20188月の公開以降、本国韓国での大ヒット、国内外映画祭での数々の受賞で脚光を浴びたキム・ボラ監督の『はちどり』[*1]が日本でも公開中です。

韓国最大の映画祭青龍映画賞では、今年パルム・ドール、オスカーの同時受賞に輝いたポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』をおさえ、本作が最優秀脚本賞を受賞しました。世界が韓国映画の今後に注目する最中、今作が長編デビュー作となるキム・ボラ監督にも大きな注目が集まっています。

本作は1994年の韓国ソウルを舞台に、14歳の少女の視線を通して綴られる主観的な物語でありながらも、一方でかつて彼女と同じ時代、同じ年齢で世の中を見つめていたキム・ボラ監督の記憶と眼差しがシンクロする、自叙伝のような作品です。ありふれた日常の中に垣間見える時代背景やイデオロギー、自分の居場所を見つけようとする少女の成長に着目しながら、作品の魅力に迫ります。

VarietyTomris Lafflyは、記事の中で『はちどり』について次のような評価をしています。

キム・ボラ監督の長編デビュー作にして傑作『はちどり』の主人公、14歳の少女ウニ(パク・ジフ)は繊麗ながら、どこか力なく曖昧な表情をしています。1994年の韓国ソウル、喧嘩を繰り返す不仲な両親、厄介者の姉、暴力をふるう兄、そんな機能不全に陥る家庭で彼女は日々孤独を募らせています。窮屈な環境での不自由な生活に、彼女はまるで翼を折られた鳥のような生き方を余儀なくされていました。

キム監督は、逆境に負けじと健気に生きようとするウニの姿に寄り添い、向き合い、女性ならではの視点と繊細な焦点で彼女の強く逞しい精神を捉えていきます。

監督自身の実体験からインスピレーションを得た本作は、1994年という時代を背景に明確な物語の方向性を示さないまま、緩やかに進行します。しかしある佳境に入ると突如、聖水大橋の崩壊という歴史的な悲劇のクライマックスに物語が収束していきます。そしてこの悲劇が既に決まっていた、起こりえる惨劇であったことが物語を通し明らかになっていくのです。

橋が崩壊した近辺の一帯には、長時間労働で餅屋を営む中流階級のウニの家族が住んでいます。両親は忙しさのあまり子供たちに関心を抱く余裕はなく、親の監視や束縛がないウニは学校の勉強をさぼり、漫画のスケッチをしたり親友のジスクと毎日遊び歩いています。しかし彼女は絵を描いたり親友と一緒にいるときだけは、憂鬱な家族から離れ自由になることができました。ほんの少しの時間だけでも自分の思い通りに、自由になれる時間は彼女にとってかけがえのないものです。

ウニが生活する世界で、芸術的野心を抱いたり周りと違うことをしようとする若者には「行き止まり」という不条理な現実が突きつけられました。学校の教師が生徒に指導するのは文化規範に則った、規律や勉学を強制する厳しいものでした。クラス全員に『カラオケの代わりに、ソウル国立大学に行きます』と一斉唱和させ、勉強せずに遊んでいるウニのような生徒は不良呼ばわりします。完璧な生徒ではないかも知れませんが、ほんの出来心でしてしまった万引きと地下のダンスクラブへ行ったことを除けば、ウニはごく普通の女の子です。だから彼女がたった1人で病院に行き、予想もしなかった診断結果に不安を感じたときには、誰かが近くにいるべきだったのです。耳の腫瘍が見つかってからは家族が気にかけてくれるようになりましたが、もっと前に彼女は理解者が欲しかったはずです。なぜ誰も彼女に注意を向けなかったのでしょうか。

ある女性との出会いがウ二の小さな世界を揺り動かし、劇的に変化させていきます。ヨンジという名の教師は、ウニが通う塾の新しい担任でした。彼女はウニにとって良き理解者であり、信頼を寄せる指導者でもありました。やがて彼女はウニのユニークな才能と過酷な家庭環境に気づき(恐らくはウニの中に若い自分の姿を見たのでしょう)、ヨンジは彼女に逆境に負けない生き方を教えていきました。

ヨンジ先生の他にも、ウニの生活にロマンチックなキャラクターが2人加わってきます。純粋な少年ジワン(ユン・ソジョン)とミステリアスな魅力を持つ少女ユリ(ヘ・インソル)です。

