本日から始まった第21回東京フィルメックス。本記事では、10月30日(金)に上映されたコー・チェンニエン『無聲(むせい)』、アリックス・アイン・アルンパク『アスワン』、ワン・ジン『不止不休(原題)』を紹介します。

『無聲(むせい)』The Silent Forest

台湾/2020/104分

監督:コー・チェンニエン(KO Chen-Nien)

 聴覚障害をもつ少年チャンは聾学校に転校する。転校してまもなく開かれた聾学校の創立100周年のパーティーにおいて、チャンは会場で踊る少女ベイベイの姿に惹きつけられ、魅了される。ある日、チャンがスクールバスに乗っていると、さっきまで座っていたベイベイの姿がないことに気づく。彼がバスの車内を見回すと、一番奥の座席でベイベイが複数の男子生徒から性暴力を受けているところを目撃してしまう。主犯格の少年シャオグァンは、この性暴力は「ゲーム」である、と語るのだった。

 コー・チェンニエンの監督第一作であり、台北映画祭でオープニング作品として上映された本作『無聲』は、2011年に台湾で実際に起こった性的暴行事件をもとにして制作されたという。『無聲』というタイトルが示唆するように、本作における暴力への抵抗の叫び声は発されることがない。それは障害によるのではなく、「自分たちの声はおそらく聞きとられることがないだろう」という諦念に由来するのだが、この諦念は、健常者というわれわれ聾学校外の人々が、彼/女らを純粋無垢な存在として扱いながら、同時に無知で可哀想な存在としてまなざし規定することと不可分である。であるからこそ、彼/女たちのほとんどは、そのような視線に晒されるくらいなら、暴力に耐えながらも聾学校という内部で生活することをのぞむのである。しかしこのようにして抑圧されたトラウマは、別様なる暴力として発露し、連鎖していくこととなる。映画は、そのようなわれわれの無自覚な差別的まなざしを批判しながら、彼/女らがみずから抑圧していた声なき声、語られることのなかった痛みを聞き取りつつ、おぞましいトラウマ的記憶を映し出し、受け止めることを開始する。 

 

『アスワン』Aswang

フィリピン/2019/85分

監督:アリックス・アイン・アルンパク(Alyx Ayn ARUMPAC)

 アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、また9月に韓国で行われた第12回DMZ国際ドキュメンタリー映画祭では最優秀賞であるWhite Goose Awardを受賞した本作は、アリックス・アイン・アルンパク監督の長編デビュー作である。

 フィリピンのドゥテルテ政権は、「麻薬捜査中に警官が人を殺しても罪に問わない」と公言し、警察に対して麻薬患者や売人をその場で射殺する超法規的な権利を付与した。本作は、その政策の影響を受けるものたち、おもにスラム街において生きる貧困層の人々の姿を追ったドキュメンタリーである。題名はフィリピンの民間伝承に登場する妖怪の名からとられたという。二年半のあいだ撮りためられたというショットの多くは手持ちカメラによってとらえられているが、その悲惨な現状を固定で均整のとれた美しい構図によって切り取ったショットが挿入されることもある。ペドロ・コスタやラヴ・ディアス、ツァイ・ミンリャン、とりわけリノ・ブロッカの影響があると指摘するメディアもある[1]。

 アルンパク監督は、政府や警察、富裕層であるために摘発を免れている麻薬組織に対してインタビューを行うことはない。麻薬操作と謳いながら政府によって線引きされ、棄民されたものたちの悲惨な現状をうつしだしながら、彼/女たちの声を抹消しようとするものに抵抗する。ドゥテルテが政権を握った2016年以来、多い月には、1000人以上もの人々が殺害されたという。警察あるいは政府にとってはもはや、彼/女らを殺害するのに疑わしい行為すら必要がない。貧困地域で生活するものたちは、潜在的な麻薬常習者とみなされ、たんに生活しているだけで警察によっていつでも殺害されうる存在となった。しかしこうした措置は本当に正当であるだろうか?

 今もなお、ドゥテルテは91%もの支持率を誇っているという。こうした強権的な麻薬捜査に対する支持は、セキュリティのテクノロジーによって亢進されるだろう。富裕層を含めた多くの人々は、麻薬という危険性を排除すること、つまり線引きされ棄てられるべきとされたものたちを殺せば殺すほど、みずからの生がますます健全になるのだと考えているのだといえる。そしてそれはまさしく、人種主義(レイシズム)的な浄化の論理と結びついたものである。

 しかし、このような政府による大量殺人は何の解決にもならないばかりか、拭いさることのできない悲しみと警察に対する憎悪ををつぎつぎと生み出すだけである。周縁に追いやられたものたちが薬物を売ること/使用することを選んだのが日々を生きぬくための止むに止まれぬ要請ならば、われわれが解決すべきことは、貧困という問題なのではないだろうか。

 

『不止不休(原題)』The Best Is Yet To Come

中国/2020年/115分

監督:ワン・ジン(WANG Jing)

 2003年、SARSの流行が沈静化した北京。青年ハン・ドンは、記者になるために地方から上京するも、中卒でなかなか職を得ることが出来ない。しかしある日、新聞投稿欄への寄稿がきっかけとなり、ネット上で執筆した記事が新聞社の目に止まり、記者見習いとして無給で採用されることになる。彼は先輩記者とともに、多くの社会的事件に潜入し捜査を進めていく。スクープを探すハン・ドンは、血液売買の潜入捜査を進めるなか、法的にも社会的にも差別されていたB型肝炎に罹患している患者の替え玉健康診断の実態へと行き着くのだった。

 B型肝炎は、通常の生活では感染することのないウイルスであるが、2003年当時、持続感染者は学校でも職場でも不当な差別を被る対象であった。そのため、彼/女らは、学校や職場に居場所がなく、日陰での生活を余儀なくされていた。主人公であるハン・ドンは、このような現状を打破するため、自分のペンの力によって一億人のB型肝炎患者に対する人権を取り戻そうと試みるのである。「この世界に自分と関係ないものはない」と語る本作は、言論や文化・芸術のもつ力に対する信を描きながら、知の重要性を描いている。

 ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門やトロント国際映画祭で上映され、平遥国際映画祭で最優秀監督賞を受賞している本作は、ワン・ジンの長編デビュー作である。多くの社会問題を告発した実在の新聞記者がモデルとなっており、彼は本編中にも先輩役として出演している。ワン・ジンは、『罪の手ざわり』以降、『山河ノスタルジア』や『帰れない二人』など、これまでジャ・ジャンクー作品の助監督を務めてきた。ジャ・ジャンクーは、本作のプロデュースほか、炭鉱の経営者の役を務めている。

[1] https://www.hollywoodreporter.com/review/aswang-1259843

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。