1990年代末、内戦下のアルジェリアで性差による迫害や弾圧を受け、抑圧的な生活の中で自由と夢、未来のため、社会と対峙する少女たちの苦悩と決意を描く『パピチャ 未来へのランウェイ』が現在日本でも公開されている。

本作で鮮烈な長編デビューを飾ったムニア・メドゥール監督の実体験に基づいたこの物語は、アルジェリアで「暗黒の10年(La décennie noire)」と呼ばれた時代に、度重なる喪失や絶望を経て、残酷な現実に向き合いながら、夢を実現するために立ち上がる主人公の少女たちの勇姿を讃えている。そして、当時そこで同じように10代を過ごした監督自身の思いが、彼女たちに投影される。全編アルジェリアで撮影が行われ、国内でのプレミア上映が予定されていながら、当局から突如上映の中止が発表され、現在も公開が見送られている。その一方で、カンヌ国際映画祭やアカデミー賞で公開されると、大きな話題を呼び、主演のリナ・クードリはフランスのアカデミー賞にあたるセザール賞有望若手女優賞を受賞するなど、国際的な評価が高まっている。

今回は作品への評価から、アルジェリアの社会における本作の公開とその意義について紹介したい。

ムニア・メドゥール監督について

1978年、ロシア・モスクワに生まれ、アルジェリアで育つ。内戦時に家族とフランスへ移住し、大学ではジャーナリズム、ドキュメンタリー映画の制作を専攻。本作がカンヌでのコンペティションで初公開され、サテライト賞のヒューマニタリアン・アワード、2つのセザール賞(新人監督賞・有望若手女優賞)を獲得した。以下は、彼女のアカデミーゴールドフェローシップアワード受賞に際し、フランスの映画プロモーション組織であるユニフランスとAMPASが共同で開催した、フランスの映画業界における女性の功績を祝うイベントでのスピーチの抜粋。

「7年前、この映画の企画を始めました。 …アルジェリアで内戦が激化する中で、女性たちが戦った証を作品で示したいのです」

「すべての女性が自由に物語を語ることができる、この映画がその一つの契機になることを願っています。男の陰に女あり、とはよくいわれますが、女性の陰に男性がいることもあります。私の場合、私を陰で支え見守っている男性は父です。映画製作者であり、情熱と勇気だけでなく、物語を語る決意を私に与えてくれました…これからは、男性と女性が手を携えて、協調できる、力強い世界を築くことができると思います」

作品について

これまで「中東の女性」を主題とした映画やテレビ番組が無数にある中で、本作は私たちが知り得てきたどのイメージよりも委しく、最も正確に彼女たちを描写しているといえます。アルジェリアのスラングで「かわいい人/ベイビー」を意味するこの『パピチャ』という作品は、プロデューサーのグザヴィエ・ジャンと共同制作のもと、ムニア・メドゥール監督のデビュー作として2019年カンヌ映画祭で初公開されました。

アルジェリアで最も内戦が悪化していた期間である1991-2002年、イスラム教原理主義の台頭による政治的混乱、そして国家的、巨大な暴力が横行する社会で、抑圧的な生活を強いられる主人公のネジュマと彼女の家族、友人たちを中心に物語は進行します。政府とイスラム原理主義者の間で争われたこの内戦の描写は、メドゥール監督の体験がベースとなっています。抑圧された女性たちの学校や家庭での生活には、常に暴力や死が隣接しています。そんな「普通」の日常を背景に、宗教教義に基づく束縛、尊敬する姉リンダの死、様々な逆境を乗り越えるネジュマの成長が物語の主軸に設定されています。彼女の登校、下校、食事、夜遊び、ショッピング、帰郷といった日常に、監視や検閲、報復や性暴力が唐突に現れるのです。このような文脈から構成されるドラマと恐怖を与える演出、そのふたつの要素の均衡が「90年代のアルジェリア」の物語にリアリティを与えているのです。

メドゥール監督はインタビューで、出演者それぞれが撮影中に「暗黒の10年」について互いに話すことの必要性を感じていたとコメントしています。 「私を含む、誰もが自分の経験を共有する必要がありました」と彼女は言います。

