1/15〜2/15まで開催のMy French Film Festival 2021。
今年は、長編13本(うち1本は国内視聴不可)と短編20本が公開されている。
本記事では、ミリアム・ヴェロー監督『クエシパン〜私たちの時代〜(Kuessipan)』を紹介する。
舞台はカナダ、ケベック州。この物語はケベック州の居留地に住むアメリカン・インディアンの部族のイヌー(Innu)である2人の少女、ミクアンとシャニスの友情と成長の物語だ。同名の小説からインスピレーションを受けたミリアム・ヴェロー監督は、小説の著者であるナオミ・フォンティーヌを共同脚本家として招き入れ、実際にイヌーの人々が住むケベック州の居留地で、彼らを俳優として起用し、彼らの物語を作り上げた。
私は、この映画に出会うまで、イヌーという先住民族についてほとんど何も知らなかったことをまずここに書き記す必要がある。これから映画を見るひと(見終えた人も)がより映画の背景を理解出来るように、本文に入る前に”彼ら”について書き記したいと思う。
映画の中でしばしば“彼ら”と呼ばれるイヌーは、カナダのケベック州に根を張っている。ケベック州は住民の約8割が仏系で、残りの2割がイヌー族を含む先住民族が共存している土地だ。映画の中では、”居留地”という言葉が頻繁に使われる。ではその”居留地”とは何か。イヌーは、先住民として住宅や教育などの生活の保護を政府から受ける代わりに、定められた区域、”居留地”に住むことが義務付けられている。
そしてこの区域は、”イヌー”とそれ以外の人々(大多数がケベック人)の分断を引き起こし、”彼ら”イヌーは大衆のケベック人とは異なるというレッテルを貼られている現状がある。映画の中でも、ミクアンとシャニス、またその家族はイヌーへの差別と共に生きている。さらにこの政府からの保護と”居留地”は、他にも様々な問題-アルコール依存症、家庭内暴力、ドラッグなど様々な問題をも引き起こしているようだ。イヌーの人々を理解する為に、4年の年月をかけてケベックに足を運び、彼らと時間を共にしたと語るミリアム・ヴェロー監督は、実際に上記のように現代社会で彼らが直面しているありとあらゆる問題と、彼女自身が作った物語を素晴らしいバランスで織り交ぜている。
主人公のミクアンとシャニスは、イヌーのコミュニティのなかで、大親友として片時も離れずに育った。冒頭の15分にも渡る幼少期のシーンは、二人のバックグラウンドを見せると同時に、二人がどれだけ固い絆で結ばれているかを描いている。しかし高校卒業が近づき、将来の道を考える時期に差し掛かった時、二人はお互いが既に別の人生を歩み始めているという現実に向き合わなければいけなくなる。ミクアンはケベックの大学に進学することを目指す一方で、シャニスは高校を中退し、既に小さい娘と問題を抱えたパートナーと”居留地”に留まることが自然だと考えている。ミクアンが”ケベック人の白人少年”であるフランシスとデートをし始めると、二人の意見の違いはより顕在化する。シャニスは、イヌーが白人の男の子とデートなんて出来るわけがないと考えるが、ミクアンは違う。ミクアンは、友情、恋愛、そして家族の中から生じる様々な葛藤を乗り越え、イヌーという自分のルーツに誇りを持ちながらも、外に踏み出す決意をするのだ。
この二人の少女の対立から描かれるのは、価値観の違いだ。そしてこの価値観の違いが、二人を全く別の人生に導くことになる。ミクアンは、自分と同じ先住民に囲まれた”居留地”を小さな世界だと捉え始め、より大きな世界へ行ってみたい、という希望を持つ一方で、シャニスは与えられた環境の中でイヌーの女性として(つまり、母親になり子を産み育て、伝統を継承すること)生きる道を選択する。この価値観の違いは、一体どこから生まれたのだろうか?それは多くの場合がそうであるように、恐らく育った環境がかなり大きいように思える。ミクアンは祖母を含めた二世帯家族で、特別裕福な家庭ではないけれども愛情深い家族に囲まれて育っている。一方シャニスはアルコール依存症の母親に育てられており、幾度となく祖母の家に避難しなければいけなかったし、祖母の家の代わりにミクアンの家に滞在することも度々あった。生活の基盤が常に危険に晒されており、毎日を生きるのが精一杯な状態で、社会のことや自分自身の可能性について考えることはどうしたって難しい。前述したようにシャニスのような例はイヌーのコミュニティにおいて珍しいことではない。映画はそういったイヌーの現状を、シャニスという存在を持って私たちに提示しているのだろう。
