デヴィッド・フィンチャー監督の最新長編『Mank/マンク』が12月4日からNetflixで配信されています[*1]。フィンチャーにとって2014年の『ゴーン・ガール』以来、約6年ぶりの長編映画となる本作は、脚本家ハーマン・マンキウィッツがオーソン・ウェルズの初監督映画『市民ケーン』の脚本をどのような背景や過程のもと執筆したのかが、彼がヴィクターヴィル牧場に缶詰にされて脚本を書いた1940年と、同作の主人公のモデルとなった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストと交流を持っていた1930年代の回想を交錯させながら描かれています。
この『マンク』の脚本を書いたのは、2003年に亡くなったフィンチャーの父親のジャック・フィンチャーでした。ジャーナリストだったジャックは彼の息子の映画愛をその幼少期から養った人物でもあったと言います。デヴィッド・フィンチャーは父親独自の“映画教育”についてこのように説明しています。「父は私の映画鑑賞カリキュラムを設定したわけではなかったが、彼はこんなことを言ったものだ。“『ウエストワールド』や『ラブ・バッグ』を見たいのなら、もっと良いものを見てそれを和らげる必要があるな”ってね」[*2]。ジャックの言う“もっと良いもの”には、『博士の異常な愛情』 や『2001年宇宙の旅』などが含まれていたそうですが、その頂点にあったのが『市民ケーン』でした。「私がそれを学校で見るつもりだと話したとき、彼は“あの映画は大物だから、見た後でそれについて私と話し合う準備をしておけよ”と言ったよ」[*2]。
ジャックは60歳で仕事を引退したとき、自分自身の映画脚本を書くことを決め、マドンナのミュージックビデオなどを監督するようになっていた20代後半の息子に助言を求めました。そこでデヴィッドが提案したのが後にクレジットを巡る騒動にもなった『市民ケーン』の脚本がどのように書かれたかを主題にすることだったと言います。
「父はマンキウィッツについてあまり気にしていなかったと思う。僕が初めて知ったのは高校のマイクロフィッシュで“Raising Kane”(『市民ケーン』の共同脚本家としてクレジットされたマンキウィッツがひとりで脚本を書いたことを主張するポーリーン・ケイルのエッセイ)を読んだ時だった。そして父の書庫にもその本はあった。父が初めて“脚本を書こうと思っている”と言ってきたとき彼は60歳か61歳だった。“何を主題にすべきだろう?”と聞いてきたので、“ハーマン・マンキウィッツについて書いたらいいじゃないか”と言ったんだ」[*3]

