今年のカンヌ国際映画祭のオープニングを飾ったジム・ジャームッシュの新作『The Dead Don’t Die』[*1]が6月14日から全米で劇場公開されています。日本では来春の公開が予定されているというこの作品は、ビル・マーレイ、アダム・ドライバー、クロエ・セヴィニー、ティルダ・スウィントン、スティーヴ・ブシェミ、イギー・ポップ、トム・ウェイツ、RZA、ダニー・グローヴァー、セレーナ・ゴメスといった超豪華な俳優陣が集結したゾンビ映画、しかもそれがコメディとして作られているということで、お披露目前から大きな話題になっていました。
物語の舞台はセンターヴィルというアメリカの架空の田舎町で(ジャームッシュによればこの名前はフランク・ザッパの映画『200モーテルズ』に登場した同じく架空の町から取られたとのこと[*2])、ある晩ダイナーに突如ゾンビが出現し人々を襲い始めます(さらにそのゾンビはコーヒーを所望する、演じるのはイギー・ポップ)。その後、どんどん増えていくゾンビと人間の戦いが3人しかいない町の保安官(マーレイ、ドライバー、セヴィニー)を中心に描かれていくわけですが、そこはジャームッシュ、その結末も含めてゾンビ映画の定型にはおさまっていないようです。
たとえばNew Yorkerのリチャード・ブロディ氏はその映画評において以下のように記述しています。
「ジム・ジャームッシュの新しいホラーコメディ『The Dead Don’t Die』を見て私が思い出したのは、中西部の小さな町におけるソーシャルライフと市政のルーティンを記録したフレデリック・ワイズマンの2018年のドキュメンタリー『Monrovia, Indiana』だった。モンロヴィアの憂鬱で途方に暮れた住民の悲しみと死に満ちた見方から、私はそのワイズマンの映画をゾンビ映画のドキュメンタリー版として捉えた。『The Dead Don’t Die』はセンターヴィルというペンシルベニアの架空の町を舞台にしたアメリカの中心(American Center)あるいは行き詰まり(dead center)に関するゾンビ映画だ。その町の人口は738人だが、すぐに急激な変動を見せることになる。ジャームッシュの映画はワイズマンのドキュメンタリーと同じくらい熱心かつ熱烈で非常に政治的でもある、想像力に富んだコメディになっている」[*3]。
以下に全米公開に合わせていくつかのメディアに掲載されたジム・ジャームッシュのインタヴュー記事の中から、ゾンビ映画を作った理由を含む興味深い発言を抜粋します。

■何故ゾンビ映画か
「2~3年前、『パターソン』を撮る前に、すごく馬鹿げた、たわいもない映画を作りたいと思った。『コーヒー&シガレッツ』みたいなね。あの作品の寸劇に登場するキャラクターはほとんど漫画のようなものだけど、ああいう映画をまた作りたかった。それでゾンビが面白いと思ったんだよね…。僕の好きな俳優を集めて、その小さな集団がいくつかの場所で立ち往生する。ゾンビがそこに乱入して彼らを食べようとする。そしてゾンビの攻撃が続く間、そこでは本当に馬鹿げたくだらない会話のみが繰り広げられる。これが最初のアイデアだった。それで『パターソン』が完成したあとで、まあ自分の意思に従いつつ脚本を書いていったら、結果的にこういうものができたという感じかな。馬鹿げた要素もあるとは思うけど、最初に考えていたものとは違うものになった。もっとミニマルな、もう少し簡単に作れるものになるはずだったんだけどね」[*4]。
「僕はゾンビ映画自体にはそれほど引き付けられない。あまりテレビも見ないから、「ウォーキング・デッド」も見たことがない。ゾンビが主題として使われている古い映画、たとえば『ホワイト・ゾンビ』や『私はゾンビと歩いた』なんかは好きだけど、ここでのゾンビはヴードゥー教の呪術によって作られたもので、人間がコントロールできる存在だった。昔の映画においてそれはある種のスルー・ラインだった。僕にとって最も偉大なポストモダンのゾンビ映画の監督はジョージ・A・ロメロだ。彼が成し遂げたことはものすごいことだよ。彼はあらゆる概念を違うものに変えた。人間はゾンビをコントロールできない。一般的にモンスター、たとえば吸血鬼、フランケンシュタイン、ゴジラなどは社会組織の外から現れ、社会組織に危険や脅威をもたらす。ロメロのゾンビは社会構造の中から出現するものだ。彼らはシステムの中で機能不全を起こした何か、社会構造が破綻した結果なんだ」[*4]。
「大量消費主義の問題、ロメロの映画に織り込まれている問題は悪化しているだけだ。何も変わっちゃいない。僕たちは彼の映画で警告されていたことのせいで危機に陥っている。そして今やその最終段階にある。今後10年で100万種(の動植物)が絶滅することより恐ろしいことがあるだろうか?(中略)僕はゾンビ映画の定型が好きなわけじゃない。みんながそれをやっているが、僕らは「ウォーキング・デッド」を作ろうとしたんじゃない。『新感染 ファイナル・エクスプレス』はイカしたゾンビ映画で、恐怖とサスペンスもあるが、この映画(『The Dead Don’t Die』)はそうじゃない。小さな町に警官のビル・マーレイとアダム・ドライバーとクロエ・セヴィニーがいて、たくさんのくだらない台詞がある。そして観客がこんな思いとともに帰路につくことを目的としている。“何てめちゃくちゃな世界なんだ”ってね。たとえばスティーヴ・ブシェミが演じるキャラクターが“アメリカを再び白人の国に(Keep America White Again)”というスローガンが書かれた帽子を被っているだろう。これは普段の僕とはちょっと違う…あまり説教臭いことはしない奴だからね。でもこうした差別的なスローガンは僕たちの懸念を反映するものでもある。そういうことを隠したくなかったんだ」[*5]

