今年のサンダンス映画祭で観客賞を受賞したドキュメンタリー映画『ハンディキャップ・キャンプ:障がい者運動の夜明け』が3月25日からNetflixで配信されています[*1]。本作は前アメリカ合衆国大統領夫妻のバラク&ミシェル・オバマが設立した製作会社Higher GroundがNetflixと提携して製作した作品として話題になっていますが、障害者による人権運動の萌芽と歴史を紹介するとともに、新型コロナウイルスの蔓延によって多くの人命が奪われると同時に多くの差別が生まれている現在において(障害の有無にかかわらない)人ひとりひとりの生存権を主張する作品としても注目されるべきものです。

“Crip Camp”(Cripは身体障害者を指すスラング)という原題を持つこの映画は、1951~1977年にニューヨーク州の田舎で開かれていた障害を持った若者を対象としたキャンプ「Camp Jened(ジェネドキャンプ)」に関する物語です。監督のひとりであり、映画の冒頭に最初の語り部として登場する音響デザイナーのジェイムズ・レブレヒトが、自身が15歳のときに初めて参加したこのキャンプについて共同監督のニコール・ニューナムに話したことが本作のはじまりでした。ニューナムの過去のドキュメンタリー映画(“The Rape of Europa” “The Revolutionary Optimists”)に音響エンジニアとして関わっていたレブレヒトは、ある昼食の席でジェネドキャンプでの自由に満ちた体験について語り、それに関する映画を作りたいと考えていることを彼女に打ち明けました。ニューナムはそのときの衝撃について、「彼が私の心に描いた絵だけでも障害を持つ人々に対する私の考えを変えるのに十分でした。それは自分が頭の中で描いていたものとはまったく違うものでした」と語っています[*2]。
レブレヒトが「キャンプのスタッフの中にも障害を持つ人たちがいたが、彼らは自分たちの人生がキャンプの外で経験してきたものより、もっと良いものになりうることに気づかせてくれた」[*2]と評するジェネドキャンプの様子や雰囲気は、彼がキャンプに参加した当時に撮影された豊富なフィルム映像によって伝えられますが、レブレヒトがその映像の存在を思い出したことが本作を実現する突破口になったといいます。ふたりの監督はピープルズ・ビデオ・シアターと名乗っていたその映像制作集団が撮影した映像素材の行方を根気強く捜しました。「ちょっとした奇跡だった」[*3]というその捜索譚についてニューナムは以下のように説明しています。
「ジム(レブレヒト)は1970年代初頭のキャンプにピープルズ・ビデオ・シアターがやってきて、カメラをジムの車椅子の後ろに取り付け、彼に敷地内を案内させたことを憶えていました。私たちは熱心にその映像を探しました。数か月にわたる調査の結果、図書館で一冊の古いビデオマガジンの裏表紙にひとつのリストを発見したんです。そこには“ジェネドキャンプにおける毛じらみの流行/ピープルズ・ビデオ・シアター撮影”と書かれていました。そのリストのおかげでその映像制作集団を運営していた人々の本名を知り、さらにサンフランシスコのラディカルな書店でピープルズ・ビデオ・シアターの創設者のひとりであるハワード・ガットスタッドがその書店の理事であることをつきとめたのです。書店の関係者は彼の連絡先を教えてくれなかったので、私はその店に彼に宛てた置手紙を残しました。すると彼は1か月後にメールをくれて、サンフランシスコのベイエリアビデオ連合(BAVC)で同僚のベン・レヴァインとともにピープルズ・ビデオ・シアターが撮影した映像素材をデジタルデータ化している最中だと教えてくれました。(中略)彼らがまだキャンプの映像素材を保管していたこと、そして私たちがそれを見つけることができたのはこの上ない幸運でした。ベンはその映像を撮影してから実に17回も引っ越していたのですが、そのテープを捨てずにその都度運んでくれていたのです。考えてみればジムは15歳のときから、このドキュメンタリー映画の制作に関わっていたということになりますよね。約50年の時を経て、私たちはジム自身も撮影したその映像を取り戻し、ついに作品として完成させたんです」[*3]。

