『Luciérnagas』(ホタル)は、イラン出身の映画監督であるバニ・コシュヌーディの二本目の長編フィクション映画である。自身がイランからの移民であるコシュヌーディ監督は、そのキャリアの初期から移民や亡命などをテーマとした作品を製作しつづけている。

 

あらすじ

 イランの青年ラミンは、同性愛者への迫害や政治的弾圧から逃れるため、トルコからの貨物線に乗り込み母国から逃亡する。しかし、貨物船は彼が予想していたヨーロッパではなく、世界の反対側にあるメキシコのベラクルス港へと到着することとなる。テヘランに残した恋人や自分の過去を置き去りにして耐え忍ぶことの困難に、ラミンはギリシャやトルコへと引き返そうと考えるが、多額の渡航費用が必要であったため、その希望はうち砕かれる。恋人との距離にめげず、彼は自分を運命に委ね、生き延びるために専心する。生活費を稼ぐため、ラミンは他の移民仲間と一緒に不安定なアルバイトに従事するのだが、そこで彼は、エルサルバドル出身の元ギャングメンバーであったギレルモと出会う。そこは、自分の国から逃れることを余儀なくされたギレルモにとっても、暴力的な過去から逃れるための唯一の場所であった。ラミンはそこで、ギレルモと曖昧な関係を結ぶのだった。[1][2][3]

バニ・コシュヌーディとは

 バニ・コシュヌーディは、これまでドキュメンタリーやフィクション、実験作品を制作しているが、即興音楽や電子作品を制作するミュージシャンとコラボレーションし、インスタレーションやプロジェクション作品にも携わっている。

1977年にイランのテヘランで生まれ、イラン革命のさなかの1979年、彼女が2歳のときにテキサスへと移る。テキサス大学オースティン校で写真や映画を学ぶ。それからフランスへと移ったバニは、1999年以降から映画を制作するようになる。2001年から2003年には、Article ZとARTEがプロデュースしたドキュメンタリーシリーズ『The Other Iran』の監督を務める。

 2004年、34分の短編映画『Transit』を制作。『Transit』は、他の亡命者とともにヨーロッパの国境を越えようと試みる、アフガニスタンの少年アリヤの物語である。『Transit』は多くの映画祭に招待され、2005年に開催されたアンジェ映画祭フランス短編部門では大賞を受賞している。また同じく2004年には、ARTEに依頼され、2003年にノーベル平和賞を受賞した最初のイラン人であるシリン・エバディのドキュメンタリー『Nobel Peace Prize : Shirin Ebadi, a Simple Lawyer』を製作している。

2006年には会社Pensée Sauvage Filmsを設立し、2008年には、イランの中心であるテヘランで生活する人々を追いかけた、初の長編ドキュメンタリー映画『A People in the Shadows』を製作する。

 映画制作に加えて、より実験的な作品の製作のため、同年2008年から2009年にニューヨークのホイットニー美術館でインディペンデント・スタディ・プログラムに参加し、亡命や現代性、移動、脱臼、記憶などのアイデアの理論的および芸術的探究を続ける(彼女の会社であるPensée Sauvage FilmsのWebサイト[5]には多くのインスタレーション及びビデオ作品がアップロードされている)。

 2009年、初の長編フィクション映画『Ziba』で、カンヌ映画祭のシネフォンダシオン部門に選出される。[4][5]

監督インタビュー

以下インタビューは、MEDIAPARTが『Luciérnagas』の公開に合わせて監督に行ったものである。

――『Luciérnagas』は、その訳が「ホタル」であることから喚起されるように、「光」によって機能していますね。

私にとって、ドキュメンタリー映画のアプローチから離れるために、光を扱うことが必要不可欠でした。私は、移民というテーマで通常用いられる生のリアリズムを用いたくはありませんでした。なぜならこのアプローチはたいていの場合、悲観主義的なものになると思うからです。だから、バロック的な構成を参照しながら美的構成に取り組むことが重要だったのです。そのために私は、バロック絵画に目を向けました。私はバロック絵画がとても好きなのですが、バロック絵画は身体表現を超現実主義的な方法で表現することを試みています。そのため、身体の構造や色彩は、通常の肉体のピンク色を超えて、緑色や青色になるのです。私がバロックを参照したことは、老朽化したセットを使用したことで確認できます。私たちは撮影監督と一緒に、ラミンの肌の色がセットから切り離され際立つように、彼の部屋にダークブルーとミッドナイトブルーを使用することを決めました。

ベラクルスは色彩豊かな港町です。老朽化した建物はこの街の美しさの一部であり、私たちはこの老朽化を、過去の歴史を想起させる肌の傷跡として理解しました。建物から生える緑の植物は、港の水の明るい青色と同様に、周囲に強烈な存在感を示しています。そのため、強力で正確なイメージを創造するために、とりわけ画面構成に注意を払いました。 撮影監督のベンハミン・エチャサレッタは素晴らしい写真家であり、彼は私が想像したイメージを撮影するのに最適な望遠レンズを見つけることに敏感でした。

――主人公の身体は、過去を証言する傷跡を通して対話し、共犯者に出会いますね。

確かに、傷跡が二人を結びつけ引き寄せるのです。これら傷跡は被った暴力の痕跡ですが、タトゥーなど、自分でつけた痕跡もあります。皮膚の傷跡は建物のひび割れのようなものです。傷跡は時間を物語るのです。彼らはともに暴力の経験を有していました。それぞれ異なる理由で暴力に苦しみましたが、二人ともそこから逃げることができました。

――映画の繊細さは、ホスト国における外国人が感じる感覚を問うことにも役立ちます。こうしたことも、映画執筆の背景にある意図の一部でしたか?

たしかに、ベラクルスは、コルテス[7]の軍隊が到着した港であるばかりでなく、奴隷や、内戦から逃れたレバノン人やスペイン人など、その後移民となったものたちが到着した港です。20世紀初頭のメキシコ革命中に亡命した人々にとっての玄関口でもあります。この都市は非常に象徴的で、過去の痕跡が数多く残されています。私は亡命者という存在の気持ちを語りたいと思ってい増田。彼らはときには決然と選択をする存在であり、ときには偶然に身を委ねる存在、ときには生まれた国での死から逃れるための制約を課された存在なのです。私は苦しみの原因を詳細に描きたくはありませんでした。なぜなら、啓蒙的な情報に関する映画ではなく、迷い=逡巡に関する映画を作っているからです。とりわけ、亡命の感情と、新たな人生の始まりを感じること、に取り組んでいます。それはまさしく、私が興味を持った2つのあいだの瞬間、テヘランに残した恋人との別れによって特徴づけられた現在において、過去の重みを感じる瞬間なのです。[6]

 

[1]https://www.cinelatino.fr/film/luciernagas

[2]https://www.telerama.fr/cinema/films/luciernagas,n6481064.php

[3]https://popandfilms.fr/luciernagas-lucioles-de-bani-khoshnoudi-lepaule-dune-amie/

[4]https://vimeo.com/42627497

[5]http://www.penseesauvagefilms.com/bio.html

[6]htts://blogs.mediapart.fr/edition/cinemas-damerique-latine-et-plus-encore/article/200120/entretien-avec-bani-khoshnoudi-realisatrice-de-luciernagas

[7]エルナン・コルテスは、メキシコ高原にあったアステカ帝国を征服したスペインのコンキスタドールである。

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。


コメントを残す