「音を立てたら即死」という極めて刺激的な惹句で話題を呼んでいるサバイバルホラー映画『クワイエット・プレイス(原題:A QUIET PLACE)』。公開3週目にして、アメリカ国内での興行収入は150億円に達し、世界規模では245億円を突破する驚異の快進撃を見せている[1]。

 

爆発的なヒットとなった最大の要因は、従来のホラー映画とは全く正反対の方法で「音」を使うことにより、観客に新しい恐怖感を与えている点にある。同時に、本作が初監督作品となった主演のジョン・クラシンスキーが「僕はホラー映画を撮ったわけではない。これは家族を描いた作品だ」と語るように、未知の怪物から逃れて生き延びようとする一家四人の姿は観る者の共感を呼び、ただ怖がらせるだけでは終わらない物語性も魅力の一つである[2]。

 

映画への「没入感」を生み出しているのは、本作の特徴でもある音響デザインだ。音響編集監督のエリク・アアダールとイーサン・ヴァン・ダー・リンの二人は、どのような手法をもってクラシンスキーが描く脚本の世界観を構築していったのだろうか(以下[3])。

 

――脚本を読めば一目瞭然ですが、『クワイエット・プレイス』は音響デザイナーにとって腕が鳴る映画ですね。最初にこの作品を知ったとき、どのような印象を持ちましたか。

 

エリック・アアダール(以下、エリック):私たちが脚本に目を通したのは、ジョン・クラシンスキーと初めて会う直前のことだった。イーサンも私も、ただ音響の可能性について驚かされるだけだった。脚本には、登場人物たちが対話をする場面がほとんどなかった。私たちには、この映画は音響デザイナーにとって夢のような作品だとわかった。同時に、これは大変に困難を極める仕事になるだろうなという予感もした。面白いのが、ジョンは私たちに会うやいなや、開口一番に「この映画は音響デザイナーにとって夢のような作品だ」と言ったことだ。先手を打たれた思いだった。

 

イーサン・ヴァン・ダー・リン(以下、イーサン):脚本の中で、音響が物語を進める上で欠かせないものであることは明らかだった。ストーリーを展開する際に、音響を前面に打ち出し、常に核とするというアイディアそのものに、とてもわくわくさせられた。

エリックと私は十年来仕事を共にしてきたが、これまでの経験すべてがこの映画をつくりあげていくように感じた。私たちは、今までずっと探求してきたテーマをこの映画の中では存分に探し求めることができると思った。観客は、この映画を観るときに必ずしも同じような方法で多くを聴こうとする必要はない。音響は物語が進む中で常に中心に据えられており、その構造のおかげで、私たちは、観客が今までにない新しい方法で音響を感じられるように仕向けることができた。

 

――音響デザインの展望という観点から見る「テーマの探求」とはどういうことでしょうか。

 

イーサン:私たちは派手なアクションや、特殊視覚効果、クリーチャーの出てくる映画を多数手がけてきた。スクリーンの中では実にたくさんのことが起こっていた。その経験から私たちが学んだのは、音響が最大の効果を発揮するのは、実際に流す音の数を減らし、集中的に配置しようとするときだということだ。多くのことが起こっている場面では、視覚に対抗しなければならない。特定の瞬間に大事なことを観客に伝えるため、音響をより集中的に組み込まなければならないと感じている。

音をそぎ落とすことこそ、私たちが取り組んできたことだった。私たちはどれほど取り除くことができるか。音響デザインについて考えるとき、どの程度、音響を用いることができるかではなく、どのくらいたくさん音を鳴らせるのかを考える人が大半を占める。これは全く正反対のことだ。音をいかに最小限に絞り、集中させられるか。『クワイエット・プレイス』は、この課題に論理的な解決をもたらした。

 

――エリック、二人で脚本を読んだとき、試してみたいと思っていたことができるチャンスだと思った一方で、とても大変な仕事になると感じたと言いましたね。まず浮かび上がってきた課題は何でしたか。

 

エリック:音がぎっしり詰まった映画では、音楽のスコア(総譜)は膨大な量になるかもしれない。音に厚みを持たせるレイヤーサウンドがあり、トラックはいっぱいでにぎやかだから。 これはある意味で、私たち音響デザイナーにとっても観客にとっても居心地のよい状況だ。

