リドリー・スコット監督の新作『エイリアン: コヴェナント』は、シリーズ第6作目である。『エイリアン』シリーズの音楽を担当した作曲家は、毎回変更され、作品の製作順に、ジェリー・ゴールドスミス、ジェームズ・ホーナー、エリオット・ゴールデンサール、ジョン・フリッゼル、マルク・ストライテンフェルト、ジェド・カーゼルとなっている。
1979年の『エイリアン』で、ゴールドスミスの浮遊し、時計が時を刻むようなリズムの音楽は、すぐさま不気味な雰囲気を想起させる。続く1986年の『エイリアン2』で、ホーナーのスネアドラムやアンヴィルが鳴り響く戦闘シーンの音楽は、本編のみならず、他の予告編の音楽に使用されている。作品ごとに作曲家それぞれのトーンが存在するが、これら正式なシリーズの音楽に共通しているのは、閉塞空間、恐怖、奇妙な感覚、宇宙の美しさを表現していることである。監督と作曲家が入れ替わるシリーズは、ゴールドスミスとリドリー・スコット監督から始まることとなる。そして、最新作の『エイリアン: コヴェナント』では、オーストラリア出身のジェド・カーゼルとスコット監督が組んでいる。スコット監督は、音楽とは「直感」であると表現する。
「すべての芸術に対して思うのは、音楽とは、最も抽象的であるということです。数字から離れて、つまり、計算をする、計算されるべきであるということではないのです。音楽とは、単純には計算ができないのです。直感なのです。素晴らしい煙と鏡なのです。」
リドリー・スコット監督にによる音楽への「直感的な」組み合わせのアプローチは、TVコマーシャルを製作していた初期の経歴において培われた。それゆえに、スコット監督は11人もの作曲家と仕事をしているが、そこには映画を象徴するスコアがある。『エイリアン』は、スコット監督にとって2作目となる長編映画であったが、1976年の『オーメン』でオスカーを獲得し、1979年の『スタートレック』でその映画を特徴付けるテーマ音楽を創り上げたゴールドスミスが音楽を担当することとなった。ゴールドスミスには、その仕事を始めた際に、すでにアイデアが浮かんでいた。ゴールドスミスは後に以下のように振り返っている。
「私はひとりで映写室に座っていましたが、本当に怖かったです。『これは映画に過ぎないのだ、これは映画に過ぎないのだ』と言い続けました。しかし、その映画は、とてつもなく怖かったのです。」
スコットと編集者のテリー・ローリングス(『エイリアン3』も手掛けている)は、映画に「テンプトラック」を用いた。ハワード・ハンソンの交響曲第2番、過去のゴールドスミスのスコア(1962年のジョン・ヒューストン監督の『フロイド/隠された欲望』)からの楽曲である。テンプトラックは、一般的によく用いられる行程であるが、同時に多くの作曲家の悩みの種でもある。既存の音楽をコピーすることを求められるが、そのままコピーすることではないからである。ゴールドスミスもまた、自分の考え方に拘りを持っていたため、テンプトラックを完全に無視し、自分のやり方でスコアを書いた。壮大さの中で、宇宙を表現するソロのトランペットのロマンティックな旋律が鳴り響く。地球外生命体への新たな音楽言語を生み出したのである。ディジュリドゥ、貝殻でできたコンチ、サーペント、テープをループさせるエコープレックスが使われている。ゴールドスミスは、すでに1970年の『パットン大戦車軍団』で、トランペットの音を反響させるためにエコープレックスを用いていた。また弓の毛ではなく棒の部分で叩くコル・レーニョという弦楽器の奏法などが取り入れられている。2003年のドキュメンタリーThe beast Within: The Making of Alienで、ゴールドスミスは、次のように述べている。
「私は、いつも宇宙を壮大な未知の世界と考えています。恐怖だけでなく、探求が存在しています。…そこにはロマンスの雰囲気があります。…自分は、とてもロマンティックに、とても叙情的に、『エイリアン』のオープニングで音楽が鳴り響くと思ったのです。物語が進むにつれて、衝撃を感じるようにさせます。…メインタイトルにおいては衝撃を与えていないのです。」
