今回扱う作品はあまり日本では積極的に扱われるテーマではないと思う。

まれにあるが、成熟性をもって描かれるのはヨーロッパ映画ならではないかと感じている。

去年のカンヌ国際映画祭のある視点部門に出品されたフランス映画で、監督自身の実体験がベースになっており、幼い頃の両親の友人による性的虐待から、心に傷を負った女性ダンサーの心の再生の物語である。タイトルの和訳も「くすぐりっこ」とそのものストレートである。おそらく監督の強い決意の表れなのだろうと思った。シカゴ国際映画祭、ドーヴィル映画祭で新人監督賞などを受賞している。

Varietyでは以下のように述べている。2018年の映画祭では、幼少期の性的なトラウマを描いた2つの作品が評価されている。アメリカのサンダンス映画祭で話題を席巻したジェニファー・フォックスの「The Tale」と、カンヌ国際映画祭で見出された、アンドレア・ベスコーの「Little Tickles」だ。2つの作品には類似性がある。共に女性監督による、自身の実体験がベースになっているところだ。また、共に主人公の創造性(「The Tale」ではドキュメンタリー作家としての才能、「Little Tickles」ではダンサーとしての才能)がトラウマへの解決、橋渡しに用いられている。

最も際立ったところは、両作とも、大人になった主人公が、子どもの頃の主人公と、ひとつ屋根の下の隣り合わせの部屋にいるかのように、思い出の出はいりをしつつ、やりとりをするところだ。ベスコーの作品の方が、大人のオデットにあまり信頼性のなさげなナレーターの役目もさせることで、もともと入りくんでいて、時々過去と現在が入り混じる設定をより複雑にしている。時々全く起きていなかった出来事、もしくは場所であったり起こり方であったりが違う出来事が、観客の目の前に差し出されるのだ。それらは感情の防御システムとして機能している

彼女がよく使用するドラッグやお酒のような、色鮮やかでファンタジーな世界の意味合いは、彼女の全人生を支えるより大きなファンタジーの一部なのだ。彼女は痛みの源泉のもとで不安定に生きているわけではない。

ある時、オデットはセラピストのもとで彼女の受けた虐待について、鋭い態度で初めて語る。セラピストは受けとめるものの、オデットはより専門的な医者との治療を受けようとはしない。その後2人は断続的にセラピーを行うものの、オデットがダンスの巡業で長期的に忙しくなることで、昔の悪い癖に戻ってしまう。オデットはそれでもキャリアの上がり下がりを経験するなかで、幼馴染のマヌとは親しくあり続け、優しくて良い男性レニーと知り合うが、彼女のトラウマからくる自己破壊的な衝動を抑えられず、結局セラピストのオフィスに戻ってきてしまう。

明るみに出る、尋常でない事実は恐ろしく、かたわらにいる両親は完璧に忘れている。愛らしくダンスの大好きなオデットは両親の友人であるギルバートに幼少期から繰り返しレイプされ、虐待されてきた。彼女の家の中で、「お人形遊びをする」または「くすぐりっこをする」という名目で。

こうしたシーンは明白にはされないが、劇場の観客が手を伸ばして出来事が起こるのを止めたくなるくらい、今年の映画の中で最も悪夢のようなシーンのひとつであると言われている。

作品の雰囲気が騒々しいコメディのようになる時もあれば、全面的な恐怖しか感じない時もあり、神経過敏になることもあるだろう。映画撮影に関しては精力的だが、当たり障りのない面もあり、役柄のキャラクターが薄い。特にオデットの母は、そのわかりやすい娘への残酷な態度から、ほとんど漫画のような悪役ぶりである。しかし時にソープオペラのような、最終的には深い感動を引き起こす本作は、真実がきれいに整理された状態を好まず、その不規則性によって観客は不愉快になることがあるが、それが魅力なのである。「The Tale」や「Little tickles」のような作品を作ることのできるスペースが、ようやくできたのだ。#metooTime’s upの動きが私たちに教えてくれたのはひとつだけだ。虐待の被害者が口をひらく時で、その声を聞くのは私たちの社会の義務なのだ。”

Hollywood reporterでは以下のように述べている。

幼少期の性的虐待とその痛みを伴う影響についての本作は、誠実さと情熱をもっているだけでなく、大胆なユーモアも持ち合わせた、自伝的な一人芝居をベースにした作品だ。

この素晴らしい作品は、今年のカンヌ国際映画祭のある視点部門でプレミア上映され、そのリスクを冒すテーマにも関わらず、フランス映画の枠を超えていった。

短いあらすじは「8歳のオデットはダンスとお絵描きが大好きな女の子だ。両親の友人が「くすぐりっこをしない?」という申し出にどうして不信感をもつだろうか? 大人になったオデットは、ダンスによって傷つけられた怒りを心と体でもって解放していく」というものだ。

本作は、難しいテーマを扱う時にありがちな、物語的で格式ばったやり方を嫌う。ストーリーの時系列はバラバラで、現実と過去の記憶、ファンタジーの境界があいまいになっている。ベスコー演じるオデットは、温かく面白みがあり、鋭い意志のある女性だ。彼女は作品の明るい面と暗い面を効果的に中和し、その不安定な流れを強さへと変えていく。彼女のダンスの激しい動きは、解放を必要としている苦しみを示唆しているのだ。そこから映画はフラッシュバックを描きだし、思春期前のオデットが両親の友人であるギルバートと浴室に入っていくシーンになる。その後の展開は巧みに表現されているが、目線やカメラアングルなどの形跡を残すのみになっている。

