[703]バレエ映画の新しい展開「Girl」


バレエといえば、美しく華やかで芸術的、その裏にあるストイックな姿勢から、映画の題材として扱われることも多い。関連する作品を簡単に調べただけでも、『ブラック・スワン』、『エトワール』、『愛と哀しみのボレロ』、古典的な『赤い靴』から近年の『ポリーナ、私を踊る』、またダンスをいう括りになると、著名な『ウエスト・サイド物語』や『ダーティ・ダンシング』など枚挙にいとまがない。

そんな中、今年のカンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(優秀新人監督賞)を受賞した、ル―カス・ダン監督の「Girl」が注目されている。筆者は初めてポスターを見た時、鮮烈さから目を離せなくなった。ダンはベルギー出身の新人監督で、これが長編デビューになる。内容は、男の子の体に生まれてしまった、バレリーナになりたい15歳の女の子ララの物語である。

彼がどんな人であるのかは、カンヌ国際映画祭の公式インタビューで、垣間みれる。カンヌ国際映画祭の公式インタビューにおいて、ダンは以下のように答えている。

作品の着想はどこからきましたか?”

2009年のベルギーの新聞で、若い女の子の記事が出ていたんだ。男の子の体に生まれたけれどとにかくバレリーナになることしか考えていないという女の子の話だった。僕はその記事に衝撃を受けて、ずっと考え続け何年か過ごしていた。この女の子に恋してしまったんだよ。僕にとって、彼女は勇気の象徴で、自分に問いかけたんだ。もし長編映画を撮るなら、彼女を題材にするんだと。」

撮影現場の空気感はどのようなものでしたか?”

「僕はこの作品を2018年の夏の2か月で撮った。最大のチャレンジは、作品に出ている、平均15歳の若いダンサーたちすべてに振付を教えることだった。撮影が始まる前の3か月間に覚えてもらい、撮影が始まるとダンスシーンを6日間で撮り切った。それは皆にとって、とても大変なスタートだった。360度どこを見渡しても撮影できる状態にしたかったので、皆が常に100%の状態で踊り続ける必要があった。一部の撮影スタッフは、カメラに映らないように鏡の裏に隠れていたんだ。」

俳優たちに一言どうぞ”

「共同脚本家のアンジェロ・ティッセンと、脚本を書き上げた時、主演を演じる人を探すのは、とても大変なチャレンジになるだろうと予測していた。僕たちは2017年の夏からオーディションを始め、500人を超える若者たちに会った。キャスティングはジェンダーレスなもので、女の子にも男の子にも、どちらに属していない子にも会った。でもそのなかには僕たちの求める人材はいなかった。

そこで僕たちは振付家と共に、他の若いダンサーたちのオーディションを始めた矢先、2018年の1月、 ヴィクター・ポルスターがオーディションの部屋にやってきたんだ。彼は僕たちが求めるすべての要素を持っていた。素晴らしいダンサーで、とても自然で気品があり、たった15歳だった。この作品は彼の初めての俳優経験だよ。」

あなたに影響を与えたものは何ですか?”

「たくさんあるけれど、この作品に限定すると、脚本を書いている時に出会った若いトランスジェンダーの人たちだね。彼らは皆、社会規範に挑戦し、自分自身の本当にありたい姿を貫く若いヒーローたちだよ。」

ベルギーにおける映画産業について、どう思いますか?”

「ベルギー映画は素晴らしいと思う。  アン・ジュリー・ヴァルヴァエク(Ann-Julie Vervaeke、レオナルド・ヴァン・ディジョル(Leonardo Van Dijl) ナタリー・テルリンク(Nathalie Teirlinck)、 エミリー・ヴァルハム(Emilie Verhamme, ジル・クーリエ(Gilles Coulier)、 アンソニー・シュラッテマン(Anthony Schatteman)、 ミシェル・ドン(Michiel Dhontなど、いくらでも名前は出てくるよ。

若い世代の人たちが映画製作をしている。僕はそれに本当に興奮するし、彼らの中にいることで良い影響を受ける。「Girl」の中ではフランス語とベルギーの公用語であるフラマン語を用いているよ。僕にとってそれはとても重要なことで、短編作品にも適用されている。僕たちは言語の壁で分断された国で暮らしている。だからベルギー人としての自分自身をはっきり表現しているよ。」