ゴールドスミスは、1979年の2月にスコアを録音した。しかし、スコット監督が映像に合わせてその音楽を聴いた際に、彼によってロマンティックであるとことが不適切であるとされたメインタイトルを含む主要な5曲をゴールドスミスに書き直すように頼んだ。ゴールドスミスは編集し、さらにミニマルや不気味さを強調した別バージョンを書いた。だが、ゴールドスミスが最終版の映画を観ると、スコット監督とローリングスは、ずさんに彼のスコアを扱っていた。スコット監督とローリングスは、自分たちが望む音楽をつなぎ合わせ、配置していたのである。テンプトラックで使われていた『フロイド/隠された欲望』の楽曲と共に、終盤とエンドクレジットのためにハンソンの交響曲も残されていた。ゴールドスミスは、不満ながらも、6年後に再びスコット監督と『レジェンド/光と闇の伝説』で組むこととなる。しかし、結局タンジェリン・ドリームが代わりのスコアを書くこととなってしまった。1985年にゴールドスミスは以下のように述べている。
「『エイリアン』に取り組んだことは、この職業を始めてから、最も酷い経験のひとつでした。個人的に、試練のときであったのです。彼は『何の問題があるのだ?』と言ったのです。私は『リドリー、君はコミュニケーションを取ることができていないよ。私はその映画に4ヶ月間取り組み、君には3回話した。レコーディングの間、君は私に何も言わなかった。私はフィードバックが必要なんだ』と言いました。だから、『レジェンド/光と闇の伝説』では綿密なコミュニケーションを取りましたが、そのスコアは消えてなくなりました。」
管理体制は、20世紀フォックスに移り、7年後に、当時まだ若かったジェームズ・キャメロン監督が『エイリアン2』のオファーを受け取った。キャメロン監督は、『ターミネーター』で成功を収めたばかりであった。続編では、ジェームズ・ホーナーを含む新たな製作スタッフたちが招聘された。そこでは、1作目とは別の理由からコミュニケーションの欠落が生じ、さらに作曲の時間が充分には用意されていなかった。ホーナーは、スコアを書くために6週間しかロンドンへと行かなかったが、スコアを書くための素材が何もなかった。キャメロン監督はまだ、撮影と編集を行っていたからである。「それは悪夢でした」とホーナーは話した。ホーナーは、重要な最後のシーンを含む全体のスコアを書く前に、レコーディングを始めた。1980年代後半の予告編からよく知られるようになる全力が注ぎ込まれた楽曲は、夜通しで書き上げられた。ホーナーがスコアリングステージでオーケストラを持った時点で、初めてキャメロン監督は音楽を聴いた。そして、すぐさまその音楽は誤った方向性であると感じたが、余りに遅すぎた。公開日は決定し、ホーナーはすぐに書き上げ、ジャン=ジャック・アノー監督の『薔薇の名前』のスコアを書かなければならなかったのである。キャメロン監督は、そのままの素材の状態で音楽を使い、キャメロン監督が最も機能すると思う場所に音楽を分割し、配置した。キャメロン監督は2016年に次のように述べている。
「それは私にとって初めてのオーケストラスコアでした。何を意図しているのかがまったく分からなかったのです。ジェームズは素晴らしい音楽を書き上げました。大丈夫だと思いました。素晴らしい音楽を得たと思ったのです。私はジェームズがどのようなプロセスを踏んでいるのかが分かりませんでした。ジェームズは私のプロセスを知りませんでした。つまり、私にはプロセスがなかったのです。『ターミネーター』において、私はブラッド・フィーデルによって完成させられたシンセサイザーの楽曲を聴き、コメントをし、彼は変更をしました。それは、とてもシンプルでした。とても柔軟でお互いに作用していました。オーケストラを使うだけで、これは同じことなのだと思ったのです。(しかし、)まったくそのようなことはありませんでした。ジェームズは楽譜の山を持って仕事に就き、オーケストレーターは、何週間もそれに取り組んでいました。ジェームズは進んで責務を負っているのだと思いましたが、数年後、当時少しばかり過密なスケジュールであったためだと分かったのです。私は、自分が余り映画に合っていないと感じる音楽の束と共に、そこに立っていました。」