撮影監督のカン・グクヒョンとキム監督は、恋人とのキスや初めての失恋で負った痛みに焦点を当てることで、ウニに芽生え初めた性に対する興味や関心を慎重に捉えようとしています。また監督は、意図的に作品全体を柔らかな色調に保持して撮影することで、物語のイメージを普遍的で曖昧な、時代性が不透明なものにしています。その効果もあり劇中、当時の流行歌である2Unlimitedの『NoLimit』がスピーカーから流れたり、テレビのニュースが歴史的イベント(金日成主席の死去)を伝えたり、ポケベルが大音量で鳴ると、それまで霞んでいた時代の感覚が突然はっきりとその姿を現します。

ウ二とヨンジの関係を描くにあたっては、2人をクローズアップして撮ることで、彼女たちの距離と絆の深さを強調させています。全体を通して才気に溢れるパク・ジフの柔らかく愛嬌のある演技は、のちに家族に対する怒りを爆発させ暴力へと発展してしまうシーンを異様に際立たせました。この悲痛な家族不和の場面で響く一音一音は、サウンドデザイナーのハン・ミョンファン(パク・チャヌクやホン・サンスなどの作品で知られる)の録音から鮮明に、重厚に聞き取ることができます。

一見冗長とも受け取れるこの作品は、視聴者に強烈な感情の起伏や衝撃を与えることはないかもしれません。それでも、監督が親密に描き出す穏やかなリズムと細部への確かな観察眼、日常生活への視線悲壮に満ちたウニの瞳のきらめきや、暗く窮屈な部屋の家具やカーテンに光が降り注ぐ瞬間—それらは是枝裕和監督の平穏さを彷彿とさせるような、心地よい余韻を残しています。物語がウニの視点に沿って進んだ結果、明確な収束を見せずに完結したことは作品の欠点とは言えません。監督は思春期の少女の心情に深く共感し、それを映画という形で表現することで、彼女が家族や社会に属する苦悩や葛藤をつかみ取ろうとしているのです。[*2]

Daily CaliforniaMaya Thopsonは劇中の感情表現について、以下のように評価しています。

「『はちどり』は登場人物たちの自然な演技と詩的なビジュアルとが、巧妙にその波長を合わせています。カメラの前で言動や感情を探求する俳優のペースに合わせ、その繊細な表情を細かく観察したことが、彼女たちの演技により親しみやすさと愛情深さを与えました。新しい経験に満ちた主人公の揺れ動く複雑な感情をキム監督は敏感に捉え、そのリアリティが作品に反映されています。初めて舌でキスすることのぎこちなさや、太陽を浴びながら親友とトランポリンで跳ねる幸せそうなウニの表情に、監督の繊細な視線が見受けられます。『はちどり』は成熟した大人のように思春期の少女を客観的にを眺めるのではなく、彼女たちに寄り添い一体となることで、若者特有のプラトニックな関係性、心情の気まぐれさ、不安定さを驚くほど正確に表現しています。」[*3]

IndiewireDavid Ehrlichは主人公が置かれる家庭環境について、以下の通り述べています。

「冒頭の一連のシーケンスは、険悪な家庭環境を暗示させます。同じ配色、同じ型の匿名的な集合住宅アパートの棟の一角、ウニは玄関から締め出されています。「開けて!ここにいるのよ!」とドアに向かって泣き叫んでも、誰も返事をしてくれません。彼女の声が冷たく響き渡りますがその声を聞く者はいません。カメラが少しずつ遠ざかり、棟全体からやがて集合住宅の団地全体にズームアウトし、まるでウニの心細さと比例するかのように彼女の姿は小さく、小さくなって行きます。この場面で流れるマティア・スタニーシャの音楽が彼女の孤独感や悲しみを和らげる効果をしてはいますが、本作が彼女に自己理解や成長を課すであろうことがここで示唆されています。実のところ、ウニは決して家に入ることを望んではいないのです。ドアの向こう側で彼女を優しく待っている家族がいるとは言い難いからです。父親は勉強をさぼるウニを非難する上、特権のように暴力を振るう兄を贔屓しています。母親は家庭内の性差別的な事実に気づいていながら味方してくれません。厄介者の姉は父親に愛想をつかれています。夕食の後、テーブルの周りでその日の売り上げを数える彼らの姿は、まるでひび割れたガラスのように見え、それは彼らの関係を象徴しているようでもあります。」[*4]

