、やろう」と言ってもらえるかどうかにかかっていました。ある役柄を演じる役者と仕事をするということは、その日その瞬間の積み重ねなのです。たとえ、その過程で、その役柄が実際の彼自身の生活や信条、習慣と全く異なるものであったと分かったとしても。スタントンと私は、ラッキーというキャラクターを創り出さなければならなかったのです。スタントン自身ではなくてね。私たちはそれをやってのけました。

Q:スタントンの演技を見るにつけ、ハリー・ディーン・スタントンという男はもはや私たちのそばにはいないのだということ、そしてこの映画が彼の最後の作品となってしまったことを噛みしめずにはいられません。あなた自身がこの映画で誇れること、また感銘を受けたとしたら、それは何ですか。

A:彼は演じたどのパートでも、非常に印象的で何かを思い起こさせるような力、どこかへ誘うような感覚を発揮していました。私はすっかり彼に魅せられていました。この作品以前に、彼が主役を演じた映画は1本だけです。彼の最後の役柄が、彼にとって俳優人生で2回目の主役であったこと、そしてその演技によって名優として名を残したというのは、監督冥利に尽きることですね。私がこの映画を監督したいと思った理由の一つでもあります。私は、彼のパフォーマンスを目に焼き付けながら撮った映画に、人々がどんな反応を示すのか知りたいと思っていました。素晴らしい経験でした。私は本当に幸せです。89歳のスタントンが役にすべてを注ぎ込む姿、また彼がどれほど自身をさらけだしたか。この年齢で長期間の撮影スケジュールを組むことは危険を伴いますが、スタントンは喜んで膨大な仕事に立ち向かいました。しかもあれだけの高いクオリティで。心を揺さぶられずにはいられません。この映画を観た人は、自分が定年を迎えるころになっても、活力というものが失われることはないのだと知るでしょう。スタントンが見せる演技は、彼が長い俳優人生の中で培ってきたエッセンスなしには成り立ちません。

Q:スタントンがこの作品を観ることなく世を去ってしまったことに痛みを覚えますか。あるいは、彼は間違いなくこの作品を誇りに思っていたと分かればなぐさめになるでしょうか。

A:彼がこの映画を観られないのはつらいことです。彼に観客の反応を見せたかった。でも、それはあくまで私の気持ちです。スタントンは全く気にしていませんでした。彼の世界観では、彼は何ものでもなかったのです。もし、観客が彼に拍手喝采を送らなくても、それは別に大したことじゃないと彼は言うかもしれません。でも、私はそうは思いません。実際、観客がそうしたら、彼はきっとそれを受け入れたでしょうからね。

――人生の最後のときを迎えんとする男の心境を、「どう死ぬか」ではなく「どう生きるか」という側面から描いた『ラッキー』。死へとゆっくり歩む男の足取りは軽やかで、その姿には笑いすら誘われます。これがハリー・ディーン・スタントンという俳優。そのすべてが詰まった映画『ラッキー』は、2018年アップリンクでの公開が予定されています。

《参照・画像使用サイトURL》
*http://collider.com/john-carroll-lynch-lucky-interview/#harry-dean-stanton
*https://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/lucky-director-john-carroll-lynch-on-life-death–and-harry-dean-stanton/2017/10/05/5baae1f0-a90d-11e7-92d1-58c702d2d975_story.html?utm_term=.38a5755d1883
*https://wtop.com/entertainment/2017/09/lucky-director-john-carroll-lynch-talks-harry-dean-stantons-final-role/
*http://ew.com/movies/2017/09/22/harry-dean-stanton-lucky/
*https://pitchfork.com/news/watch-harry-dean-stanton-sing-with-a-mariachi-band-in-new-film-lucky/

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。


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