[700]原子力潜水艦の沈没事故を描いた『Kursk』ー舞台がロシアであることの難しさとは


 海底に深く潜り、いつ敵に見つかるかわからない恐怖-潜水艦はこれまでいくつもの映画で取り上げられてきた題材だ。だが、今回のWNで取り上げるのは、確実に迫りくる死にどう向き合うかを描いた新たな潜水艦映画だ。

 『偽りなき者』『セレブレーション』のデンマーク出身監督、トマス・ヴィンターベアの最新作『Kursk』が11月にフランスで公開される。
 映画は、2000年8月に起こったK-141クルスク潜水艦の事故をベースに描かれる。海軍の軍事演習中、ロシアの原子力潜水艦内の魚雷が爆発し、全乗組員118人が死亡するという悲惨な事故だった。(7)
 当時、ロシア政府は海外政府の援助を拒み、5日の後にようやくイギリスとノルウェーの救助を受け入れた。ロシア海軍は当初、事故は他の船舶との衝突により引き起こされたものだと主張していたが、最終的に原因は潜水艦内の魚雷の爆発であったと認めた。(4)
 事故では爆発で多くの船員が死亡したとみられるが、23人の乗組員は個室で生き延びていた。その間彼らの家族は、救助を要請すべくロシア政府に対する勝ち目のない闘いに挑んだ。しかし救助は間に合わず、後に23人の遺体が発見されることとなる。乗組員のポケットからは、その場にいた23人の生存が絶望的であると書き記されたメモが発見されている。(9)

 映画ではマティアス・スーナールツがロシア海軍大尉を、レア・セドゥがその妻を演じる。彼女が協力を求めたイギリス海軍指揮官デヴィッド・ラッセルにコリン・ファースが当てられ、マックス・フォン・シドーもロシア人役で出演する。
 映画はリュック・ベッソンらがプロデュースし、彼の制作会社であるヨーロッパコープで制作される。脚本を『プライベート・ライアン』のロバート・ロダットが担当するなど、映画界での活躍が目覚ましいスタッフの他、映画の原作となる『A Time To Die:The Untold Story of the Kursk Tragedy』を執筆したジャーナリストのロバート・ムーアや、イギリス海軍准将デヴィッド・ラッセル当人、潜水艦の専門家ラムジー・マーティンなど各分野の専門家もアドバイザーとして参加する。(2)

 

ロシア軍を描くにあたっての課題

 この映画には多くのアドバイザーがかかわっているが、当初はロシア国防省の協力も得る予定だった。
 制作が始まろうとする2016年、ロシア国防省文化管理課の課長アントン・グバンコフはラジオで映画制作の支援に言及した。彼らのアドバイスは、映画をより真実に近づけることが目的であり、登場人物の服装や出来事の検証をするという。金銭面での援助はせず、支援は専門的な知識援助のみに限るが、誤りやステレオタイプを最小限に抑えることを目的とした。

  「現在、理想の形で制作が行われています。というのも、多くの基本的な事柄が知られていないのです。 脚本を読む時も、仕事にとりかかる時も、初歩的な段階においてこそ専門家の知識が必要になるのです。」
「これは私たちにとって大事なことです。彼らが私たちの協力なしで映画を作れることができることもよく知っています。けれども、我々が出すぎたことをせずに制作に参加するとになれば、それはとてもよいことでしょう。」(3)

 グバンコフはまた、ドキュメンタリー映画のプロデューサーであるアンドレイ・シングルが製作に加わることにも言及した。国防省は彼の制作過程で何度か仕事を共にしている。
ところが撮影が始まる1か月ほど前になってシングルが、国防省からの許可を得られていていないと地元のラジオ局で語ったのだ。「おそらく新たな懸念事項が浮かんだのだろう」。
 それでもなお、シングル等プロデューサー達はロシア軍からの承諾を得ることに望みをかけ、ノルウェーなど他の国での撮影は視野に入れなかったという。
 このロシアの対応には、極秘の情報や場所にアクセスを許可することへの懸念が内部で高まったのではないかという噂もあった。また、ロシア国内の事故への認識が未だに「アメリカの潜水艦によるミサイル攻撃」であることも関係しているのかもしれない。(2,6)
 結局詳細は公表されないまま、ベルギー、フランス、ノルウェーなどヨーロッパ各地で撮影が行われることとなる。

