[348] ジャド・アパトー、Netflixドラマ「ラブ」を語る


少し古い話題になってしまいますが、今日は2月下旬からNetflixで配信されているドラマ「ラブ LOVE」[*1]について取り上げたいと思います。
このドラマは、現在のコメディ映画における最重要人物と言えるクリエイター、ジャド・アパトーが製作総指揮を務める作品。タイトル通り「愛」がテーマとなっているコメディなので、ジャンルとしてはロマンティックコメディ、日本風に言えばラブコメディということになるのですが、そこはアパトーが手がける作品ですから一筋縄ではいきません。同時期に手痛い失恋をしたアラサーの女性ミッキー(ジリアン・ジェイコブス)と男性ガス(ポール・ラスト、企画&脚本も兼任)が偶然に出会い、いかに関係を育んでいくかが描かれていく……と要約してしまえばシンプルな物語ではあるのですが、そのシンプルな筋を構築していく細かな要素の数々は決して単純なものではありません。このドラマでは、彼/彼女よりも先に向き合わなければならない目先の仕事上のトラブルや、何度も同じ失敗を繰り返してきた過去の恋愛経験、自身のアイデンティティーの危機などなどを抱え、二人を隔てる大きな障害があるわけでもないのに、ただ「彼/彼女が好き」という感情だけでは恋人同士にはなれない男女の姿が少しも美化されることなく描かれています。
今回はそんなドラマ「ラブ」について、ジャド・アパトーがIndiewireの取材に応じた記事の中[*2]から、彼のいくつかの発言をご紹介します。

・「ラブ」というタイトルについて
「このタイトルはセックスを描いたある外国映画が元になっている(笑)。【※ギャスパー・ノエ監督『LOVE 3D』のこと】僕らは本能的にこのタイトルを考えついた。“Love”という言葉は包括的だし、このドラマをその一言で呼ぶのは可笑しな感じもある。『40歳の童貞男』の後、僕は思った。「さて次の作品は?」「『GILRS ガールズ』だ」って。それは何を見せるものか? ガールズだ(笑)。『Trainwreck』の時も同じで、あの主人公は何かといえば、彼女はtrainwreck(大惨事、悲惨な状態)だ。“Love”は全てを含んでいる、幸せもゴタゴタもどちらもね」

・「ラブ」を製作した理由
「動機の根本にあったのは、“もし『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』(07年にアパトーが監督したセス・ローゲン、キャサリン・ハイグル主演映画)がテレビシリーズだったら?”ということだった。もし次の日、さらにその翌日に、あの二人の関係がどのように展開するかを見せることができるならどうするか? 僕はこのアイデアを気に入っているんだ。これは僕の映画が長くなってしまう理由のひとつでもあるんだけど、それぞれのキャラクターを探ったり彼らの浮き沈みを追うとどうしても時間がかかってしまう。だからこのアイデアをNetflixでシリーズ作品としてやれれば、トイレに行くために一時停止しながら見る5時間の映画みたいでいいなと思ったんだ。5時間の映画というのは僕の究極の夢でもあるんだ」

・現代における人間関係を特徴づける要素について聞かれて
「いつの時代も好みは人それぞれだから人間関係もまた多種多様だと思う。ただ僕が思うのは、人間というのは自分をいらつかせる人が気になるということ。君のお母さん、お父さんのことを考えてみればいいよ。誰の人生にもその関係性を通して、自分を混乱させると同時に自分を癒してもくれる存在がいると思う。“恋人にするなら可愛いブロンド娘じゃなきゃだめ”なんて思う奴もいるだろうけれど、そういう奴だって知らず知らずのうちに自分を癒してくれる人間を嗅ぎ分けてるんだと思うよ。人々はそういう相手を探し求めているし、それはあらゆる人間関係に通じることじゃないかな」

・映画界の人材がNetflixやAmazonのプラットホームに流出していることについて
「一生映画を作り続けたいという情熱を持ち続けようとする人たちがいて、ある日HBOやNetflixやAmazonから“やあ、映画で企画したのと同じ主題でシリーズ作品をやらないか?”と言われたら、それはやるよ。無理に映画でやろうとはしないさ。実際、いまやインディぺンデント映画の多くがストリーミングサービスへと移行しているしね。(製作費が)500万~4000万ドルの映画もだんだんストリーミング作品として作られるようになるだろうし、それは素晴らしいことだと思うよ。それらの映画を劇場で観ることができないのは悲しいけれどね。でもやっぱり映画は少し金がかかりすぎるし、インディ界にとってはNetflixのような場はすごく意味がある。願わくば、映画としては撮ることができなかった作品もまた日の目を見るようになることが望ましいね」

・ドラマの結末について
「Netflixの好きなところはハッピーエンドにすべきだって言われないところだね。僕はどんな気持ちになろうとも裏表のない真実の結末を見せるべきだと思っている。ケーブルテレビやストリーミングサービスで力作が増えているのにはその点が大いに関係していると思う。“パッピーエンドにしないと興行収入が下がる”なんて考えなくていいからね。映画だと結末は常に問題になってしまう。観客に楽しい映画を観た、良い映画を観たという気持ちで帰ってもらえるようにしなきゃいけない。スタジオは観客に他の人にもその映画を観に行くよう勧めてほしいと考えるから、ほとんどの映画はある種の解決や決意が描かれる第3幕を中心に構築されている。それで結末を変えられてしまう映画はたくさんある。大抵の物事は奇妙な終わり方をするものだし、快適な終わりを迎えることなんてそうそうないのにね」

はたして現在配信中のシーズン1の「始まりの終わり The End of the Begining」と題された最終話(第10話)で描かれる「結末」がどんなものか、興味のある方はぜひご覧になってみてください。

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*1
http://www.imdb.com/title/tt4061080/

*2
http://www.indiewire.com/article/judd-apatow-a-champion-of-comedy-on-love-and-how-to-initiate-diversity-20160219

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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