1232586_Johann Johannson

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作『ボーダーライン』は、アメリカとメキシコの間に延びる無法地帯を舞台に、メキシコ麻薬カルテルとFBIの攻防を描いた作品である。その音楽を作曲したのは、ヨハン・ヨハンソンである。彼は、2014年の映画『博士と彼女のセオリー』で、第72回ゴールデン・グローブ賞の作曲賞を獲得し、第87回アカデミー賞では作曲賞にノミネートされ、映画音楽界でその名を轟かせることとなった。また、彼は、『ボーダーライン』以前にも、『プリズナーズ』でヴィルヌーヴ監督と共同で仕事をこなしており、今作では2度目のコラボレーションとなる。『ボーダーライン』の音楽は、第88回アカデミー賞の作曲賞にノミネートされている。
そのような映画音楽界の新鋭の彼が、愛して止まない作曲家として、バーナード・ハーマンとエンニオ・モリコーネを挙げている。ハーマンは、アルフレッド・ヒッチコック監督が手掛けた数々の作品の音楽を担当したことで名高い作曲家である。また、巨匠モリコーネは、これまでに500以上の映画音楽に携わっている。クエンティン・タランティーノ監督の新作『ヘイトフル・エイト』の音楽も担当しており、87歳にして現役で活躍している作曲家である。その2人の存在は、彼の映画音楽を知る上での鍵となる。それ故に、まずはここから始めたい。

「私が最も敬愛する映画音楽の作曲家は、バーナード・ハーマンとエンニオ・モリコーネです。バーナード・ハーマンは、恐らく、初めて映画音楽に興味を持つきっかけとなった作曲家です。20歳前半という遅い時期に、映画音楽に興味を持ったのです。主に、ヒッチコック監督作品のためのハーマンのスコア、『めまい』、『北北西に進路を取れ』、『サイコ』、『マーニー』の作品群には、とてつもなく影響を受けています。そして、彼の作品は、大きなインスピレーションを与えてくれます。同様に、モリコーネは、本当に様々な興味深い経歴の持ち主です。彼の作品は、同じく多岐に及びます。しかし、思うに、特に、60年代、70年代の彼のスコアにおいて、どのようにレコーディングをし、彼がスタジオとオーケストラを使用するのかについて、インスピレーションを受けています。」

Johannヨハンソンによる『ボーダーライン』の映画音楽は新たな表現を提示する。それは、ハーマンやモリコーネが映画音楽において行ってきたことと重なる。彼は、現在の映画音楽の状況について、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督との仕事の環境と共に見解を述べている。

「私は、新しいものへの渇望が強く存在していると思います。多くの映画は、同じような音楽を付けられています。リスクを負うことに対して気が進まないのです。私は幸運です。ドゥニは、本当に限界に挑みたいと思っているからです。彼は、リスクを負い、極限に至るまで物事を行う環境を作っています。しかし、最近では、より多くの人々が、リスクを負うようになってきており、何作かで本当に素晴らしいスコアが生まれています。例えば、ミカ・レヴィによる『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』のスコアです。映画音楽の仕事における新たな制作方法のために、門戸は開かれてきています。」

『ボーダーライン』の音楽の制作過程で、特異な点として挙げられるのはテンプトラック(映画へのオリジナルの音楽が作曲される前に映像に付けられる既存の音楽)が使われなかったことである。前回のヴィルヌーヴ監督とヨハンソンの共同制作作品である『プリズナーズ』では、最初の編集映像にいくつかのテンプトラックが付けられていたが、『ボーダーライン』には、まったくテンプトラックが付けられていなかったのである。テンプトラックは、どこに音楽が使われるのか、また、どのような音楽が付けられるのかを、監督が作曲家に伝えるために用いられる。つまり、監督と作曲家が意思疎通をするための手段なのである。一方で、そのテンプトラックは、音楽の方向性を過度に位置付けてしまうことがあるために、作曲家が独自の音楽を作曲する妨げになることがある。
ヨハンソンは、監督が音楽家であることは非常に稀なことであると話している。しかし、監督が音楽について専門的に話せる必要は必ずしもないとしている。彼は、物語や登場人物について話し、監督が音楽について自分と同様に話すことを期待せず、監督に合わせて話すのだと述べている。そして、彼はテンプトラックを用いないヴィルヌーヴ監督の今回の手法を、作曲における自由だけでなく、リスクを負うことや実験を試みる機会を獲得すること、また限界に挑むことであるとして肯定的に捉えている。
ヨハンソンは、作曲のために、とても早い段階から映画と関わり、テンプトラックが存在しない中で、撮影が行われるロケーションの地やスタジオを訪れることによって音楽の構想を練った。

