[680]ニコラ・フィリベールの新作『De chaque instantどんなときも』がフランスで公開


 ドキュメンタリー映画の監督として有名なニコラ・フィリベールは8月29日、本国フランスで新作『De chaque instantどんなときも』(2018)を公開した。フィリベールはこれまで、フランスの田舎町にある小さな小学校ただ1人の先生と、そこに通う13人の生徒たちの姿を追った『僕の好きな先生』(2002)や、ジャン・ウリやフェリックス・ガタリが関わってきた精神病院であるラ・ボルド病院を舞台にした『すべての些細な事柄』(1996)など、さまざまなものたちの姿、われわれがふだん触れることのできない小さな世界の内部を映し出してきた。フィリベールは自身の作品においてインタビューやナレーションをほとんど用いることなく映画を製作してきたが(そしてこのようなスタイルはしばしフレデリック・ワイズマンと比較される)、本作においてもまたナレーションは使用していないという。

 新作『De chaque instant』は、パリのモントルイユにあるサン=シモン十字病院で研修を行う看護学生たちの日々を追ったドキュメンタリーである。このドキュメンタリーは3つのセクションで構成されており[1]、それぞれのセクションの初めにフランスの詩人であるイヴ・ボヌフォワの詩『Du mouvement et de l’immobilité de Douveドゥーヴの動と不動について』の一文が引用されているという[2]。この3章は、看護師において必要とされる研修期間の3年間に重なっている。

 まず、基礎理論研修のセクションがある。そこでは、自分の手の適切な洗い方から、患者の取り扱い方、血液や汚物、傷ついた身体に直面してもたじろがない術や、それによって動かされた感情の隠し方などを学ぶ彼らの姿を追う。次に、インターンシップ期間の実践的な訓練のセクションがある。学生たちはそこで、実際の患者を管理したり、注射や血液検査を迅速かつ正確に行う方法などを学ぶ。第一のセクションで明白だった笑い声も、事態が深刻になるにつれてほとんど見られなくなっていく。最後に、これまでの研修報告と進路の選択のセクションがある。学生たちは、インターンシップで経験した出来事を互いに語り合い、自分の進路を決断していく。

 

 

 2016年1月、フィリベールは塞栓症が重症化し、救急処置室に運ばれることになる。フィリベールの公式WEBサイトによると、本作において看護学校の学生を取り上げることを決めたのは、この出来事がきっかけであったという[3]。フランスのカルチャー雑誌であるLes Inrockuptiblesは、フィリベールが映画を盛り立てるサウンドトラックやナレーションを使用しないというこれまでと同様の手法によって制作された本作について、フィリベール自身の主題よりも多くのものを提示することに成功している、と論じながら、これを、「現代フランスの鏡Un miroir de la France contemporaine」として表現している[1]。映画において映し出された見習い看護師の状況は、フィリベールの目を通じて、フランスの政治的、社会的、心理的状態の断面図になっているのである。

 これまで長編・短編を含めて20本以上の作品をつくりあげてきたフィリベールは、先述のとおり、人々がふだん触れることのできない小さな世界の内部を一貫して映し出すことを行ってきたように感じられる。実際に彼は、8月25日に行われたアングレーム映画祭のインタビューにおいてこう語っている。

「私の第一の欲望は、しばしば陰に隠れ、クリシェにとらわれ理解されていない職業や、みんなに尊敬されながらも同時にこき下ろされ、軽蔑すらされることもある職業に関する映画を作ることです。私は未来の看護師たちを撮影することに決めながら、映画を製作したいと思っていました。その映画には欲望が、有用であるという欲望、この職業を他者へと振り向けさせ、学び、社会において彼女/彼らの場所を見出すという欲望があるでしょう。」[4]

 フィリベールは本作において、看護師という職業がいかに周囲から理解されていないか、そしてその仕事内容が人間の生死に触れる重大で大変なものであるにもかかわらず、経済的に厳しい状況にあることを、彼らの言葉を代弁することなく、それに寄り添いながら映し出そうと試みている。

「看護職は難しく、疲弊し、低賃金であり、病院内のヒエラルキーにおいては評判が悪くても、世間では魅力的で優れたイメージを持っています。イメージが理想化されているという点は、しばしば看護師になることを決断する原点になっているのです。」[3]

「この経済的側面、この仕事が被っている抑圧は、いたるところに存在する看護師のイメージのうちに目に見えるものではありません。」[4]

 フィリベールは、あくまで対象に寄り添うことに終始し、映画に自分の意図intentionを含めることはしない。アンドレ・S・ラバルトの言葉を引きながら、フィリベールはこう語る。

「アンドレ・S・ラバルトはこう言っています。「敵、それは意図である」と。加えて彼は、「演出とは、意図の痕跡を消すことができるものである」とも語っています。映画とはつねに、言いたいこと、言おうとしていること、言おうと思っていたこと以外の、何かほかのことを語るのです。秘密の一部を守り、問いを開いたままにしておく必要があるのです。」[4]

 またフィリベールは、自分の仕事と看護師という職業を比較してこう語っている。

「私の仕事はまた、彼らに近づくことや、彼らの話を聞き、親密な存在であること、彼らにとって可能なかぎり害を最小限に抑えようとすることにあります。なぜなら、キャメラは痛みを与え、傷つける可能性があるということを知っているからです。私はシネアストを突き動かす倫理と、看護師や介護士を突き動かす倫理とのあいだには、共通の橋があると思っています。」[4]

 

[1]https://www.lesinrocks.com/2018/08/28/cinema/de-chaque-instant-un-documentaire-passionnant-sur-les-infirmier-iere-s-et-la-france-daujourdhui-111118985/

[2] http://cineuropa.org/fr/newsdetail/358272/#cm

[3] http://www.nicolasphilibert.fr/fr/film/76/de-chaque-instant

[4]http://www.allocine.fr/article/fichearticle_gen_carticle=18675042.html

その他参考URL

http://www.europe1.fr/societe/infirmier-un-metier-qui-demande-beaucoup-de-cran-estime-le-documentariste-nicolas-philibert-3741743

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。


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