以下はさらなるキャメロン監督の言葉である。
「私はその音楽が大好きです。ただ、それは余りシーンを支えてはいないと感じたのです。だから、私は音楽編集者のもとへ行き、少しばかりそれを変えたのです。ジェームズは、私たちが配置を変えたことに動揺していたと思います。そのプロセスの一部に立ち会えなかったので、彼はそのことで傷つけられたと思います。彼は、その音楽でアカデミー賞にノミネートされました。その音楽が素晴らしかったからです。申し分なく、非常に優れた映画音楽です。だから、一方で、私はそれは勝利であると思います。一方で、私たちの双方は、そのプロセスで本当に不幸であったのです。」
エリオット・ゴールデンサールは、前任者たちのような苦悩に直面することはなかった。ゴールデンサールは、『エイリアン3』で監督デビューを果たしたデヴィッド・フィンチャーと組むこととなった。「彼は本当に本当に素晴らしく、本当に協力的でした。彼は基本的に『私は君が自分のしていることを理解しているから君を雇ったんだ』と言ってくれていました」と、ゴールデンサールは同映画でのフィンチャー監督について述べた。ゴールデンサールは、スコアを書くのに7ヶ月という充分な期間を持つことができた。パインウッド・スタジオのセットを訪れ、フィンチャー監督と定期的な話し合いをした。フィンチャー監督は、リプリーとエイリアンにとって暗い作品にすることを明確に決めていた。それゆえに、ゴールデンサールは、悲しみと絶望の濃い霧のような音楽を作り上げた。少年が“Agnus Dei”(「神の子羊」)の言葉を歌い上げる曲で幕を開ける。
「希望がないのであれば、とても屈従的に感じます。食べられてしまう子羊や鹿のような動物であるように感じます。とてもとても弱いのです。その感覚を表現する小さな男の子を招き入れたかったのです。」
悲しみが絶望の追跡へと変化したとき、ゴールデンサールは、ミュージック・コンクレート、アヴァンギャルドのテクニックを使った。ゴールデンサールが、1970年代から発展させてきた金管楽器の演奏技術(ハーフ・ヴァルヴ、ダブル・タンギング、トリプル・タンギング、様々なミュートの使用)を含んでいた。不安定な手法でのホルンの大きな音、唸ったような音を作り上げた。ゴールデンサールはまた、エイリアンの爪の音を真似て、ハサミの音をサンプリングした。最終シーンのスコアは、電子音楽、サンプリングした音、大規模なオーケストラの演奏を合わせて作り上げられている。リプリーが自分に寄生したエイリアンを滅ぼすために自分を犠牲にする際の壮大なレクイエムにおいて、クライマックスを迎えるのである。
フィンチャー監督は、製作期間の強烈なストレスを乗り越えていたが、そのことはゴールデンサールには影響がなかった。しかし、ポストプロダクションの最終段階で、ロサンゼルスの暴動が近くで生じ、フィンチャー監督が編集室を捨て去る事件が起こった。そして、1作目の編集者でもあったテリー・ローリングスが音楽を合わせることを任された。結局、スタジオは、30分の尺をカットさせたのである。以下は、ゴールデンサールの言葉である。
「映画はどんどん短くなっていきました。それは困難なことだったのです。特にとても小さなジェスチャーへと作曲をするのであれば、眼において何かを注視するはずです。突然、別の場所を注視して作曲をするのであれば、そのことで歪で危ない計画が打ち立てられます。すべてを変更しなければならないのです。それが同様の作曲だったとしても、再び合わせなければならないのです。ある人は150ポンド、またある人は250ポンドの6フィート7インチの男性である場合、それぞれにスーツを作ります。…多くの調整をしなければならないのです。」
ゴールデンサールは、新たな「さらにヒロイックな」スコアを書くように頼まれた。自己犠牲のエンディングの音楽である。
「土壇場を超えていました。彼らは、最後のリールの2つのポイントを送ってきたと思います。そして、劇場にリールが送られる後まで、決定はなされませんでした。」
