10月13日から21日まで、私が映画祭ボランティアスタッフとして、またフェスティヴァリエ(映画祭参加者)として関わっていたフランス・リヨンのリュミエール映画祭。最高賞Prix Lumièreにはアメリカの名女優ジェーン・フォンダが選ばれました。今年81歳を迎える彼女の映画界に残してきた功績と同時に、反戦運動や女性解放活動を第一線で引っ張ってきた女性活動家として、また作家としての側面を称えられての受賞となりました。

 

 

今年記念すべき10年目を迎えた本映画祭。毎年数名の著名シネアストが招待され、彼らの特集上映が行われます。今年その一人として招待されたのが、フランスの女性映画監督クレール・ドゥニ。新作『High Life(原題)』を引っ提げ、満を持して登場です。

今回、私は彼女のマスター・クラスと新作『High Life』の先行上映に参加してきした。劇場はもちろん、超満員。

 

初めて生で見るクレールは、綺麗な白い肌に真っ白なシャツが似合う、小柄でチャーミングな女性でした。金髪のショートヘアを無造作にかき上げる仕草に、御年70歳(72歳説あり)とは思えないフランス女らしい妙な色気を感じたり。勝手ながら彼女のことを男勝りな気の強い女性とばかり思っていた私は、優しい声で言葉を選んで慎重にしゃべる物腰柔らかい姿に正直驚きました。そして時々、ゆっくりと淡々と冗談や皮肉を吐く気さくで可愛らしい方でした。

 

映画祭ディレクターのティエリー・フレモ―による彼女の簡単な紹介と共に、これまでのクレール・ドゥニ作品の映像を切り取ったビデオが映し出され、すでに感動の涙をこぼす私…早い早い(笑)ここからが本番です。

では、その内容を抜粋して紹介します![*1]

 

――映画との出会いについて

私は12歳までアフリカに住んでいました。一番最初に映画を知ったのは、大のシネフィルだった母から聞かされる話を通してのみでした。母は幼少期に祖父と共によく映画館に通っていて、時に学校をさぼって映画を観にいくほどでした。ヴァカンスでフランスに戻った際に映画に行くこともありましたが、子供向け映画のみでした。残念ながらそれらからは何のパッションも感じませんでした。リセに通っていた時、お友達と『バルタザールどこへ行く』『勝手にしやがれ』などのヌーヴェルヴァーグの映画を観たことを覚えています。それらは私の人生を変えました。

 

(ここで、会場から赤ちゃんの泣く声が。「あら、bébé(赤ちゃん)も来てくれたのね!」と言って顔がほころぶクレール。)

 

――シネアストたちとの出会い

Télé Niger(ニジェリアのテレビ局)やIna(フランス国立視聴覚研究所)でのスタージュを終えた後、IDHEC(現Fémis)の試験に合格しました。ルイ・ダカンがディレクターを務めていた時代です。彼はクラスを教師ではなく映画関係者に任せることを決めた人物でした。実際に現場に立つ彼らの話を聞いて、彼らの苦悩や不安を分かちあう。このセオリーは、私の実用的なフォームになっていきました。ジャック・リヴェットの『アウト・ワン』の撮影に関わったことは、私にとって非常に重要な経験となりました。そこには一切ヒエラルキーがなく、研修生を含む全員が演出に携わっていたのです。この頃は製作費が全然なかった時代ですから、ジャック・リヴェットはもはや芸術家には思えませんでした。映画を作ることが欲望などではなく、“必須”だったのですから。

 

同様に、ロベール・アンリコからも多くを学びました。当時の彼はアシスタントに悪態をついたり荒っぽく接する人でしたので、彼を受け入れるのは容易ではありませんでした。しかし、彼の態度は私たち若手を鍛える彼なりの方法なのであり、このようなフィジカルな現場を通して、撮影におけるあらゆる条件に直面するための訓練だったのだ、と理解できるようになりました。

 

その後、ヴィム・ヴェンダースにはリスボンで出会いました。彼は私に次回作のアシスタントを依頼してきました。その時、私は監督としてようやく動き出そうとしていた頃だったのですが、その依頼を断れるはずがありませんでした。彼の70年代の作品が大好きだったし、彼の隣りで働くほうが自分の作品を作るよりよっぽど重要だと思ったから。こうして私は彼と共にアメリカへ行き、『パリ、テキサス』を撮りました。

 

――記念すべき監督デヴュー作『ショコラ』

ちょうどジム・ジャームッシュと共にニューヨークで『ダウン・バイ・ロー』を撮っていた頃、CNC(フランス国立映画映像センター)より私の処女作『ショコラ』の助成金をいただきました。撮影が始まっても、私は映画という枠の中にいるとは一切思えませんでした。撮影は連帯作業であり、苦悩の果てにこの映画が生まれました。

