ハーモニー・コリン監督最新作『The Beach Bum』[*1]が29日から全米で公開されます。3月9日にサウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)2019でお披露目されたこの作品は、コリンにとって2012年の『スプリング・ブレイカーズ』以来となる長編映画であり、前作と同じくフロリダ州を舞台に撮影監督のブノワ・デビエとタッグを組んで作られた映画です。主演のマシュー・マコノヒーが演じるのはムーンドッグという名前で呼ばれる詩人。とはいえ、かつて一冊だけ出版した詩集が成功を収めたものの、その後は富豪である妻(アイラ・フィッシャー)の財力に頼り、酒、ドラッグ、セックスに溺れた放蕩生活を送っています。そんな彼の暮らし――あるきっかけから新しい本を出版しなければ無一文になってしまう状況に陥ります――を、彼の周囲に集う奇妙な人々(演じるのはザック・エフロン、スヌープ・ドッグ、ジョナ・ヒル、マーティン・ローレンス他)との繋がりとともに描いた作品と言えるでしょう。とはいえ、これはあくまでも「粗筋」であって、これまでのコリンの映画と同様に粗筋では到底語りきれない映画になっている模様です。
たとえばSXSWのプレミア上映に立ち会った Rolling Stoneのデヴィッド・フィアー氏は本作についてこのように評しています。
「『The Beach Bum』は快楽主義を聖餐のように扱うことによって国家的・社会的・精神的危機の時に立ち向かうことについて語られているようだ。それは歪んだ方法で作られた『スプリング・ブレイカーズ』の精神的な続編だといえる。コリンの2012年の傑作は革命の到来を告げるものだった。それは目出し帽とビキニを身に着けていた。『The Beach Bum』は我々が現在もっとひどい状況にいて、楽しい時間を過ごすことによって抗議したほうがいいと主張している。”Fun is the gun”とムーンドッグは言う。そしてコリンはアメリカが抱える倦怠感を、アメリカ合衆国における無政府状態(アナーキー in the USA)である彼のブランドにマッチさせたいと考えている」[*2]

『The Beach Bum』は主にマイアミと、フロリダの最南端にある島・キーウエストで撮影されました。ハーモニー・コリンは『スプリング・ブレイカーズ』の撮影後に家族とともにマイアミに移住し、マイアミのショッピングモールの中に自身のスタジオも構えているとのこと。服飾ブランドのコマーシャルフィルムやミュージックヴィデオなどは監督したものの、マイアミに移住してから主に絵を描いて過ごしていたというコリンですが、実は14~15年頃に長編映画の企画をひとつ抱えていたのだそうです。IndieWireのエリック・コーン氏のレポートによれば[*3]、それは『The Trap』というタイトルの、強盗仲間に裏切られた男による(彼が捕まって投獄された一方で、逃げ延びた上に彼のスタイルを盗んでラッパーとして成功を収めた元相棒への)復讐劇だったとのこと。しかしキャスティングしたジェイミー・フォックスとベニチオ・デル・トロのスケジュールの都合がつかず、出資者が撤退してしまったため実現しなかったのだそうです。「もう2年もの月日を失うようような企画に関わりたくない」と、コリンはキーウエストを訪れては「元密輸業者やバーンアウト予備軍のような人々と付き合って多くの時間を過ごした」といいます[*3]。
「車に飛び乗ってマイアミを離れて、キーウエストまでドライブするんだ。アメリカ合衆国の最南端、忘れられた場所で暮らすという考え方が好きなんだ。一種の自分自身の世界、野心が欠如した祝祭の場所だ。チェックアウト・カルチャーとでもいうべきものがある。人々はほとんど自分の存在を消して、日没を楽しむためだけにそこに行く。僕はそこでいろんな人たちとぶらぶらして多くの時間を過ごし、ハウスボートで暮らす人々や漁師のなかからムードッグのような様々なキャラクターを見つけ始めた。そしてただそれらをまとめたんだ。古典的なキーウエストの酩酊人の原型を融合させたとでもいいのかな」[*4]。
さらに2016年の大統領選挙がこの作品が生まれるきっかけとなったようです。コリンいわく、「時代が変わってきたと感じ始めた。物事がより暗い方向に進み、あらゆることがより緊張した状態になっているように感じた。それで思ったんだ。笑うべきときなのかもしれない。とにかく笑えるものを作ろう、自分なりのコメディを作ろうってね」。それからほんの数週間で彼は『The Beach Bum』の脚本の第一稿を書き上げたといいます[*3]。

