芸術大国フランスは、移民の多い国というバックグラウンドがある為、製作される作品も多様性がある。

日本、フランスともに大ヒットした『最強のふたり』は、主演のひとりが黒人のオマール・シーだ。この作品は実話を基にしており、実在の人物はアルジェリア系移民で白色人種だが、人種の多様性、観客の幅広さを鑑みて、黒人のキャストにしたのではないかと予測もできる。

また、韓国から養女としてフランスに渡ってきた女性監督のウニー・ルコントは、自らの実体験を基にした作品『冬の小鳥』を撮っているし、『アデル、ブルーは熱い色』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを獲得したアブデラティフ・ケシシュは、名前からもわかるようにチュジニア生まれの移民で、幼い頃フランスへ移民としてやってきている。

アニメにおいても、移民性が色濃く出るのはこの国ならでは、ではないだろうか。著名なところだとマルジャン・サトラピの『ペルセポリス』だろう。イラン出身の漫画家、映画監督である彼女が自身の経験を元にした長編作品だ。本作は高い評価を受け、アカデミー賞外国語映画賞のフランス代表になった。

そうした流れをくむ作品として、今年のアヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを獲得したドゥニ・ドゥの『Funan』を今回は取り上げる。フランスでは3月頭から公開されており、監督はカンボジア出身でこれが長編処女作となる。声の出演にはベレニス・べジョ、ルイ・ガレルと豪華だ。

Hollywood reporterは、以下のように述べている。

”作品は1975年4月17日から始まる。ポル・ポト派がプノンペンを制圧し、首都から何百万人もの人たちが強制収容所に送られる。農村労働の撤廃を行い、新しい共産主義を確立するためだ。収容所送りになった人々の中に、若い夫婦チョウとクン(ベレニス・べジョ、ルイ・ガレルが声を務める)が含まれている。彼らには4歳の息子、ソヴァンがいる。地雷で覆われた川を渡るような危険な道を沿って、ほとんど食べ物も与えられずに何週間も歩くことを余儀なくされる。その最中、ソヴァンを見失い、取り戻すことができなくなってしまう。彼らは数年間息子を探すことになる。ドゥと共同脚本家のマガリ・プゾーは夫婦の息子を探す旅を用いて、クメールルージュ(カンボジアの反政府勢力の主流派で、ポル・ポト派の別名)統治下の強制収容所の残酷な行為を露呈させる。この施設には1979年の初めに政権が崩壊するまで、カンボジアの大多数の人々が投獄された。昼夜を問わず、畑で働くことを余儀なくされたチョウやクン、他の収容所の人々は奴隷状態になり、食べ物を求めて争い、明日を生きるためにできることは何でもする。”

美しい映像については同誌は以下のように述べている。

”アートディレクターのミシェル・クルーザは『怪盗グルーの月泥棒』の主要アニメイターを務めた人物だが、カンボジアの風景に特に注意を払いながら、色鮮やかでリアルさがあり、明確な作画をする。確かにチョウとクンが美しい背景の中で様々な出来事に苦しんでいるのを観るのは、ある種の審美的なパラドックスがある。絵の美しさと広さは、夫婦のどうしようもない状況と同時に、同じく避けられない状況にある何百万人の中のふたりにすぎないという事実を強調している。”

Cineeuroによる監督のインタビューは以下のようだ。

”この作品のアイディアはどこからきたのですか?”

