8月 29日より 9月 8日まで、イタリアのヴェネチアで第 75 回ヴェネチア国際映画祭が開催された。世界最古の映画祭で、カンヌ、ベルリンと並ぶ、世界三大映画祭のひとつである。今年の審査員長は「シェイプ・オブ・ウォーター」のギレルモ・デル・トロが務め、グランプリである金獅子賞には、メキシコの名匠アルフォンソ・キュアロンの「 Roma 」が輝いた。世界各国からの様々な作品があるなかで、台湾が誇る鬼才、ツァイ・ミンリャンの新作「 Your Face 」をご紹介したいと思う。

1957年生まれの 60歳の監督は、才能豊かなことは言うまでもなく、映画祭での受賞歴が多く、アート色の強い作品を作り続けてきた。長編 2作目の「愛情萬歳」がグランプリにあたる金獅子賞を獲得するなど、もともとヴェネチア国際映画祭と縁が深い。 2013年の長編 10 作目となった「郊遊 ピクニック」においては、こちらも同映画祭で審査員大賞を受賞しているが、商業映画界からの引退を表明し、衝撃が走った。
基本的に台詞が過度に少なく、商業的な大ヒットも生み出した「西瓜」も含め、「 hole 洞」や「楽日」でも表されるように、作品によっては荒廃した空間の中だからこその人との繋がりや、心の底にある愛を描いていく。

新作の「 Your Face 」は、 12 人の一般の人々の顔をひたすら撮影するという異色のドキュメンタリーである。 13 人目に含まれるのは、ミンリャンの長年のパートナーであり、全作品にかかせない俳優のリー・カンションだ。「ヴィザ-ジュ」( 2009)と酷似したタイトルだが、ジャン=ピエール・レオ-、ファニー・アルダン、ジャンヌ・モローといったフランスの名だたる有名俳優陣を起用した作品と比べると、本作の禅のようなシンプルさは抜きんでている。強調されることといえば、表情豊かで、日に焼けた人の顔に表れる具体的な現実である。時間はすべての人に平等におとずれ、雨風で荒削りされたような風情を生み出させる。

Hollywood Reporter 誌が伝えるところによれば、
「台湾の映画監督ツァイ・ミンリャンは、彼の映画人生における新たな一歩を踏み出した。それはさながら、「西遊」に出てきた、スローモーションでマルセイユを歩く仏僧のようだ。感情表現や描写に対する極端なミニマリストの作品は、表面的で意志の弱い観客には受けないが、彼の作品を追い続けている映画祭の常連には受けるだろう。彼は今作において、より余剰な情報を取りのぞき、 12人の一般の人々の老化するさまを背景すらとりのぞいて、 1つの角度ごと、 1カットずつ、クローズアップで撮るのだ。」

The film stage によるインタビューで、ミンリャンは以下のように語っている。
“今作の着想はどこから得ましたか?またどうしてこのような撮り方をしたかったのですか?”

「 VR 作品を作っていた時(ミンリャンの初の取り組みである「 The deserted 」 (2017) )どうしても慣れなかったのは、クローズアップで撮影することができないことだ。私にとって映画の醍醐味だから。最近映画製作でも何をするにしても、よりシンプルであることを選ぶようにしているんだ。 今作の場合、たまたま中国の化粧品会社が新商品の宣伝をしたいと話を持ってきて、はじめは商品の宣伝のしかたなんてわからないからと言ったんだ。それから、クローズアップの映画を撮りたいと話したところ、彼らは化粧品会社だし、良いアイディアだと思ったのだろう。出資を決めてくれた。」

“あなたにとって、クローズアップとは何ですか?”