ベスコーとメタイエの監督たちは、虐待シーンをとても慎重に扱っているが、その他のフラッシュバックのシーンではそこまで発揮されない。特にオデットのダンス教師に、気持ちを逆なでするアリアンヌ・アスカリッドを抜擢したあたりは顕著だ。彼らはまだまだ熟練の映画監督たちの技術を身につけてはいないのだ。

もうひとつの問題は、大人のオデットと彼女の交感神経療法士の描き方だ。現在と過去が入り乱れる仕掛けは舞台上ではうまく作用するが、オデットは文字通り、彼女と一緒に記憶の中を歩いてしまうのだ。(最も愚かな瞬間は、オデットの幼少期の家の裏庭でのシーンだろうか。)

映画の最も大事な展開は、ドラッグやアルコール、カジュアル・セックスで痛みを鈍くしながらも、オデットの闘いを追うことだ。印象的なヒップホップからコンテンポラリー・ダンス、リハーサルからパフォーマンス、オーディション、ドタバタの繰り返しで活気あふれるシーンは、中毒性や混乱を招くようなヒステリー行為を起こすことなく、オデットの激情的な感情を描き出す。そんな最中にオデットは恋人となる優しく面白いレニーと出会うのだが、彼らの恋模様はとても説得力がある。

同時に、オデットが母親にいっさいの罪の償いをさせないのは賞賛に値する。この作品には傷ついた主人公を甘々に守ることはないし、カタルシスや対決の涙にくすませることもない。法廷で争う最終的な行動の場であってもだ。本作は耐えがたいほど難しいテーマを力強くつかみ、不器用ながらも疑いようなく自分の力で取り扱っていく。これはベスコーの物語だ。一瞬たりとも忘れることができない、彼女の素晴らしいパフォーマンスとたぐいまれな未来への証拠なのだ。”

Hollywood reporterの最後の一文が素晴らしい。一人の人間の姿を映し出していることは間違いない。もっと批評家ではない、鑑賞した一般の人の声を聴いてみたかったが、なかなか良いものを見つけることができなかった。

VarietyHollywood reporter2誌とも、作品へ主張は分かれていて、母親像がステレオタイプでつまらないという意見と、罪の償いをさせない姿勢が素晴らしいという意見に分かれていたが、現実とファンタジーが入り混じる設定に混乱をきたすなど、監督としての力量の弱さを指摘する声は共通していた。新人監督ならではだろうか。

もともとヨーロッパ映画というのは、性に関して寛容、かつ成熟しているので、こういった難しいテーマの作品が製作されやすい土壌があるのは間違いないだろう。思い出されるのは、2011年のフランス映画「ヴィオレッタ」だ。実際の事件を基に、被害者であった女優が、芸術家の母親によって年端もいかない頃からヌードを撮影されていた、愛憎含む親子の物語なのだが、日本で公開された時もレイティングの問題でかなり揉めていた作品だ。また、個人的にいちばんびっくりしたのは、過去にフランス映画祭横浜で鑑賞した2002年の「クロエの棲む夢」(原題 Les diables)という作品で、こちらも10代に入ったばかりの少女が野性的な役を演じることもあってフルヌードになっていた。作品としてすごく優れていて大好きな作品だが、衝撃を受けたのを覚えている。

未成年の子どもだろうが芸術の為ならばフルヌードを撮影するし、良い意味で、ありのままの自然な姿が美しいという思想があるのではないか。今作の予告にも衝撃的なシーンがあり、本編を観ているわけではないので確証をもって述べることはできないが、アメリカ映画ではもうちょっとソフトに表現されるのではないだろうか。

ただ、そうした芸術に対する意識と、本作の訴えていることは、全くの別問題である。

予告から予測できる、過酷な事実と離れた場で、生き生きと踊るヒロインの姿や、彼女を支える恋人や周りの人々の姿にとても心を打たれる。自分の実体験をあえて映画化した監督の意志に確固たるものを感じる。まだ新人監督のために、粗削りなところは作品内に多々あるようだが、#metooの動きは継続して起こり続け、今後のエンターテイメント業界で当たり前になるのかもしれない。監督、主演を務めるアンドレア・ベスコーについては全く知らなかったが、両親を演じるカリン・ヴィアールとクロヴィス・クロニアックは長年のキャリアをもち、有名作品に多数出演する、名俳優たちだ。

何かの表現方法でもって感情的なトラウマ、痛みを昇華させるやり方は、個人的に素晴らしいと思う。誰かが傷つくものでもなく、本人の才能の開花につながるからだ。筆者としてはこういう作品をただ悲しいだけでなく描くことのできる才能が素晴らしいと思った。芸術のもつ力を信じたくなる作品なのは間違いないだろう。

 

 

 

Little Tickles (原題 Les chatouilles

監督、脚本 アンドレア・ベスコー、エリック・メタイエ

主演 アンドレア・ベスコー、カリン・ヴィアール、クロヴィス・クロニアック

(フランス/2018/103分/日本公開未定)

 

参考リスト

Hollywood reporter

https://www.hollywoodreporter.com/review/little-tickles-review-1112220

Variety.com

https://variety.com/2018/film/reviews/little-tickles-review-les-chatouilles-1202864483/

Chicago film festival

https://www.chicagofilmfestival.com/film/little-tickles/

鳥巣まり子

ヨーロッパ映画、特にフランス映画、笑えるコメディ映画が大好き。カンヌ映画祭に行きたい。現在は派遣社員をしながら制作現場の仕事に就きたくカメラや演技を勉強中。好きな監督はエリック・ロメールとペドロ・アルモドバル。


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