S_D040_10409.NEF「ドゥニは、初期の段階から参加することを求めました。私もそのやり方はとても好きです。映画に取り組む際に、私はできるだけ早い段階から参加するのです。これは、映画の雰囲気を吸収することからも、映画のDNAの一部である音楽のためにも、本当に良く、有益なことだと思います。…『プリズナーズ』と『ボーダーライン』の両作において、撮影が始まる前から関わっていました。車を運転して、セットへ赴き、また映画に登場するトンネルといったロケーションやスタジオを訪れました。とても早期の過程で、影響を受け、雰囲気や映画の感覚を獲得するのです。ドゥニのやり方では、編集の際には音楽を使いません。だから、映画の最初の編集では、音楽が存在しないのです。テンプトラックがないのです。基本的に、彼は、まったく音楽の無い映画の長いラフカットを送ってきます。それ故に、私は仕事において空白であるのです。もちろん、私たちは、音楽と雰囲気、音楽が必要とすること、強調する側面について話し合います。ドゥニは、自分の望んでいることに対して、強い感覚を持っています。しかし、(私が音楽の中で)その感覚を満たすことによって、彼は多くの自由を与えてくれたのです。このラフカットの映像に、4曲、または5曲の音楽を書き、送りました。これこそが音楽制作の始まりであり、ゆっくりと映画の音や声を見つけ出す過程なのです。」

『ボーダーライン』の音楽は、デジタル技術によって音がミックスされている。ヨハンソンは、それを「獣がゆっくりとした動きでよろめきながら向かってきている」音楽と表現する。そして、彼は、ドラムと打楽器を映画全体に使うことを思い付いた。レコーディングには、ベルリン、ロサンジェルス、ブダペストから5人の打楽器奏者が招聘された。そして、ヨハンソンは、「変化を続けるテクスチュア」を作り出すために、デジタルにレコーディングを進めていった。彼がこれほど多くの打楽器奏者によってレコーディングを行うことは初めてである。彼は、また弦楽器の低い音色を用いた。8挺のコントラバス、10挺のチェロである。さらに、低い音色の木管楽器は、コントラファゴット、コントラバスクラリネット、低い音色の金管楽器は、チューバ、トロンボーンによって編成された。ハンガリー・ナショナル・ラジオ・スタジオでレコーディングは行われ、ヨハンソンによれば、それはハリウッドのオーケストラには存在しない音であったとしている。

「打楽器は、映画の大部分を占めています。それは、とても早い段階での話し合いから採用されました。ドゥニは、戦争映画として『ボーダーライン』を見なし、“subtle war music”の音楽を書くように求めてきました。彼が使った表現は難しいものでした。subtle war musicとは何であるのか。言葉に矛盾があるようにも思えます。しかし、私はその言葉を考え続け、ある種の指針であることに気付きました。その音楽とは、駆り立てること、映画を前に進ませる衝撃のようなものであるのです。打楽器はその大切な部分でした。それこそが、私がオーケストラにおいて最初に決めたことの1つでした。
私は、弦楽器、金管楽器、木管楽器からなる、55人編成という大きなオーケストラと共に音楽をレコーディングしました。しかし、それらの楽器はさらなるテクスチュアとして働いています。まったく旋律がなく、テクスチュアなのです。引き伸ばされた演奏技法であり、スペクトラル、テクスチュアの表現なのです。また、私は6本の弦を持つベースギターを用いました。クロージングクレジットで流れる“Melancholia”という楽曲で中心に使っています。実際に、それは全体のスコアの中で最も好きな楽曲の1つです。…多くのチェロを使った楽曲、また多重録音によるチェロの楽曲もあります。それらは、普段、仕事を共にしている友人で、作曲家兼チェリストのヒルドゥル・グズナドッティルとレコーディングを行いました。いくつかの電子音楽も同様にあります。しかし、そのほとんどは、電子で行われたアコースティックのレコーディングです。レコーディングにおいて、ほとんどシンセサイザーは使っていません。その電子音楽は、すべてデジタル処理を施されたアコースティックの音です。」

