性的暴行などの罪に問われる映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインの裁判が始まった中、1月31日からアメリカで限定公開が始まった1本の映画が話題となっています。それはキティ・グリーン監督による『The Assistant』という作品で、ワインスタインのスキャンダルが報じられ、#Me Tooムーブメントが起こったあとに到来したフィクション映画のひとつとして、昨年テルユライド映画祭でお披露目されて以降、先日開催されたサンダンス映画祭でも上映され、注目を集めていた映画です[*1]。本作は映画製作会社に就職したばかりの、映画プロデューサーのアシスタントとして働くジェーン(ジュリア・ガーナー)の1日を描くもので、彼女の視点を通して、会社における女性に対する不当な扱い、ハラスメントの横行が日常的に行われているさま浮き彫りになっていきます。
監督のキティ・グリーンは、ウクライナで設立されたフェミニズムを信条とする女性抗議集団「FEMEN」のメンバーに密着した『Ukraine Is Not a Brothel』や、ジョンベネ殺人事件が与えた影響を扱った『Casting JonBenet』といったドキュメンタリー映画を撮ってきた監督で、監督作ではこれが初めてのフィクション映画になります。彼女はスタンフォード大学で起きた性的暴行事件について調査していた2017年10月に、複数の女性がワインスタインからのセクシャルハラスメントを告発した記事を読み、すぐに映画業界で働く女性たちへの取材を始めたといいます。アシスタント、女優、経営陣と、彼女がインタビューした女性は100人を超えたそうです[*2]。

こうした経緯もあって、この作品がワインスタインのスキャンダルや#Me Tooをテーマにしているということで話題となっているのは事実ですが、本作に関するレビューを読むと、この作品が決して一過性の話題や問題を扱っているわけではないとする意見が多く見受けられます。たとえばNew York Timesの「内なる叫び」と題されたレビューでは、このように書かれています。
「ひどく辛い仕事の1日を描く『The Assistant』は#MeTooに関する物語というよりも、個々は微細な事柄であってもそれらが融合してどれほど息苦しいハラスメントの毒気となりうるかを綿密に調査したものだ。幹部の卑劣な行為に彼を保護する権力構造のモラルの欠如が組み合わされたこの映画において、誰もがその毒気にあてられている」「職場の捕食者の臭跡はうんざりするほど身近なものであり、オフィスの数と同じだけ偏在している。『The Assistant』は無言の、細部にこだわった方法で、その捕食者たちにこう言っているのだ。私はあなたたちを見ている、常にあなたたちを見てきたのだ、と」[*3]。
あるいはNew Yorkerの記事では、この映画に最も似ているのはスタンリー・キューブリックの戦争映画『フルメタル・ジャケット』であるとの見解が述べられています。
「主人公の名前が決して(もしくはほとんど)使われないという事実――彼女は上司にはブザーで、若い同僚には紙を丸めたボールで呼び出される―は、彼女が意図的に非人間化され、匿名化されていることを示唆している。性急に判断を下すやかましい男たちがいるだけで、同等の立場の人間がいない共同スペースで働くことは恒常的に監視下に置かれているに等しく、その同僚たちは彼女自身の言葉ではない会社としての言葉の語彙を彼女に吹き込み、彼女の個人的な通信の文面までも口述する。何より彼女に自分の認識を否定させるガスライティング――魂を砕き、幻覚をもたらす要因は、ジェーンの人格を計画的かつ故意に破壊すること、仮想洗脳につながる。『The Assistant』に最もよく似た映画は従来型のホラー映画ではなく、『フルメタル・ジャケット』なのだ。キューブリックが行い、グリーンが行わなかったのは、人格が破壊されていく人間のパーソナリティを埋めることだ。『The Assistant』においてジェーンは表面的なマーカー(目印)のみで定義されている。身体的には白人の女性であり、経歴としてはノースウェスタン大学を卒業し、プロデューサーを目指している。両親は健在で、彼女とは温かい関係を築いているように見える。それがすべてだ。ジェーンの空白はそれが演出上の戦略であることがわかるほど目立っており、恐ろしい。ジェーンは観客が自身を投影できるシルエットとして存在する。映画は内省的な仮想デバイスにおける一種の苦悶のゲームとなるのだ。あなたなら何を感じ、どうするだろうか?」[*4]。

キティ・グリーン自身も、決してワインスタインを糾弾するためにこの作品を作ったのではないと強調しています。
「私はハーヴェイ・ワインスタインについて話すことに興味はありません。でも誰もが彼について私に話したがるのです!私たちはSchmarvey Schmeinsteinと名付けられた登場人物を作りたくありませんでした。誰もが彼(ワインスタイン)だと思う架空の人物を作らないために、彼の名前を避けることを意識していました。私は彼について語りたいわけではなかったんです。この映画に流れる時間は悪い男たちを見せるためではなく、この会話の中心にいる女性のため、女性のために物事をいかに改善していくかを議論するためにあると思っています。それこそが私がこの映画を作った目的でした」[*5]。
「#MeTooにまつわるメディアの報道を見ていると、捕食者に焦点を当てたものばかりであることに少しがっかりしました。それは腐ったリンゴを、ハーヴェイ・ワインスタインを排除すれば問題を解決できるという考え方です。女性の映画作家から見れば、問題はもっと大きいものです。私は約10年の間、映画祭のサーキットを回ってきましたが、真剣に受け止められたことはありませんでした。映画祭において私を治療し、排除しようとする人々によって、私の自信は揺らぎました。私の作品のアイデアは誰によって与えられたのかとしょっちゅう尋ねられたものです。それはジェームズ・シェマイスかスコット・マコーリーかと、男性のプロデューサーの名前を出してね。男性の映画作家がそのような質問をされることはないでしょう。私が自分の仕事を創造的にコントロールしていないという見られ方は私を不安にさせました。私はずっとこうした不正行為だけでなく、本質的に女性に敵対するようなシステムの広がりにどう立ち向かうことができるかを考えていました。それは挑戦でした。侵略的な映画製作者の机上で、最も若い女性の目を通してこの(『The Assistant』の)物語を語ることによって、議論すべき問題の領域は提示できたと思っています」[*5]。