レブレヒトとニューナムは当時の映像素材の捜索と並行してキャンプの卒業生が写真や思い出を投稿したFacebookのページに働きかけ、彼らとコンタクトを取っていきました。そのなかのひとりがオバマ政権下で国務省国際障害権利特別顧問を務めていた活動家ジュディス・ヒューマンでした。ポリオ(急性灰白髄炎)疾患を持って生まれ、長年障害者の権利を求めて闘ってきたヒューマンはジェネドキャンプに指導員として参加していました。ニューナムは言います。「私たちはこの作品を作ることに決めてからすぐにジュディに連絡しました。なぜならジム(レブレヒト)はキャンプで話し合っていたことがその後に起こったことの火種になったという理念を持っていたからです。彼女もまたあらゆる公民権運動が彼女たちのまわりで起こりつつあり、そのことについてキャンプの夜に女子の寝室で話したことを憶えていました」[*2]。
そして物語はジェネドキャンプから、1977年に起こった“もうひとつのキャンプ”=「504シットイン」へと接続されます。まるで「『ブレックファスト・クラブ』と『ミルク』が出会うように」(ニューナム)[*4]。504シットインとは、リハビリテーション法第504条の施行を求めて保険教育福祉省のビルを占拠するなどして行われた抗議運動です。リハビリテーション法はニクソン政権時代の1973年に制定されたものの、障害者の公民権を保証する504条は施行に至っておらず、次のカーター政権下で施行規則が制定されるはずでした。しかし保険教育福祉長官に就任したジョセフ・カリファノがその規則制定のための署名を保留したことから大規模な抗議活動に発展。その中心人物がジュディス・ヒューマンであり、レブレヒトを含むジェネドキャンプの卒業生の多くもジュディスとともにシットインやハンガーストライキ、ホワイトハウスやカリファノ邸の前でのデモに参加していたのです。保険教育福祉省が入った連邦ビルを占拠してからカリファノが署名を行うまで、24日間にも及んだというその抗議活動の模様もたくさんの写真や記録映像、さらにシットインに参加した複数の人々の証言も加わって、詳細かつ鮮明に描写されています。

たとえばIndieWireのエリック・コーン氏は本作のレビューで以下のように述べます。
「キャンプは物語の残りの展開において素晴らしいタイムカプセルを残す。ウッドストック(フェスティバル)の直後に、このキャンプは障害のあるティーンエイジャーに彼ら自身のユートピアを提供する。そのときに撮影された豊富なフィルム映像はその体験のあらゆる相を捉えているといっていい。レブレヒトらの回想によってジェネドキャンプが若き参加者にまるで“外の世界がなかった”かのように思わせたことが示される。魅力的なアコースティック・ジャム・セッション、羽目を外したタレントショー、何回ものオーラルセックスによって。突然の毛じらみの流行でさえ不満より浮ついた笑顔を発生させ、そうした予期しない問題に遭遇したという感覚も彼らの集団としての絆を深めるだけである。ジュディ・ヒューマンはこの作品において魅力的な中心的存在となるが、不思議なことに本作は彼女の名高いキャリアだけに焦点を当てているわけではない。そのかわりに、それはより散りばめられたポートレートへと変わっていき、もしかするとミニシリーズとして扱うほうが相応しいかもしれない複数の異なる方向へと進んでいく。(中略)それでも、この映画の作り手たちは作品全体を通してエネルギーを維持し、ジェネドキャンプの影響によって胸を打つ中心部がもたらされる。物語を豊かなロック音楽や地に足のついた眼差しによる回想のコラージュと絡ませ、キャンプの参加者たちが彼らの歩んだ年月の意味合いを思い起こすことによってこの作品の最高の瞬間が生み出されている。(中略)食事の時間の深遠な議論やふさげたひそひそ話を撮影した映像によって、この映画はキャンプの価値を証明するだけでなく、そのキャンプに参加したことが未来の進歩を刺激したことを示し、熱意に満ちた幸せそうな参加者の顔を実際的な声明へと変えている」[*5]