ジャック・フィンチャーが脚本を書き始めた直後、息子のデヴィッドは自身の初長編監督作である『エイリアン3』(1992年)の撮影に入ります。その間、父親は脚本の第1稿を書き上げていました。
「私が戻って父が書いたスクリプトをよむと、誇大妄想狂の若い監督が彼の協力者全員を踏みにじるさまばかりが書かれていた。“ちょっと待てよ、こんなに単純なことじゃないだろ”と私は言ったよ。いくらスタジオが25歳の若者(ウェルズ)に王国へ通じる鍵を渡したとしても、関係者全員を同じ方向に向ける必要があるわけだからね」[*2]。
「私は父に“まるで40エーカーの土地の縄張り争いをしている2人について話しているみたいだ。それは映画を作る場合に起こりえないことだ”と言った。彼は映画製作者に関する記事を雑誌に書いていたので専門用語は知っていたが、言ってみれば青写真がどこで終わり実地調査がどこから始まるのかは理解していなかった。しばらくの間ふたりで改稿に取り組んだが、僕は『セブン』を作るために一旦投げ出してしまったんだ。父はその間にアプトン・シンクレアの“EPIC(End Poverty in California=カリフォルニアの貧困を終わらせよう)”という政治運動を発見していた。彼はアーヴィング・タルバーグやルイス・B・メイヤーら映画スタジオのトップがハーストと共謀し、反シンクレアのニュース映画をでっち上げ、どのようにフェイクニュースの先駆けとなったのかを学んでいたんだ」[*3]。
『マンク』では、ハーストやMGMの副社長であるメイヤー、その右腕だった若き映画プロデューサーのタルバーグが、シンクレアが民主党候補として出馬した1934年のカリフォルニア州知事選において、自社の新聞とニュース映画を使ってシンクレアを攻撃するプロパガンダを行っていたこと、そしてマンキウィッツが彼らのそうした行動を批判したことがハーストやメイヤーとの関係を悪化させる原因となったことが示唆されています。
「父が最初にその要素を提示したとき、僕は“ウェルズとマンキウィッツの問題のある関係性にどれほど関わりがあるのかわからない”と言った。するとジャックは“ここには自身の言葉の重要性を発見した人々に関する何かがあると思うんだ”と答えた。当時の僕は自分の人生の貢献を吟味するような中年男性に興味を持てなかった。まだ30歳ぐらいだったし、この機会が彼にとってどんなものであるのか理解していなかったんだろう。しかしちゃんと考え始めたとき、それが自分の声を探し求める男に関するこの物語において、血球を作る骨髄の役割を果たすものであることに気づいた。ハーマンと彼の弟のジョセフは映画で話される言葉を救うために登場したんだ。僕は常々ハーマンは自分が不自由であると考えていたと確信していたが、ジャックも同じだったのだと思った。そして自分がミュージックビデオを作っていたときに“自分を抑えろ。これはたくさんのスーパーモデルが出てくるただのミュージックビデオだ”と自分に言い聞かせていたことを思い出したよ」[*3]。
さらにフィンチャーは今年のアメリカ大統領選挙を見届けた視聴者が強い共感を抱く要素がこの作品にあることを認め、「父がこの脚本を書いたときそれは独善的だったものが、25年が経った今、扇動的なものになった。歴史を無視する人々は同じことを繰り返す運命にある」[*4]と述べてもいます。

『マンク』の核となる要素を見つけ出したジャック・フィンチャーはその後数年間にわたって脚本を改稿し続け、デヴィッドは『セブン』に出演した俳優ケビン・スぺイシーとともにスタジオを回り、父親の脚本を売り込みましたが、その時代に合わせて白黒(モノクロ)で撮影するといった条件が受け入れられず、なかなか企画は実現しませんでした。結局、映画の実現を待たずに父親のジャックは2003年に癌で亡くなり、さらに10数年の月日を経て、ようやくNetflixで『マンク』が製作されることが決まったのは昨年のことだったといいます。
「今でもなお、幕が開き700~1200人が一緒に素晴らしい映画を共有することを見るのに勝るものはない」[*2]と語るフィンチャーですが、すでに前作『ゴーン・ガール』を製作したときから、自分が劇場で拡大公開公開されるようなスタジオ作品を作ることが困難になっていることを感じていたようです。
「もしあの本(『ゴーン・ガール』の原作)がニューヨークタイムズのベストセラーリストに入っていなければ、ああした不協和音のまま唐突に終わる映画をつくることはできなかっただろう」。「最近の大手スタジオは10億ドルを稼げない作品を作りたがらないというのが現実だ。中規模の予算の野心的な企画は実現しにくく、私が作るような映画は切り捨てられてしまう。一方ストリーミングサービスは私たちの文化を反映し、大きなアイデアと格闘するような映画をプラットフォームに提供しようとしている。そうした映画は5年前には死にかかっていた」[*2] 。
また、技術的な面に関してもフィンチャーは「Netflixの品質管理には、他のどのスタジオよりも感銘を受けた。すべての映画は45フィートのスクリーンで見られるために作られているかい? 正直に言ってそうじゃない。私は『ゴーン・ガール』の映像にだって多くの努力をつぎこんだが、多くの人がその物語を自宅の65インチの画面で見るのは私にとって問題ではないんだ」[*2]と述べ、Netflixと映画スタジオで大きな違いはないことに言及しています。
こうしてNetflixのもと製作されることになった『マンク』ですが、脚本家としてクレジットされていないものの、フィンチャーによればジャックが書いた脚本は、彼とプロデューサーとしてその名を連ねるエリック・ロス(『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』などの脚本を執筆)によって手直しが行われたそうです。
「エリック・ロスと僕は脚本を読み直し、全てのことを話し合った。彼は非常に有能な口うるさい男で、自分が理解できないことは出鱈目呼ばわりする奴だ。最初に話したのはジャックが書いたあるシーンについてで、それはマンキウィッツが“束縛がなくなるのだから、これはあなたの人生において最も挑戦的ことになるだろう。副大統領にも何も答える必要はない。僕は自分が作りたい映画を作るためにここにいる。そうあなたと僕とでね、相棒”と言われる場面だ。エリックは“なんてこった、ひどすぎる”と言い、僕は“そうだ、ジャックができなかったことを君は理解している”と返した。つまり言葉を巧みに操るプロを連れてきて、“何も答えなくていい、ただそれを良くしてくれ”というわけだ。彼の反応は“はめられた”だった。その瞬間、彼こそがこの本について話し合うべき男だとわかった。私ほど物書きに敬意を払う人間はいない。彼らは自分と同じ塹壕の中にいる。その基盤となるのは情熱的かつ盲目的な誠実さと脆弱性だ。だからこう言わなければならない。“あなたがこれまで書いてきたものの中で最悪の本を私につかませようとするなんて信じられない”と。すると彼らは “なぜもっと上を目指さない?”と口にしてしまう。我々は互いに無理強いし、励まし合い、恥をかかせ合わなければならない。親密な関係性において、そうした公正なゲームが必要なんだ」