コリンはコメディというジャンルについて「その本質は悲劇かもしれない」と語ります。「バナナの皮で滑った奴は転んで頭をぶつける。W・C・フィールズは階段を落ち、バスター・キートンは銀行の出納係を襲う。それがコメディだ。それは誇張された現実であり、ある意味現実的じゃない現実だ」[*5]。
さらに彼は本作を「酩酊した人のコメディ(stoner comedy)」と評し、前作『スプリング・ブレイカーズ』との違いを以下のように述べています。
「『スプリング・ブレイカーズ』は不吉なトーンを持った映画だった。僕らはそれがほとんどポップな詩か何かを意味するかのように、流動的であいまいな物語を語った。この映画は似たような構造を持ってはいるものの、もっとコメディの要素が強いものを作りたかったんだ。笑えるもの、登場人物たちが独自のやり方で人生を祝福するようなものを作りたいと思った。そして僕は酩酊したコメディを作るというアイデアが気に入った。子供の頃、チーチ&チョンを見て育ったから、懐かしかった。どこかマリファナの煙に導かれるような、ちょっとだけ幻覚のような雰囲気を持った映画にしたかった。でも『スプリング・ブレイカーズ』とは登場人物もストーリーラインも全然違う、ほとんど『スプリング・ブレイカーズ』の完全な裏返しだよね。『The Beach Bum』には現実的な脅威がない。これは宇宙的なアメリカ、失われたキーウエストというアイデアを基にしているんだ。へべれけになるということはムーンドッグにとって美徳なんだ。その瞬間を生きて、そこから愚行やユーモアを見つけ、酔っ払って現実に見切りをつけることで、幸せになる。『スプリング・ブレイカーズ』はもっと脅威があったし、アメリカン・ドリームの暗部があった」[*4]。
「マリファナの煙に導かれるような、ちょっとだけ幻覚のような雰囲気を持った映画」にするため、コリンが選択した方法のひとつが、様々なロケ地で撮影したカット(ちなみに使用されたのは35ミリカメラ)をひとつの場面としてつなぎ合わせるということでした。
「この映画は300箇所近い場所で撮影されている。しかもすぐに場所が変わってしまうから、観客はそこがどこなのかほとんど特定できないと思うよ。たとえば最初この場所で僕らは会話しているけれど、次にはスタジオで喋ってるというふうに、ほとんどのシーンにおいて途中で場所が変わっている。視覚的に何らかの方法でドラッグを複製しようとしているわけじゃない。ただ編集や映画の構造によって煙のようなもの、マリファナの煙が漂流しているように感じられるようにしたかった」[*5]。
主演のマシュー・マコノヒーもその手法について「彼の手法は現実を超越することを目的としている。この映画自体が少し酩酊しているような感じだ」と評しています[*5]。