TheplaylistAndrew Bundyは、ウニとヨンジの関係について、以下の通り述べています。

「ウニは教師であり友人のヨンジと親しくなるにつれ、抱えている孤独を忘れることができました。彼女は漫画家になりたいというウニの夢を励まし、応援しました。お互いを知り心を通わせる2人のやりとりは僅かな間ですが、ウニを中心とする多くの人間関係のモチーフが登場する中で、彼女たちが関係を育む過程は特に大きな役割を担っているといえるでしょう。ヨンジは授業で『顔を知っている人は沢山いますが、心を知っている人は何人いますか?』とウニに問います。心を通わせ合える人がいるのは心強いことですが、人間関係は複雑です。他人が自分以上に自分を知ることはできませんし、時には受け入れ難い欠点を指摘されることもあるからです。たとえそれが感謝や喜びの意思であったとしても、受け取り方によっては苦痛になってしまうこともあるのです。誰しも感情的になっていたり追い込まれているときであれば、誰に心を開くべきかわからなくなってしまいます。本作はウニとヨンジの結びつきや信頼関係を感情的に描くことで、人が亡くなり失われてしまうそのかけがえのない心のつながりをより感動的なものにました。」[*5]

New York TimesManohla Dargisは、本作について次のようにレビューしています。

「今作は度重なるスリリングな展開を見せる物語ではありませんが、主人公のウニはあらゆるものを人生に見出します。そこには暴力があり、出会いがあり、別れがあり、そして死があったことを彼女は知るのです。監督のキム・ボラが悲劇の余波、何かが起こってしまった結果に重点的に焦点を当てているのは、彼女がこの物語に非メロドラマ的なアプローチを試みているからでしょう。彼女は強い感情の起伏や、個人個人が直面するそれぞれの苦難や苦悩の表現を避けず、あえて正面からそれを捉えています。物語には災害や悲劇が描かれていますが、彼女は一人の映画作家として(ウニがそうであるように)それらの困難に直面したときにに、自分を信じることで訪れる心の静けさに、最も興味を抱いているようです。」[*6]

butwhythoCarolyn Hindsはキム・ボラ監督へのインタビューを経て以下の通り述べています。

「経済や国力、文化がより高度に発展する一方で家庭、職場、学校内における女性の地位と権利の向上は後回しにされて来ました。生活は豊かになっているかもしれませんが、韓国における女性の立場というものは一向に変化せず、それまでの伝統やしきたりといった従来の価値基準に束縛されています。監督のキム・ボラは本作で、男性を中心に据え彼らの欲求に女性がただ無条件に答えるという今日まで継承されてきた風潮が、社会にミソジニーを定着させ、男性に尽くす女性像を少女に強要し彼女たちの未来を奪っていることを示しました」[*7]

作中には当時の韓国社会特有の、数々の暗喩が登場します。軍事政権下の汚職によりずさんな管理がされていた橋の倒壊事故、ウニの家庭やジスクのセリフからも明らかな男性中心社会と家庭内暴力、ヨンジ先生が歌うデモ歌からは80年の民主化運動の名残が見え隠れします。あまりに大きな社会のイデオロギーが、そこに生きる14歳のウニの生活に影を落としていることが分かります。そして1990年代韓国のごく普通の「一少女」であるウニは、彼女のより小さな世界で家族、友人、恋人との関係に向き合い成長していくという「大きな社会の中の小さな世界」という対比が興味深いです。

物語の背後で起こる国家規模の事件や社会問題が、登場人物の生活に影響を与えていくという物語構成は、イ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』(2019年)が記憶に新しいです。暴力、性差別、農村の過疎化、経済格差、南北問題といったセンシティブな問題を扱いながら娯楽作としても高い評価を受ける韓国映画に、今後も注目したいです。

[*1]https://www.imdb.com/title/tt8951086/?ref_=fn_al_tt_1

[*2]https://variety.com/2019/film/reviews/house-of-hummingbird-review-1203199577/

[*3]https://www.dailycal.org/2020/09/21/house-of-hummingbird-soars-in-stunning-sensitive-story-of-adolescence/

[*4]https://www.indiewire.com/2020/06/house-of-hummingbird-review-1234569457/

[*5]https://theplaylist.net/house-hummingbird-tribeca-review-20190508/

[*6]https://www.nytimes.com/2020/06/24/movies/house-of-hummingbird-review.html

[*7]https://butwhythopodcast.com/2020/07/11/carolyn-talks-with-bora-kim-writer-director-of-house-of-hummingbird/


宮澤大
日本大学藝術学部映画学科卒
翻訳会社勤務を経て、現在は調理師をしながら翻訳・字幕翻訳者として活動中。
映画製作やミニコミ誌の発行をしています。‥


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