■スターギル・シンプソンによる主題歌とジャームッシュ&カーター・ローガンによる劇伴
「僕はスターギルの最初のアルバム『High Top Mountains』が大好きだった。モダンな音でさ。スターギルにテーマソングを書いてもらってそれを映画の至るところに織り込むことを前提にして脚本を書いていった。そして実際に彼が曲を書き下ろしてくれることになったんだ。本当に興奮したよ。この曲(“The Dead Don’t Die”)を作ってもらう上で彼とたくさんのことを話した。僕はジョージ・ジョーンズやパッツィ・クラインといった60年代初頭のカントリー・ミュージックのようなサウンドが欲しかった。僕らはさまざまなリズムや歌について話して、アイデアをやり取りし合った。そしてスターギルが歌詞と曲を書いて送ってくれた。彼はその曲をフィドル(バイオリン)、ペダルスティールギター、そして美しいピアノ・ブレイクとともに作り出した。そのすべてを聴いて、ただ素晴らしいという言葉しかなかった。僕は本当にこの歌が好きで、編集とミキシングの作業をするときに1000回は聴いたけど、まだ聴き続けているよ」[*2]。
「(カーター・ローガンとは)最初に『リミッツ・オブ・コントロール』でBad Rabbitという名義で一緒に曲をつくって、それからSQÜRLとして『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』と『パターソン』のスコアを作ってきた。こちらはよりアンビエントでエレクトロニックな曲だったね。最近ではロビー・ミューラーに関するドキュメンタリーの劇伴も一緒にやったんだ。でも今回の映画のスコアは本当に気に入っている。僕らは電子音をミックスしたヘヴィなギタードローンが好きで、これは僕らが即興で演奏したものなんだ。編集期間の週末に録音していったんだけど本当に楽しかったよ。僕らはゴブリンやタンジェリン・ドリームといった70年代のヨーロッパの楽曲に夢中になったけど、それを真似したくはなかった。ボリスやSunnO)))のようなヘヴィなものが好きで、僕らのDNAのなかにそういう音があるから、一緒に演奏するときに自然とそうした傾向がヘヴィな音として出てくる。サーストン・ムーアがMolten Meditation Core(融解された瞑想の核)と呼ぶやつだね」[*2]