フィンチャーは俳優たちに『市民ケーン』が作られた当時の映画における語り口、いわゆるメソッド演技以前のスタイルを求めました。そのために撮影前から本読みに長い時間が割かれたようです。
「現代の映画では感情的なナックルボールを投げるように演じている感じがあると思う。しかし私たちはもっと古い演技のスタイルを採用した。最初の数日間はただ俳優たちに台詞を吐き出させた。期待したのはそれだけではなかったが、とにかくそこから始めたんだ。マーロン・ブランドが映画にもたらしたのは信じられないような贈り物であり呪いだった。“私は感情を込めて演技をするつもりで、何度も同じことはできないから撮り逃さないでくれ”という考え方をここでは適用しなかった」[*3]。
ちなみに「俳優たちはそのスタイルに簡単に適応できたのか?」という質問には、フィンチャーはこのように答えています。
「(主人公を演じた)ゲイリー・オールドマンはなんでもやれる。もし他の俳優に“ここはジョージ・サンダースのように話してほしい”と頼んでも、“何だって? それは誰だ?”と言われるかもしれない。でもゲイリーや(ハースト役の)チャールズ・ダンスは頷いて微笑むだけで、何を求められているかを理解できるだろう。他の俳優に対しては、我々が慣れてしまっている語尾を上げる話し方をしないようにさせることが大事だった。“これは質問ではないが、最後に声が上がると質問ではないことをわかっていないように聞こえるんだ”といった具合にね」[*3]。
そして昨年の9月にクランクインし、新型コロナによる都市封鎖が始まる直前の2月末までかかったという撮影においては、ひとつのシーンを様々なカメラアングルから何テイクも撮影するという方法が取られました。フィンチャーはその理由について、「俳優にこういうことを言うのは難しい。“マスターショットでまとまったシーンの素晴らしいパフォーマンスを撮りたい。それから別のアングルでもそれを撮りたい。肩越しのショットも欲しい。彼の肩越しにもあなたを撮りたい。それにシングルショットも欲しい”と。なぜなら私はひとつのシーンをやみくもにカットしたくないからだ。誰かの登場シーンをカットすることをわかっていて編集室に入りたいとも思わない。そのためには良い俳優を選び、彼らの邪魔にならないようにすることだ」[*5]。
フィンチャーが「なんでもやれる」と評したゲイリー・オールドマンにとってもその撮影はつらいものだったようで、映画終盤のマンクが新聞王ハーストの仮装パーティーに押しかける場面の撮影について、チャールズ・ダンスはこのように回想しています。
「我々は何テイクも何テイクも重ねた。そしてある時点でゲイリーがデヴィッドにこう言った。“デヴィッド、俺はこのシーンを100回はやってるぞ”。するとフィンチャーはこう言ったんだ。“ああ、わかってる。でも101回やろう”とね」[*5]。
またハーストの愛人であるマリオン・デイヴィスを演じたアマンダ・セイフライドも、おそらく同じシーンを指してでしょう、「何テイクやったのかわからないけれど、私は200回ぐらいやってるように思ったわ。私が間違えていて全然違う可能性もある。私は台詞がなかったから低く見積もっている可能性もあるわ。台詞がないならリラックスできたと思うでしょ? そんなことないの。約9~10のカメラアングルで自分が撮影され続けるんだもの」[*6]と証言しています。さらに彼女はこのように付け加えます。「本当に大変な撮影だった。でも同時に口調や感情を完全にとらえられる贅沢な時間を持てたという点では劇場のようでもあった。それはある意味グラウンドホッグデーのようなものにも感じるけれど、彼(フィンチャー)が多くの人は得られないものを捕まえる方法なのよ」[*5]。

