チリ出身の伝説的カルトムービー作家であり、80代になってからエネルギッシュに次々と新作を生み出しているアレハンドロ・ホドロフスキー監督の最新作『サイコマジック』。

いよいよ今月末に日本で公開される予定であったが、新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、5月22日に公開が延期されることが決定している。

 

『サイコマジック』は、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の最新ドキュメンタリー作品である。

多面的なアーティストであるホドロフスキーは、アートを通して、潜在意識を癒し、解放するという代替療法を生み出している。このサイコマジックという「代替療法」の基礎は、ホドロフスキーの独特な詩の世界と同様、西洋と東洋の教えが交差するところに置かれている。このメソッドを開発するにおいては、ヨーロッパのグリモアールと呼ばれる黒魔術の手引書から南米の信仰療法といったエッセンスまで、世界中のさまざまなヒーリング手法をとりいれており、また「マジック」とは、個人を癒すために、心の無意識部分が持つ膨大な内容とパワーに直接語りかけ、解放し、一種の「洗脳を解く」行為であるという理解に基づいたものである。「サイコマジック」においては、話すだけでなく、行動することが求められる。このヒーリング手法を受ける者は、自身の人生における閉塞から解放されるために、無意識の願望を儀式的に演じるのである。ホドロフスキーは、神経症からインポテンツに至るまで、身体的、感情的な様々な問題を癒してきたと主張している[1]。

 

癒しのプロセスで採用される形式は、ホドロフスキーの奇想天外な演劇や、いわゆるパニック・ムーブメント時代のシュールで象徴的なハプニングといったものに類似している。ホドロフスキーの演劇的な祭典や癒しの儀式を知る者にとっては、それらは非常に見ごたえのある光景である。だからこそ、撮影には最適な素材なのである。

 

この映画は、非常に演劇的かつ映画的なセラピーセッションの光景を見事に捉えている。

たとえば、反目し合う二人の兄弟が、目を閉じたトランス状態で部屋の中に立っている。上半身は裸である。そこに突然母親が現れ、カメラが見守る中、3人が体当たりで格闘するかのように絡み合う。

人生を無駄に生きたと感じている、外国人移民労働者を憎む鬱病の老婆が変化を遂げ、毎朝近所のフィカスの木に水をやりに行くことを新たな日課にするようになる。

父親不在のシンガーソングライター(アルチュール・アッシュ)は、無造作にピアノを叩き、服を脱いで奇妙なバーレスクダンスを披露する。

家族を憎んでいる男は、家族の顔写真を付けたカボチャをハンマーで叩き割り、その破片をDHLで家に送り返す。

児童虐待の被害者である自殺未遂常習者は、地面に埋められて周囲に生肉がまかれる。そしてそれを食べる鳥たちが次から次へと肉を奪いにやって来る。

 

これらはいずれも、映画『サイコマジック』からのシーンである。

少なくとも、この映画は撮影の観点から見ても大胆な作品であり、ホドロフスキーが初期の『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』で開拓した独自の美学にオマージュを捧げるものとなっている(両方の映画のシーンが挿入されている)。

各チャプターは短く、それぞれの出来事やトラウマをほんの少しだけ垣間見せる。観ている側からすると、ある登場人物に興味を持ち始めた矢先に、別の人物のチャプターに移り変わるといった具合である。観客は、人々がばかげたことをするのを見るという覗き趣味的な喜びを感じることで興味がひきつけられていく。それは刺激的であり、詩的であり、ある程度のカタルシスも得られる。おそらく、映画を観ていくうちに、自身の秘められた部分や不安に対して抱いていた羞恥心が薄れ始めていく、というコンセプトが根底にあるのだろう。しかし、これはフィクションではない。スクリーンに映し出される多くの人々は、実際、絶望的なまでに癒しを必要としているのだ。

 

ホドロフスキーは、各人の遺伝情報がDNAを通して代々受け継がれていくように、「心」も世代から世代へと受け継がれていくような、そんな「心のDNA」があると考えている。演劇や詩は、無意識とダイレクトにつながっており、サイコマジックセラピーを用いることで、人は心理的なブロックから解放されることができる、とホドロフスキーは信じる。