 その後もロシアへの配慮とみられる動きはあった。ロシア大統領のキャラクターが脚本から削除されたのだ。
 2000年にこの事故が起きたとき、ロシア大統領に就任して3か月だったプーチンは、原作本では極めて重要な人物として描かれ、脚本上でも少なくとも5つのシーンで脇役として描かれる予定だった。 しかもそのストーリーは彼に同情的だった。というのも、彼が個人的にその悲劇と向き合うことになった背景―プーチンの父親はかつて潜水艦の乗組員だった―にスポットライトをあてたのだ。
 しかしプーチンが登場する一連の場面は脚本から削除されてしまった。話によると、制作会社であるヨーロッパコープの代表リュック・ベッソンは、物語の軸を、この惨事の背景にある政治的な要因よりも彼らの救命任務に置きたかったようだ。2014年には金正恩暗殺を描いたソニー・ピクチャーズのコメディ映画『ザ・インタビュー』が金正恩の怒りを買い、ソニーのハッキング事件につながったという話もある。
 ロシア大統領の描写を削除したのは、このような事件を鑑みてのヨーロッパコープの決断だったのだろう。(8)

 このようにロシア軍を描くにあたって多くの懸念事項があったようだが、ロシアの協力を得なかった理由について監督自身がトロント国際映画祭の後に語っている。

「ロシアの会社と共に『Kursk 』を制作し、撮影もロシアでしようとしていました。でもすぐに軍当局との問題が生じたのです。彼らは脚本を読んでコメントを出し、私たちの脚本について込み入ったやりとりが続きました。彼らは場面場面で物語を英雄的なものにしたかったようですが、それは映画をより事実に近づけるのには必要ないものでした。
私はロシア軍に対して芸術の自由を放棄するのは、特にこの映画ではとてもよくないことだと感じていたし、それは期待を裏切る行為でもあります。 だから私たちは一段階戻って、他の場所で撮ることにしたのです。」

 映画がロシアを舞台にしているために起こる問題がもう一つあった。言語の問題である。
ヨーロッパコープで制作される今作はフランス・ベルギー合作だ。スーナールツはベルギー人、レア・セドゥはフランス人、コリン・ファースはイギリス人。ロシアの事故を共通言語の英語で語ることになる。このことについて監督は、

「ロシアを舞台にしながら英語で映画を作らなければならなかったことは大きな課題でした。 実際、この映画の最大の挑戦であり、その点でこの映画を撮るかどうかも迷いました。 できるだけ事実に即したものを作ろうとしたことで、これが特別な課題になったのだと思います。 アクセントについてもそうです。イギリスやアメリカの英語のアクセントとマティアス・スーナールツの中央ヨーロッパのアクセントを混ぜると、分かりづらくなってしまいます。なってしまいます。そこで私は中央ヨーロッパの、少しドイツ語やデンマーク語が混ざったアクセントを選びました。台詞のある108人と、様々な国の俳優たちと共に、不可能に思えた言語面での課題を克服しました。」(5)

 ここまでして他国軍の事故を描きたかったのには何か理由があるのだろう。監督はインタビューで次のように語っている。

「彼らの勇敢さが私の心を強く打ちました。私たちは皆、結局のところ死に向かって時間を失っていくのです。これは私を悩ます大きな問題でもあります。……人々は今では死を語らなくなりました。彼らは若い時のことを語り、命を楽観視しようとする。何世代か前までは、私たちは死について語っていました。人はみんなもっと早く死んでいたし、死は生活の一部だったから。でも今は違います。死は私たちが恐れる対象となり、 文学と映画だけが論じるものになってしまった。この映画は、避けることのできない死についての究極の物語であり、その時あなたがどう振る舞うかが重要なのです。それは私の心を動かす、興味深く魅力的で、恐ろしいことでもあります。この鼓動、助けを求める静かな叫びが私の心を掴んだのです。」(5)

 制作過程でロシアの協力が得られず、実話の再現性という面では妥協があったかもしれない。しかし、監督の撮りたいものを撮る、伝えたいことを伝える、という意思に妥協はないようだ。芸術家が権力へ配慮するというのは気がかりなことではあるが、表現したいものがあるとき、何を優先させるべきなのかが決まってくるのかもしれない。そして、国際的なキャスト、スタッフによる多国籍映画ともいえる今作は、ロシアの物語ではあるが、国の壁を越えて多くの人が人間の生死を問い直す機会になるだろう。

 

1https://deadline.com/2017/02/lea-seydoux-kursk-submarine-europacorp-colin-firth-1201906726/ 2http://www.comingsoon.net/movies/news/845683-kursk-movie-production

3https://sputniknews.com/russia/201604091037760836-russia-kursk-movie-assistance/

4https://variety.com/2015/film/news/kursk-submarine-disaster-movie-luc-besson-europacorp-1201571645/ 5https://www.cineuropa.org/en/interview/361097/

6https://www.hollywoodreporter.com/news/russias-defense-ministry-cooperate-luc-882442 7https://www.hollywoodreporter.com/news/russian-colin-firth-shoot-postponed-919850

8https://www.hollywoodreporter.com/rambling-reporter/vladimir-putin-character-cut-luc-bessons-russian-thriller-986232

9https://www.theguardian.com/world/2000/oct/26/kursk.russia

小野花菜
早稲田大学一年生。現在文学部に在籍してます。自分が知らない世界の、沢山の映画と人に出会いたい。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。


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