S_D028_11555.NEF最後に楽曲を覆う音としてパイプオルガンが用いられた。コペンハーゲンにある古い石造りの大きな教会で、ヨハンソンは大きな低い音を作り出すために、32フィートと16フィートのパイプオルガンによってレコーディングを行った。デジタルプログラムによって音を組み合わせることで、彼は自身のスコアに深さを与え、凶事の前兆のような低音を完成させたのである。
『ボーダーライン』のスコアとそれに重なるレイヤーサウンドは、密接に、そして、効果的に統合されている。音楽の最終的なミックスについて、ヨハンソンは次のように話す。

「私のスコアの電子または音の作業過程における側面は、非常に重要です。私は慣習的にオーケストラのために楽曲を書きますが、スコアの30パーセントは後から制作します。オーケストラのレコーディングを行い、それらの音源を扱い、音の処理過程を創出し、サウンドデザインがオーケストラのレコーディングの音を拡大し、混成の音を作り上げます。そこでは、時々、オーケストラの音がどこから始まり、電子の音がどこで終わるのかが分からないことがあります。私は心からこの方法が気に入っています。この作業によって、私は多くのことを成し遂げられるのです。私は本当にオーケストラのレコーディング音源とサウンドデザインを統合することが好きなのです。私はサウンドデザイナーに近い形で楽曲を書き、サウンドデザイナーは何をするのかを予想し、オーケストラのレコーディング音源をそのサウンドデザインの中に組み入れるのです。それ故に、その音楽には継ぎ目がありません。それは本当に統合されたかのような音なのです。その音楽は後から重ねられたことによる層を感じないのです。それは全体の音が固定されているという統合されたものでなければならないのです。」

ヨハンソンは、『ボーダーライン』において影響を受けた音楽についても語っている。それは映画音楽の範囲にはとどまらない。そのことは彼が今作において映画音楽に新たな表現を吹き込んでいることへの手掛かりとなっているのではないであろうか。

「私は映画音楽の外の音楽から引用し、それらに影響を受けています。思うに、『ボーダーライン』においては、打楽器によるアプローチ、打楽器の力、絶え間ない衝撃のような音楽、ゆっくりとした悲しみに沈んだ響きがあります。
例えば、“The Beast”と呼ばれる楽曲です。そのスコアは全体を通して、本当に、スワンズ、Test Dept.、スロッビング・グリッスルのような80年代のインダストリアル・ミュージックに影響を受けました。オーケストラの観点から、その音楽は、ジェラール・グリゼー、バデュルスクのようなスペクトラル楽派の作曲家に影響を受けています。映画音楽のスコアの観点からいえば、その歴史の中で一番好きな作品の1つ、ジェリー・ゴールドスミス作曲による『猿の惑星』の音楽です。たぶん、そこにはいくつかの影響があるように思います。同様に、どこかに(ジョン・ウィリアムズ作曲による)『ジョーズ』の音楽の影響も少しあるように思います。」

1232585_Johann Johannson 0

また、ヨハンソンは歌手のロバート・ロウを起用し、少しばかりその歌声は音楽に登場する。彼によれば、ロウはクラシック音楽に精通していないにも関わらず、クラシック音楽のカウンターテナーとしての歌声と、グラインドコア音楽における唸りを上げるデスメタルのような歌声を使い分けることができた。その歌声は、“Alejandro’s Song”を彩り、異様な感覚をもたらす音楽となった。
『ボーダーライン』におけるほとんどの音楽は、打楽器による駆り立てるような衝撃を表現する音楽であるが、一方で柔らかな印象を与える楽曲も存在する。例えば、先に挙げた“Melancholia”や“Desert Music”のような音楽が流れるシーンがある。その背景には何があるのだろうか。ヨハンソンは以下のように語る。