「サイコマジックは、詩や個人的な体験を用いることで作用します。精神分析にはお金がかかりますし、何年にもわたって通うことになるかもしれません。でもサイコマジックは無料です」とホドロフスキーは説明する[2]。

 

90歳になってこの幻視的アーティストは、時間という概念について熟考することにしたという。ホドロフスキーは、過去、現在、未来が一つの全体として機能していると信じている。

「時間は存在する。そして私は過去にも現在にも未来にも、同時に存在している。今の私とは、将来私がなるであろう人間なのです。そして、私がなるであろう人間は、あなた方の中に、私たちの中に完全な形で刻まれています。未来は私たち全員の中に、世界の中に、それぞれの対象、それぞれの存在の中にあるのです。過去も現在も未来もひとつの全体なのです」。[3]

 

本作の試写の上映後には、ホドロフスキーがいかにしてそのヒーリング的なアイデアを発展させてきたかに強い興味を寄せる観客たちから、そのヒーリングメソッドについて多くの質問が寄せられた。そのひとつの答えとして、ホドロフスキーはこのように語っている。

「まず最初にするのは、ファミリーツリーを作ることです。私は、相談者の兄弟や姉妹、両親や祖父母までさかのぼった家族を見ます。そしてそこから問題の本質についての結論をひきだします。各人が実践しなくてはならないサイコマジカルな行動を思いつくのに一時間ぐらいかかることもあります。結局、自分を癒せるのは自分自身なのです」。[4]

 

非常に独特で個人的なサイコマジック・ヒーリングの様子だけでなく、映画ではチリやメキシコでおこなわれたグループ・ヒーリングの様子も描かれている。

そのグループ・ヒーリングに参加したある男性はこう語る。「非常に強烈でパワフルなものでした。メタファーやシンボルを用いるメキシコのヒーラーのようでした。私はメキシコ出身なので、すべてが懐かしく、とても感動しました」。[5]

 

ホドロフスキーは、こう語っている。

「私は、映画がスピリチュアルな問題を癒すものであってほしいと思っています。それは私自身の問題だけでなく、他の人々の問題、ひいては人類全体が抱えるスピリチュアルな問題を癒すものであってほしいのです。私は、映画には、聖典と同じような価値を持つものであってほしい。それによって、誰もが自分の内側に奥深くに入って行ってほしいのです」。[6]

 

最後に、サイコマジックの手法に関するインタビューでの、ホドロフスキーの発言を抜粋してみる。

 

「私たちは癖という悪循環の中に生きています。私たちには精神的、感情的、性的、身体的な癖があります。こうした癖を断ち切ると、自分自身の新たな次元が現れてくるのです。究極的には、私たちは宇宙と同様に無限の存在であるにもかかわらず、社会、家族、文化によって型にはめられてしまっています。この型から抜け出るとき、ヒーリングが起きるわけです。そのために、やらなければいけないこと――それはこれまでにやったことがないことをやること。それも難しいことであればあるほど効果があります。これまでにやったことがないことをやるとき、その人は、世界に再び興味を抱くようになります。そしてその瞬間、『詩の、燃え盛るような唐突の侵入』が起きるのです」。[7]

 

 

[1]https://screenanarchy.com/2019/08/psychomagic-an-art-that-heals-trailer-alejandro-jodorowsky-unleashes-the-healing-power-of-theatrical.html

[2] https://youtu.be/6bIy-o0b8-U

[3] https://youtu.be/6bIy-o0b8-U

[4] https://www.euronews.com/2019/09/12/jodorowski-s-latest-documentary-explores-psychomagic-and-healing

[5] https://youtu.be/6bIy-o0b8-U

[6] https://youtu.be/6bIy-o0b8-U

[7] https://www.youtube.com/watch?v=6BpUFpncXFM

https://www.euronews.com/2019/09/12/jodorowski-s-latest-documentary-explores-psychomagic-and-healing

https://screenanarchy.com/2019/08/psychomagic-an-art-that-heals-trailer-alejandro-jodorowsky-unleashes-the-healing-power-of-theatrical.html

https://ultraculture.org/blog/2015/03/04/psychomagic-shamanic-healing/

https://lwlies.com/articles/alejandro-jodorowsky-psychomagic-art-or-exploitation/

Mizutani Mikiko

いつもミニシアターがサードプレイスでした。

そして、これからもずっと‥‥


コメントを残す