かつて一世を風靡した、マカロニ・ウエスタンの魂に満ちた映画が誕生した。『マルリナの明日』。西部劇ではなく、マカロニ・ウエスタンの血筋である。インドネシア産ということで「ナシゴレン・ウエスタン」と呼ばれているらしい。主人公は女性。銃の代わりにナタをひっさげ、馬ではなくバイクを駆って、荒れた大地を行く。

 

そもそもマカロニ・ウエスタンと西部劇は、まったくの別物だ。

西部劇(ウエスタン)の多くは、アメリカ西部を舞台に、フロンティア精神にあふれた白人の主人公がならず者や先住民を討伐して、町に平和を取り戻す。1960年代に黄金期を迎えたのち、衰退をたどった清々しい勧善懲悪風の物語は、その後、暴力と不条理と欲と血に塗られた「スパゲッティ・ウエスタン」として息を吹き返す。主にイタリアで制作されたため「スパゲッティ・ウエスタン」と呼ばれたこのジャンルは、日本では映画評論家の故・淀川長治さんが命名した「マカロニ・ウエスタン」という名のほうがおなじみだ。イーストウッドの名を一躍、世界にとどろかせた『荒野の用心棒』を筆頭に、映画史に名を残す数々の名作を生んだ。それもわずか10年足らずのお話。人気に乗っかるだけの粗製乱造も祟って、70年代に入ると急激に失速し、消えていく。

 

以降、マカロニ復活の試みは何度もなされてきた。

日本でも三池崇史監督がマカロニ・ウエスタンにオマージュを捧げた『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』を制作し、近年ではマッツ・ミケルセンを主演に据えたデンマーク産ウエスタン『悪党に粛正を』や、オランダ人監督マルティン・コールホーヴェンによる『ブリムストーン』などはノワール味濃く、非道の展開をみせるという点で、アンチ西部劇ではあった。

 

マカロニ・ウエスタンと決定的に違うのは、ユーモアとある種の後味の良さの欠落だ。もちろんそういった作品ばかりではないが、マカロニの多くでは、およそ善人とはいえない主人公が、時に悪人よりも残虐なことをしでかしながらも、ところどころで(黒い)笑いを誘い、観る者をスカッと胸のすく結末へと導いてゆく。

 

ユーモアと小気味良さ。『マルリナの明日』には、そんなマカロニ・ウエスタンの魂が息づいている。脚本と監督を務めたのは、本作が3作目となる80年生まれの若き映画人、モーリー・スリヤである。ジャカルタ育ちの都会人である彼女は、本作をリアルな今に設定するのではなく、1920年代の農村をイメージしながら、携帯電話といった現代的なガジェットを取り入れて、見たことのないインドネシア、ある意味で、神話的ともいえる世界をつくりあげようとしたという。遠方から人物たちをとらえるショットを多用し、4章立てで構成されるつくりは、たしかに寓話めいた雰囲気を醸し出している。

 

舞台は、インドネシアの農村のはずれ。荒野にポツンとたつ一軒家には、マルリナ(マーシャ・ティモシー)がたった一人で家畜の世話をしながら住んでいる。家の前庭には、息子の墓。家の中には、赤い毛布でくるまれた夫のミイラが座っている。

 

画面の端にあっても、否が応でも目がいってしまうミイラは異様な存在感を放つが、インドネシアのある地方では、亡くなった家族にホルマリンで防腐処置を施し、しばし一緒に「暮らして」その死を悼み、喪失の悲しみを和らげようとする習慣があるという。死者を弔う儀式は盛大に行われるため、その費用が貯まるまで数年とどめ置かれる場合もあるらしい。

 

マルリナと夫のミイラとの静かな暮らしは、一人の来訪者によって終わりを告げる。見知らぬ男の正体は、強盗団の首領マルクス(エギ・フェドリー)であった。

 

「あと30分で仲間が来る。おまえの金と家畜を奪い、7人全員でお前を抱く。よかったな、今夜おまえは最高に幸せな女になる」

 

予告どおり仲間が到着し、宴が始まる。マルリナは毒入りの鶏スープを飲ませて、まず4人を殺害。自分を犯すマルクスの首をナタで一刀両断にする。翌朝、マルリナはマルクスの首をぶら下げて、みずからの無実を訴えるために警察へ向かうが、強盗団の生き残り二人が復讐を誓いマルリナを追う。マルリナは、唯一の味方、臨月の妊婦ノヴィ(パネンドラ・ララサティ)の力を借りて、この難局を乗り切ろうとする。

まず違和感を覚えるのが、強盗団の首領マルクスがマルリナの家にやって来る場面だ。マルリナは抵抗もせずマルクスを中に通し、要求どおり茶と茶菓子を出す。仲間を連れて戻ってくると宣言されても、逃げようとしない。仲間に料理を出せと命令されれば、おとなしく従う。夫のミイラが何か不思議な力でもって一網打尽にする展開を一瞬期待してしまうが、そんな奇跡は起こらず、マルリナは唯々諾々と犯される。男たちからは逃げられない、逃げても女ひとりでの行き場はない、それならばできるだけ酷いことをされないで済むように振る舞って事なきを得ようという悲しい自衛本能がみえるようでもあり、ひいてはインドネシアの女性たちの置かれた現状や立場をあらわしているようにも感じられる。

 

警察官たちも妊婦ノヴィの夫も、男性は誰一人として彼女たちを助けてくれない。むしろ彼女たちをやり込めようとする。そんな息苦しさをナタでなぎ払いながら進む二人の姿は痛ましくも爽快だ。

 

スリヤ監督は「インドネシアのフェミニスト西部劇のようなもの。国の内外問わず、誰が観ても楽しめる映画がつくりたかった。この作品がインドネシアの映画産業にどんな影響を与えるか、期待をもって見つめている」と述べている。本国の観衆からは「今まで観たことのない作品」という熱狂をもって迎えられた『マルリナの明日』は、インドネシア映画を新たなステージへと導く端緒となるかもしれない。

 

テキサスの荒野に似ているというロケ地スンバ島の風景と、明らかに意識してつくられた音楽。マカロニ・ウエスタン好きにはたまらないものがこれでもかと詰まった『マルリナの明日』は、ただいま渋谷ユーロスペースで公開中。

 

5月18日(土)~ユーロスペースにて公開中

『マルリナの明日』(原題:Marlina the Murderer in Four Acts)

公式ウェブサイト:https://marlina-film.com/

監督・脚本:モーリー・スリヤ

出演:マーシャ・ティモシー、パネンドラ・ララサティ、エギ・フェドリーほか

宣伝デザイン:プランニングOM/宣伝:太秦、スリーピン

2017年/インドネシア・フランス・マレーシア・タイ合作/インドネシア語/95分

日本版字幕:松岡葉子

配給:パンドラ

後援:インドネシア共和国大使館

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。