[721]「カペナウム」とレバノンの女性監督ナディーン・ラバキー


今年のカンヌ国際映画祭は、審査員長のケイト・ブランシェットが語るように、「見えないもの(invisible people)に焦点を当てた作品が多かった。今回はそのなかの1本である、

「カペナウム」と、その監督であるナディーン・ラバキ―をご紹介したい。

エステサロンを舞台にした女性たちのハートウォーミングな人生ドラマである「キャラメル」が高く評価された女性監督ナディーン・ラバキーの最新作で、タイトルは、「物事が無秩序に蓄積した状態」を指すそうだ。子どもの目線からみた、レバノンの中でももっとも貧しいスラム街の姿を描きだす。

筆者は新約聖書に登場する、今日のイスラエルにあるガリラヤ湖の北西岸にある町のことかと勘違いしていた。

ナディーン・ラバキーは1974年、レバノンのバーブダッド生まれだ。女優、作家、映画監督をこなす多彩な女性だ。アラビアのビジネス誌で「世界で最もパワフルなアラブ人100人」として、女性のトップ5に選出された。「カペナウム」においては、来年3月に開催されるアカデミー賞外国語映画部門のレバノン代表に選ばれた。

どんな女性なのかは2018年10月号のVogue Arabiaのインタビューから感じ取ることができる。

ナディーン・ラバキーは変わった。「カペナウム」の後はもはや同じ彼女ではない。カンヌからベイルートへ、レバノン人の映画監督は、ただひとつの物語が、映画的な境界線を越えて、他の人たちの人生すら変えてしまうターニングポイントになるかを教えてくれた。

「カペナウム」は、私たちが知りたいと思わなればわからない、ベイルートという変わった都市の隠された姿を教えてくれる。主人公の12歳のゼイン(演じるのは実際のシリア難民であるゼイン・アルラフィーア)は貧困のなかで生活するなかで、両親を自分を産んだ罪で訴えようとする。両親の育児放棄や彼らを無視する社会の残酷さと闘うのだ。映画の最初のシーンは、実際にスラムのなかにある、狭くて窮屈な、水や電気どころか、温かさや優しさ、安全性が欠けている部屋からはじまる。

スクリーンには、私たちが力不足を感じるのが苦しすぎて見るのを拒否する現実が繰り広げられている。 ラバキーは彼女のカメラでそれに向き合おうと決心した。彼女にとって映画製作は最も大好きな、得意なものなのだ。 「映画は私が自分を表現するのに最も適しているの。映画の力でもって、私たちの周りにある破壊的な影響を制限して、社会の一員として、またアーティストとしての責任を果たしているつもりよ 。」

カメラの前で演技することにも慣れている彼女は、映画を映画館に、他人に託すことの意味を知っている。

単語、フレーズ、もしくはシーンは、観る側によって変わるわ。これは映画にかぎったことではなく、本を読む時でもそうよね。でも映画による影響の方がより大きいと思う。力強いスピーチより強いわ。もし映画が成功して観客に影響を与えることができたら、それは様々なレベルに達すると思うの。これまでの映画的経験でそれがわかったから、より深く、より重要なテーマを扱おうと決めたの。”

ラバキーは映画監督として、またひとりの人間としての自分に責任を感じている。

私は映画が娯楽と芸術の一形態として評価されるべきで、芸術がはっきりと文書化されることから守るべきという考えは尊重するわ。でも新しい仕事を準備するのに根気強く働いているわ。映画を作ることはとても疲れる作業なの。そして私が映画で扱う題材は芸術的であるだけでなく、より大きな社会的意義をもつべきなの。私は政治には、何が私たちのまわりで起こっているかに関心を持たせ、現実を変えるような芸術が必要だと思う。芸術は変化するための唯一の媒体だと思うわ。”

結果、ラバキ―はベイルートの路上で暮らす疎外された子どもたちを無視しないことに決めた。こうした子どもたちは、すべての市民、戦争やシリアの紛争によってレバノンに逃れ、ゆっくりとした死を味わわされるだけの紛争地域の犠牲者の権利を守らない、経済的な不平等さの犠牲者なのだ。

                                                    

                                                          

こうした惨状を目にして、どうして背を向けることができるでしょう。”とラバキ―は発した。

多くの人が背を向けるのは、何もできないというジレンマがすごいから。人によっては、路上生活者を助けることで、遠まわしにマフィアをサポートすることになると考える人もいる。私は信号機で止まった車に顔を突っ込む目の前の子どもが、どのように社会を考えているのか知りたかったの。誰もこの子どもたちには気がつかない。彼らはいない存在として扱われてしまうの、なぜなら彼らの存在を証明する正式な書類がないから。自分の年齢を知らないから、お誕生日祝いもしたことがない

。すべてのシーンは私がこの作品を作る準備をしていた時に目にしたものよ。”

最も印象的である主人公のゼインの鋭い目線は観客の心をとらえる。

彼は両親が妹を家主に売り飛ばしたことから、彼らの元を逃げ出す。そして出会ったエチオピア人の女性ラヒルのもとで、彼女の1歳の子どものベビーシッターをしながら共に暮らすようになる。

この2人の男の子たちの関係、彼らの生きる欲求、目線は作品の中で最も心をつかまれるところだ。

 

ラバキ―はゼインについて誇らしく語る。

ゼインは最初に見た時と違っていた。私がこの作品の製作という冒険のはじまりの時に、ある絵を書いたの。大人の集団の中で、大声で叫んでいる男の子の絵なのだけど、その男の子とゼインはそっくりだったの。なにか人知を超えたものが、この素晴らしい男の子を発見させてくれたのよ。”

