クリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』は、1940年の第2次世界大戦下で、フランスの海辺から英仏連合軍を救出する様を描いた作品である。これまで、ノーラン監督の『バットマン』3部作、『インセプション』、『インターステラー』で音楽を作曲してきたハンス・ジマーが、今作でも抜擢された。ジマーの音楽は、『ダンケルク』で描かれている撤退作戦の緊張を非常に高めている。
「基本的な秘訣とは、どのように首尾一貫して緊張を高めるのかということです」とジマーは話した。長年、共に映画に関わってきたノーラン監督とジマーは、早期の段階において脚本から取り組み始める。ノーラン監督は息抜きのためにチェロを習っているが、音楽を考慮しながら脚本を書いた。ノーラン監督は、映画の中にシェパード・トーンと呼ばれる音の錯覚によるテクニックを取り入れている。いわゆる、無限音階である。
1967年にベル研究所で、アメリカの認知科学者ロジャー・シェパードが、シェパード・トーンを発見した。シェパード・トーンは、オクターヴによって分離されたいくつかの音で構成されている。その際、オクターヴは、互いの頂点で重ねられている。最も低い音が次第に鳴り始めたとき、高い音が次第に消えていく。低音が完全に入ってきて、最高音部が完全に消えたとき、この連鎖が再びループするのである。人は、常に少なくとも2つの上昇する音を同時に聞くことができるために、脳は騙されて音が上がり続けていると考えてしまうのである。ノーラン監督は、「音が上がり続けているように感じるのです」と話した。しかし、音楽は、実際には高くなり続けてはいないのである。「私がやりたかったこととは、脚本へとシェパード・トーンに相当する構造を生み出すことです」と続けた。

「とても早期の段階から映画に取り組み始め、ジマーへと脚本を見せて、シェパード・トーンと呼ばれる音楽の現象に合わせて脚本を書きました。私は『プレステージ』のスコアで、初めてデヴィッド・ジュリアンと一緒になって取り入れました。スケールが大きくなっていき、高い音を外に発するよりも低い音が内側に入ってくるように演奏することによって生み出される音の錯覚です。正しく行えば、音が(一定の)範囲を超えることなく、上がり続ける錯覚を創り上げることができます。
『ダンケルク』の脚本において、同様のものを取り入れたかったのです。3つのストーリー展開があります。大まかに言って、陸、海、空です。シェパード・トーンの性質に従って、それらを統合しようとしました。映画の方向性の上で、緊張を高め続けるためです。」

過去のノーラン監督の作品において、音楽だけでなく、音響効果にもシェパード・トーンが取り入れられている。ノーラン監督は、「私たちは、(サウンドデザイナーの)リチャード・キングが音響とその効果で行っていることと、音楽でハンスが行っていることの間で、面白くクロスオーバーさせています。それは、以前の作品群で探求してきたことですが、『ダンケルク』ではそれほど前面に押し出してはいません」と述べた。しかし、『ダンケルク』を超えてノーラン監督作の範疇で考慮した場合、シェパード・トーンの響きは、キングとジマーが行ってきたことが交差した結果であるといえる。ノーラン監督の作品で、音響効果を担当してきたキングは、過去に『ダークナイト』におけるバットマンの「バットポッド」の音で、シェパード・トーンを使ったからである。キングは以下のように記している。

「バットポッドは、光沢があり、上品です。高くなり続ける音を作るために、私はシェパード・トーンのアイデアを用いました。基本的なアイデアは、異なるオクターヴの中で知覚できる高さの音(この場合は大きなA/Cエレクトリックモーター)をわずかに重ねていくというものです。キーボードの上で演奏されると、シェパード・トーンよってどんどん速いスピードになっていく錯覚に陥ります。バットポッドは、制止不可能であるかのように感じられるのです。」

ノーラン監督は、ジマーへと脚本を送った際に、自分の持っているねじ巻き式の懐中時計によるひっきりなしの音の録音も渡した。ジマーは、カチカチという時計の音をシンセサイザーの音に変換してもらった。拍は音楽を解き明かすひとつの鍵となる。以下はノーラン監督の言葉である。

「『ダンケルク』の音楽についてジマーと話し合った際に、映画へのリズムの要素を探しているのだと説明しました。映画のための音楽による比喩です。映画を強固なものにし、物語のサスペンスを盛り上げ続けるためであったのです。私は、自分の所有する懐中時計をレコーディングしました。ひっきりなしにカチカチと音を立てていました。その録音をハンスに渡し、テンプレートとしてのその録音から仕事を始めるように頼みました。脚本は、自分にとっていつもの半分ほどの長さです。言葉を通して物語を伝えようとはせず、映像、音、音楽でサスペンスを創り上げようとしていたからです。」

