1918年7月14日生まれのイングマール・ベルイマンは、この7月で生誕100年を迎えた。ベルイマンは、改めて説明するまでもなく20世紀を代表する映画作家の一人だ。これを記念して、彼の代表作を網羅したレトロスペクティブがアメリカやフランス、カナダ、香港など世界各国100以上の地域で行われている(#1)。映画監督としてばかりではなく、すぐれた演劇人であり劇作家でもあった彼の業績を記念して、様々な演劇フェスティバルも開催中だ。日本でも、7月21日よりスタートした東京のYEBISU GARDEN CINEMAを皮切りに、横浜シネマリン、名古屋シネマテーク、大阪第七藝術劇場など全国でレトロスペクティブが開催され、50-60年代を中心としたベルイマンの代表作13本がデジタル・リマスター版で上映される(#2)。

 映画史の中で、イングマール・ベルイマンの果たした功績とそれに見合った名声の大きさには疑問の余地がない。代表作とみなされる『第七の封印』(57)や『野いちご』(57)『魔術師』(58)といった作品は全てカンヌやベルリン、ベネツィアなど主要な国際映画祭で大きな賞を受賞し、また『処女の泉』(60)『鏡の中にある如く』(61)『ファニーとアレクサンデル』(82)の3本によってアカデミー外国語映画賞を3度も受賞している。1997年には、その偉大な業績にも関わらず一度もカンヌで最高賞パルム・ドールを受賞していなかったベルイマンに対して、「Palme des Palmes」(名誉パルム・ドール)という特別賞が新設されたほどである。

 だが、映画作家としての確固たる名声にも関わらず、ベルイマンの作品が我が国において常に映画ファンの熱狂的崇拝の対象であったかと言われると、これはかなり微妙だろう。また、ベルイマンからの影響を熱く語る日本の映画作家もさほど多くいると思えない。個人的にも、彼の作品をリアルタイムで見るようになった『鏡の中の女』(76)や『秋のソナタ』(78)の時代には、ベルイマンは既にNHK名作劇場などの枠内で放映される確立された権威であり教科書的作品であって、同時代的熱狂の中で迎えられる作品だという印象からはかなり遠かったように思う。

 だが、その理由は何だろう。国内のベルイマン評価の変化に関してしばしば指摘されるのは、著名な映画評論家である蓮實重彦氏がベルイマン作品を嫌っていたというものだ。しかし、それが全ての理由であるとも思えない。ベルイマンは疑いなく現代映画の始祖の一人であり、そのスタイルを確立した偉大な映画監督である。しかし同時に、映画作家としての彼のイメージからは、どこか私たちの時代とは著しく異なるニュアンスが感じられる。

 日本におけるベルイマン受容に対して、フランスのそれは遥かに複雑である。ヌーヴェル・ヴァーグ以降、彼の作品は多くのシネアストたちから愛され、多大な影響を与えてきたからだ。それは、現在活躍中である多くの著名フランス映画作家たちの作品から具体的に触知できる程であり、こうしたベクトルでの読解が日本で殆ど試みられていないのは、むしろ異様だと言うべきである。だが、そのフランスにおいてさえ、ベルイマンの作品を現在形で受け取ることの意味は決して自明ではない。

 ベルイマンからの多大な影響を公言し、映画批評家時代には彼に直接インタビューを行ったこともある映画作家オリヴィエ・アサイヤス(『イルマ・ヴェップ』『夏時間の庭』『アクトレス』など)は、「現在形としてのベルイマン」というこの困難な問いに対して、「Film comment」誌に掲載された卓越した長編評論の中で次のように明快に述べている(#3)。

「ベルイマン作品が、今日私たちにどういう意味を持つかと問うてみることは可能だろう。だが、この問いを逆にして、彼の作品に対する私たちの関係性そのものが、私たちの何を明らかにしているか考えてみることもできるに違いない。」