『クワイエット・プレイス』はそういった映画の対極にある。映画における音響概念そのものをひっくり返した。音のない空間、押し黙る人々、沈黙が引きずる影、究極の静けさが重要になる。音を立てれば、自分の姿を無防備にさらすことになる。だからこそ、音響は計算して用いる必要がある。この作品のようなわずかな音しか出せない映画にとって、それは挑みがいのある課題だ。

もう一つ、課題だったのが、怪物の描き方だった。この怪物は、目が見えない代わりに、人間をはるかにしのぐ非常に鋭敏な聴覚を備えている。その耳にはあらゆる音が増幅されて入ってくる。彼らは音で会話するが、その「言語」はどんなものか、また、聴覚でどのように物事をとらえるのか、そして、何を聞いているのかといった設定を考えるのは、とても難しかった。

 

――今どきの映画は一般的に大音量の音響を伴っています。そういった状況の中で、どのようにしてこの映画の音に対するアプローチを観客にわかってもらおうとしたのでしょうか。

 

エリック:私たちが環境の自然音をつくりあげていくことに対してのみ、気を配った。そういった音というのは、みんな聞き慣れているため、あえて考えることはしないだろう。日常生活の一部なのに、あえて意識する人はまずいない。無人の通りを駆け抜ける風の音や、暮らしの中の音が環境をつくりだし、そのおかげで私たちはその環境は本物だと感じられる。

いかなる音楽も流さない。そうすれば、映画館で観なくとも、観客はまるで実際にあの場にいるような錯覚を覚えるだろう。映画の中の家族と行動を共にしているような感覚を味わい、ゆるやかにあの世界に吸い込まれていく。本当にちょっとした工夫で、細部まであたかも現実のものであるかのように作りこむことができた。それによって、観る側はこの世界に没入することが可能になる。

 

イーサン:SXSWでの上映後、私たちは最終的なミックスの途中にあった。観客を、今までにない斬新な音響体験に導くため、映画の冒頭の音量を少しだけ上げた。そのほうが心地よく快適だった。音量を上げれば、ノイズも混ざる。そのノイズを消すため、また徐々に音を下げていった。

観客には、聴覚を再調整し、今までにない音響経験に脳を順応させるための時間が必要だった。SXSWでのプレミア上映では、映画はもっと静かに始まった。冒頭だけ音量を少しだけ上げるというのは、ちょっとした発見だった。このアイディアのおかげで、映画は滑り出しも上々に、うまく進んでいくことができた。

 

――観客がこの沈黙をどうとらえるか、気がかりではありませんでしたか。観客が映画館でいかに自分たちがうるさくしているかにふとした瞬間に気がついたという話は山ほどあります。それもあなたの計算の一部だったのでしょうか。

 

エリック:そうなんだ。確かにそれは私たちが考えていたことだ。イーサンと私の出発点は、デザイン的に、最初に強く印象づけるサウンドをつくりあげ、それによって観る者を興奮させるというものだ。

もう一つつけ加えるなら、いろいろな音が大きなボリュームで流れる映画には、音響心理学の効果が見られるものだ。観客はそれに少しだけ心地よさを覚える。気持ちが落ち着くからだ。劇場の椅子に背中を預けて観ている最中、何か音がして反射的に体がびくんと動く。これは言うなれば心地よい体験だ。その予定調和を取り去って、音を極力カットしたとき、観客はみずから身を乗り出し始め、息を飲み、静かにしようとするだろう。そして、音を立てているのが自分自身であることに気がつくはずだ。観客は、この映画で起こる出来事を自身の体験として感じることができるだろう。

音を絞り、沈黙を徹底する試みには危険があるが、その10倍の見返りを得られると強く感じた。この音響心理学によって、観客をエンドロールまで身を乗り出させ、息を飲ませ、映画のとりこにさせることができた。

 

イーサン:私たちが考えたのは、こんなことだった。「観客がうるさすぎて、この映画の仕組みが機能しないんじゃないか」。しかし、私たちが観たときには、うまく機能していたことが十分すぎるほどわかっていたから、私たち以外の人間がこの映画的状況にうまくなじんでいけるかを知りたいと思った。この映画を公開することは価値があると感じていた。

