中国映画『象は静かに座っている』は、昨年11月に日本で公開され、一部映画ファンたちの間で好評を得た。その後、米誌ニューヨーカーのリチャード・ブロディ(Richard Brody)を初め、数々の批評家たちによる過去10年のベスト・リスト入りを果たしてきた[5]本作は、日本公開以前に、2018年のベルリン国際映画祭でプレミア上映され、アジア圏で最も権威のある映画賞の一つである台湾金馬奨で最優秀作品賞を受賞している。各映画祭期間中は、本作を長編第1作として世に送り出した青年監督の自殺が話題を呼んだ。

 

本作の物語では、中国北部の地方都市で暮らす少年少女たちが、現代中国の暗く歪んだ社会、家庭の不和、いじめ、といった問題に翻弄され、鬱屈した日常から象のいる遠くの街の動物園へと逃避を試みるまでの過程が描かれる。

監督の胡波(フ―・ボー)が自殺した2017年以来、中華圏ではこのセンセーショナルな事件に関する記事がメディアによって数多く書かれてきた。本稿ではその中でも監督の下積み時代、人柄、事件に至るまでの過程を監督の知人たちへの取材をもとに詳細に記録した記事に加え、いくつかの他記事からの補足を交えつつ、抜粋・翻訳して紹介する。(なお、(2)の章では胡波と彼を苦しめたプロデューサーとの関係を、ネットに流出したチャットメッセージを参照しつつ紹介する。)

 

 

 

大学入学前

 

大学入学前、この青年監督の人生は決して輝かしいものとは言えなかった。2004年、高校受験に落ちた胡波は、費用を払えば誰でも入学できる学費の高額な私立学校に入学している。「私の通っていた学校は市の中でも最悪のレベルだった。入学当初に行われる泊まり込みの軍事教練の夜、皆は娼婦を経験した歳の早さを競い合っていた。」と、波は小説『大裂』で書いているが、これは文学的創作ではない。胡波と同級生だった友人、王凱によると、娼婦の体験談をひけらかしていた二人の学生は、その後喧嘩により退学になったという。

 

大学受験前の胡波は学業を真面目に考えていなかった。両親が胡波の通学のためを想い、一家で学校前の区画へ引っ越した後も、彼は毎日遅刻してばかりだった。だらしなく、頭を洗うのを嫌い「伸びっぱなしの髪は毎日あぶらぎって」おり、授業では寝てばかりだった。韓寒[中国の「八十後世代」を代表する作家兼ラリーレーサー]を愛読していた胡波は作文を好んだが、書いたものを国語教師に見せに行っては「あの先生は教養がない」と愚痴っていた。

 

とはいえ、胡波が映画を好きになったのも高校時代だった。同級の王凱よると、ある日彼は北京電影学院[張芸謀、陳凱歌、田壮壮、賈樟柯、婁イエらを輩出した名門映画大学]を受験すると言い出し、「突然彼の国の方言である済南弁を話さなくなった」。理由は「電影学院を受けるには共通語を話さないと」とのこと。三年次に北京へ大学の聴講旅行をした際は、麻袋を幾つか買って、それにDVDを詰めて戻ってきた。[北京電影学院周辺には、海賊版DVDを売る店があり、店の存在を知らないと辿り着くことのできない建物の奥で、政府の検閲を通っていない品々をひっそりと売っていた。]

 

胡波は2年連続して受験に落ちたのち、最終的に済南市から20キロほど離れた山東伝媒職業学院へ入学したが、そこも4か月後に退学している。

 

高校卒業後3年目に胡波はようやく「映画芸術最高の殿堂」北京電影学院に合格し、2010年期の監督科で最年長の学生となった。

 

北京電影学院

 

だが念願の大学入学後も、問題は絶えなかった。彼の入学の数年前から、中国での韓国映画人気はピークを迎えていた。韓国映画は、低迷するアジアの商業映画市場でハリウッドを模倣することによって独自の地位を築いており、同時にイ・チャンドン、ポン・ジュノ、パク・チャヌクといったアートハウス系映画監督にも欠くことがなかった。芸術映画好きの胡波はこの韓国映画を巡って教師と対立した。彼の教師たちは商業映画派で、知名度のある幾つかの商業映画を監督した者もいた。

 

また胡波の在学中、監督科はこれまでの芸術映画重視の教育方針を一転させた。1、2年次に教師から出される課題はクラシック映画のリメイクが主体、3年次になってようやく自分の脚本を撮ることができるようになった。だが胡波が求めるのは、一部の人々にしか受け入れられない高純度の芸術映画。彼の提出した課題は他の生徒と同じく出来の良いものではなかったが、既に胡波の提出する課題は難解なものだったと当時のクラスメートは話している。

 

胡波は自分の世界に住んでいた。彼が尊重するのは自分のみ。演技のクラスを欠席する際、担当教師への説明は、武侠映画監督の徐浩峰の選択クラスに出るから、というものだった。「演技の練習が大事か、それとも選択クラスが大事か」という詰問に対し、胡波から返された「浩峰先生のクラスは一度きりだから」という回答を聞いたこの教師は、憤慨して教室を出て行ってしまった。

 

時間があるとき、胡波はおおかた学生宿舎で物書きをしているか、ネットゲームをして過ごしていた。ある晩、彼とそのガールフレンドは屋台で麻辣湯(マーラータン)を食べていたが、それを見た教師は、翌日のクラスで「胡波は高尚なお方だと思っていんだが、こんな巨匠先生にも俗な一面がお有りなのかな?」と皮肉ったという。

 

卒業制作『夜奔』

 