ラバキ―は作品の登場人物の人生を反映してくれる人を探し、彼らとの関係を愛に満ちたものにした。”私は彼らに演技をしなくてよい、彼ら自身であるようにと指示したの。それは彼らの人生や痛みに向い合わせることになった。涙を流すシーンでは、彼らの現実での生活の苦しみを思いださせるだけで十分だった。私はよく撮影がはじまると、姿を消すことがあったわ。私は演技と現実の境界を消したかったから、撮影中に”アクション!”という声がけをしたことはなかった。俳優たちは基本的に脚本のために自分を捧げるけど、この作品の場合は、私たちは彼らにすべてを捧げていたわ。実際、撮影段階にリアリティをうつしだすのに時間はかからなかった。”

The Hollywood reporterも、製作の裏側について述べている。

「ラバキ―とキャスティング・ディレクターのジェニファー・ハダードは、演じるキャラクターと実生活の状態が似ている俳優を探していた。ゼイン・アルラフィーアは実際に10歳の頃から、最近まで配達人として働いていたし、11歳の妹を演じるセドラ・イザムはベイルートの街でチューインガムを売っているところを見出された、シリア難民だ。だがそのような人生と役柄の類似性があるから、という理由だけで、この作品の真実味は語れない。しっかりと説得力のある作品をつくるために、数百時間にもおよぶ映像を撮れる予算に裏打ちされた、6ヵ月におよぶ撮影期間を真の共感や忍耐強さ、俳優たちとの交流をもてる監督でないと務まらない。必然的に作品の勝利を感じないわけにはいかない。」

前述のVogue Arabiaには、監督の決意が読み取れる。

「カペナウム」は、ラバキ―が意図したように映画の境界を越えている。

私は疎外された子どもたちの生活を変えるための公共的な政策の議論を引き起こしたかったの。NGOは莫大な努力をしているけど、それでは足りないから、より協調的な努力が必要なの。”ラバキ―は数年前にはベイルートの地方選に立候補したが、最終的には公共事業の仕事に就くことを考えている。

私の義務は、自分のやり方で政治に従事することです。私の目標は、コミュニティを守るために、賢くてポジティブなやり方で得た立場を利用することよ。”

映画製作に対する彼女の情熱は、彼女の人生の意義となるものです。たとえ母性であっても、必ずしも彼女の怒りをおさめるわけではない。

私の2人の子どもは、私に愛や静けさ、精神的な安らぎを与えてくれる。ほかには何もいらないと思うくらい、彼らがいてくれることで満足を感じるわ。でも子どもたちは仕事へと駆りたてる不安をおさめてくれるわけではないの。私はすべての作品がこれで最後になるかもしれないと考えている。今の私は難しいところにいあるの。毎朝新しいアイディアはないかと思いながら目が覚める。”

それはおそらくラバキ―の世代に残っている内戦の遺産だろう。

戦争は明日のことが知れない不安をいつも抱えるわ。紛争の間に私たちが経験したこの不安は、毎瞬、毎瞬に自分のしたいことを成し遂げなければという気持ちにさせる。私は自分の砂時計の砂がどんどん減っていくのを感じて、すべての瞬間を使い切りたいという気持ちになるの。”

 

インタビューの中で語られる、すさまじいほどの製作意欲と、社会を良くしたいという情熱や、これほど成功を手にしてもなおある焦燥感に驚いた。

この作品をつくるために、ラバキ―監督と彼女のは、家を抵当にまで入れたという。その覚悟と情熱が素晴らしいと感じた。中東という社会で生きることは、安穏とした平和に囲まれているわけではないからこそ、不屈の精神が生まれるのだろう。

#metoo の社会的な動きがあったことで、女性のみならず、社会的弱者への目線が映画製作に影響を与えるようになったのは、今年のカンヌ国際映画祭の風潮でも本当に感じることができた。

世の中には様々な人がいて、これまで目をあてられることがなかった人々やテーマが映画の中で扱われていくのは、社会的にとても意義があると思う。

ラバキ―監督の男性優位の社会や貧困、子どもの人権に反論をなげかける作品づくりは、個人的に大好きなトルコの女性監督デニズ・ガムゼ・エルギュベンの「裸足の季節」を思い浮かべた。封建的な男性社会のなかで光る、みずみずしい感性と少女たちの生き生きとした表情、疾走感が本当に素晴らしい作品だが、このように女性が閉塞的な慣例から飛び出していく姿や生き様は、現代の日本にもあてはまるものがあるのではないだろうか。

大きな賞を獲得しているだけに日本公開の可能性は高いと思うが、予告も素晴らしいのでぜひご覧ください。

 

「カペナウム」

監督、脚本 ナディーン・ラバキ―

主演 ゼイン・アルラフィーア、セドラ・イザム

(2018/レバノン/121分)

 

Vogue Arabia

https://en.vogue.me/culture/lifestyle-and-travel/nadine-labaki-october-cover-interiew/

https://en.vogue.me/culture/lifestyle-and-travel/nadine-labaki-october-cover-star/

Hollywood reporter

https://www.hollywoodreporter.com/review/capharnaum-review-1112973

Cannes film festival

https://www.festival-cannes.com/en/festival/films/capharnaum

 

鳥巣まり子

ヨーロッパ映画、特にフランス映画、笑えるコメディ映画が大好き。カンヌ映画祭に行きたい。現在は派遣社員をしながら制作現場の仕事に就きたくカメラや演技を勉強中。好きな監督はエリック・ロメールとペドロ・アルモドバル。


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