チリやレバノン、香港、イラクにおいて、政府に対する抗議デモを展開する中で、ホアキン・フェニックス主演『ジョーカー』のメイクを施したり、マスクを被ったりする人が多数現れているという。

歴史家のウィリアム・ブランは、この状況について「『ジョーカー』には感情に訴える力があります。人々の声を聞かず、変わろうとしていないと思われる政治制度に対する抗議の形をとって、それが響いたのでしょう」と説明する。

社会運動に当たって人々が映画の格好を模倣する例としては、『Vフォー・ヴェンデッタ』が思い出される。2003年から活動しているハッキング集団アノニマスが、同作のガイフォークスの仮面を使うようになってから、世界中でガイフォークスの仮面が見られるようになった。

ブランは、「二つの映画の中心的なテーマは、社会の分裂と、個々人が一人で自らの苦悩に向き合わなくてはならない状況」だと指摘する。「どちらの映画も、人々が集団を形成し、苦難に対して孤独を感じないように同じマスクをつけるのです」

Vとジョーカーは「共に権力の犠牲者であり、復讐を心に決めた者です。彼らは共通して、社会的な暴力によって歪められた身体を持ち、強い痛みの中で笑ってみせます」とブランは説明する。その笑いは、自分を傷つける相手に対して強さを見せつけ、自分が主導権を握っていることを示そうとするものであり、同時に、相手を畏怖させ、復讐を決定的なものと印象付けさせるものでもあるという。

また、ブランによれば、ジョーカーは右や左の政治的立場を代表するキャラクターではないという。抗議運動に影響を与えたのは、「それが主にあらゆる集団から疎外される孤独を表しているからです。この孤立こそが、真に現代的な問題」だからだと彼は主張している。

もっとも、『ジョーカー』を抗議運動のシンボルに使うことに対して、懸念を表明する意見もある。

香港ではジョーカーのメイクを施したり、仮面を被ってデモに参加している人々がいるが、ある学生はCNNに対して「(映画の中では)マスクをつけた人々は殺人を犯し、皆が自分がやっていることが正しいと感じて興奮しています。でも私たちはそれはできない。もし香港の人々が本当にジョーカーのように振る舞ったら、香港の未来は暗いでしょう」と語っている。

香港のソーシャルメディア上の投稿などでも、「香港と『ジョーカー』の状況を比較するの不適切だ」、「香港の状態を語るときに『ジョーカー』を使うのをやめてほしい。個人レベルでも、公共レベルでも悪い影響をもたらすだけだろう」などの意見が見られる。

参考

https://www.indiewire.com/2019/10/joker-government-protests-lebanon-hong-kong-1202185602/

https://www.france24.com/en/20191024-from-beirut-to-hong-kong-the-face-of-the-joker-is-emerging-in-demonstrations

https://edition.cnn.com/2019/10/29/asia/hong-kong-protests-joker-intl-hnk-scli/index.html

 

貳方勝太 (にのかたしょうた)迷える社会人。大学在学時は映画の制作に耽るなどして徒らに過ごし、現在は重度のヘヴィ・メタル好きが高じて作曲に手を出す。好きな監督はハル・ハートリーやマルコ・ベロッキオなどなど。文化に触れる時間を確保するのが日々の課題。


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