[099]Rotten Tomatoesの時代に映画批評家はどこへ?


映画批評の衰退が危惧されているのは、決して日本ばかりの現象ではありません。質的問題ではなく、出版業界全体の斜陽、そしてネットやブログ、SNS普及によるユーザーレビューの飽和、あるいはRotten Tomatoes(#1)に代表される数値化されたユーザー満足度が今やプロフェッショナルの知識や経験、文章力などに裏打ちされた原稿を物理的・経済的に駆逐しつつあるのが世界的傾向となっています。
しかし、それが時代の趨勢であるとは言え、果たして正しいことなのか。そこで失われる貴重な文化はないのだろうか。こうした問題を問うのは、また全く別のことではないでしょうか。たとえコンビニのPOSシステムに近いものによって、商品の人気度や売れ行きが管理され数値として把握されるにしても、映画の歴史は決して興行的成功作の歴史ではなかったからです。
昨年、ピューリッツァー賞を受賞したこともあるアメリカの著名な映画批評家ロジャー・イーバート(#2)が70歳で亡くなりました。彼の人生や映画への想い、そしてガンとの闘いを描いたドキュメンタリー『Life Itself』(#3)は、今年のカンヌ映画祭やサンダンス映画祭などで上映され、大きな話題を呼んでいます。そして、この作品に寄せて、カナダの映画プロデューサーであり監督でもあるバリー・アヴリッチ(#4)が「Rotten Tomatoesの時代に映画批評家はどこへ行くのか?」と題した一文を「The Globe and Mail」誌に寄稿しています(#5)。とても興味深い文章なので、以下にその要旨を訳出します。
まず、アヴリッチは現場の人間として、自分もまた映画批評によって傷ついた経験があると告白します。「映画批評家は戦闘に参加せず、後になってやってきてけが人を撃つような連中だ」という仲間の言葉もユーモラスに紹介しています。しかしその一方で、映画批評の力やその芸術、感動を否定するならば、自分はフィルムメイカーとして嘘をつくことになってしまうとも認めます。ポーリン・ケイルによる「映画批評は情報を伝える唯一のインディペンデントなソースである。これ以外は全て宣伝だ」という言葉も肯定的に伝えています。
そして、『Life Itself』のカンヌ上映後、イーバートの思い出を語る人々にタイトルと同じ質問をアヴリッチがぶつけてみたところ、それぞれ以下のような答えが返ってきたとのことです。
まず、映画監督であるアトム・エゴヤンは、新人映画作家やインディペンデント作家にとって現在なお批評は絶大な力を持っていると述べます。しかし、新しい世代のシネフィルはカリスマ的批評家の言葉をよりもメタスコアのような統計を追いかける傾向があり、ユーザーレビュー飽和の中、かつてアンドリュー・サリスをフォローしたような行動が取りにくいとも述べています。
「Variety」誌のロバート・ベリーニは、映画批評はインディペンデント作品がメインストリームのアウトレットになるか、それともそれ独自のブランド力を持って固有の観客にアピールできるかを仕分ける力を持つが、一方でメインストリームの興行成績には殆ど力を持ち得ないと指摘します。
「The Globe and Mail」誌のリアム・レイシーやトロント国際映画祭のキャメロン・ベイリーは、映画批評のネガティブな状況をさらに分析し、シネフィルの鑑賞傾向に大きな影響を及ぼすようなカリスマ的映画批評家というのはこれまでにほんの数える程しか存在しなかったと述べます。さらに、ミレニアル世代は音楽にせよ書籍にせよ映画にせよ、自分で自分の好みをキュレーションすることに喜びを感じ、自分自身で判断することに価値を置いているのだと述べます。
さらにクリス・マクドナルドによると、映画批評の象牙の塔は、大いなる粗野さによってレイプされたとのことです。私たちが生きているのは、平均的な映画ファンが「The New York Times」の映画評よりもRotten Tomatoesのスコアの方にずっと関心を持つ時代なのだ、と彼は言います。
「The Times」のA.O.スコットは、映画批評が映画の興行的運命に大きな影響力を持ち得たことがあるとは信じていないと述べます。映画ファンというのはいつだって批評家の言葉なんて喜んで無視するものだから、と。しかし、映画のインディペンデントなスピリットを理解しようとしない宣伝会社や出版社が、これを口実に映画批評が果たしてきた歴史的役割をドブに捨てようとしていると彼は批判します。
一方、著名な映画プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインは少し違った見方をしています。彼によると、ソーシャル・メディアの時代において誰もがある種の映画批評家になれるのは間違いないとのことです。しかし、それが影響力を持つのは「量」のレベルにおいてであり、決して「質」のレベルではない。それ単独で存在し強い影響力を持ち得るのは、いつだって著名で信頼の置ける映画批評家の言葉なのだ、とのことです。
その一方でワインスタインは、映画批評家はもはや映画を愛しているだけでは十分じゃない、とも指摘します。彼らは、デジタル時代と折り合いを付ける必要があるのだ、と。
A.O.スコットは次のように付け加えます。職業としての批評は確かに現在問題を抱えている。しかし、批評そのものはいつだって芸術の本質的な一部であり、欠くべからざるものであるのだ、とのことです。
アヴリッチは、文章のまとめとしてイーバートが生前口にした最後の言葉を引用しています。
「それでも映画批評を気にかける人々は、これからもずっと映画批評を読み続けるだろう。」
大寺眞輔
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#1
http://www.rottentomatoes.com/
#2
http://www.rogerebert.com/
#3
http://www.imdb.com/title/tt2382298/
#4
http://www.imdb.com/name/nm0043335/
#5
http://m.theglobeandmail.com/…/whither-fil…/article20559280/


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