セクハラの加害者を描きたいわけではなかったというその言葉どおり、この作品には主人公の上司である映画プロデューサーが姿を現すことはなく、その存在は声のみで認識されます。グリーン監督はこの演出について以下のように説明します。
「私は彼の声を出すことにさえ気乗りしませんでした。『ジョーズ』のようにしたいと思ったんです。『ジョーズ』ではサメの姿を見ることはできませんが、そのせいでサメに対する恐怖が高まります。彼は台本の中にも存在しませんでした。台詞もなかったんです。しかし電話が鳴る場面を撮りはじめたときのことでした。もともと私はその場面をよりワイドに、電話口から洩れる声も聞こえない位置から撮影するつもりでした。しかし電話をとったときのジュリア・ガーナーの顔が本当に素晴らしかったんです。それで結局彼女が電話するシーンはアップで撮影することにしました。そうすると電話からまったく音が聞こえてこないというのは奇妙になってしまいますよね。そのため結果としてポストプロダクションの段階でジェイ・O・サンダースを起用して、彼に私が書いた台詞を即興をとりまぜながら喋ってもらい、電話口から聞こえる(プロデューサーである上司の)声を作り上げました。組織とそこに属する全員に対する彼の権力を感じてもらう必要があったので、その追加は良い判断だったと思います」[*5]。
また、本作品の最大の特徴は主人公がほとんど喋らないのをはじめ、会話が少なく、沈黙が続く場面が多いということです。
「私は沈黙の文化を探究したかったのです。誰もが沈黙している状況において、自分たちに関わる何かを見つけたとき、人はその情報を誰に伝えればいいかわからず、人々に話していいかどうかを心配します。その考え方は間違いなくこの映画全体に存在しています。ジェーンは誰かに何かを言うためにしばしば口を開きますが、無視されたり、周囲の人たちが立ち去ってしまったりします。喋る機会はそこかしこにあるのに、彼女は声を出すことができません。それはたぶん音楽がなく、ニューヨークという都市のとても重苦しいサウンドスケープとオフィスの物音があるせいです。私は『エレファント』をはじめガス・ヴァン・サントのほとんどの作品でサウンドデザイナーを務めてきたレスリー・シャッツとともに仕事をしました。私たちはとても豊かで質感のあるサウンドスケープを構築しました。最初のカットを見たとき、そこには台詞もなく基本的に静かだったものですから(笑)。私たちはひたすらビルが建ち並ぶところからスタートしたので、そこから聞こえてくるものを必要としたのです」[*5]。

『The Assistant』は映画業界に限らず、自分への不当な扱いや職場の環境是正を訴える以前に、自らの言葉で話す機会さえ奪われている働く女性がそこかしこにいること、そして、誰もが声を上げられない立場にも反対に同僚の声を奪う立場にもなりえるシステムが依然として存在することを提起しています。グリーン監督はこう述べています。
「私は“男性が悪で女性が善”という力学に固執したくはありませんでした。長年の間、性差のあるシステムの中でその壁に直面しながらも、必死に自分の仕事を続けようとしている女性がいることを示したかったのです。何重にも階層化されたシステムの中でジェーンは誰を信頼すべきか、誰に対して正直でいられるかわかっていません。さらには何が起こっているのか他の人々が理解していることに関しても、彼女はわかっていません。この映画はそんな彼女の目を通して語られています。観客は彼女が知っていることしかわからないし、彼女は5週間の勤務経験でわずかなことしか知ることができていない。つまりこのオフィスの中で何が起こっているのか、この映画を観る人もまたわからないのです」[*5]。
「このスクリプトが複雑なのは人々が被害者にも加害者にも同時になりえるということです。彼女たちはただ生き抜こうとしているだけなんです。忌まわしい職場においてどうやって前進できるかを見つけ出そうとしています。目指したのは良かれ悪しかれ何らかの方法で行動し、接続されることで、人々に彼らはひとりではないことを知らせることでした」[*2]。

*1
https://www.imdb.com/title/tt9000224/
*2
https://www.hollywoodreporter.com/news/director-harvey-weinstein-inspired-movie-interviewed-hundreds-insiders-1267157
*3
https://www.nytimes.com/2020/01/30/movies/the-assistant-review.html
*4
https://www.newyorker.com/culture/the-front-row/the-chilling-power-of-the-assistant
*5
https://www.thedailybeast.com/kitty-green-on-how-so-many-male-hollywood-execs-passed-on-her-weinstein-inspired-metoo-film-the-assistant

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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