『夜奔』は胡波が大学4年次に卒業制作として撮った作品である。この作品で彼は、学校からの助成金12万元を得るため、妥協して韓国の商業映画を模倣せざるを得なかった。しかし、学校から指定された録音技師に満足できなかった彼は、録音技師として甄師(ジェン・シー)という名の院生を独自に探し出し、録音科の教師の怒りを買った。「胡波はいわゆる映画狂いでね、彼との仕事は狂人の夢を実現するのと同じなんだ。」とこの院生は語っている。

 

当初、『夜奔』の学内での受けは大いに良かった。胡波も大いに喜んだ。だが、大学から提供されるはずの撮影資金の残額は遅々として送られてこない。大学側の説明では「脚本が悪い」「尺が長すぎる」という。同級生である陳晨(チン・チェン)の回想によれば、「彼には持って生まれた反抗的気質があった」。卒業制作にあたり、そんな胡波に回ってきた機材は最も使えないものばかりだった。「なぜかって?煙草を買わなかったからさ。」陳晨自身は煙草2本を手に機材を借りに行き、最も良い機材を手に入れた。「同期の学生はみな煙草を機材担当者に渡していたよ。」と陳晨は言う。「外で「中華」[高級国産煙草のブランド]を買ってきて、何も言わずに先生の口に2本くわえさせるんだ。あとは黙って教室を出てこい。」陳晨の助言を受けた胡波がこれを実行したところ、資金の残額はすぐに送られてきた。

 

胡波は妥協して『夜奔』を商業映画風にしたにも関わらず、この作品は教師2名の好意を得ることができなかった。結果、この作品は胡波が撮った別の映画1本もろとも握りつぶされ、賞を獲得することもなかった。『夜奔』の制作に携わった院生の甄師によると胡波の監督科に対する態度は「将来有名になって汚名をそそいでやる」というものだったという。

 

小説『大裂』

 

卒業後、『夜奔』を見たある会社が胡波に映画の制作を依頼した。ソフトポルノ風ではあるものの、「正真正銘の長編映画」だった。当時の[中国]映画業界は今日のような興隆を見せておらず、映画を撮る機会を得ることすら困難なものだったが、胡波はこの申し入れを断った。

 

胡波は『夜奔』を妥協の産物と見做しており、引き続き芸術映画を撮る機会を探っていた。仮に、機会に恵まれなかった場合は、映画監督になること自体をあきらめても良いという構えだった。卒業後、学生仲間たちが生計を立てる必要から広告、宣伝、商業映画などを撮り始めた際は、彼はいつもの「安全地帯」である文学の世界へと逃げ込んだ。こうして2011年の末、胡波は処女長編小説『大裂』の執筆を開始した。「映画撮影はまったく面倒な作業だ。必要な条件も煩雑で、完成しないことも多々ある。でも完成しなかったからって、それまでの努力が無に帰すのを、ただ指をくわえて見ているわけにはいかないんだ。」

 

この時期は、胡波が経済的に最も困難な時期で、彼は母に金の無心をしている。2016年に彼は、ある「富二代」[経済的に大きな成功を収めた家族の二代目]の学生のために7分間の短編を編集し、報酬として7,000元を受け取った。大学時代の同級生であり『象は静かに座っている』の撮影監督を務めた范超(ファン・チャオ)の回想によると二人は最初の短編製作時から協力し合う関係で、この報酬は胡波がそれまで稼いだ中で最大のものだったという。「あの時、彼にアルバイトをしているかと尋ねたら、本当に金に困ったら実家からもらうと言っていた。彼はまだ親のすねをかじれると考えていて、40歳まではこの調子で頑張る気でいるようだった。」

 

胡波は純文学の世界で道を開こうと試みたものの、その手段は彼の処世術と同様、的を射ないものだった。つまり、自分の小説を大手出版社や文学誌に送付し、あとはじっと待つのみだったのだ。

 

胡波の小説は彼の映画と同じく、明白なスタイルをもち、表現力豊かで、人物たちの葛藤が良く描かれているのだが、文体が晦渋でその主題も暗い。台湾で賞を獲得する以前、胡波は多くの出版社に作品を送ったところ、どこからも声を掛けられることが無かったが、受賞後は即座にオファーが舞い込んだ。

 

文学愛好者の集うウェブサイトで、胡波は積極的に社交を展開するよう勧められた。「作品の推敲に時間を費やすよりも、影響力のある人に推薦してもらう方が、この業界ではより効果的なんだ」。『大裂』を気に入っていたとある作家が新作発表会を開いた際、推薦を受けた胡波は自分の作品を持参し「ちょっと社交して」きた。だが、その日の成果を尋ねられた彼の回答は「あの作家は凄く良い人だった。」というもので、「SNSで友達になったか?」との質問には「忘れた。なってない。」と応じた。だが慌てて彼が付け加えたところによれば「けど、広東料理は凄いうまかった」とのこと。

また、胡波は読者たちからの評価を気にしたが、それを看破されるのを嫌った。SNSを使い始めた頃の彼のアカウント名は「胡迁」。これは彼の筆名でもあった。しかし『大裂』が小さな人気を獲得し、彼のページのファン数が100人から500人へと増加すると、彼はアカウント名を検索にかからない奇妙な名前へと変え、担当編集者に対し得意げに言った。「SNSのファンが10倍に増えたんだ。ローヤルティも高い。」

 

(後編)に続く

 

林 峻

東京都出身。普段は企業で働いています。海外映画作品の基本情報に、自分が面白いと思える+アルファを加えた記事を心がけています。映画関連トピックの効率良い収集方法を思案中。


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