フランスとベルギーは隣り合わせの国だが、ベルギーには使用する言語の異なる地方もあり、そのなかでアイデンティティを確立し、仲間を作っていく姿勢はダンにとってとても大事なことのようだ。世界の名だたる映画祭の常連であり、『ロゼッタ』『サンドラの週末』などベルギーを代表するダルデンヌ兄弟は、彼のあり方と最も近いのではないか。主人公の息遣いすら聞こえてくる、ドキュメンタリーのようなリアリズム、自然主義的な温かみや素朴な人間愛がある。

同じくジャコ・ヴァン・ドルマルも、最近公開された『神様メール』は聖書を基にした奇抜なストーリーだったが、フランスの名優ダニエル・オートイユを主演にした『八日目』で表現された、知的障害者の人間ドラマ、ラブストーリーをなんの奇をてらうことなく、自然かつ温かく描いていた。筆者は初めて観た時、日本における知的障害者の描き方との違い、成熟さに衝撃を受けた。

また、マリアン・ハントヴェルガー監督による、ベルギーの有名なアイドル女優だったマリー・ジラン主演の『裸足のマリー』も妊娠してしまった女の子と母親を探す男の子のロードムービーだが、同じく素朴で心温まる人間ドラマだった。ダン監督の作品は、そうした系統を受け継いでいるのを感じる。

Film stageでは以下のように述べられている。

10代のララはブリュッセルのアパートで父や兄と暮らしている。バレリーナになることを夢見て、新しい学校に転校したところだ。しかし彼女は男の子の体で生まれたので、性転換手術を夢見ながらホルモン治療を続けている。彼女は未経験で未成熟であるゆえに、周りにいる人々に守られている。

学校の初日、ララの担当の先生は、彼女に目を閉じさせ、同じクラスの女の子たちに問いかけをする。同じロッカールームをララと一緒に使うことに嫌悪感を感じる人は手を挙げるようにと。

それは決して楽しい瞬間ではない。しかし大切なのは、そうした投票が本人の目の前で透明性をもって行われているということなのだ。ダンはこうしたシーンを理想的とは思っていないだろうが、社会ももっと勉強するべきと示唆しているのかもしれない。彼はまた、ララを典型的なトランスジェンダーを扱った映画にありがちな設定に置くことはない。野次や偏見は見当たらない。ありがちなダンスグループのいじめに巻き込まれるが、激しい悪意にさらされることはなく、通常の10代の成長期の大変さを描いている。 ダンはこれまでの世代のような、闘争を描くつもりはないのだ。私たちはどうして「Girl」のような作品をこれほど待たなければいけなかったのだろう。愛と思いやりにあふれた、力強い作品である。」

また、Variety では以下のように述べられている。

「思春期は避けようもなく乱暴なものだ。残酷なパラドックスのひとつに、特別になれと社会に押し出されながら(誰が特別になりたくないだろう)、同時に嫉妬や不安の感情が、頭を下げて静かにしておけば、すべてが簡単に通りすぎるという発想を抱くところだ。

そうした混乱の中にいて、生まれた性別が間違っていたという状況を加えると、思春期は間違いなく訳のわからないものになる。どうやって目立ち、かつ、皆と混ざれば良いのだろう。そうした葛藤やパワーを感じさせるものは「Girl」以外になかなかない。ベルギーの映画監督ルーカス・ダンによる、バレリーナになりたい男の子の、深い人間愛の物語だ。

ベルギー映画界から、同じくトランスジェンダーを扱った金字塔的な作品『ぼくのバラ色の人生』から21年たった今、トランスジェンダーを描いた作品にありがちな派手さ、キッチュ感よりも、ダルデンヌ兄弟の地に足の着いた、自然観察主義を大切にした「Girl」は、トランスジェンダーの若者の内面にある強い葛藤を描いている。

