「ナオミはスクリーンの中に居た。もっと正確に言うなら、彼女は大学教員のセレスティーヌとアリスティッド・アロステガイのみすぼらしい小さなアパートの中の、QuickTimeのウィンドウの中に居た。」*(1)

 そんな冒頭の文句から始まるデヴィッド・クロネンバーグによる処女小説、『Consumed』が今年の1月1日からフランスのガリマール社によってフランス語版が出版された。2014年の9月にアメリカで出版され、ウェブ上でクロネンバーグが小説の予告編を出したことでも話題を呼んでいた。(その後、2分の予告編は9分のノーカット版『The Nest』という短編作品として発表された。)

A12370

 『Consumed』はナオミ・セバーグとネイサン・マスのフォトジャーナリストたちの物語で、恋人同士で同業者でもあるふたりが世界を股にかけて、数奇な事件を追っていく推理小説となっている。ナオミはパリのアパートで死体となって発見された大学の哲学教師セレスティーヌが、夫であるアリスティッドによって殺され、彼女の肉体の一部を食して疾走したとされている事件に惹かれ、ついには東京までアリスティッドの行方を追っていく。一方、ネイサンはブダペストで臓器売買によってインターポールから追われている、外科医のゾルタン・モルナーの仕事を撮影していた最中に患者から奇妙な病気をうつされ、その病気の真相を暴こうとする……ふたつの並行する物語は最後に交わり、テクノロジーと身体に纏わる幻想めいた駆け引きが展開される内容となっているようだ。クロネンバーグの予告編に映し出されている女性と医者として話しかけている男性は、まさにこの小説の登場人物、セレスティーヌとゾルタン・モルナーとなっている。*(2)

 父親がコラムニストで本屋を営む家庭で育ったクロネンバーグは、幼い頃から小説家になることを夢見ていたという。そして数年前にカナダの出版社から本の出版を持ちかけられたことを機に、執筆作業に入り、8年がかりで『Consumed』を書き上げたという。

 「教養と好奇心から生まれたクロネンバーグ流の精神分析図解であり、身体やテクノロジー、イメージ、病などについて繰り返し触れられる。「すべてのフランス人ジャーナリストは私の「強迫観念」について話すのだが、私は強迫観念に取り憑かれてなどいない。私は単なる傍観者にすぎない。自分が傍観しているものに対して、まるで神のように、何か意見を述べることなどできない。私はただ傍観しているだけで、それが興味深いということだけを述べているのだ。」」*(3)

 また今年で72才になるクロネンバーグにとって、作中で描いた哲学者(アリスティッド)がたとえ老いた妻の身体にでも、つねに魅力を感じているところに、親近感を抱いているという。「もう妻と結婚して40年ほど経って、お互いの身体について深く知り得ているが、そんな自分たちの関係にある疑問を抱かせる。いったい、愛はどこまで肉体的なものによるのか?また脆いのだろうか?よく大半の男が自分の妻が45歳を過ぎたら、相手にしないというが、もしそんなことをしたくなければどうすれ良いのか。なら、自分が愛する者の身体と釣り合うように、自分の容姿を変えれば良い。」*(3)

 この「老いた肉体を愛すること」が小説の中でも重要な問題提起となっており、クロネンバーグにとってはいかなるかたちであれ、身体は愛すべきものだとしている。そのため、ミヒャエル・ハネケによる『愛、アムール』のように、老いた肉体が嫌悪されるかたちで描かれるのは受け入れがたいものがあるという。「身体を無視することは、芸術家としての使命を放棄することであり、人間が置かれる状況としてそれほど辛いものはない。」とクロネンバーグは断言する。それは通常の身体から、異形の身体を描き続けてきたクロネンバーグだからこそ述べられる主張なのだろう。

 『Consumed』はクロネンバーグの映画に見られる要素がそのまま文学として引き継がれ、彼の映画のファンも納得させる仕上がりとなっているようだ。そして、既に何人かのプロデューサーが映画化、もしくはテレビシリーズ化を検討しているようだが、クロネンバーグは自らが作品の監督を務めることは起こり得ないとしている。「私がそのプロジェクトを担当することはないだろう。何故なら映画を作るには、小説を裏切らなければならないからだ。私は既に多くの小説を脚色してきたが、映画用に脚色を行うプロセスの上では、原作に背くことが必要不可欠である。本と映画は全くの別物なのだ。正しい解釈というものは無いので、自分自身を裏切るというのは、あまりにも自己破壊的すぎる。だから私は別の人にその立場を譲る。」*(4)

———————

david cronenberg

– この小説の特殊性はどのようなところにありますか?

 複合性、解離性、親密さと内面性にある。いかにひどい著者でも、ある登場人物の頭の中に入って、内心のモノローグは書くことはできる。それは映画では全く不可能なことだ。但し、ボイスオーバーを取り入れることによって可能ではあるが、あまり上手く機能することはない。」*(5)

参考資料: 
http://flipbook.cantook.net/?d=%2F%2Fwww.edenlivres.fr%2Fflipbook%2Fpublications%2F164398.js&oid=3&c=&m=&l=&r=&f=pdf *(1)
http://www.gallimard.fr/Catalogue/GALLIMARD/Du-monde-entier/Consumes *(2)
http://next.liberation.fr/cinema/2016/02/10/david-cronenberg-decortique_1432424 *(3)
http://www.lefigaro.fr/livres/2016/01/06/03005-20160106ARTFIG00176-david-cronenberg-je-n-adapterai-pas-mon-livre-car-je-ne-veux-pas-le-trahir.php *(4)
http://www.telerama.fr/livre/david-cronenberg-je-connaissais-ma-voix-en-tant-que-cineaste-mais-pas-en-tant-que-romancier,136724.php *(5)
(写真:ジェローム・ボネ)

短編作品『The Nest』

楠大史 World News担当。慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科修士2年、映画雑誌NOBODY編集部員。高校卒業までフランスで生まれ育ち、大学ではストローブ=ユイレ研究を行う。一見しっかりしていそうで、どこか抜けている。


コメントを残す