[308] ゴッサム・インディペンデント映画賞の変遷


第25回ゴッサム・インディペンデント映画賞[*1]の授賞式が11月30日にニューヨークで行われ、トム・マッカーシー監督の『Spotlight』(この作品については本サイトでも井上二郎さんが紹介されています[*2])が作品賞、東京国際映画祭でも上映された『タンジェリン』(ショーン・ベイカー監督)が観客賞を受賞しました。
今年で創設から25年を迎えたこの映画賞ですが、アメリカのインディペンデント映画を対象にした賞であるという程度の認識しかない方も日本には多いのではないでしょうか? 実はかくいう私もそのひとりだったのですが、今年の授賞式を前にIndiewireに掲載されたある記事を読んで、そもそもゴッサム・インディペンデント映画賞(以下ゴッサム賞)がどういう経緯で設けられたのかを知り、興味を覚えました。その記事はこの賞の創設当時に主催のインディペンデント・フィルムメーカー・プロジェクト(以下IFP)で事務局長を務めていたキャサリン・テートさんにインタヴューしたものです。[*3] 今日は簡単にではありますが、そのインタヴュー記事とともにゴッサム賞の歴史と変遷についてご紹介したいと思います。

初めてゴッサム賞の授賞式が開催されたのは1991年。当時、非営利団体であるIFPの事務局長に就任したばかりだったキャサリンさんは当時のことをこのように振り返っています。
「当時、IFPは組織として脆弱な状態…この言い方は良くないはね…不安定だったと言いましょうか、ともかく財政の面でストレスを受けている状態でした。そこで資金集めのイベントを開く必要があったんです。それがそもそもの始まりなんですが、ただ追い詰められて資金を募るのではなく、ニューヨークで自主製作映画を作ることの独自性を称賛するようなことをやりたかった。それがゴッサム賞という名前にした理由でもあります」
“ゴッサム”というのは19世紀のニューヨークの作家、ワシントン・アービングがニューヨークに対して名付けた愛称で、『バッドマン』でもゴッサムシティとして用いられていますが、ゴッサム賞という名称もそこから取れられたものだそうです。その名の通り当初のゴッサム賞はニューヨークという地域に特化したものだったそうで、たとえば第1回でキャリア・トリビュート賞を受賞したジョン・タトゥーロ、ジョナサン・デミ、アーネスト・ディッカーソンら6人は全てニューヨーク出身もしくは在住の映画人でした。
「多分にエリート主義的な考え方だったかもしれませんが、ニューヨークの映画人たちがこの町でインディペンデント映画を作っているのは、最終的にハリウッドに行くためではなく、ニューヨークという都市が育ててきた文化的なコミュニティやアートの遺産とともに映画を作る必要があるからだという信念を持っていたんです。だから、今でもハリウッドに比べれば厳しい状況ですが、当時はそれ以上の苦境にあったニューヨークの映画コミュニティを支え、援助する必要を感じていました。映画監督を志す若者に対して、大抵の人は“ロサンゼルスに行け”と言っていましたが、私たちは“ここニューヨークにもあなたをサポートできる精力的で資金もあって文化的な映画製作コミュニティがあるわよ”と言いたかったんです」
「私がゴッサム賞に関わったのは最初の6回だけですが、当初は(受賞の対象者に関して)ニューヨーク出身者、在住者でなければならないという厳格なルールを持っていました。ですが年を重ねるうちにより実用的になっていきました。たとえばリチャード・リンクレイターはニューヨークの映画作家? 違います、彼はテキサスの人ですよね。でも彼は私たちが試みていたことのスピリットを体現しています。それが大事なことです」

