今年のアカデミー賞をにぎわわせたジョーダン・ピール監督の『ゲット・アウト』は、人種差別を逆手にとったシニカルなスタイルで、社会に巣くうある種の無慈悲さとその文化をユーモアたっぷりに描いてみせた。黒人のアイデンティティを真正面から主張するのではなく、コメディとして表現する新鮮な手法は称賛を集め、アカデミー賞脚本賞に輝いた。アカデミー賞ではどちらかというと軽視されがちなホラー映画が同賞を受賞するのは史上初のことである。

 その『ゲット・アウト』に続けとばかりに、今年のサンダンス映画祭である新人黒人監督のコメディ映画が喝采を浴びた。ヒップホップミュージシャンのブーツ・ライリーが初メガホンを取った”Sorry To Bother You”である。

 ヒップホップミュージックが好きな人にとって、ブーツ・ライリーという名前はお馴染みかもしれない。彼は1991年から続くヒップホップグループThe Coupのリーダーであり、2006年にはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリスト、トム・モレロとタッグを組んでストリート・スウィーパー・ソーシャルクラブを結成し、来日公演を果たしたこともある。そのスタイルは、自分が目にした社会や政治問題への痛烈な批判を左翼的な用語を交えた歌詞でたたきつけるものだった。[1]

ブーツ・ライリーの革命的思考は、父親のウォルター・ライリーに由来する。父ウォルターは、学生だった60年代当時、サンフランシスコで反ベトナム戦争を唱えて運動する活動家だった。その後も居住権と福祉権の保障を求める運動を率い、市民権のために闘う弁護士になることを決意して法律家への道を歩んでいく。そんな父の背中を見て育ったブーツ・ライリーも15歳にして進歩的労働党に参加し、社会運動に身を投じていく。ちなみに、「ブーツ」は本名ではなく、彼が卒業旅行の間ずっとフローシャイムブーツを履いていたことから、友人たちがつけたニックネームである。[2]

 「ミュージシャンが書いた脚本なんて、誰も読みたがるわけがない」。初監督にして初脚本作品の”Sorry To Bother You”を書き上げたときに、ブーツは少なくとも数名の有名な俳優と数百万ドルの予算が手に入らなければ、この作品が映画として世に出ることはないと思ったという。[2]では、なぜブーツは映画を制作しようと考えたのだろうか。

 実は、ブーツ・ライリーは十代のころ映画に関心を持ち、サンフランシスコの学校で映画づくりを学んでいた。当時手がけたのは短編だけだったが、25年以上にわたり音楽制作を通じて「物語を語ること」を続けてきたブーツにとって、思考を形にして外に出すのは難しい作業ではなかった。ブーツは、曲づくりの手法について「曲を書いているときはたいてい、頭の中に浮かんだ映像を詞に『翻訳』している」と述べている。映画の脚本を書くにあたっては違う感覚を覚えたようだ。「曲づくりと比べるとワンステップ少なく、イメージが『翻訳』を経ずに直接、脚本として自分の中に注ぎ込まれるような感じだった」。[1]

元レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトムとのコラボレーションも、ブーツには反面教師として働き、ブーツが映画制作へ踏み切るきっかけとなった格好だ。ブーツ自身、ストリート・スウィーパー・ソーシャルクラブとしての活動は後悔していないものの、「トムとの共作にまったくときめきを感じなかった」と告白している。その理由として、「ストリート・スウィーパー・ソーシャルクラブは、私の思い描くビジョンのすべてを表していたThe Coupのようなグループではなかった。私にはピンとこなかったというか、自分がその一員だという実感が持てなかった。社会の変革を語ろうとする人間にとって、アイデアを誰かと分かち合って協働するのは難しいこともある。私はストリート・スウィーパー・ソーシャルクラブとは別れて、自分だけの世界をつくりあげてみたかった。そして、その物語を語りたいと思った」と挙げていることからも明らかだろう。[1]