「丸いお腹の女の子、彼女を知ってほしい。彼女は子供を一人で育て、浮気をしている彼氏に向かって叫びます。」
そして興味深いのは、ミクアンの抱える葛藤(自分は伝統的なイヌーであるという事、しかし外の世界に出て、現代社会で生きるという選択をしたいという思い)と、イヌーのコミュニティの抱える問題(イヌーの伝統の継承していくことは重要な一方で、現代社会では外との接触は避けられない)が重なっていることだ。
高校のディスカッションのシーンでは、イヌー出身の生徒たちがイヌーの地の土地開発が行われることへの是非を議論し合っている。(1)
そこでミクアンは、「自分たちの文化を継承した上で、外との繋がりも必要。バランスが大事だ」と主張する。イヌーだけではなく、グローバル化の現代社会において、伝統的な文化を持つ土地や人々は常に伝統と新しい価値観の狭間で苦しんでいるのだ。ミクアン自身は、まさに伝統と外の価値観のバランスを取る選択をするが、イヌー民族自体はどうだろうか。大きな流れに逆らうことは出来ないが、そこには彼らの生活を失うリスクも十分に伴っている。実のところ、共同体にとってはバランスを取る事ほど難しいことはない気がする。
また映画は、ミクアンとシャニスを中心におきながらも、ミクアンの家族や生活にもフォーカスを当て、彼ら一人一人のストーリーを浮かび上がらせている。ミリアム・ヴェロー監督は、イヌーのコミュニティに実際に足を運ぶことで、彼らをイヌーと見るのではなく、単に友達として見るようになったと語っている。(2)
イヌーという人々を外から観察し、そこに”大衆との違い”やそこからくる”困難”だけに目を向けるのではなく、内側に入り込み、生活や伝統を映しながらも、”イヌーという独自のルーツを持つ、私たちと変わらない人々”の物語に昇華させたという点で、この映画は際立っていると感じる。
ラストシーンでミクアンが読み上げる「自由」をテーマとした詩。イヌーを取り巻く環境は厳しく、いち視聴者である私たちでさえも、その現実に打ちのめされそうになる。しかし、私はミクアンの言葉の持つ美しさと力強さに、心を動かされ、希望を感じずにはいられなかった。そしてドラマチックな少女の物語への感動と共に、こうしてイヌーへの学びも得られる事が出来るこの物語を、皆さんにも是非観て欲しい。
是非お見逃しなく!
《作品情報》原題 Kuessipan/フランス/2019/カラー/1時間57分/フランス語
ケベックの先住民インヌ族の居留地で育った2人の少女、ミクアンとシャニスは子どもの頃からの大親友。何があってもずっと一緒にいようと約束していた。しかしシャニスは17歳で子どもを産み、子どもの父親である気の荒い恋人を警察から守ろうとする一方、作家を志すミクアンは白人のフランシスに恋をし、狭い居留地を出ることを夢見るようになる。2人の友情にすき間風が吹き…。
予告編:[MyFFF] クエシパン ~ 私たちの時代 | TRAILER | MyFrenchFilmFestival 2021
参考文献:小倉和子(2020)
ナオミ・フォンテーヌのテクストに見るケベックの先住民社会
【第11回マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル】
開催期間: 1 月 15 日(金)〜 2 月 15 日(月)
料金:長編-有料(料金は各配信サイトの規定による)
短編-無料
公式サイト:http://www.myfrenchfilmfestival.com
主催:ユニフランス
永山桃
早稲田大学卒業後、国際的なドキュメンタリーを作る会社で修行中です。
21年はナレーションの仕事も再開したいと計画中。
あとは、猫が好きなのに柴犬をかっています。ワンワン!