ゴッサム賞が設立当時から大きく変わったのはそれだけではありません。現在では作品賞、観客賞、脚本賞、男優賞、女優賞、ドキュメンタリー賞など他の多くの賞レースと同じようなコンペティションが設けられていますが、最初の7回は先ほど言及したキャリア・トリビュート賞、そして新人映画監督を対象としたブレイクスルー賞の2つしか存在しませんでした。キャサリンさんによれば、そこにはハリウッドで84年から開催されているインディペンデント・スピリット賞を意識した部分があったようです。
「私たちは他の大きな映画賞イベントと張り合うようなものにはしたくないと考えていました。特にスピリット賞は、当時はIFPの姉妹団体であるIFPウエストが運営していましたから(編注:現在はフィルム・インディペンデントが運営)、彼らの権限や仕事を尊重したかったんです。だから反スピリット賞とは言いたくないけれど、スピリット賞とは正反対の、ハリウッドとは違うイベントにするつもりでした」
「参加者が互いに顔見知り、少なくとも何人かの知人を介せば全員が知りあいであるような親密なイベントというアイデアでした。投票もなく、ある人が受賞にふさわしいかどうかを直に議論していく…だから本当に小さな共同体を基盤とする運動だったんです」
キャサリンさんは、コンペ部門の数を年々増やしていき、規模も劇的に拡大した現在のゴッサム賞について、世界はこの25年で大きく変わったのだから、映画賞もまた現実の問題に直結してより実用的に変化していくのは当然のことだと言っています。
実際、ゴッサム賞が世界的により広く認知されるようになったのは、作品賞を設けた2000年代中盤以降のことで、現在においてはその年のアメリカ映画の賞レースを占う上での指標として認識している人も多いようです。たとえば昨年のゴッサム賞で作品賞にノミネートされた『バードマン』『6才のボクが、大人になるまで。』『グランド・ブタペスト・ホテル』『人生は小説よりも奇なり Love Is Strange』『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』の5作品のうち、前の3本はアカデミー賞やゴールデングローブ賞にもノミネートされています。このような現象が起こるようになったことから、近年のゴッサム賞に対して批判的な見方もあるようですが、この件に関してはむしろアカデミー賞やゴールデングローブ賞の傾向が変わった、もっと言えばインディペンデント映画の範疇や映画をとりまく状況が変わったがゆえのことだと考えるのが妥当でしょう。もちろん私たちは『バードマン』や『Spotlight』といった賞レースの中心となる作品が選ばれることよりも、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』や『タンジェリン』といった作品のノミネートや、ブレイクスルー監督賞(昨年は『ヴァンパイア~残酷な牙を持つ少女』のアナ・リリ・アミルプール監督、今年は移民問題を扱った『Mediterranea』のジョナス・カルピニャーノ監督が受賞)によって新しい才能を知ることにゴッサム映画賞の意義を見出すわけですが、ゴッサム賞の規模や知名度が拡大することによって、そういった新鋭の作品がより注目を集めることになるのもまた事実なのです。

おそらく現在のゴッサム賞が抱える課題は、他の映画賞に対して独自性を出すことではなく、撮影形態も上映(視聴)形態も多様化され、作品の本数自体もさらに増え続けるだろうインディペンデント映画の受け皿となる映画賞として、最優先されるべき理念とは何かを再確認することにあるのではないでしょうか。今年からデジタルメディアやテレビで配信・放映された作品を対象とするブレークスルー・シリーズ賞が新設されたのもその表われだと思います。IFPの事務局長時代に多くのインディペンデント映画を発見してきたキャサリンさんは「劇場映画を作ることはいつの時代も難しいことでしたが、いまや途方もなく難しいことになってしまいました」と言います。
「現在では映画を撮ることよりも、撮った作品を人々に見せることがより大きな挑戦になっています。もちろん90年代でも自主製作映画をスクリーンにかけるのは大変なことでした。ただ当時は1本の作品によって突破口が開かれたように感じることがあったんです。IFPマーケット(IFPが主催するインディペンデント映画のショーケース)でクエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』が出てきた時や、ケヴィン・スミスの『クラークス』を見た時、自分たちが何か大きくて重要なものの一部になったように感じたのを憶えています。いま劇場映画でそのような感覚を抱くことはありません。今やそういった動きはYouTubeをはじめ、異なるプラットフォーム、異なるツールに移行しています」
そんなキャサリンさんがYouTubeの動画と劇場映画の決定的な差異として考えているのは、YouTubeの動画はそのほとんどが個人の作品だという点だそうです。
「ゴッサム賞に関わる上で常に心に留めていたのは映画作りが集合的な芸術であるという点でした。だからこそ毎年、キャリア・トリビュート賞には技術者をひとりは入れるようにしていたんです。デヴィッド・クローネンバーグがハワード・ショアにトロフィーを授与した時のことは忘れられません。決定的な瞬間でした」
私たちがいまなお映画賞の結果を気にしたり、中継を見たりしてしまうのは、そうした“決定的な瞬間”に接するため、映画が人と人とのつながりによって作られ、上映されていることを確認するためなのかもしれません。

第5回ゴッサム賞でキャリア・トリビュート賞を受賞したアベル・フェラーラとプレゼンターのマドンナ

第5回ゴッサム賞でキャリア・トリビュート賞を受賞したアベル・フェラーラとプレゼンターのマドンナ

*1
http://gotham.ifp.org/

*2
http://indietokyo.com/?p=3049

*3
http://www.indiewire.com/article/as-the-gotham-awards-turn-25-heres-how-the-indie-landscape-has-changed-20151130

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


コメントを残す