「ベルイマンは、映画作家に対して私たちが抱きがちな典型的イメージそのものであり、それは内省的で、お喋りで、厭世的で、人生と作品との間に殆ど距離がなく、つまり女優との関係性においてある種の青髭のような姿に収まっている。こうした点において、彼は彼が生きた時代と丸ごと結びついていると言えるだろう。現在形でベルイマンを考察することは、彼が生きた時代に対する私たちの関係性を問うことにもなるのだ。」

「(何よりもまず演劇人であった)ベルイマンが、如何にして映画作りを身につけたかは必ずしも明らかではない。彼の初期作品は、それ自体興味深いものであるが、製作された当時の時代精神と深く結びついたものだと言えるだろう。戦後の実存主義的な陰鬱さにドップリと染まっているのだ。だが、ここでより興味深いのは、ベルイマンがいかにして彼に影響を与えたものから苦労して抜け出し、映画の古典的な重荷を捨て去ることで彼自身になっていったかという過程だ。この苦闘を通じて、彼は、輝かしく普遍的な現在性である現代映画のシンタクスを築き上げたのだ。」

「ヌーヴェル・ヴァーグは、映画愛好と呼ばれる独特な映画との関わりの上に築き上げられたものであり、ベルイマンに見られるドラマツルギーとの関連性は持たない。だが、それはイギリスにおいて遍在している。英国ニューシネマは、ハロルド・ピンターやジョン・オズボーン、アラン・シリトー、キース・ウォーターハウスらによって書かれたものだったからだ。しかし、こうした作品ともベルイマンは全く異なっている。彼の作品に於いて最も重要なのは、話された言葉が顕現することだからだ。俳優たちとの関係性は、テクストの読み上げを通じてではなく、そのトランセンデンスを通じて成し遂げられるのだ。こうしたアルケミーは、映画作りにおいて最も深くミステリアスなものであり、その最大のエッセンスだと言って良い。俳優たちの顔の上に浮かぶ、脆くて、つかの間の真実を発見することこそが、映画における最も親密で最も秘密めいた場所を決定づけるのであり、これこそがベルイマンが言葉を超えて根気強く追求し続けたものである。だからこそ私たちは、映画からテクスト、そしてついには両者を超える顕現へと向かう円弧を見て取ることが出来るのだ。」

「ベルイマンはフランス映画の中で独特の地位を占めている。ゴダールとトリュフォーの両者から尊敬されたヌーヴェル・ヴァーグのアイコンを経て、彼が本当の意味で影響力を及ぼしたのはその次の世代だった。事実、フィリップ・ガレルやアンドレ・テシネ、ブノワ・ジャコ、そしてジャック・ドワイヨンに共通する唯一のものは、政治的なラディカリズムを経た後、70年代から80年代にかけて彼らがベルイマンを再発見したことだ。彼らはその影響下で、小説的かつ非ブレヒト的な語りの手法ではなく、登場人物と俳優たちが交差する映画的な顕現の問題との関係を築き直したのである。人間の顔が明るみに出す秘密を徹底的に調べ抜くことを通じて、人間自身を調べ抜く映画を彼らは作ったのだ。」

「現在の映画からベルイマンを見つけることは、私にとって困難である。むしろ、彼の不在こそがその酷い空虚となっているように感じられるのだ。私たちは、私たち自身の暗い側面やそれと直面する必要性を忘れるのと平行して、ベルイマンを忘れてしまった。私たちの社会も、そして映画も、精神分析から離れてしまったが、それは何か隠し事があるからではなく、私たちが何を隠さなければいけないか、私たち自身が知りたくも見たくもないからなのだ。こうした時代が過ぎ、私たちが映画に確実な物語や偏見や社会的ステレオタイプを求めるのではなく、人間性の探究を通じた疑問や疑いに再び関心を向けるならば、その時にはベルイマンの作品が依然として私たちを導くことになるだろう。」

#01
http://www.ingmarbergman.se/
#02
http://www.zaziefilms.com/bergman100/
#03
https://www.filmcomment.com/article/where-are-we-with-bergman/

大寺眞輔
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。

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