「(映画のために音楽を作曲する上で)呼び起こすという表現に必要であった2つのテーマがあり、その2つのテーマの音楽の響きが存在します。その1つは、地中から来ているというアイデアです。戦争のような軍隊のリズムです。それからもう1つは、砂漠の悲しみと国境での哀愁、そして、ベニチオ・デル・トロが演じるアレハンドロの悲しみと哀愁を呼び起こすというアイデアです。彼には悲劇的な背景の物語があり、彼の悲劇的な過去が悲しいシーンにおいて少し反響するのです。それらのシーンは、さらにその悲しみを表現する音楽を強調するのです。」

S_D037_09788.NEFさらに、音楽とそれ以外の映画内の音を融合するという試みもなされている。それは、ヘリコプターの回転翼の音が音楽の一部として働いているシーンにおいてであり、ヨハンソンが最初に書いたのはこの楽曲であった。彼はその音楽の制作過程を以下のように話す。

「…私が作曲をした最初の箇所は、初めてジュアレス(メキシコの都市)の中に入っていく護送のシーンだったと思います。そのシーンはかなり長いヘリコプターのショットであり、ゆっくりと国境を上昇して越えていくのです。国境のフェンスが映り、ヘリコプターの回転翼が激しく回る音が聞こえます。その音はシーンを通してゆっくりと大きくなり、上昇していきますが、それは、ちょうど、音楽の一部となるのです。私はヘリコプターの音の中でその音楽を作曲しました。ヘリコプターの音はそのシーンにおいて楽器に近い形となっています。それは私が本当に初期段階に書いた楽曲です。ドゥニと(編集を担当した)ジョーは気に入ってくれました。私はそのことがうれしかったです。その楽曲を書いているとき、とても興奮していたからです。…」

ヨハンソンによれば、ヴィルヌーヴ監督は映画全体に絶え間なく作曲された音楽を嫌っている。そして、ヨハンソンはその最小限のアプローチを支持している。その要所に流れる音楽は、映画音楽の新たな時代を切り開く。旋律というよりは、スペクトラル、テクスチュア、リズムを主体とすることで、映像に新たな感覚をもたらしているのである。また、レイヤーサウンドを用いた点では、今注目されている坂本龍一、アルヴァ・ノト、ブライス・デスナーによる『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽のアプローチとも近い部分がある。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は『ブレードランナー』の続編を担当することが決まっており、その音楽はこれまでコラボレーションを続けているヨハンソンによって作曲されるのではないかと予想されている。ヨハン・ヨハンソンは、現在の映画音楽界における新たな表現の先駆者であると共に、注目されるべき映画音楽作曲家の1人である。

参考URL:

http://johannjohannsson.com/

http://the-talks.com/interviews/johann-johannsson/

http://www.factmag.com/2015/10/17/how-to-compose-a-soundtrack-johann-johannsson/

http://www.sinfinimusic.com/uk/features/series/behind-the-screens/interview-with-film-composer-johann-johannsson-sicario-2015

http://www.scpr.org/programs/the-frame/2015/10/16/44868/composer-johann-johannsson-used-a-32-ft-pipe-organ/

http://noisey.vice.com/blog/stream-the-new-sicario-by-composer

http://variety.com/2015/artisans/production/sicario-score-johann-johannsson-1201594496/

http://collider.com/composer-johann-johannsson-sicario-interview/

http://www.screendaily.com/awards/composers-johann-johannsson-sicario/5098958.article

http://deadline.com/2015/12/johann-johannsson-sicario-composer-oscars-best-score-1201664692/

http://www.sicariofilm.com/

宍戸明彦
World News部門担当。IndieKyoto暫定支部長。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程(前期課程)。現在、京都から映画を広げるべく、IndieKyoto暫定支部長として活動中。日々、映画音楽を聴きつつ、作品へ思いを寄せる。


1 Comment

コメントを残す