『エイリアン4』は、新たな監督であるジャン=ピエール・ジュネと新たな作曲家のジョン・フリッゼルの手に託された。作曲の背景にあるドラマは、前3作にはみられないくらいに解放されていた。しかし、フリッゼルは、ジュネ監督を満足させるために、丸1ヶ月を水面下の追跡シーンの音楽に費やした。その結果、『エイリアン』シリーズで個性を排したほとんどが不協和音の印象に残るスコアとなった。
スコット監督は、2012年の『プロメテウス』でシリーズを復活させることとなる。それまでの年月において、スコット監督は、何人かの作曲家を利用しては見捨ててきた。そこには、長きにわたるパートナーであったハンス・ジマーも含まれる。スコット監督は『エイリアン4』で、ジマーと仕事をしてきたマルク・ストライテンフェルトと組むこととなった。誰から話を聞いても、そこでの過程においては、衝突とは無縁であったという。ストライテンフェルトは数作の映画でスコット監督の音楽編集を務めていた。スコット監督の細かく分割する音楽へのアプローチは、ストライテンフェルトにとってすごく快適であった。しかし、スコット監督は、ストライテンフェルトに加えて第2の作曲家として、ハリー・グレッグソン=ウィリアムズの協力を得た。ハリー・グレッグソン=ウィリアムズは、映画における2つのスコアを作曲した。映画の鍵となるテーマ、すなわち、物語において人類の起源の中心的問題を提示しているようなソロのトランペットの旋律を含んでいた。
『エイリアン: コヴェナント』において、当初、2015年の『オデッセイ』でも、スコット監督と組んでいたハリー・グレッグソン=ウィリアムズがスコアを書くために雇われ、音楽に取り組み始めていた。しかし、2016年11月に、ジェド・カーゼルが差し替えの音楽を担当するために招聘された。ハリー・グレッグソン=ウィリアムズはこの音楽に対してのインタビューを拒んだ。ジェド・カーゼルは、40歳のオーストラリア出身のブルース・ロックの音楽家であり、バンドグループThe Mess Hallを結成した人物でもある。兄のジャスティン・カーゼルが2011年の『スノータウン』でジェド・カーゼルを雇った際に、フィルムスコアリングの道へと進んだ。その後、『ババドック~暗闇の魔物~』、『スロウ・ウエスト』、『アサシン クリード』と、映画音楽の分野における経歴を積んでいった。ジェド・カーゼルは、スコット監督と編集者ピエトロ・スカリアがテンプトラックの段階で、以前のシリーズにおける数曲のスコアを使っていることに気づいた。ゴールドスミスの『エイリアン』のスコアから、いくつかのカットもまた用いられていた。『エイリアン』におけるスコット監督とゴールドスミスの関係を考えれば、そこには楽曲の美しさだけでなく、少しの皮肉が混じっているようにも感じられる。「リドリーとピエトロは、とても直感的な人たちです」とジェド・カーゼルは述べ、「本当に物事の根本で同意しています」とスコット監督のコメントへオウム返しに言った。
ジェド・カーゼルとスコット監督は、最初の3分の1にゴールドスミスの音楽を付与すること、すなわち、その方法でコロニーの宇宙船の音楽に着手することを決めた。ゴールドスミスによる音楽の新たなバージョンが多くレコーディングされた。浮遊するようなフルート、上品なトランペットの音楽である。その方向性で、オリジナルスコアのオーケストレーションをすることを2人は決めたのである。ジェド・カーゼルは次のように話した。
「私にとって、『スター・ウォーズ』の続編やそれに類するような作品ではありません。計画として全体に(ゴールドスミスの)オリジナルスコアを使ってはいないのです。その(ゴールドスミスの)スコアは、観客を魅了するものとして使うことができます。始まりから物語の進行において挿入します。『リドリー・スコット監督による『エイリアン』の映画の中にいるのだ』と感じられます。それらのテーマ曲は馴染みがありますが、テーマの下に、恐怖や今にも起こりそうな不吉な運命があります。映画の最初の3分の1に、壮厳でロマンティックな感覚があったとしても、その下に不安な何かが常にあるのです。後半に、次の惑星へと辿り着いたとき、ゴールドスミスの音楽の引用は取り除かれ、まったく異なるスコアになります。」