■若者たちに向けた『The Dead Don’t Die』
「この映画ではRZAによってひとつの哲学が表現されている。彼はほとんど英語をはなさないので非常にミニマルな方法で自らの哲学を貫いている。それは“毎日あるいは1週間に一度、ほんの数分の間でもその瞬間を生きることを達成できれば、世界は完璧だ”というものだ。そしてもし世界が完璧であることに気付いたとしたら、自覚を持つこというこについて詳細にわかるようになる。それは僕にとって何気ないことではない。人間の行動を悲観するとき、自分が自覚的であることを認識することで前を向けるし、地球上では驚くべきことも宇宙においてはほんの短時間の話なんだ。僕は恐怖心を消し去りたくはない。迫り来る闇、恐れ、パラノイアを望んではいないけれど、若い人たちに目覚めてほしい。そして彼らは目覚めつつある。実際、今や若者たちがリーダーだ。グレタ・トゥーンベリ(地球温暖化と気候変動の阻止を求める16歳のスウェーデン人活動家)は僕の指導者のひとりだ。ティーンエイジャーは僕にとってあらゆる面においてものすごく重要だ。彼らが私たちを、私たちの音楽を、私たちのスタイルの意味を文化的に定義してくれる」[*5]。
「(『The Dead Don’t Die』に出演する)セレーナ・ゴメス、オースティン・バトラー、ルカ・サバトは本当に素晴らしい、スーパーナチュラルな俳優たちだが、同時に彼らは信じられないほど美しい。だから僕は彼らを美しいヴィンテージカーに乗って世界中を旅する美しい若者のように描きたかったんだ。彼らがセンターヴィルにやってきたとき、まるでGUESSジーンズの広告から飛び出してきたようなエキゾチックな生物のように見える。セレーナのことはハーモニー・コリンの『スプリング・ブレイカーズ』を見て好きになった。『マネー・ショート』で第4の壁を破り、経済学に関するちょっとしたレッスンを行う彼女も素敵だった。彼女は晴れやかで、すごくパワフルで、特に若い女性に前向きな力を与えることができる人だね。ボディ・シェイミングやソーシャル・メディアを信用しないこと、そうしたことに関してもとても強固な意志を持っている。さらにポップ歌手としてもかなり興味深い。彼女の“Bad Liar”“It Ain’t Me”といった楽曲はかなり古典的なポップソングだけどすごく好きなんだ」[*5]

■葬儀屋のティルダ・スウィントン、『大菩薩峠』と禁煙
「脚本を書き始める前に僕はティルダに聞いてみたんだ。“もしゾンビが出てくる映画で、君が外国人としてアメリカの小さな町に住んでいるとしたら、どんな職業がいいだろう?”と。すると彼女は“そりゃ葬儀屋ね”と答えた。僕は“ビンゴ!君の役はそれだ!”と叫んだね。僕は彼女が言ったことは何でもするから、彼女にその世界の女王様になってほしかったんだ」[*6]。
「彼女に刀を持たせたのは、僕の武術と武術映画に対する愛からだ。『大菩薩峠』という60年代の日本映画が好きなんだけど、その主人公(仲代達矢が演じる机竜之介)は完全に悪に堕ちている精神異常の侍で、ただそういう気分だというだけで人々を殺していくんだ。自分が行く道に立っているからというだけで、皆殺しだ!っていう感じさ。映画の最後まで彼はたくさんの男たちと戦って、ついには手足を切られてしまうんだけど、ただただ純粋な憎悪にさいなまれている彼はまだ戦おうとするんだ。本当にとんでもない怒りに満ちた虚無的な映画だよ! 数年前に煙草をやめようとしたとき、僕はこういう怒りに満ちていた。それまで35年以上も煙草を吸い続けてきたから、やめるのが大変なのはわかっていた。それで僕がやったのは、10日間ロフトにひとりきりで籠って1日に3回『大菩薩峠』を見るということだった。煙草をやめようとすることから怒りが発生すると思ったんだ。DVDをセットしてとにかく最初から最後までこの映画を見た。自分の中に怒りが高まるのを感じたが、めちゃくちゃに捻じれた自己によってこのひどい殺戮を続ける男を見ることで自分が浄化された。それが僕にとっての治療だったわけさ。煙草をやめようと思っている人にはこの方法はかなりお薦めだよ(笑)。まあそうした経緯もあって、ティルダは侍の刀を持っているんだ」[*4]

*1
https://www.imdb.com/title/tt8695030/?ref_=nm_flmg_dr_1
*2
https://consequenceofsound.net/2019/06/interview-jim-jarmusch/
*3
https://www.newyorker.com/culture/the-front-row/the-dead-dont-die-reviewed-jim-jarmuschs-fiercely-political-zombie-comedy
*4
https://www.rollingstone.com/movies/movie-features/jim-jarmusch-the-dead-dont-die-interview-847447/
*5
https://www.vulture.com/2019/06/jim-jarmusch-interview-the-dead-dont-die.html
*6
https://www.nytimes.com/2019/06/07/movies/the-dead-dont-die-cast.html

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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