[354]陰謀論の時代における表現の自由


2347「私たちは再び、大企業の思惑によって言論の自由や芸術や真実が検閲を受ける瞬間を目撃しているのだ」(#1)

 映画をはじめ様々な表現に携わる場所では、あらゆる表現行為が基本として自由に許され、その作品そのものが実際に見られた上でその内容について議論されるべきだと考える人間が多いだろう。例えば、上に引用した言葉は、その主張する内容としては多くの共感を呼ぶ筈だ。同じ台詞をかつて口にした人も多いのではないか。しかし、ひとたびその背後の文脈を視野に入れるならば、事態はそれほど単純な話でもないことが分かってくる。私たちは、その明快で魅惑的な言説の力学に絡め取られる前に、もう一度冷静に問題を検討する必要があるのかもしれない。果たしてそれは本当に表現の自由の問題なのだろうかと。

 上記引用は、4月14日から開催予定のトライベッカ映画祭において一本のドキュメンタリー映画の上映が中止されたことに対し、監督と製作者が抗議したステートメントの一部である。この作品のタイトルは『Vaxxed:隠蔽から大惨事へ』(#2)、監督と脚本はイギリスの元医者であるアンドリュー・ウェイクフィールドがつとめている。『Vaxxed』は、小児用MMRワクチン(麻疹、おたふく風邪、風疹の三種の生ワクチンが混合されたワクチン)接種と自閉症の関係を追求したドキュメンタリー作品であり、アメリカ疾病管理予防センター内の告発者へのインタビューを織り交ぜつつ、ワクチン接種が児童に自閉症を発症させるリスクがあることを知りながら、政府や医療業界は「ワクチン・マフィア」の思惑によって危険な医療を継続させていると主張している。(#3)

 ウェイクフィールドによるこの主張は、1998年に彼が世界的に権威ある医療学会誌「ランセット」に発表した研究論文に基づいたものだ(#4)。その中でウェイクフィールドは、MMRワクチンが自閉症や内臓疾患を発症させるリスクがあると主張し、イギリス全土に大きな騒動を巻き起こした。だが後に明らかになったように、この研究はわずか8件の(現実性の疑わしい)症例に基づいたものに過ぎず、ワクチン接種と自閉症の間に因果関係は存在しないとして医療学会から完全に否定され、「ランセット」誌からも2010年に掲載を取り下げられている。さらにウェイクフィールドは「世間的に信頼される医師という立場を濫用し、その信頼に背く様々な行為に携わった」として医療資格を剥奪されている(#5)。

 だが、人はしばしば明快で科学的な論理よりも、その背後に潜む疑惑や陰謀や幽霊の存在を信じたがるものである。MMRワクチンと自閉症の間に科学的因果関係はないと幾ら専門家が主張したところで、そうした主張こそ彼らが業界(医療村)の利益に奉仕し陰謀に荷担している証拠であるのだとする声を消し去ることは出来ないのだ。陰謀の不在、幽霊の不在を証明することは難しい。事実、ウェイクフィールドの論文が発表された時代から10年足らずの間に、イギリスでは児童のワクチン摂取率が10%以上も下落し、これがイギリスで麻疹が大流行した大きな原因ともなっている。

4256 こうした問題含みの作品をトライベッカがラインナップに加えたのは、映画祭創設者でもある俳優ロバート・デ・ニーロの個人的関心が強かったようだ。彼の18歳になる息子エリオットは自閉症として知られている。デ・ニーロは映画祭の作品選定に関する公式ステートメントの中で次のように述べていた。
 「これはとても個人的なものであり、また私の家族の関心でもあるのですが、私は議論があるべきだと思いました。だからこそ『Vaxxed』を選んだのです。この映画の内容を保証するつもりはありませんし、個人的に反ワクチン論者でもありません。私はただ、この問題を巡る討論の機会を設けたいと考えたのです。」

 しかし『Vaxxed』上映に反対する医療関係者やジャーナリスト、映画作家たちは、トライベッカによる上映作品発表直後から直ちにキャンペーンを開始し、その組織的行動とアピール力によって映画祭に上映中止を決定させた。これに対し、アメリカ合衆国元大統領ジミー・カーターの妻であるロザリン・カーター(夫がジョージア州知事を務めていた時代から、精神疾患・情緒障害者・知的障害児のため自ら5年以上にわたってボランティア活動を行った他、ファーストレディとしてメンタルヘルス法制定に貢献するなど大きな役割を果たした。その功績をたたえ、国立メンタルヘルス協会名誉委員に列せられたほか、2001年には全米女性の名誉の殿堂入りも果たしている)は『Vaxxed』上映中止に賛同しつつ、次のように述べている。(#6)
 「デ・ニーロ氏はワクチン接種と自閉症の間の疑惑に議論があるべきだと言いますが、しかしその議論は既にあったのです。そしてそこに関連がないと証明されているのです。ただデ・ニーロ氏が知らないだけの話なのです。」

 また、自閉症科学財団会長のアリソン・シンガーも次のように述べる。
 「これは言論の自由に関わる問題ではありません。危険な言論に関わる問題なのです。自閉症とMMRワクチンの間に関係性があるとする議論はこれまで何度となく繰り返されてきました。そしてそのたびに何度となく結論が出されてきたのです。そこには関係がないという結論が。私たちはもはや地球が平面か球体かなんて議論しません。それと同じことなのです。」

 現在行われている共和党の大統領候補キャンペーンの中で、ドナルド・トランプもまたワクチンと自閉症の疑惑についてスピーチしたことが知られている(#7)。どれほど専門家が科学的に否定したところで、声の大きいものがそこに疑惑があると主張すれば、無視し得ない数の人々の頭にその疑惑が住み着いてしまう。そして、その疑惑は社会的不安を生み出し、ポピュリストの手によっていとも簡単に利用されてしまうのだ。私たちは、こうした教訓を歴史から改めて学ぶべきだろう。

#1
http://www.naturalnews.com/053446_Robert_De_Niro_VAXXED_documentary_censorship_threats.html
#2
http://www.imdb.com/title/tt5562652/
#3
http://www.theguardian.com/film/2016/mar/26/robert-de-niro-autism-vaccination-tribeca-andrew-wakefield-vaxxed
#4
http://www.thelancet.com/
#5
http://www.theguardian.com/society/2010/may/24/mmr-doctor-andrew-wakefield-struck-off
#6
http://www.theguardian.com/society/2016/mar/29/tribeca-de-niro-anti-vaccination-film-scientists-response
#7
http://www.theguardian.com/us-news/2015/sep/17/donald-trump-vaccines-autism-debate

大寺眞輔
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。

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