504シットインの13年後(1990年)に「障害を持つアメリカ人法」が制定され、障害者の雇用条件やアクセシビリティがより改善されたことを伝えた後、レブレヒトやヒューマンらがいまは更地になってしまったジェネドキャンプの跡地を訪れる場面を映し出して映画は幕を閉じます。しかし、その更地となったキャンプ跡地は障害者の人権運動の達成をノスタルジックに示す場所ではなく、むしろその闘いが継続していることを示唆する荒れ地として映し出されているかに見えます。本作を作った目的について、「私たちの目標は人々が障害や障害を持つ人々に対してどう考えるかを見つめ直す手助けをすることでした。テレビや映画における古い描写を超え、私たちのあるがままの姿を見てもらうことができれば、それはすべての人々の生活を改善することにも役立つはずです」[*6]というレブレヒトは、障害者の権利がいまも脅かされ続けていると訴えます。
「障害のある人々が自立した生活を送るための闘いは今なお厳しいものです。ホームヘルパーやサポートサービスのための財政支援に対する非難が続いています。住んでいる州によって受けられるサポートは異なり、自宅で暮らせるか、あるいは介護施設に入るかも変わってきます。(2010年に成立した)医療費負担適正化法のため最前線で戦った人々がアメリカ合衆国議会議事堂の前で寝そべって抗議活動を行っていた障害者コミュニティから出たことは重要です。私たちがついにその自己防衛の手段を勝ち取ったとき、それは私自身や他の何百万人もの人々にとって大きな救済の瞬間でした。私はようやく比較的広範な健康保険に加入することができました。しかしその後も、攻撃されたり、あるいはその権利を奪われることを恐れています。“私に生きていてほしくないのだろうか? この世界はそのような考え方を許す場所なのか? どんな権利があって既往歴や持病のある人々を医療保険の加入対象から除外するのか?”、そう思ってきました。残念ながらいまだ大きな問題が残っているのです」[*3]。
Guardianに掲載されたベンジャミン・リー氏による映画評においても、障害者に対する差別が現在進行形で生まれつつあること、さらに本作で描かれている闘争や運動の在り方は障害者のコミュニティに限ったものではないことが指摘されています。
「この映画は観客が全体像を把握するまでに徐々に小さな飛躍を見せていく。それは、キャンプで出会い、自分の生活に十分なものが提供されていないことに気付いた人々による勇敢な歩みだ。特に(障害者たちのシットインに)ブラックパンサーやLGBTQの活動家たちも集ったさまを見ると、それぞれの闘いは突き詰めればそれほど違っていないこと、そしてまだ終わっていないことに気づかされる。この映画は70年代に下された車椅子での地下鉄利用を阻むニューヨークの冷淡な決定まで遡り、いまだ大きな問題が残っていることを示している。先日、障害者のグループが新型コロナウイルスによる差別について苦情を申し立てたばかりだ。ここには当然の怒りがあるが、同時にユーモアと洞察力がある。ニューナムとレブレヒトは本作に登場する人々を、これまで社会がしばしば認めてきたイメージよりも、性的で野心的で愉快で興味深い個人として描いている」[*7]。

レブレヒトとともに5年を超える月日をかけてこの映画を完成させたニューマンは本作に込めた思いをこのように説明しています。
「私たちは最初からこれが公民権運動の歴史のなかで見過ごされてきた、とてつもなく強力な物語であることがわかっていました。私たちはそれを当然のものにしたかったのです。そしてこの作品を観る人たちに、変化を生み、世界をよりよい場所にするために集った小さな集団の物語からパワーをもらってほしいと願っています」[*6]。

*1
https://www.netflix.com/title/81001496
*2
https://www.washingtonpost.com/lifestyle/style/netflix-crip-camp-interview/2020/03/25/607b0546-6a2d-11ea-b313-df458622c2cc_story.html
*3
https://filmmakermagazine.com/109467-we-needed-a-killer-concept-trailer-jim-lebrecht-and-nicole-newnham-on-crip-camp-battling-the-health-care-system-and-working-with-the-obamas/#.Xn_Zw4j7TIU
*4
https://www.indiewire.com/2020/03/crip-camp-directors-jim-lebrecht-nicole-newnham-documentary-1202217733/
*5https://www.indiewire.com/2020/01/crip-camp-review-netflix-sundance-1202205370/
*6
https://www.theguardian.com/film/2020/mar/25/incredible-story-of-netflix-feelgood-crip-camp-it-blew-my-mind
*7
https://www.theguardian.com/film/2020/mar/24/crip-camp-review-rousing-netflix-documentary-traces-disability-rights-movement

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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