シンプルに表現すると、ドンは自分のもつジェンダーに葛藤を抱くティーンエイジャーを15歳の圧倒的な表現力をもつシスジェンダーのヴィクター・ポルスターの演技に主軸をおきつつ、直観的に親近感を持ちやすく描いている。近年『ナチュラル・ウーマン』がオスカーを受賞したが、男女どちらでもない第3の性と言われるノンバイナリーの俳優にこうした役柄が奪われると怒る人も増えるかもしれない。

誰かがこうした作品を作らなければいけなかったのだ。「Girl」はまさにそうした作品だ。

新人のヴィクター・ポルスターの一挙手一投足が、『ボーイズ・ドント・クライ』のヒラリー・スワンクのように印象的だ。彼はアントワープのロイヤル・バレエ・スクールの学生で、これが彼の初めての演技体験だ。ポルスターは自分の女性性に全く問題を抱かないキャラクターであり、同時に、性別が最大の問題点になるくらい、ずば抜けたバレエの才能をもつティーンエイジャーを演じることに挑戦している。言ってしまえば、ララを演じるには、性別がどうかというより、より重要なのは踊れる才能があるかどうかなのだ。

ララは受容してくれる父親のマチアスや兄のミロに対して、そして世の中に対して、自分のしたいことを明確に伝えていく。ララにとっては自分のペニスの問題は非常に重要だ。ヌードに関する描写では、規制に厳しいアメリカでは引っかかってしまう可能性があるが、この作品はそうした部分も隠さずに描いていく。

監督のカメラワークは、観客の視点をかぎりなくララの視線に近づけるので、観客はほかのダンサーが彼女の秘密を知っているのかは判断できないが、女の子用のロッカールームを使っているララが、シャワールームを一緒に使おうとしないことから、隠そうとしているのは伝わってくる。

受容してくれる家庭と違い、学校では、ララは先生からもからかいの対象にされ、クラスメイトは誕生日バーティで彼女を辱める。

トランスジェンダーについて理解するのに、世界が困難を感じているのは間違いないが、ダンは理解していない人々の偏見に惑わされたりはしない。彼と観客の心は、ララの旅路に寄り添うのだ。女性になることは、目標により近づくための同化で、ただのスタートにすぎない。ララは何よりトップバレリーナになりたいのだ。

父やセラピストが、ララに好きな男の子のタイプを聞くシーンがあるが、ララはあまりはっきり答えていない。キュートな隣人の男の子とのぎこちない恋模様は、女の子としての自分を確立させようという試みより、もっと本能的な性衝動のように感じとれる。ララにとって、踊ることはデートすることより、他のどんなものごとより重要で、このドン監督による謙虚な作品は『リトル・ダンサー』やセリーヌ・シアマの『トムボーイ』の流れを汲む作品といえるだろう。」

これまでのトランスジェンダー、性的な複雑さを抱く若者を描いた作品であれば、社会や家族との闘争や悲しみ、死、ファッションの奇抜さなど、どうしても一定のイメージや重いテーマを混ぜて描かざるおえなかったが、「Girl」のようなニュータイプの作品には、そうした傾向が必要ないようだ。もちろんリアルさがあるからこそ、人の心に伝わるのであり、そこはベルギー映画の本領なのだろう。批評で述べられていることに共通するのは、「Girl」が時代に待ち望まれた作品で、温かみにあふれた秀作というところだ。今後日本公開があることを期待して、楽しみに待ちたい。

Girl」(2018年/ ベルギー/1時間49分 )

監督 ルーカス・ダン

主演 ヴィクター・ポルスター、アリー・ワーソルター、オリヴィエ・ボダール

(日本公開未定)

 

参考リスト

Cannes film festival

https://www.festival-cannes.com/en/festival/actualites/articles/girl-as-seen-by-lukas-dhont

variety.com

https://variety.com/2018/film/reviews/girl-review-lukas-dhont-1202808113/

film stage

https://thefilmstage.com/reviews/cannes-review-lukas-dhonts-girl-is-a-stellar-transgender-drama/

Imdb

https://www.imdb.com/

 

鳥巣まり子

ヨーロッパ映画、特にフランス映画、笑えるコメディ映画が大好き。カンヌ映画祭に行きたい。現在は派遣社員をしながら制作現場の仕事に就きたくカメラや演技を勉強中。好きな監督はエリック・ロメールとペドロ・アルモドバル。


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