 

主役は男の子、つまり白人家庭の使用人の黒人でしたので、プロデューサーらは現地カメルーンの劇団の若手俳優を使いたがっていました。しかし、パトリス・シェロー演出の舞台に出演していたコートジボワールの若手俳優イザアック・ド・バンコレを見つけた瞬間、確信しました。彼しかいない、と。

 

私はこの映画には何も期待してなかったし、野心もなかった。なのにカンヌ映画祭に選出され、2作目製作へと繋がった。いつもこんな調子です。

 

 

――ジャンル映画について

ジャンル映画を作ることとはあえて距離を置いてきました、私には不可能だから。『ガーゴイル』は、ゴア映画を作るという注文を受けたからやった。そして即警告しました、これを私がやるなら何の制約もなくやらせてほしい、と。しかし、カンヌ映画祭の深夜上映にて数人の観客が途中退出したことを聞き、良い気分がしませんでした。過激な内容ではあるけれど、私はこの本作を真の“イノセンス”をもって作ったのであって、驚かそうとかいう魂胆は一切ありませんでしたので。

 

(ここで再びbébéが泣き叫ぶ。赤ちゃん繋がりで、これより話題は新作へ。)

 

――新作『High Life』ロバート・パティンソンとの出会い

SF作品において、人は英語かロシア語を話すものだと思っているので、私はアングロ・サクソンの俳優を探していました。するとキャスティング・ディレクターが、ロバート・パティンソンがぜひ話したいと言っている、と教えてくれました。しかし、私はこの役は彼には若すぎると思いましたし、彼のアイコン的な側面がどうしても目についてしまいました。もっと“血の通った”俳優を探していたのに!

 

(『トワイライト』のことを指しているのは明らか。観客、爆笑。)

 

結局私はロバートに会い、彼が私と仕事をしたいと思ってくれていることを知りました。決して大げさになることはなく、彼はただ謙虚で誠実でした。撮影においても、彼がスターであることを忘れさせるほど努力家な方でした。

 

(この後、Q&Aへ。質問に答えた後、「私、ちゃんと答えられてる?大丈夫?」と質問者に聞き返すなどボケをかまし、会場を和ませる。自由でお茶目な方でした。)

 

新作『High Life』は、ロバート演じる青年と生まれて間もない赤ん坊がたった二人で宇宙ステーションにいる、という特異な設定から始まります。その赤ちゃんの生々しいほどのプニプニの肌の質感と、ひたすら彼女をあやすイクメンパパ(?)という不思議な幸福感に満ち溢れた冒頭から、物語はどんどん予想もつかない展開となっていきます。トロント映画祭で先行上映された際のLes Inrocks誌[*2]では、「吐き気と卒倒、驚愕の新作」という題で紹介されていたほど。“生”と“性”が複雑に混じりあうストーリー展開に、きっと度肝を抜かれるでしょう。前作『レット・ザ・サンシャイン・イン』でも素晴らしかったジュリエット・ビノシュの“そこまでやるか⁉ “の妖艶な熟女っぷり、注目です!

しかし今回の上映では、高齢の方が多くを占めていたこともあり、映画終了直後の観客の反応はいまいち、拍手もまばらでした。というか、”唖然”といったところでしょうか… ですが、ほぼ満席!注目度の高さが伺えます。

 

また、今回の映画祭にはクレール・ドゥニ作品のプレゼンターとして、ドゥニのフェティッシュ・アクターのアレックス・デスカスや、『ガーゴイル』『パリ、18区、夜。』のベアトリス・ダルが共に登壇、リュミエール授賞式には『ネネットとボニ』のヴァレリア・ブルーニ・テデスキも来ていました。クレール・ドゥニファンにはたまらない数日間でした。

 

 

[*1] http://www.allocine.fr/article/fichearticle_gen_carticle=18676281.html

[*2]https://www.lesinrocks.com/2018/09/10/cinema/nausees-evanouissements-high-life-de-claire-denis-traumatise-le-festival-de-toronto-111123299/

[画像元]

http://www.festival-lumiere.org/

https://www.nybooks.com/daily/2018/10/20/dads-in-space/

https://www.leprogres.fr/rhone-69/2018/10/17/beatrice-dalle-au-festival-lumiere-de-mes-75-films-c-est-le-meilleur-si-vous-n-aimez-pas-c-est-pas-normal

 

 

 

田中めぐみ

World News担当。在学中は演劇に没頭、その後フランスへ。TOHOシネマズで働くも、客室乗務員に転身。雲の上でも接客中も、頭の中は映画のこと。現在は字幕翻訳家を目指し勉強中。永遠のミューズはイザベル・アジャー二。