「誕生、創造、恐怖のようなスコット監督が強調したある言葉があります」とジェド・カーゼルは述べた。ジェド・カーゼルは、医療室のシーンで自身の才能を発揮している。ギターペダルを通して歪められたオルガンの音、反転させたマンドリンの音を生み出したのである。スコット監督は気に入って“swinging gate”と呼んだ。
「もし、卵へと聴診器を当てたらどうなるのだろうかというアイデアに興味を持ちました。その中の音とはどのようなものであるのだろうか?ゴールドスミスの音楽の下でそれらの要素を使うことができました。医療室のシーンの中でそれらは遺憾なく表現されています。鼓動、原始的な心拍の感覚です。本当に恐怖が花開き、生み出されるシーンです。それは、ほどんど映画の残りの楽曲の基となっています。」
映画の後半で、主要なキャラクターのひとりが、チェストバスターによって体を破られる際のジェド・カーゼルの音楽は、優雅で美しい。マイケル・ファスベンダー演じるデヴィッドの視点から誕生の奇跡をスコアリングしている。
「完璧なものを見ることについての音楽です。生命が機能し、存在するための唯一の理由とは、何かを創造することと同じくらいに美しいのです。それは、リドリーが出した本当に優れたアイデアでした。そのシーンが何についてのものであるのかに沿い、実際には何を見ているかを示すためであったのです。」
スコット監督は新たなる『エイリアン』シリーズの作品に着手することが発表されている。アンドロイドのデヴィッドのように、スコット監督は、完璧と美しさを追求し、たとえ手荒くても新たな音楽の変化を求めて作曲家を考える。以下はスコット監督の言葉である。
「私たちは、とても素晴らしいテンプスコアを使う傾向にあります。何でも望むものから選ぶことができ、気に入ったものを留めておけるからです。現在、過去またはちょうど作られたばかりの音楽から選ぶことができるのです。それによって、作曲家は怒ります。『何てことだ』と言うのです。私は、早期にすべての作曲家の中の巨匠のひとり(ジェリー・ゴールドスミス)と共にした初めての経験をいつも思い出します。私はゴールドスミスにとってのすごく良いスコアを持っていました。ゴールドスミスは、『まったく、こんなのは聴きたくない!音のない映画を望んでいるんだ』と続けました。だから、私は降参してそのようにしなければなりませんでした。私は音のない映画を観ました。そして、『何てことだ。映画の尺が20分間長い』と思いました。音楽ができることは、主流となる血液を加えることです。血液を足すようなことです。正しく理解しているならば、映画を通してその音楽は中心を突き通します。もし、そうでないならば、その音楽は致命傷となります。」
参考URL:
http://www.vulture.com/2017/05/why-the-alien-franchise-has-such-a-dramatic-musical-past.html
http://www.dreadcentral.com/news/226920/exclusive-jed-kurzel-music-alien-covenant/
http://www.audiomediainternational.com/recording/sculpting-the-score-for-alien-covenant/06549
http://projectorandorchestra.com/the-final-dialogue-ridley-scott-on-film-music/
宍戸明彦
World News部門担当。IndieKyoto暫定支部長。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程(前期課程)。現在、京都から映画を広げるべく、IndieKyoto暫定支部長として活動中。日々、映画音楽を聴きつつ、作品へ思いを寄せる。
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