ノーラン監督は、1898年から1899年にかけてエドワード・エルガーによって作曲された『エニグマ変奏曲』の中から、『ニムロッド』を使用した。ノーラン監督は、「私はハンスにこのことを言っていませんでしたが、数年前に自分の父の葬儀でかけた音楽なのです。その音楽は耐えられないくらいに心を揺さぶります」と話した。しかし、一方でノーラン監督は『ダンケルク』の音楽から感情を排すると決めていた。「私は『音楽において一切の感情を必要としない』と言い続けました。ダンケルクの戦いには、感情は重荷であるからです」というノーラン監督の発言からも明らかである。物語を伝える上で、感傷的なものや過度に芝居染みたものを排除する狙いがあったのである。それ故に、『ニムロッド』は音楽の中に感情を込めてしまう危険があった。ノーラン監督はその点について次のように説明をした。

「それは危険なアイデアでした。ハンスに電話をし、『ニムロッドだ』と言いました。彼は悪いアイデアではないと考えてくれて安心しました。それは彼がよく知っていて、とても執着した楽曲だったのです。
映画を注意深く鑑賞すれば、『ニムロッド』は、ほとんどすべて、つまり、すべての音楽のモチーフにおいて、映画全体で様々に形を変えて存在しています。とてもたくさん隠されていて、何度も変化させられながら文脈にあてはめらています。観客の耳に準備をさせているのです。そして、『ニムロッド』であると分かったときにそのテーマを受け入れるのです。
ハンスは、かつて私に、感傷的なものとは労せずして得た感情であると言いました。彼はこのことをリドリー・スコットから習得したのだと思います。筋書きや音楽で、感情が獲得されたと感じることは、物語の最後においてとても大切です。『ニムロッド』は、何も考えずして映画の最後に配置したのではありません。私たちは本当の意味で感情を獲得し、感情を表現する権利を得たかったのです。」

『ダンケルク』の音楽に携わったのは、ハンス・ジマーだけではない。ベンジャミン・ウォルフィッシュとローン・バルフェもチームとして作曲に関わっている。作曲家の3人は、ジマーがノーラン監督とのこれまでの仕事で「最も親密である」と述べる創作の過程について話した。以下は、作曲家の3人と監督のインタビューである。

緊張が緩和される音楽を必要としましたか?

ハンス・ジマー:いいえ、緊張が耐え難ければ、その結果として悲劇を生むと思います。海辺から決して撤退できないかのようにしなければなりませんでした。メソッド演技を行う俳優がいるならば、私はメソッド作曲を行う作曲家であると思います。私は、(ダンケルクの戦いがあった)海辺に行きました。これは常軌を逸しているようですが、私はその近くにいたのです。灰色に曇っていて天気が荒れている日にそこで撮影をしたことを赴いて知りました。私は一握りの砂を拾い上げ、それを瓶の中へと入れて持ってきました。自分の傍に瓶詰めの砂を持っていて良かったです。いつも映画に取り組む際に、苦痛な締め切り、解決できない問題で、ほとんどの時間において私は緊張しているからです。」

ほかに言及する点はありますか?

ジマー:これまで観た戦争映画を忘れることが重要です。この映画は、自分たちが取り組んできたどの映画よりも時間、すなわち迫りくる時間について描いています。

ローン・バルフェ:私は決して戦争映画であると考えてはいませんでした。常にスリラーであると考えていたのです。

クリストファー・ノーラン:私はハンスに感情的な音楽を一切書かないように頼んでいました。彼に言ったこととは、客観性を必要とするということです。その映画を製作するにあたって望んだ方法とは、サスペンス、緊張を描くことであり、感情については決して描かないことです。撮影の間にジマーが送ってきた音楽は、感情的な楽曲ではなく、速度が非常に際立った音楽でした。私たちが、ショットのリズムがどのようになるのかを考えているときに、iPadを通してそれらの楽曲を使うことができました。この映画全体において、本当にリズムが際立っていました。」

独特な楽器編成を使用しましたか?