俳優の演技スタイルと同じく、映像や音響に関しても『市民ケーン』と同時代に作られた映画のように見える/聞こえる工夫が施されました。フィンチャーはその作業について以下のように説明しています。
「サウンドデザイナーのレン・クライスと私は数年前からUCLAのアーカイヴやマーティン・スコセッシの地下室で見つかった復元前のフィルムのような感じをどうやったら作れるかどうか話し合っていた。すべての音が圧縮され、1940年代の作品のように聞こえるように作られている。音楽も古いマイクを使って録音されており、弦楽器はもちろん特に管楽器から音の輪郭がジリジリと焼け付いているかのようなさまを聴き取ることができるだろう。古い映画館で聴くような音だね。視覚的には超高解像度で撮影した後に、解像度を下げるということを行っている。あの時代のフィルムと同じ感触にするために、3分の2程度解像度を下げた後、小さな傷や煙草の焦げ跡をつけていった」[*3]。

デヴィッド・フィンチャーが『ソーシャル・ネットワーク』を作ったとき、マーク・ザッカーバーグが置かれた立場について「21歳の青年が6億ドルの映画を監督するようなものだ。自分のことを可愛い若造だと思っている大人に囲まれて部屋の真ん中に座らされる。でも周囲の人々は彼に何かをコントロールさせるつもりはまったくないんだ」と話していたそうです[*3]。『市民ケーン』の撮影時に同じような立場にあったともいえるオーソン・ウェルズを、ハーマン・マンキウィッツの視点から描いた理由は何だったのか。フィンチャーは語ります。
「25歳の若者は、自分に知らないことがどれほどあるかがわからない。だから(『市民ケーン』の撮影監督である)グレッグ・トーランドがすぐ近くに立っていたら本当に助かるんだ。しかし素晴らしい脚本、素晴らしい撮影監督、素晴らしい作曲家とともに、25歳の青年が最も偉大なアメリカ映画のひとつを作ったという事実を取り消すことはできない。映画は複雑だ。莫大な金、多くのエゴが絡み、それらがスフレのなかに混ぜ込まれて、空気より軽くなることが期待される。ウェルズとマンキウィッツは切実に互いを必要としていた。ハーストを追いかけるためには多くの人が持ち合わせていない過剰な野心が必要だった。それがマンキウィッツの望むものだったが、それを実現させたのは『宇宙戦争』を(ラジオドラマで)監督した23歳のいたずらっ子のような笑顔だった。私はそのコラボレーションについて語りたかった。ハーマン・マンキウィッツのような問題をどのように解決するのか? 快適な領域からどうやって彼を引っ張り出すのか? 砂漠に引っ張りだし、スケジュールに従わせ、結局めちゃくちゃな状態になっても、そこから面白い作品が生まれたんだ」[*3]。

*1
https://www.netflix.com/title/81117189
*2
https://www.telegraph.co.uk/films/2020/11/14/david-fincher-film-studios-dont-want-make-anything-cant-make/
*3
https://www.vulture.com/2020/10/david-fincher-mank.html
*4
https://variety.com/2020/film/news/david-fincher-mank-netflix-citizen-kane-1234834134/
*5
https://www.gamesradar.com/mank-cast-on-working-with-david-fincher-it-does-feel-like-groundhog-day/
*6
https://collider.com/mank-amanda-seyfried-interview-david-fincher-netflix-movie/

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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