そしてこの映画に酩酊感をもたらしているのは、何よりもマコノヒー演じるムーンドッグの存在でしょう。コリンは主人公のムーンドックにマコノヒーをキャスティングした理由について以下のように説明しています。
「彼に関してすでにこのペルソナが存在していたと思うんだ。つまり大衆意識の一部としてね。多くの人はマシューが実人生においてもムーンドッグに近い人だと思っているんじゃないかな。もちろんそれは真実じゃない。公的なペルソナというものがあって、僕らがそれを演じているという考えが僕は面白いと思う。そのペルソナがある世界に入り込もうとすることはものすごく喜劇的だと思う」。「僕がマシューに身体的なユーモアを促したのは間違いない。僕は常にマルクス兄弟や三ばか大将、バスター・キートンを愛してきた。だから身体性はものすごく重要だった。マシューに関して言えば、彼はすでにこのキャラクターについてよく理解していたように思ったし、僕が彼とムーンドッグについて話したこともそのほどんどが身体的な側面についてだった。ムーンドッグは常に何らかの形で朦朧としている。酔っ払っていない時は一瞬もないといっていい。だから彼は永続的にほとんど倒れ込みそうになる状態でいつづける必要があった」[*4]。
一方、マコノヒーは自身が演じたムーンドッグというキャラクターをこのように描写します。
「ムーンドッグは動詞であり、フォークの詩人だ。人生の喜びと痛みに囲まれて踊り、あらゆる交流が自分の人生の旋律の‘音符’となることを知っているボブ・ディランの歌の登場人物のようだ。ハイになり、泥酔し、生き生きと性交することが彼の至福であり、鍵を使うよりも錠前を撃って壊すほうをよしとする。真実に興味がなく、超越の探究においては無神経で冷酷だ」[*5]。
さらにマコノヒーはムーンドッグが持つその「冷酷さ」はハーモニー・コリンにも共通してあるものだと指摘します。
「ムーンドッグのようにハーモニーも冷酷だ。彼は世界に自分を楽しませてくれることを求め、破壊への欲求が彼の創造の源となっている。彼は気まぐれで、頼りがいがなく、素晴らしい嘘つきで、決して何かを約束したりしない。所有欲がなくて、どこにも属さない。彼は論争を必要としている。彼にとって退屈な人間は罪人だ。彼は世界が自分を養う必要があると思っており、飢えているんだ。そして間違いなく芸術作品を作る上で規律を持っているけれど、規律という考え方はきっと彼を激怒させると思うね」[*5]。
マコノヒーによるこのハーモニー・コリン評は、The Guardianの映画評においてクリスティ・プフコ氏がムーンドッグについて言及した文章と通底しているようにも思われます。
「『The Beach Bum』では予期しなかった死や、壊滅的な戦争の傷に関する言及、忘れられることや独りぼっちになることへの恐れといったお祭り騒ぎを破裂させるような瞬間が幾度となく訪れる。ムーンドッグはその都度、ぐるぐると回転し、踊り、狂詩曲を作り、誘惑し、すり抜けようとする。彼の顔をつたう優しい涙は私たちに彼の幸福がどのように選択されたものかを垣間見せる。ムーンドッグはピエロや発狂した愚か者に見えるかもしれない。しかし彼は世界がどのようにできているかを、世界が大きな痛みと大きな喜びを持ちうる場所であるかを見つめる野蛮な賢者だ。そして彼は後者(喜び)を選ぶ。何度も何度も、どれだけの犠牲を払ってでも」[*6]。

前述したIndieWireのレポートによれば、本作の前に企画されていたものの頓挫した『The Trap』の製作をコリンはまだあきらめていないといいます。『スプリング・ブレイカーズ』にこの『The Beach Bum』に加え、『The Trap』を作ることによって“フロリダ三部作”にしたいと思い描いているようです。彼は『The Beach Bum』に本人役で登場した歌手ジミー・バフェット(テネシーで音楽活動を始め、キーウエストに移住したというその経歴は、幼少期を過ごしたテネシーで処女作『ガンモ』を撮り、マイアミに流れてきたコリンの足跡と共通しています)を引き合いに出して、「僕はジミー・バフェットの歌のみだらなバージョンのような映画を作りたい」と表明します。
「僕はジミー・バフェットが持つ明確なテーマが、彼がビーチ音楽を愛する人々の世界を構築しているところが好きなんだ。そしてビーチ映画を作るというアイデアが気に入っている。その映画は、あるライフスタイルにおける放蕩的で理想主義的なヴィジュアルテンプレートを作り出すんだ」[*3]。

*1
https://www.thebeachbummovie.com/
*2
https://www.rollingstone.com/movies/movie-features/sxsw-2019-the-beach-bum-movie-review-806279/
*3
https://www.indiewire.com/2019/03/harmony-korine-the-beach-bum-interview-set-1202049244/
*4
https://www.filmcomment.com/blog/interview-harmony-korine/
*5
https://www.gq.com/story/harmony-korine-the-beach-bum-profile
*6
https://www.theguardian.com/film/2019/mar/11/the-beach-bum-review-matthew-mcconaughey-haromny-korine

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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