アルジェリアについて

「文化」や「ナショナリズム」というものは、目に見えずとも確かに存在しているものです。例えばアルジェリアにおけるそれは、伝統的な衣服であるハイクに表されます。ネジュマの所有しているような、壮麗な白いシルクを素材としているものです。そこに内包されているのは、文​​化を継続するという役割だけでなく、変容を繰り返していくという普遍的な価値なのです。ネジュマの母親と姉が、庭で衣服について話すシーンがあります。彼女は、アルジェリア解放戦争で女性がカラシニコフをフランスに密輸する際に、ハイクが政治的に使用されたことを語ります。また、ネジュマが住んでいる大学の寮にでは、女の子が夜遅くにこっそりと抜け出差ないようにコンクリートの壁が建てられます。やがてその壁には、黒いヒジャブをまとった女性と「控えめな服装」という言葉が描かれたポスターで埋め尽くされてしまいます。原理主義の女性たちは頻繁に女子寮を襲撃し、ネジュマたちにモラルが欠如していることを非難します。この女性たちの登場は、我々を混乱させます。「彼女たちは一体何者なのか?」と。本作の公開が本国で達成されていないことの背景には、アルジェリアの(フランスからの独立後におけるアラビア語とイスラム教の布教に顕著な)断絶の歴史と文化といった背景も影響しているでしょう。

彼女たちのファッションデザインが、反抗、個性、表現、伝統を言葉よりも雄弁に物語っている点が非常にユニークですが、本作で特に着目すべきは、作品がテーマとしている「抗うこと」や「立ち向かう」ということを、ネジュマたちがあらゆる意味で体現しているという点にあります。

まずひとつに、教義や風習など、既存の価値観に少女たちが疑問を呈す「イスラム原理主義者対リベラル」という対比があります。父親や男兄弟の許可なく結婚ができないほか、夜間の外出や車の運転、国外への渡航が難しいなど、イスラム教従の女性には様々な制限があります。ネジュマたちは、こういった抑圧に対し、自分たちの率直な意見を延べ、男性と対等になろうとします(彼女の対比として、ボーイフレンドと付き合い始めてから少しずつ無口に、従属的に、地味な服装になっていくワシラが象徴的です)。

そして「女性の正しい服装」として強要されるヒジャブと、アフリカ北西部の一部のイスラム教従の服装であるハイクの、ビジュアルや文化の対比も上げられます。ヒジャブは体全体を黒い布で覆い隠す服装で、女性の個性や表現を禁じた不自由な印象を与えるのに対し、ハイクは白く、独立戦争時に戦ったカスバの女性たちの服装でした。また、女性の動きを制限するハイクをファッションショーの衣装として、露出や動きやすさ、美しさに特化してデザインしたことも、本作の最も重要なポイントと言えます。一人ひとり個性的なデザインに身を包み、それぞれの体形やパフォーマンスをみせることが、隠れていることや単調で同質的な教義への対抗として表現されています。

悲劇的な展開を迎え、未来への展望や、明白な解決策が提示されないまま収束するこの物語ですが、最後まで逆境に負けずファッションショーを主導したネジュマや、独立戦争を知る彼女の母親)、サミラと彼女の(ジャーナリストとして亡くなったネジュマ姉のリンダの名を継ぐ)娘、三世代の女性が同じ方向を見つめていることで、わずかな希望の兆しがうかがえます。

近年、大規模な抗議デモが増加するアルジェリアは、世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数2020」において総合132位(日本は総合121位、政治分野についてはアルジェリアが99位に対し日本144位)

https://variety.com/2020/film/news/papicha-director-mounia-meddour-receives-ampas-gold-fellowship-award-1203525994/

https://www.trtworld.com/opinion/papicha-surviving-girlhood-and-civil-war-in-algeria-39444

https://en.wikipedia.org/wiki/Papicha

https://papicha-movie.com/

https://www.weforum.org/reports/gender-gap-2020-report-100-years-pay-equality

https://www.pref.kanagawa.jp/documents/13623/ggi2020.pdf

 

宮澤大

日本大学藝術学部映画学科卒

翻訳会社勤務を経て、現在は調理師をしながら翻訳・字幕翻訳者として活動中。

映画製作やミニコミ誌の発行をしています。‥


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