「クローズアップは、ただ見るのではなく、はっきりと見えることであり、私にとって人の顔を表しているよ。クローズアップのシーンがある映画はたくさんあるけれど、時々映画の中のストーリーより演じていた俳優の顔を覚えていることがあるんだ。だから VR 作品の後、私は思った。これは確かに映画のあり方のひとつだけど、映画の魅力を何かしら失っている。私にとっては先ほど言ったように、それがクローズアップのことなんだ。いつも私は、自分のしたいことを映画製作で表現してきた。リー・カンションを撮り続けたいというのも私の望みであるし、ビジネスの道具にしたり、他の動機で動いたりしたことはないんだ。多くの人々は映画の可能性が尽きたと思っているが、まだいくらでも可能性は残されている。」

“出演している 13人はお互いのことを知っているのですか ? ”
「リー・カンションと彼の母親を除いて、皆誰もお互いのことを知らない。」

“俳優ではない人たちをどうやってカメラの前でリラックスさせたのでしょうか?”
「最も大変だったのは、どうやって上手く撮るかということより、どうやって彼らをカメラの前に引っ張り出すか、ということだった。撮影所に来るように説得するのは、本人だけでなく彼らの家族も巻き込んだ。ある高齢の女性の場合、自分は年老いて醜いからとカメラの前に出るのを嫌がっていた。それを説得してくれたのは、彼女の息子さんだった。出演している人たちの誰もが何が行われているのか具体的にはわかっていなかったので、その点に関して私のことを尊敬かつ、信頼してくれたのだろうと思うよ。撮影当日にも来てくれるかわからない、というのはとても不安だった。でも彼らがカメラの前の椅子に座ってくれたら、もうそれを活かすしかなかった。彼らが居心地悪そうにしていても私は気にし なかったし、特別細かく指示も与えなかった。ただ撮りたいものを撮った。長時間椅子に座らせていたので、彼らの本来の姿が撮れていると思う。もし彼らが居心地悪そうにしておらず、カメラや周囲のものに興味を示していたとしても、それが彼らの本来の姿だと言える。また、時間というものも大事な出演者のひとりだね。」

“彼らに演技指導はしましたか?”
「私は 2 つだけ指示をした。最初の 30分はあなたの好きなことについて話して欲しい、次の 30分は、写真館にいるように私にあなたをただ撮らせて欲しいと頼んだ。
話すことはできないけど、何でも好きなことをしてもらったから、居眠りを始めた人もいるぐらいだよ。」

“それぞれをどのくらい撮影したんですか?”
「ひとりひとり、 1時間ずつ撮影したよ。最終的にカットしているけど、他に 2人撮影した。」

出演している人たちはリー・カンションを除いて一般の人たちである為、撮影中のユーモラスなエピソードには事欠かないようだ。Hollywood Reporter 誌が伝えるところによれば 、 「歯医者の椅子に座って静かに待っていることが苦痛であるように、出演している一般の人たちにとっては、言われた方向を向き、動いてはいけないと命令されるのは苦痛なことだが、徐々に緊張がとけて笑みを浮かべるようになる。静かになり、動きがなくなる人もいれば、話しはじめたり、眠りに落ちたりする人もいる。自らの結婚生活をおしゃべりしはじめる女性や、破壊的にパチンコにハマってしまったことを告白する男性もいる。また、家族の争いや金銭的な苦労を話しはじめる人もいる。面白いことに、出演者の中でもより若い世代の人だけが、この手の話題を持ち出した。ミンリャンは言葉で表現されるどんな物語より、高齢の人々の外見に表れる深みの方が、大切なことを伝えてくれるのがわかって いたかのようだ。」
ツァイ・ミンリャンのすべての作品に出演している、ミンリャンのアルターエゴとも言える俳優のリー・カンションの場合、リラックスした表情を保ちながら、笑いと共に彼の父や学生時代のことを語っている。

