[World News 203] シネマテーク・フランセーズでミケランジェロ・アントニオーニの回顧上映が開催

 1960年のカンヌ映画祭で『情事』が審査員賞を受賞してから55年が経つ今年、パリ・シネマテークフランセーズではミケランジェロ・アントニオーニの回顧展が先週から開催されている。展示のタイトルは「ポップの起源(Aux
Origins de Pop)」。『情事』がカンヌで拍手喝采…ではなく大ブーイングを浴び、パルムドールをフェリーニの『甘い生活』に譲ることになったというエピソードは現在でもよく知られているところだが、監督がその後残した作品群は、その後の監督たち、とりわけファッション文化と恊働する映画作家に多大な影響を与えた。『情事』はアントニオーニの4作目の長編映画で、1912年生まれの彼は既に50歳を目前としていた。『情事』がもたらした感性はしかし、完全に新しいものだった。(※1)カンヌで彼が巻き起こした騒ぎは、映画が持っていた大胆な運動性によってもたらされたものだ。特に奇抜なことがおこるわけでもなく、しかも演出側にも俳優側にもそれを気にしている様子もない。アントニオーニは『情事』によって、イタリアの富裕層が快楽の探求のなかで、自身の信念などをいとも簡単に脱ぎ捨て、不毛さの中に自身を溺れさせていく様子を描いたのだった。(※同1)

 本展示で特に焦点があてられるのは1966年に公開された『欲望』(1966)だ。『欲望』は写真家デビッド・ベイリーをモデルに、ハービー・ハンコックの軽快かつ気だるいBGMを背景に、若手写真家が偶然撮影した写真によって内外に変化をきたしていく物語で、モニカ・ヴィッティは出演していないもののアントニオーニの映画のなかでこれをベストとする人も多いと思う。広告写真の全盛を象徴するかのようなアントニオーニ初のカラー作品の撮影風景や、考案にあたって交わされた私信などが多く展示される。Hollywood
Reporter誌は、この映画の感性はジェフ・ウォール、シンディ・シャーマン、ティラヴァーニャといった写真を扱う現代美術作家の登場を準備し、ウォーホルの諸作品とも響き合うとしている(※同1)。現代美術への影響はさておき、写真作家や、写真家を志す若者が登場するほとんどの映画に、『欲望』から影響を受けたに違いないと思わせるような場面が多く見られるのは間違いない。

 そのほか本展示では、ほぼ全作品をカヴァーする回顧上映の他、製作中に撮影されたスティルや、ブリジット・バルドーと初めて会う機会を持った際のアントニオーニの日記、ヴィスコンティやフェリーニ、ロラン・バルトへの手紙など、イタリアボローニャとベニスの間にあるアントニオーニの生地、フェラーラの財団の協力もあり、数々の資料が公開されている。アントニオーニの後期に限らず、20世紀後半のヨーロッパを振り返ることができそうだ。(※2)シネマテーク・フランセーズのHPには、往年のアントニオーニ作品のヒロインたちの姿が代わる代わる現れる凝った特設ページも設置されている。(※3)

 実は筆者は、『欲望』に顕著なアントニオーニの映画が持つある種のファッショナブルな雰囲気が、どちらかと言えば得意でないのだが、そうした作家の感性がどういう文脈で培われたのかを考えることは興味深いと思う。イタリア・ネオリアリズモが全盛期を迎える頃に映画についての思考を始めたこの作家は、ロンドン、アメリカ、フランスといった都市のポピュラー・カルチャーやファッションから存分に影響を受けることによって、当時として独特の感性をものにした。アントニオーニは、ローマから出て行くことによって成長した作家なのかもしれない。こうした彼のコスモポリタンな側面とどこまで関係しているのかわからないが、イタリア・ローマ界隈でのアントニーニの現在の評価は必ずしも高くないともいう(※同1)。ちなみに彼が初めて撮った映画は、生地フェラーラからさほど離れていない村を撮影したネオリアリズム的な作品で、これはYouTubeでも見ることができる(※3)。

 余談だが、『欲望』には意外な原作があるのをご存知だろうか。フリオ・コルタサルというラテン・アメリカ文学の中でも独特の境地を切り開いた作家の「悪魔の涎」という短編だ。コルタサルは、ガルシア・マルケスを筆頭とするマジックリアリズム小説得意の神話的な構造を引き継ぎながらも、サイトスペシフィックといえばよいか、土地や慣習にまつわる事柄を扱うよりもむしろ、都市における生活をあつかった作家だ。舞台化もされた「南部高速道路」を好む向きもあるかもしれない。主人公は、小説の翻訳を糧道としながら、趣味で写真を撮っている男性だ。映画の原題「Blow
up」 というのは「(写真の)引き延ばし」を意味する。壁に掲げられた大きく引き延ばされた公園の写真を見ながら、主人公の感覚に次第に大きな変化が訪れるという基本のストーリーは同じであるが、原作小説では撮影者である主人公の部屋であるとか、主人公の内面であるとかが、たまたま見た風景によって歪み、ねじれていくというような、より実存的な側面がクローズ・アップされている。原作は短い小品なので、アントニオーニがこの短編のどこに興味を持ったのか考えてみるのも面白いと思う。

※展示は4月9日~7月19日まで。その他、シネマテークフランセーズでは今年は大島渚やエルマンノ・オルミ、ブラジル映画史の回顧展も開催される。
※1  Hollywood  Reporters(http://www.hollywoodreporter.com/…/antonioni-origins…)
※2 New York Times “In Paris, Revisiting the ‘Aesthetic Shock’ of
Antonioni” (http://tmagazine.blogs.nytimes.com/…/antonioni-show…/)
※3 Cinematheque Francaise
(http://www.cinematheque.fr/exposition…/antonioni/index.htm)
※4 “Po Valley” https://www.youtube.com/watch?v=ixccmJ5j_oY

井上二郎
上智大学英文科卒業。「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっています(休止中)。ニュース関連の仕事をしながら、文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。


コメントを残す