映画の中にはさまざまな場面があった。私たちは「沈黙の領域」をどれほど長く広げられるかについて議論した。とりわけ、ミリセント・シモンズが演じた耳の聞こえない少女リーガンがかかわるパートで、彼女が人工内耳のスイッチを切る場面では、周囲をまったくの無音にしている。私たちは、文字どおり無音でどのくらい映画を進めていけるかについていろいろと考えてみた。映画のほかの部分で、観客はこの雰囲気に慣れていくことは明らかだった。

 

エリック:幸運にも、私たちは、たぐいまれな才能を持つ監督のジョンをはじめ、完璧にサポートしてくれるプロデューサーたちに恵まれた。彼らは、私たちがこの実験的な試みをする後押しをしてくれた。SXSWで初上映されるときまで、誰もが少しだけ神経質になっていた。しかし、1,200人の観客がこの映画に起こした反応を見て、私たちは安堵のため息をついた。「よし、この方式はちゃんと機能している」と。もう何も心配する必要はなかった。観客の様子を見て、私たちは、ミックスを完成させる段階で、試みをもう少し押し進めてもよいという確証を得た。

 

――劇場で味わえる感覚についてはわかりましたが、この映画を家で観る人も少なくはないでしょう。スマホ、TV、パソコンのモニターなど、観る環境はその人によってさまざまです。劇場で得るのと同じ音響効果をどの環境でも等しく得ることは可能でしょうか。

 

エリック:映画には、ホームシアター用の形式である「near-field mix」と呼ばれるシステムがある。このシステムでは、通常、ダイナミックレンジ(最弱音と最強音の幅のこと)がやや小さくなる。『クワイエット・プレイス』がnear-field mixの形式をとるかはわからない。ダイナミックレンジが最大になるtheatrical mix形式になるんじゃないかな。家で観る場合には、食洗機のスイッチを切り、ドアを閉めることになるだろう。できるだけ何の音もしない環境で楽しんでほしい。

よいサウンドシステムと音響設備を有する映画館はすばらしい。それは、言うなれば、外部音から遮蔽された寺院のようなものである。館内を音で満たすための環境だが、逆に、完璧な静かさを保つための絶縁体となり、無音の環境をつくりだすのにはうってつけだ。

家で観賞する際に、ベストなホームシアター設備を持っていないのなら、この映画がもたらす効果をすべて体験するために、ヘッドフォンを使って観てほしい。欲を言えば、だからこそ、まずは劇場でこの映画を観てほしいと思っている。

 

――業界全体がこのnear-field mixesをとるようになればいいと考えていますか。

 

イーサン:議論の余地があるところだと思う。一つは、推奨レベルで音声を再生しない場合、near-field mixシステムを採用していないと消えてしまう音があるという懸念だ。near-field mixシステムを採用するかしないかで議論になるのはそこだ。その懸念に対しては反対の意見もある。私たちはダイナミクスレンジを狭めたくないと思っている。この映画の美しさは、無音の空間が数々ある一方で、ダイナミックレンジの幅がとても広いところにある。

私たちがよく使うたとえだが、最初に谷の低さを知らなければ、頂上の高さを本当に味わうことはできない。だから、私たちはその谷を埋め立てたり、頂上を削ったりしたくはない。調整方針は、恐らく次の数カ月で決定されると思う。

私はとにかくこの映画のアイディアが気に入っている。家で観るにしても、観客は携帯をしまい込んで、ひたすら映画に集中しなければならなくなるだろう。

 

エリック:私もこの映画のアイディアはとても気に入っている。今のご時世、観客が波長を合わせて、注意深く聴きとろうとする映画は本当に貴重だと思うから。それは別に特別なことではなく、しようと思えばできるはずなのに、誰もがあまり経験のないことだ。この映画は、今までにない新鮮な方法で、人が本来持っている能力に再度気づかせてくれる。

 

《参照URL》

[1]https://pro.boxoffice.com/movie/31566/a-quiet-place

[2]https://www.youtube.com/watch?v=QvMStgX1oyc

[3]https://www.theverge.com/2018/4/19/17253262/a-quiet-place-sound-design-eric-aadahl-ethan-van-der-ryan-interview

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。


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