[374]ケン・ローチ新作がパルム・ドール 分かれる評価


22日、フランスで10日余にわたって開催されたカンヌ国際映画祭の幕が降ろされた。最高賞にあたるパルム・ドールを受賞したのはイギリスのケン・ローチ監督(79)の『I, Daniel Blake』。ローチがパルム・ドールを獲得するのは2006年の『麦の穂をゆらす風』以来二度目となる。今年はとりわけ多くの「巨匠」の作品が集まったカンヌ映画祭のコンペティションだが、そのなかでもローチにパルム・ドールが与えられたことをめぐって、様々なメディアが祝福を送る一方で、批判的な論評やアンビバレントな反応も目立っている。

 大雑把に分けて、ケン・ローチは二つのタイプの作品を発表してきた。ひとつは、社会的な問題を背景に、その中で葛藤する人間をドラマとして描くタイプの作品(『Sweet Sixteen』、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』、『リフ・ラフ』など数多く。近年では『エリックを探して』)。もうひとつは、アイルランドの内戦、独立問題を描いた作品群だ(『麦の穂をゆらす風』、『ジミー、野をかける伝説』など)。両方のタイプで、過度な演出や修飾は極力排され、淡々としたストーリーテリングの中に普遍的な問題を浮かび上がらせるという方法論は一貫している。それは観客の心を静かに揺さぶる。ローチは、社会性の強い作品を撮り続けているというだけでなく、ダルデンヌ兄弟と並んでヨーロッパの現代映画における「リアリズム」への追求に先鞭をつけた監督でもある。
 今回の『I, Daniel Blake』は上述した二つのタイプでいえば、前者にあたる。ストーリーは心臓麻痺を経験し仕事を続けられなくなった50代後半の木工職人が、生活支援を受けようとするが、制度に潜む官僚主義や非人間的な対応によって、様々な困難を経験するというものだ。イギリスの福祉制度の現状についてこれまで以上に直接的に言及・批判した作品ということだが、それ以上にカンヌ映画祭では人物の描き方が高く評価されたとみられる。イギリスの「ガーディアン」紙で数多くの映画評を執筆するピーター・ブラッドショー氏はローチの受賞について次のように思いを語った。

「私は今までにも数多く映画館で涙をこらえられなかった体験について語ってきた(中略)しかし、『I, Daniel Blake』での涙はこれまでとは異なる。それは“同一化”と“恥”、そして“怒り”の涙だった。」
「(この映画の)フード・バンクのシーンはそれ自体、非常な力強さを持っている。これはほとんど「ラディカルなシンプルさ」を持つ映画であり、ローチは現代のジョン・ブニヤン(『天路歴程』の作者)だとさえ感じる。」(※1)

ブラッドショー氏の文章からは、この監督の一貫した作風を——たとえそれが“クリシェ”であっても——改めて評価したいという思いがにじんでみえる。一方、次のような論評もある。「テレグラフ」紙に掲載されたサム・ボウマン氏による記事だ。

「私はこの映画で描かれた“絶望”をある程度まで共有していることを告白したい。(中略) ただしローチ監督が誤っているのは、こうした事態が近代資本主義の失敗から生まれている、とみなしていることだ。実際は全く異なる。最悪の官僚主義とは、我々が逃げることのできない政府によって運営される政治なのだから」
「商業と競争——“よりよいものを”提供し、顧客をひきつけようとするという意味での“競争”——は、ローチのドラマを支持する人間をも含むすべての人の日常生活を向上させてきた。政府もビジネスも官僚的なものであり得るが、しかしビジネスだけが何かを向上させることができるのだ」(※2)

 ボウマン氏は自由主義的な立場をとる経済学者で、ローチが映画を通して表明する立場に異を唱えているわけだ。ボウマン氏の論評は短絡的とも感じられるものだが、映画が社会的な問題を直接扱っている場合、当然、その反応も政治的な立ち位置によって分かれる。このような反応が良いか悪いかは置くとして(こういう議論を生んでいる映画というだけで、もう見たくないという人もいるかもしれない)、ひとつの映画が、しかも商業作品としてのフィクションが、政策についての直接的な議論を生み出すという状況は、なかなかスリリングだとも感じる。

 Guardian紙には別の筆者によるレビューも掲載されているが、こちらは「支持」でも「批判」でもない、よりアンビバレントなものだ。ヘンリー・バーンズ氏による記事ーー。

「確かにこの作品は心に訴える映画だ。時に力強いが、しばしば強調されすぎてもいる。クラクションをならすように社会的な病に光をあて、我々みなにそれを改善する責任があることを感じさせる。しかし、これがカンヌのパルム・ドールに値するだろうか? 最も素晴らしい作品だっただろうか。十分にそうとは思えないのだ。しかしおそらく、題材や時期を考えるなら、いまはあら探しをするのをこらえて、議論の余地を与えるべき時なのかもしれない。ローチが勝利したことは、それが何を意味するのであれ、そうするだけの価値があるメッセージを持っている」(※ 2)

こうしたアンビバレントな立場は他の記事でも多くみられた。ところで、本論から外れるようだが、ここで筆者が「時期」「題材」という言葉の延長上で示唆しているのは、国民投票が約一ヶ月後にせまったイギリスのEU離脱問題だろうか。ローチ自身もカンヌ映画祭で受賞前にこの問題について、会見で言及していた。ローチは「EUそのものを支持はしない」が「離脱には反対だ」と語る。

「一方では、EUという仕組みは新自由主義的な性格があります。民営化を促進させ、労働者のためのセーフティネットを取り外そうとする(中略)一方で、もし離脱すれば、イギリス政府は一気に、可能な限り保守的な政策に走るでしょう」
「ヨーロッパ諸国には共通の性格がある。私たちが生活を組織する過程には、意識された残酷さがあるのです。その生活のなかでは、より弱い人々は“お前の貧しさはお前自身のせいだ”と言われます。もしあなたが仕事を見つけられなければ、それはあなたのせいなのだ、と」(※3)

ローチの政府に対するこうした態度は、過去一貫して表明してきたものでもあるのだが、共同体が大きく揺れ動くいま、より切迫した意見に感じられはしないだろうか。カンヌ映画祭がローチに与えた評価と社会的・政治的な状況の間には、直接の関わりはなかっただろう。しかし『I, Daniel Blake』という映画そのものは、私たちが望むにせよ望まないにせよ、社会的であらざるを得ないのだ。

※ 1http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/may/26/ken…
※ 2http://www.telegraph.co.uk/news/2016/05/23/ken-loach-has…
※ 3http://www.reuters.com/article/us-filmfestival-cannes-eu…

井上二郎
「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっていました(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。


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