「私の幼少期からです。母は、クメールルージュ統治下の話をよくしてくれました。私はいつか、この記憶の遺産を何かの形でもって表現しようと思いました。ゴブリン・アニメーションスクールに在学中、ある特定のシーンについて話をしたら、それは映画にしたら絶対面白いと言われたのです。2009年の3月、スクールを卒業した私は、母の目の前にノートパッドをもって座り、彼女に過去に戻ってすべてのことを話してほしいと告げたのです。カンボジアには、証言や物語を比較したり、時系列にものごとを追いかけたりする為に何度か向かいました。2011年には、この作品の為の材料が揃っていました。共同脚本家のマガリ・プゾーはすぐにこの冒険に加わってくれました。私がクメールルージュ統治下の政治に興味があったかって?いいえ、私はそうした役目は歴史学者のやることだと思っていました。私は主に最愛の人の旅路に興味があったので、共感させられる作品を撮ることを決断しました。ただ、母の3,4年にわたる個人的な経験を事細かに語りたいという気持ちはありませんでした。なぜなら人生は常に映画的とはかぎらず、物語として描く時にねじれや回転が必要です。主要な出来事については、そのままに生かしてありますが、それ以外はかなり手を加えています。」

”クメールルージュのメンバーを描くうえで、どのような取り組みをしましたか?”

「私は道徳的に白黒のはっきりついた作品を撮るつもりは全くありませんでした。キャラクターを作り上げていくうえで、アメリカの心理学者スタンリー・ミルグラムの心理的実験に表されるような、隷属関係にある人々の習性を参考にしました。上層部に与えられた指示に盲従してしまう、洗脳とも表現できるような関係性です。家族関係が人間の善良さを作り上げるものだと主張したくないわけではなく、作品内の2つのキャラクターから探求したいと考えていました。クメールルージュに属する人々の弁護人になっていると思われることにためらいはありましたが、最終的にその考えを受け入れることにしました。事実に直面することが何より大切だと思ったのです。」

 

”作品は生き抜くことや人との関係について焦点をあてていますね。”

「私は主人公だけを強調した作品にしたくはありませんでした。これだけ特殊で抑圧的なシステムの近くにいる人々が、みな同じ反応を示すとは限らなかったからです。すべての英雄的な行動は根本で玉砕させられました。建設的な行動は、多かれ少なかれ、秘密裡に行われたのです。キャラクター同士が会話をする時は、いつもささやき声に近い声で話しています。それは映画全体の登場人物を圧迫する雰囲気によるものです。クメールルージュは目に見えない敵なのです。」

”作品内の壮大で普遍的な自然は、物語に対して強い対比になっていますね。”

「自然そのものの生きるリズムを感じさせたいと思っていました。それらは、人間の営みと関係のないものなのです。そして自然と人間が出会う時というのは、とてもスピリチュアルなものです。映画の目的は、この瞬間を反映することでした。この作品は生きたいという欲望を描いています。たとえその目的が生き残りたい、もしくは女性が自分の子供を見つけることだったとしてもです。しかし心の奥深くでは、そういった目的を超えています。私は再会するかどうかのサスペンスの為にこの動機を使うつもりはありませんでした。私は作品の最後のシーンで、世界的なメッセージを注ぎこみたかったのです。地球、空、人生に接触する、すべての要素が混ざり合い、交差する瞬間に『生きなければならない』というメッセージを。」

戦争下の生きるという力は、人間の普遍的なものを表現していると思う。カンボジアの歴史に知識があった方がより感慨にひたれる作品だと思うが、予告を観ただけでも、アニメならではの繊細でどこか風情のある自然の描き方が美しいと感じた。監督の強いメッセージ性にも惹かれる。日本で観れることを望みたい。

 

「Funan」

監督 ドゥニ・ドゥ

脚本 ドゥニ・ドゥ、マガリ・プゾー

主演(声の出演) ベレニス・べジョ、ルイ・ガレル

(2018 / フランス、ベルギー、カンボジア、ルクセンブルク / 84分)

 

 

 

☆参考リスト

Cineuropa

https://cineuropa.org/en/interview/369001/
https://cineuropa.org/en/newsdetail/355890/

Hollywood reporter

https://www.hollywoodreporter.com/review/funan-review-1120476

鳥巣まり子

ヨーロッパ映画、特にフランス映画、笑えるコメディ映画が大好き。カンヌ映画祭に行きたい。現在は派遣社員をしながら制作現場の仕事に就きたくカメラや演技を勉強中。好きな監督はエリック・ロメールとペドロ・アルモドバル。


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