ジマー:極端に高い音域で演奏された2挺のコントラバスです。才能の極限で常に演奏をしている小さなミュージシャンのグループを持つようにしています。

ベンジャミン・ウォルフィッシュ:不快感を及ぼす14挺のチェロの演奏を取り入れました。常にとても高い音域で演奏しました。

ジマー:私は、音響効果でリチャード・キングが行っていたことと懸命に同期させようとしました。リチャードは、ムーンストーン号(ダンケルクから兵士たちを撤退させる際に使われた民間船)の音を送ってくれました。それは、楽器となったのです。

バルフェ:必ずしもそのことに気づく必要はないのです。つまり、船とモーターの音響効果は、音楽と同じテンポなのです。

ノーラン:いかなる映画でも、音楽、映像、音響効果をできる限り密接に融合させています。そのことで編集はとても難しくなります。このプロセスの多くにおいて、スタジオでハンスとそのチームメンバーが私たちを苦しめます。

ジマー:リチャードが思いついたアイデアを知った上で、自分の音楽をさらに向上させます。そうしなければ、靴箱の中で走り回る2匹のハムスターのようになってしまうからです。発砲や波の衝突の音を響かせるなんてとんでもないことです。だから、異なった観点からアプローチをしなければなりません。ほとんどの音楽で、私は実際に静かに演奏するように頼みました。しかし、一方では強烈にと指示をしました。

あなた方は皆がイギリス人または、イギリスに住んだことがあります。エルガーの『ニムロッド』の重要性について教えて頂けますか?

ジマー:その楽曲は作曲されてからイギリスの文化の一部なのです。国歌とは全くの反対に位置しています。国家への感情的賛歌であるのです。

ウォルフィッシュ:その楽曲には一種の気高さがあります。イギリスの人々はそれを望んでいるのだと思います。

ジマー:強い気高さなのです。誇示でも、英雄的なことでもありません。

ウォルフィッシュ:私たちは、どうやってその楽曲から気高さをすべて削ぎ落として感傷的な部分をなくすのかを考えました。もともとなかったコントラバスの音を後から加えました。そして、その音の速さを6bpm(beats per minute=1分間当たりに刻む拍の数)まで落としました。

ジマー:それらの音を非常に長くすることによって、それら複数の音を演奏するには弓の長さが足りなくなります。そのひとつの音をそれぞれの演奏者に単独で演奏させていく方法を取りました。演奏が始まり、演奏が終わるといった形です。その方法によって、一連の音は美しくなりました。ダンケルクの戦いがあった海辺を見ているようです。多くの人々の顔に囲まれている中で個人が際立っているのです。

ウォルフィッシュ:レコーディングにおいて、そのアイデアを押し進めました。オーケストラではなく、個人であるのです。

ジマー:通常、ひとつの曲において、ひとつの音を演奏している演奏者を際立たせる試みをするということは決してないと思います。ほとんどの曲は、ひとつのコードから次のコードへと演奏を続けていきます。しかし、聴き手にある瞬間を与えることに関して、とても面白味があったのです。

ノーラン:とてもよく、音楽には、映像や台詞でできないことを求めます。ハンスは、そのようなことには囚われません。感情がなければ、音楽に感情だけを込めます。(しかし、)その緊張が緩和されると感じることはありません。つまり、その緊張がある種の獲得された感情に置き換えられることが必要なのです。それがエルガーのテーマを配置しているシーンなのです。音楽が時計のカチカチという最も基本的な形に戻り、その音楽が止まる最後のシーンです。自分にとって非常に活力があると感じます。

ジマー:失礼なことを述べてもよいでしょうか?このスコアは、クリストファー・ノーランのスコアです。この映画は、ひとりの男性の視点から描かれています。エルガー、ハンス・ジマーまたは、ベン・ウォルフィッシュであるかどうかは重要ではありません。自分の手の上にクリスの手を感じない部分で、自分の手を動かし、音符に手を伸ばします。これは、これまでで最も親密な監督とのコラボレーションでした。彼がまったく演奏をしていなくても、彼は何らかの形でスコアの中にあるすべての音を演奏したのです。

バルフェ:すべての音響効果も、すべての音楽もです。彼がそれらを監督したのです。

参考URL:

https://www.theatlantic.com/technology/archive/2014/01/the-illusion-that-makes-it-sound-like-a-pitch-is-constantly-rising/283417/

http://articles.latimes.com/2009/feb/04/news/en-lightsknight4

http://www.classicfm.com/composers/zimmer/music/christopher-nolan-interview/

http://www.businessinsider.com/dunkirk-music-christopher-nolan-hans-zimmer-2017-7

https://www.nytimes.com/2017/07/26/movies/the-secrets-of-the-dunkirk-score-christopher-nolan.html

https://www.vox.com/videos/2017/7/26/16033868/dunkirk-soundtrack-shepard-tone

http://www.cbsnews.com/news/hans-zimmer-composer-movie-score-dunkirk/

http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/news/the-shepard-tone-dunkirk-hans-zimmer-video-scale-score-soundtrack-christopher-nolan-inception-a7862211.html

宍戸明彦
World News部門担当。IndieKyoto暫定支部長。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程(前期課程)。現在、京都から映画を広げるべく、IndieKyoto暫定支部長として活動中。日々、映画音楽を聴きつつ、作品へ思いを寄せる。


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