 こうして、ブーツは脚本を手がけ始める。当初のコンセプトは、5万ドルの予算でおさまる作品をつくることだった。誰かから無償で提供してもらった場所で起こることを描き、1週間以内に撮り終える。ブーツは、内容として職場で起こるコメディのようなものを想定していた。しかし、そのような条件を課してしまっては、自分の力を十分に発揮しきれないことにブーツは気がつく。「誰もが聴いたことがなく、かつ、耳にした途端、聴きたいと思っていたものを手に入れた気分になるような曲をつくる」というのを音楽制作上の信条としていたブーツにとって、予定調和で終わる物語は最も相容れないものだったのだろう。「自分には壁も限界もないと思っている。そんなものはいつもみずからがつくりだすものだ。うまくいくかどうかは、最後までやってみないとわからない」。そこでブーツは、映画の最初の場面を書き上げると、そこから映画の終わりまで、登場人物たちと「旅をした」のだ。[1]

 この「登場人物たちと旅をする」という方式については、『マイティ・ソー バトルロイヤル』で戦士ヴァルキリーを演じて注目を集め、本作では主人公の恋人役を務めたテッサ・トンプソンの言葉が理解の助けになるかもしれない。テッサ・トンプソンの起用は、彼女の長年のファンだったブーツのたっての願いだった。ブーツは、人気急上昇でオファーの難しくなりつつあったテッサ・トンプソンを口説くことに全力を注いだ。Skypeを通じてのやり取りから交渉が始まったというテッサ・トンプソンは、ブーツの印象についてこう述べている。「ブーツは私の話を聴くことに全神経を傾けていた。彼はミュージシャンで、映画の分野では全くの新人だから、彼にとってこんなふうに集中することは、この映画をつくりあげるために必要不可欠なことなのだろうと思ったことを覚えている。彼が集中するさまを見て感じたのは、オークランド出身の活動家をルーツとする彼独自の経歴を、どこであれ自分の生きる世界に反映したいという強い欲求だった。彼は、そうした欲求から決して逃れることができないアーティストなのだと思った」。[1]

 バンドのプロデュース活動もみずから行っていたブーツは、作品を世に出すためには売り込みが大事であることを身に染みて知っていた。脚本を書き終えたブーツが次にとりかかったのは、さまざまな場面に応じてのセールストークに磨きをかけることだった。例えば、レベル1は23語(英語)で表され、短時間で相手の興味を引くことがねらいだった。
「この作品は、電話訪問販売の世界を魔術的リアリズムとSFの要素を含んだ不条理で描くダークコメディです。タイトルは”Sorry To Bother You”です」。[2]

**あらすじ**
「Sorry to bother you(お忙しいところすみません)」は、セールスマンの常套句である。映画は、オークランドのコールセンターで働く黒人の青年カシアス・グリーン(身に覚えのない殺人罪に問われた黒人青年と彼の無実を証明しようと奔走する友人を描くクライム・サスペンス”Crown Heights”と『ゲット・アウト』で映画祭の人気をさらったラキース・スタンフィールド)が、自分の中に眠っていた独創的な営業能力に気がつくところから始まる。その力を使って彼はまたたくまにトップセールスマンの座に上り詰めるが、同時に、会社がとんでもない品物を売っていることに気がついてしまう。カシアスの突然の成功を、彼のガールフレンドのデトロイト(テッサ・トンプソン)と、バンクシースタイルの芸術集団の一員として密かに活動を続けるアーティストの友人は訝しむ。カシアスは会社の最高経営責任者で、コカインと乱交好きなスティーブ・リフト(『君の名で僕を呼んで』のアーミー・ハマー)と会うのだが、予想もしなかった事態に見舞われる。そこには、私たちの住む世界とは違うパラレルワールドが広がっていた。
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 レベル2、レベル3と段階を踏み映画の全貌が明らかになるにつれ、相手はブーツの語る世界にますます魅せられて関心を寄せていく。この手法を引っ提げて、ブーツは営業活動を開始した。ナパ・バレー映画祭ではプライベートディナーの席に加わり、ヴィゴ・モーテンセンに脚本を手渡した。以前、The Coupの詞について話したことのあるコリン・ファースに対しては、彼の妻にメールを送って接触を試みた。両者ともブーツの脚本に興味は示したものの、具体的な話までには至らなかった。長きにわたる営業活動は、映画ではなく、2014年12月にMcSweeney’sが本として出版するという形でいったんは結末を迎える。[2]