今作は音楽の面でも注目だ。ミンリャンがこれまでの映画人生において初の、オリジナル音楽を使用したのである。日本の有名作曲家、坂本龍一によるものだ。この試みに対して、ミンリャンは以下のように述べている。
「本当は音楽を使わないつもりだったが、すごく作品にプラスにはたらいたと思う。去年のヴェネチア国際映画祭で坂本龍一にたまたま会ってね。初めて会ったのはもう 4、5年前になるよ。彼がヴェネチア国際映画祭で審査員を務めている年で、私は「郊遊 ピクニック」( 2013)の撮影が終わったところだった。その時はほんの一瞬だったが、彼は家族、特に彼の子どもたちが皆私の作品を好きなんだと伝えてくれた。まさかその時は一緒に仕事をするとは思っていなかった。わかるだろう?いつも何かのプロジェクトを一緒にやらないかと声をかけるのは、リスクを伴うからね。もし出来上がったものが良いものでなかったらと想像してしまう。でも彼の仕事はこれまでずっと注目していた。「ラスト・エンペラー」 (1987)は本当に素晴らしかった。だから私は彼に手紙を書いたのだが、すぐに OK の返事をくれた。作品の DVD を送ると、1ヵ月後には 12曲を製作してくれていた。私は正直出来上がったものがどのようなものになるのか不安だったが、初めて聴いた時、すべての不安はぶっ飛んだ。私たちはほとんど話し合っていないにも関わらず、彼は私が思った通りのものを製作してくれたんだ。そもそも作品で音楽を使うか自体も彼に相談はしていなかった。
それでも彼は、作った音楽を使っても使わなくても良いと言ってくれ、完璧に私に任せてくれた。本当に優しく良い人だよ。協力して作品を製作するうえで、お互いの為に純粋に支え合う喜びを知ることができた。明らかに私のなかのルールを壊す行為だったが、作品に現実味を与える効果があったと思う。観ていると、龍一があなたのすぐ横で演奏してくれているかのようなんだ。」

期待すべき次回作の構想だが、既にあるようだ。ミンリャンは以下のように述べている。
「テーマはいくつか浮かんでいるよ。もっと映画祭のコンペティションのラインナップに加わりやすいものにするね!という冗談は置いておいて、人々はどうしても大衆文化に受け入れられやすいものを作っていると感じている。でもそうした作品は支配されてしまうからね。」

今作に通じるような、ミンリャンの実験的な作風は、「行者」( 2012)や「あの日の午後」( 2015 )くらいから表現されてはいたが、商業作品から離れる決断をしただけに、今後も製作するとしたらこうしたスタンスを貫くのではないだろうか。 The film stage によるインタビューで印象的だったのは、「私がやりたいことは、皆がやっていることとは違うことをすることだ。」というものだ。言葉の表現だけで終わるのではなく、様々なことにチャレンジし、評価を高めていくところがミンリャンの素晴らしい面のひとつではないだろうか。個人的には、リー・カンションの撮影シーン、そして坂本龍一の音楽が楽しみである。現段階では日本公開の情報は入ってきていないが、期待して待ちたい。

「 Your Face 」
監督、脚本 ツァイ・ミンリャン
出演 リー・カンション他 
撮影 イアン・クー
音楽 坂本龍一
(2018 /台湾/ 76分/ Homegreen Films)

☆ 参考リスト
hollyood reporter
https://www.hollywoodreporter.com/review/your-face-1139079

filmmaker magazine
https://filmmakermagazine.com/105790-venice-2018-critics-notebook-luca-guadagninos-suspiria-and-tsai-ming-liangs-stray-dogs/
The film stage
https://thefilmstage.com/features/tsai-ming-liang-on-your-face-the-cinematic-power-of-close-ups-and-teaming-with-ryuichi-sakamoto/

la biennale di Venezia
http://www.labiennale.org/en/cinema/2018

 

鳥巣まり子
ヨーロッパ映画、特にフランス映画、笑えるコメディ映画が大好き。カンヌ映画祭に行きたい。現在は派遣社員をしながら制作現場の仕事に就きたくカメラや演技を勉強中。好きな監督はエリック・ロメールとペドロ・アルモドバル。

 

 


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