 冬眠ともいえるこの期間は、ブーツにとってむしろ好都合だったかもしれない。その間にジョーダン・ビール監督の『ゲット・アウト』がセンセーションを巻き起こし、マーヴェル初の黒人ヒーローもの、ライアン・クーグラー監督の『ブラック・パンサー』は予想を遙かに上回る人気を博した。黒人が黒人の文化や置かれている状況をエンターテイメントとして表現する世界が熱狂をもって迎え入れられたのだった。機は熟したのである。

 過去において、ブーツは、ハリウッドが描く黒人は反動的だと批判した。「『ポケットいっぱいの涙』であれ『ボーイズ‘ン・ザ・フッド』であれ、どの映画も、どこかほかの場所へ移ればすべてがよりよくなると説く。込められたメッセージはいつも、“黒人が黒人自身を破滅に追い込んでいる”であり、その不幸な仕組みについては何一つ明らかにされていない」。[2]

 “Sorry To Bother You”がサンダンス映画祭で初上映されたとき、観客たちは「クレイジーだ!」と称賛の声を上げた。その反応に対して、ブーツはこんな感想を持っている。「観客に何かを問うている映画と受けとめられるよりもずっといい。誰もそんなふうに小難しく映画を観たくないだろう。少なくとも私はそんな見方などしたくない。だが、実際、ほとんどの映画は誰かに何かを訴えかけていると言えるだろう。現実に即し、そこにある何かをさまざまな形で反映しているからだ」。[2]

 “Sorry To Bother You”の全米公開は7月6日。主演のラキース・スタンフィールドは、真正面からの全裸シーンにも挑んだという(残念ながらそのシーンは最終的にカットされた)。アーミー・ハマーは常軌を逸した上司役を「非論理的で狂っていればいるほど、この役を演じるのは大きな挑戦になる。実のところ、私はこの男の性格が理解できる」と今までにない役柄を楽しんだようだ。テッサ・トンプソンは「彼(ブーツ・ライリー)は、口数は少ないけれど、決してごまかしたりはせず、私の不安や警戒心を取り除いてくれた」と全幅の信頼をおいて臨んだと語っている。そのほかに共演者として名を連ねるのは、『ウォーキングデッド』への出演で知られる韓国系アメリカ人俳優スティーブン・ユァン、コメディアンのジャーメイン・ファウラー、アメフト選手から俳優へ転身を遂げたオマリ・ハードウィック、『デッドプール2』に出演している元アメフト選手のテリー・クルーズと個性派ぞろいだ。[3]

 この不可思議ながら今の政治への風刺を含んだダークコメディ”Sorry To Bother You”は、先鋭化する資本主義や、もの申す主義の文化の台頭に対し、冷静になって考えてみようという一石を投じる作品でもある。いわゆるギグエコノミー(ネットを通じて単発の仕事を受発注する非正規労働によって成り立つ経済)によって大企業が富を独占する状況を批判し、盛り上がるThe Black Lives Matter運動にその真価を問う。人が自分自身を見失ったときに起こり得ることへの現実的な反応をユーモアたっぷりに見せてくれる。『ゲット・アウト』で味わった奇妙な爽快感、『ブラック・パンサー』の興奮とはまた違う世界が待っているに違いない。日本公開は今のところ未定だが、朗報を待ちたい。

 

《参照URL》

[1]http://www.latimes.com/entertainment/movies/la-et-mn-sundance-boots-riley-sorry-to-bother-you-20180119-story.html
[2]https://www.nytimes.com/2018/05/22/magazine/how-boots-riley-infiltrated-hollywood.html
[3]http://www.indiewire.com/2018/01/armie-hammer-sorry-to-bother-you-character-sundance-interview-1201919748/

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。

 

 


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